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ドイツから来た私のルームメイト、ジュリーは、明るくてさっぱりしていて とても感じのいい子だ。一目見た時に
わー!良さそうな子、と思った。スペイン語は話せないが、英語はほとんどパーフェクトで、覚えもいいので スペイン語の上達もはやそうだ。私達はお互いに英語とドイツ語、スペイン語と日本語を少しずつ教えあうことにした。
普段の会話は英語で話す。私のpoorなenglishを彼女は、Junkoは話せるからすごいよ、とほめてくれた。彼女はドイツやオーストラリア(シドニーのEFにいた)で日本人とも知りあって友達になっていた。一人の日本人はサユリといって日本の大学で英語の先生をしている人だった。
「なのに、彼女は最初の1か月か1か月半くらい 私の言うことを全然理解できなかったの!私はすごいショックをうけたよ!自分の発音がそんなに悪いのかとおもった」
文法は完璧だったのに、聞けないし 話せなかったのだという。大学で教えているということは少なくとも英語で修士は持っているはずで、
やっぱり 日本の英語教育はどこかかなり間違ってる!エクアドルに来てとくに 切に思うことだけど。
Spinのあと、PCルームの隣の部屋で宿題をしたり Kanakoの写真を見せてもらったりした。エクアドルで撮った写真で、私が来る前のものから、この前のクエンカのものまで
かなりの数の写真で、しかもすごくよく撮れていた。kanakoはカメラにも興味があって、少しかじっている。たとえば私なんかは写真を撮る時に構図もろくに考えず
よくはしっこにヘンなものが写ってたりするけど、彼女の写真は本当に素敵だった。コトパクシのあの美しい空の色がそのままおさまっているのには感動した。
そうこうするうちにパトリシオもやってきて、すごく楽しそうに写真を見ていた。彼はほんとにキュートな人だ。赤ちゃんが産まれてから特に
ますますうきうきと楽しそうな感じだ。
「Algo mas?(もっとほかには?)」と写真をどんどん見たがって、私が「これも見て見て!」というと
「Espera un ratito, despues, vamos a mirar,no?
(ちょっとお待ちなさい、あとでちゃんと見るからね?)」と子どもをなだめるように言う。その言い方がとてもキュートで私達はとても面白がった。
kanakoがリャマと話せるという話をした後に(インガピルカの遺跡で彼女がリャマにお願いすると首を持ち上げてくれて、写真を撮ったあとに、ありがとう
と言うと また草を食べはじめた と彼女は主張しているのだ!)、遺跡で二人一緒に写った写真を(そこにいたエクアドル人のひとにとってもらったのだ、もちろん)、これは誰が撮ったの、リャマ?とパトリシオが言って、その写真はリャマが撮ったことになった。そして
全ての写真を見終わったあとに、感想として
「Pero, muy inteligente llama, no?
(でもそれにしても、とっても頭のいいリャマだったね?)」と彼が述べて、私はそれがとてもヒットして、いつまでも心をくすぐった。
けれど、どうしたんだろう。今日はLeninのことで、いくつもの偶然が重なった。まずクラスでヨランダが、新しい文法の練習の時にLeninのことを話題にあげて、私に、彼のことを知らない新しいクラスメートのキャロリン(USAの子、18才)のために説明しなさい、といった。
私は「彼はとてもハンサムで、インテリジェンスがあって、髪は黒くて瞳も黒くて、肌は褐色で、英語とスペイン語を話せて...」と情熱的に(!)説明し、キャロリンに、「なんて残念なの、私が彼を知らないなんて!!」と言わしめた。
kanakoと食事をしている時に、彼女もLeninのことを話題に出した。Leninがしていた仕事は、本当に大変なものだったんだよね...と。
SpinではグレゴールがLeninの写真(こないだ頼んだの)をくれた。
その後kanakoにあった時に彼女も写真をくれた。彼がまるでサルみたいに滝に飛び込んでいる写真や、フィエスタの写真。
インターネットを開いてみるとコールニーから手紙が来ていて、やはりLeninのことを書いていた。しかも今日のフィエスタのあとで帰る時に、偶然またタクシー運転手のカストロに会い、そこでも彼の話になった。
私自身はそんなに誰にでもそしていつでも「Lenin、Lenin」と言っているわけではないのだ。それどころか最近では自分の日記にも彼のことを書かないでいる。
これが何かを意味しているのか、それは分からない。
夕方からはバロック音楽のクラシックコンサートに出かけた。本格的な音楽で素敵なコンサートだった...。ジュリーとkanako、マレタ(フィンランドからの生徒、50才くらい)にも会って、途中でクリスとヤンアルベルトも来た。
終わってからは イムケの誕生日でフィエスタがあったので待ち合わせてディスコテカに行った。飲んで 踊って 楽しんだけど、こういう時にとくに、そして常に思っていること、それは英語がもっと話せたら......ということ。
私はこの学校にたくさんの友達がいる。たくさんの子が私のことを認めてくれて何らかの好意を抱いてくれている。私も彼らが大好きだ。
でも、英語が満足に話せないことで、途中でコミュニケーションの限界がきてしまうのだ。もっと彼らと話したい、もっと理解しあいたいのに、それができない。いつもそんな自分がくやしいし、英語とスペイン語を話せるようになることへの情熱を再確認することになる。
いつもそんな微妙な思いを胸に、でも明るく楽しんでやっているのだ。
そんな私(たち)に向けて、ヨランダが木曜日(次の日)の授業で言ったことは、本当に無神経かつ失礼で、私はとても我慢ができなかった。
ヨランダは、
