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残念ながら、というか、しょうがない、という方がいいのか、
私達のクラスはこのままヨランダが受け持つことになった。
彼女は性格的に問題が多少あり、授業の雰囲気は固く、面白さには欠けるが、教え方はきっちりしていて、スペイン語をまわりからきっちり固めていくにはいいかもしれない。大体私はアバウトだから、足りない部分をうめていくという意味では悪くないのかも。
まあ、面白さ 楽しさを求めなければいいのだ。他のところで楽しんで、ヨランダとのクラスではスペイン語を完璧にすることを目指していけばいい。
今日は試しに英語のクラスを初めて受けた。
リサという、今までによく見かけていた ドレッドヘアの先生だった。彼女はオーストラリア人らしい。この国では日本人と同じくらい(!)珍しい。
授業は、内容的にはとても易しかった。
英語になじみ、英語を話すのに なかなかいいような気がするし、はるか昔に習っていたことを思い出して 日常的に使えるようにするのにこのレベルでやっていくのはいいかもしれない。
授業が終わったあとに、家に帰ってジュリーと英語で話すと、抵抗なくするすると英語が出てきた。
これは思った以上に効果がありそうだ。
休み時間に、お母さんへ向けての手紙を書いていた。
絵ハガキやe-mailは何度か書いたが、彼女は、私の大好きなママはまだコンピュータをちょっぴり怖がっているし、ハガキに書けることは限られてくる。いろんなことをもっと伝えたいと思った。
大きな悲しみの残る日本で、お母さんが、毎日をいきいきと、楽しんで過ごせていればいいけれど、と私は願う。
日本にいる時は、私はとても受けとめきれない程の悲しみとつらい気持ち、怖い気持ちと必死で戦っていた。押しつぶされないように、明るい未来とこの世界の美しいものを見つめて
自分の強さを信じて 自分の弱さと対峙していた。愛するものを失うことはあまりに過酷で、悲しみにおおわれた自分からいつ抜け出て
心からにっこりと幸せにほほ笑めるのか、その日がきっと来るだろうとは思ったが、それがいつだかは分からなかった。
心が受けとった傷は とても大きい。それは本当に分かる。
日本にいた時の私は、あの夏の日から、自分が変わってしまった。
いつも人生を楽しんで、明るく幸せを感じていた前向きな私、大好きな私が、一時的にしろ、どこかに行ってしまった気がしていた。
自分を見失うようなことはなかったが、マイナスの感情とたたかうのはとても難しかった。家族も同様だ。
でもこの国へ来て、全くかけ離れた環境に包まれて、
私は、自分が少しずついやされているのを感じる。時がそうさせているのかもしれない。そしてこの国がそういやしてくれているのかもしれない。
日本にいたら 私はまだ、悲しみにくれた辛い自分のまま長い時間がかかったと思う。この国に来た時から、
私は私の大好きだった、自分をとり戻した。
お母さんも、そうあってほしいと思う。
ここにある世界を知ってほしい。哀しみはあるけれどそれが全てではないことを 身をもって分かる。もしお母さんが元気ならばいいけれど、そうじゃないとしたら、はやくこの国に来てほしい、と思う。
でも 手紙を書くのは難しく、途中でペンがとまったままだ。
また 近いうちにきちんと書きたい。
EFで、それぞれの国の料理を披露することになり、
私はkanakoと何がいいか考えた。自分たちが食べたかったのもあって、私たちはお好み焼きを作ることにした。
英語のクラスが終わったあと、マリアに夕食はいらないと言って、kanakoの家へおじゃましてフライパンでせっせとお好み焼きを焼いた。
ソースはウスターソース(この国で7ドルもする!高い!)とマヨネーズ、ケチャップをkanakoがまぜて、絶妙かつパーフェクトな味が出来上がった。最高デリシャス!!kanakoの家族が、「家に帰るのは危険だから泊まっていきなさい」とすすめてくれて、私はご厚意に甘えた。夜には二人で手分けしてCumandaを読み進めた。
次の日は8時半ごろに いったん家に戻ったら クレジットカード紛失騒ぎなどもあり(見つかったー)根が生えてしまって、ジュリーと一緒に11時頃まで家でゴロゴロしていた。
「でも、やっぱり行かなきゃ!」
そして学校に行くとちょうど始まる前で、私たちは「La comida del mundo(世界の料理)」のイベントに間に合った。
プレゼンテーションも日本の料理「オコノミヤキ」も大好評で、私たちのプレートはすぐに売り切れた。日本のが一番おいしかったと何人もの子が言ってくれた。
「ちょいと、このkanako特製のマジカルソースを忘れちゃいけませんぜ、オコノミヤキはソースが命!!」
Spinではエリックと物語を作り、私たちの作った話がプレミアをいただいた。ジョンセバスチャンというサルが世界を旅する話。
<2002.2.25-27日記より>
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