JUNKOのエクアドル留学日記(仮)
 日本をよいしょと飛び出して、海を越え未知の南米大陸へと足を踏み入れた「私」。その留学生活はかなりハードでトラブルだらけ!しかし何もかもが新鮮で、アンデスの高地を照らす太陽のように輝きに満ちたものだった。

グレゴールとジョン、ハンモックの写真

foto:gregor

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 今日はフィエスタ。シンディがベルギーに帰るのと、明日がリリアン(スイスの子)の誕生日なのだ。明日は明日でまたリリアンのフィエスタがあるけれど、私はちょっと続けざまはしんどいので行かないだろうと思う。

8時頃に電話がかかった。kanakoだった。明日メラニンとオタバロ(!!)に行くので、私も行かないかということと、朝の6時半の予定なので今夜のフィエスタには行けないということだった。オタバロ。私がいつも行きたいのになぜか行けない いわくのオタバロ。今回も行きたいのはやまやまだけど、今日のフィエスタに行ったら朝の6時半にオタバロに行くのは絶対ムリだ。それにシンディのための今日のフィエスタには行っておきたい。

というわけでオタバロはあきらめて 9時頃に家を出た。グレゴールたちのレジデンシアまでタクシーに乗る。$1.50だった。
着いたらグレゴールがちょうど出迎えてくれて、私はメラニンとkanakoが来れないということを伝えた。「Junquito(
彼はよくこう言う。-itoはスペイン語の愛称で、かわいらしい感じになる。でも私は...ジュンキートはイマイチ好きになれないなァ![*注1])、君はオタバロには行かないの?」「行きたいよ!でも今回も行けないや、だってここにいるもん。」そしてリリアンとシンディの横に座って、シンディのためのノートを書いた。
シンディは「ニホンゴ」という日本語と「スキ」というのを覚えていた。「ニホンゴ」は私が前教えたんだけど、「スキ」はなんで知ってるの?と聞くと、「Junkoが教えてくれたんだよ!」という。えーー?!そうだった?「でもJunkoはすごい酔ってた時だったからね」とシンディが言って、そういえば、いつだったか そうだきっとkanakoのフィエスタの時だったかに、ディスコテカで教えたような、覚えがある...。それを覚えていたなんて。それで私はノートに"
Suki"と書いて、"I'll never forget your kindness in OTAVALO!(オタバロで優しくしてくれたこと、絶対忘れないよ)" それから迷って、スペイン語で、"話したい(書きたい)ことはいっぱいあるんだけど、私のスペイン語はまだつたないので...でもこれはめっちゃ重要、Suki、シンディ 私はあなたが大好きだよ!"と書いて渡した。シンディはとても喜んでくれた。
それからリリアンが、「シンディ、彼女の絵を見た?」と言って、シンディが「見てないよ、Junkoは絵を描くの?」リリアンは、彼女の絵はすごくすてきなのよ、と言ってくれた。

今日学校で お昼すぎにインターネットをしていると、グレゴールとリリアン達が来て、グレゴールが「Junko、リリアンに君のhpを見せてあげようよ」と言い出した。「君のピクチャーだよ。」それでちょうど開いていた私のページの、絵を開いて見せた。リリアンと、そこにいた人たちがみんな見て、なんだかみんな 気に入ってくれたのだった。

JunkoはArtistaだね、とナルシッサやパトリシオが言って、私は「ううん、私のお兄ちゃんはArtista(芸術家)だけど 私は違うよ、私のはただの 遊び」と言った。本当にそうだ。お兄ちゃんは本物の芸術家だった。お兄ちゃんがピアノで奏でる音楽、あの繊細な音...絵を描く時の大胆、奔放さと 色に対する鋭い感性。俺は芸術家だ!なんて自分の才能を主張したりはしなかったけれど、プライドは静かに持っていた。

私の絵も、気に入ってくれていた。
私がホームページに絵をのせようという時に、心配だったのでお兄ちゃんに聞いてみた。「お兄ちゃん、私の絵は人に公開しても恥ずかしくない程度だと思う?」お兄ちゃんは、大丈夫、順子はなかなかいい絵を描くよ、ちゃんと描きこんでいるしね、と 言って、私の、お母さんと赤ちゃんの頃のお兄ちゃんの絵を、「これもいいんよね...」とじっくり見つめて言ってくれたのを思い出す。
「順子は絵を勉強してないから バリエーションが少ないけど、もしちゃんと描き方を勉強したら、もっといろんな絵が描けるようになるよ きっと」......

グレゴールが、「君の、お母さんとお兄ちゃんの絵が僕は好き」と言った。
私は、「本当?気に入ってくれたの?!」と言った。なんだかうれしかった。
それから、今日はあんまりアルコールを飲まない気でいたけど、何だかんだいってやっぱりフィエスタに行けば飲んでしまうものだ。オランダのヤンアルベルトが弾くギターを聴いたり、デニスが「Junko、韓国語話せる?」と聞いてきたので、ほんのちょっぴり と答えると、彼女の友達の韓国人の男の子に国際電話をかけるのを手伝うことになった。といっても私は本当にちょっぴりしか話せないのだ。全然 使っていなくて忘れかけていた韓国語を頭のすみから引っぱり出して頑張ってみた。あははーでもやっぱムリムリ!韓国語もそのうちちゃんと勉強つづけて話せるようになりたいな。とにかくいろんな言語を話せるようになるのが私の夢でありやりたいことの一つだ。それだけ可能性が広がる。デニスには、「力になれなくてごめんね」とあやまった。