「あなた達は友達がいないの?いつも二人でいるしパウサ(休み時間)にも教室から出ないじゃない」と言ったのだ。それは全くの間違いだ。実際私はいつもいろんな国の子と一緒に話して仲良くしていて、かなり顔が広いほうだ。心配して、という調子ではなく、彼女はへんな笑いを浮かべていたから、私はすぐに反論した。
「私はいろんな子と仲いいし、いつもいろんな子と一緒にいるよ。あなたは知らないの?めっちゃ残念ね」
でも私は本当に頭にきていたので とてもそれでおさえておくことができず、授業が終わってから彼女にきちんと話すことにした。
ヨランダ、ちょっといい?話したいことがあるんだけど。
「あなたがさっき言ったことは、とても悪い(失礼な)ことだった。なぜなら、私は常に一つの大きな問題を抱えてやっている。私は英語が満足に話せないことでほかの国の子とコミュニケーションをとるのがとても大変だ。私にはたくさんの大好きな友達がいるけれど、いつも
もっと英語が話せたら、もっと彼らと分かりあいたい、という気持ちを持っている。私はそのことについていつも考えていて、イングリッシュの学校を探そうとも思っている。
もう二度とあんなことを言ってほしくない。
これは私にとって とてもデリケートな問題なんだから。」
かなり怒っていたのでけっこう激しい調子で言った。
そして最後に「私はかなり怒っています」とつけ加えた。
大人として、抑えておく方がいいのか、言うべきことだったのか、私には分からない。
でもあとでkanakoに、ごめんね、kanakoもいる前であんなに激しく怒ってしまって...と言うと、彼女が、
「ううん、そんなことない。前にJunkoが言う時には言わなきゃ、て言ってたことと重ねて、すごいなと思ってしまった。生徒として言うべきことだったよ」と言ってくれたので少しホッとした。
kanakoはそれから、スペイン語で怒れるようになったってことは一人前かもしれないよ、とも言ってくれた。悩みを相談できるようになって半歩、怒れるようになって一歩成長、という話を聞いたことがあるよ、と。私はまだ悩みも相談できないのに、いきなりとびこえてドカンと怒ってしまったのだ。kanakoはとても大人で、その優しさが温かかった。
お昼でもどこかに食べに行こうとしているとグリルに会ったので、私は自分のあふれる思いを彼女に話した。彼女もちょっと前私にスペイン語のことで困っていると相談したことがあった。
実は今困ってるの!一つは担任のヨランダのこと、もう一つは英語のこと、と言って、かいつまんで説明すると、グリルは
「OK、この休み時間は私たちは英語だけを話そう!そして明日はスペイン語ね。英語、スペイン語、英語...て感じで!」
それから彼女のお気に入りのサンドイッチ屋さんへ行って、サンドイッチをもぐもぐほうばりながら私たちはいろいろなことを英語で話した。
そのうちに、「Honesty」という曲が流れ、グリルが、これは私の思い出の曲なの。これを聞くと泣いてしまう、とさりげない調子で言った。私はフィエスタでLeninが歌ったスペイン語の曲を歌って、これをきくと泣いちゃうな、などと言った。
するとグリルは、サベスの前の恋人が、事故に遭って死んでしまった話をした。この曲はその彼との思い出の曲だったのだ。一年半前のことだった。
ここにも、大きな悲しみに出会って、でもいつも明るくパワフルにやっている人がいる...私は胸がつまった。
そして、あなたが話してくれたから... といって、お兄ちゃんの死のことを話した。やはり涙が出てしまった。でも「泣かない、泣かない(涙はあっちへ行け!)」とそででふいて、そしてまたグリルと他の楽しい話をした。お互いの気持ちが、私たちには多分分かる...。
Spinの後、私はいつものようにpcルームの隣の部屋へ行った。
今日は日記を書こうと決めていた。
いつものようにパトリシオが時々顔を出して、ちょこちょこと会話を交わす。昨日パトリシオとイレーネにpcルームで、君はどうして"あなた"といって話すの?(*注1)"あなた"は他人行儀だから"君"で話してよ、と言われて、私は冗談でパトリシオに、だって私とあなたは友達じゃないもんなー、私はあなたのことあんまり好きじゃないもんな!と言ってからかった。だから私は彼らのことをUsted(あなた)じゃなくてTu(きみ)と呼ぶことになった。
何回めかに彼が遊びに(?)やってきた時に、私はそういえば!と彼に相談してみた。英語の学校を探したいけど、どうやって探したらいいのかな、と。
すると彼は、どうしてジェームスに相談しないの?といった。彼は多分君を助けられるよ、と。
私が、この学校で英語を学ぶと決めているわけじゃないから、というと、だけどまずここの学校の英語の授業料を聞いてみて、もし高かったら他を探せばいい。君は高い授業料を払ってここでスペイン語を勉強している生徒なんだし、きっと彼らは君をサポートするよ、と言った。
私にとって彼が言ってくれたことは盲点だった。
そうか!そうだね!そうと決まったら早速行ってきいてくる!と階下に降りると、ジェームスはいなかったので、イサベリータにそのことについて話をした。
英語も勉強したいこと。だからこの学校で併設している英語のクラスについて詳しく知りたい。でももし授業料が高かったら払えないということ。
するとイサベルは「それはとてもいい考えね!私がジェームスに話しておくわ。もしかしたらあなたはここの生徒だからディスカウントがきくかもしれないわ。」と言ってくれた。でもJunkoは他の子達が話していることを理解できるじゃない、と彼女が言った。
「でも私は英語を話すのがあんまりできないから!」うれしい気持ちで上にあがって、パトリシオにお礼を言った。願い続けていたことが形になろうとしていることがとてもうれしかった。少しでも前に進めそうな感じがする。
今日は いろんなことが起きた。
そして物事が動き出した。きっといい方向へ...。
<2002.2.20-21日記より>
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