そしてディスコテカに移動するタクシーで、シンディとグリルとスティーブ(カナダから来た男の子)と一緒になって、いろんな話で盛りあがった。シンディはどこで覚えたのかいろんな日本語を知っていた。「カラテ」はempty handという意味だよね、と言ったり、「ジュードー」は何ていう意味?と聞くので、やわらかい道だよ、と教えてみた。すると「ユーコー」「イッポン」「コーカ」はどんな意味?と聞いてくる。私は「一本」は「You got it!だと思うよ」と答え、「コーカ」はよく分からないけど「有効」は...うーん きっとhalfだわ、と言った。これは自信ない。シンディはどこで柔道や空手を見たのかな。
シンディもグリルもしっかりと物を見ていて落ちつきがある感じで、しかも明るく陽気でエネルギーあふれる子たちだ。特にグリルとはSpinのクラスが一緒だが、エンターテイナーだし、語学をはやく上達させたいというやる気があふれている。そのせいか、最近スペイン語がめきめき上達してきている。彼女は28才、そしてシンディは24才だった。
年齢は、その人の 人や物との関わり方に、多少関係しているなと思う。18才だとかの子達に比べて、やはり経験してきたことが深みとなって表れてくる。(たまに、いやわりとよく、そうでない人もいるが!)

ディスコテカではグリル(「Junko、私達は危険な女よね!」と言っていた!「私たちには触れない方がいいわ、でないと火傷するわよ(ウィンク)」)や、イムケ、グレゴール、スティーブ、フランセン、いろんな子達と踊ったり話したりしてとっても楽しかった。ジョンとも踊った。彼はいつも元気だ。ウィスキーの瓶を片手に踊りまくっていた。
グレゴールはレゲエ好きの私のために「No, woman no cry」をリクエストしてくれた。この曲は、Leninのフィエスタの時にも流れ、私は「いや私は泣いちゃうよ」と思ってちょぴり泣いたりした。何だかいつも大事な時に流れては、「Everything's gonna be alright!(全てがうまくいくさ!)」と私を元気づけてくれる。

ディスコが3時に閉店して、グレゴールやイムケは「セブン・セブン」に行くといって歩いていったけど、私はスティーブと帰ることにした。私達は家が近いのだ。「他に家が近い子を知ってる?」と彼が聞いた。「ジョンが近いんだけど、彼は...」『行っちゃった!』と二人で笑った。ジョンセバスチャンはいつのまにかどこかに消えちゃったのだ。
タクシーではスティーブとたくさん話した。彼はスペイン語がまだほとんど話せない。そして私は英語をもっともっと話せるようになる必要がある。2人ともそれが大きな問題だ。彼はでもあと2週間しかいないのだ。EFでは人の移りかわりがひんぱんにある。仲良くなった子が学校を去っていくのは寂しい。今までの1か月半の間にも、コールニー、アダウジザ、Kumiko、そしてシンディと、大好きな子との別れがあった。
3月の終わりになると3か月コースの子達が去っていくので、たくさんの別れがある。また出会いもやってくる。
私は9か月、長期のコースだから、これからも、毎週のように新しい出会いと別れに接することだろう。でもグレゴールとジョン、そしてkanakoとは最後まで一緒だ。これはとてもうれしい。

タクシーをおりてスティーブと「おやすみ!」と別れて、家に帰ると3時半、顔を洗って着替えてすぐ寝た。

次の日は11時頃まで寝ていた。
そして朝食を食べて部屋に戻ってまた寝ていて、たぶん誰かが昼食を呼びに来てくれたんだけど 気づかずにぐっすり眠っていた。
すっごく気持ちよかった。
夕食前にホセが電話を持ってきてくれた。グレゴールからだった。今日のフィエスタへの誘いだったけど、やっぱり今夜はうちでゆっくりしていろいろやりたいことがあるので 断った。
グレゴールと私は兄妹(姉弟?)みたいに仲がいい。学校で会うとうれしくて(二匹の子犬のように)じゃれあう。昨日のフィエスタでも何かと気を使ってくれたり 他のしつこい男の人からかばってくれたりしたので、ますますお互いに距離が近くなったような気がする。レジデンシアでは写真を見せてくれて、コールニーとLeninのとても素敵な写真があったので、頼んで焼き増ししてもらうことになった。彼は私がLeninを好きなことを知っている。あと、グレゴールとジョンがハンモックで寝ている写真とミンドでみんなで写っている写真もとてもいい雰囲気だったのでお願いした。

夕食に降りていくと スイスから来た新しい下宿の子がいた。
彼女の名前は確か ジェラルディン。17才だと言っていた。以前EFにいたときにうちにホームステイしていて、また6か月キトで他の勉強をするのらしい。
彼女は確かホセとつきあっていた子だ。以前ホセが写真を見せて話してくれたことがある。なかなかよさそうな子だった。
彼女はただいま建設中の外の離れにもう一人の子(イギリス)と一緒に住むけれど、今はまだ工事が終わっていないのでマリア達の部屋にいるのだそう。

私のルームメイトになるドイツの子は、今度の火曜日に来ることになっている。どんな子かな、楽しみだ!
部屋の半分はその子が使うことになるから、引き出しや棚の上を片づけた。私の方のクローゼットもきっと必要だから少し整理して開けておこう。

<2002.2.15-16日記より>


※注1:ジュンキートは好きになれない・・・最初はこう思っていたのですね。途中からもうすっかり慣れちゃった。

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