JUNKOのエクアドル留学日記(仮)
 日本をよいしょと飛び出して、海を越え未知の南米大陸へと足を踏み入れた「私」。その留学生活はかなりハードでトラブルだらけ!しかし何もかもが新鮮で、アンデスの高地を照らす太陽のように輝きに満ちたものだった。

学校への坂道

 この急な坂を生徒たちは「小さな山」と呼んで毎日フウフウいいながら登っていた。何といってもここは海抜2850mの高地で、空気が薄い! 日本なら全力疾走だってできちゃうくらいの坂でも、キトに着いたばかりの頃は 一歩一歩踏みしめては、ときどき立ち止まって深呼吸をしないと歩けなかった。

foto:chopi

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 Kanakoとお昼休みに話した。
もしもこの9か月のコースをキャンセルしたら、という可能性を考えてみたらしい。3月15日までにキャンセルすると返ってくるお金が約50万円。そのためには2月15日までに日本のEF事務局に連絡する必要がある。50万円という金額は日本でも決して小さくはない金額だが、ここではもっと大金だ。こっちでマンツーマンのスペイン語教室を探して、ホームステイ先を探して、9か月いたとしても50万で十分おつりがくるとkanakoは言う。そういう可能性もあるということだ。

kanakoの気持ちも分かる。
EFはとってもいい学校だと思うけど、スペイン語以外に頑張らなければいけないことが多すぎる。たとえば英語や、学校行事や、他の(ほとんどが欧米系の)生徒とのコミュニケーションなどだ。たしかにこれらは自分のためになる経験で、楽しんでやれているうちはいい。たとえばホームステイ先の家族とのコミュニケーションなども、いろいろと難しいこともあるんだけど、希望的観測をもって常に前向きにしていれば、物事は何だかうまくいく。
けれどももしこれらが苦痛になるとしたら、そしてもっと自分にあっていて効率的にスペイン語を学ぶ方法があるとしたら、kanakoがそっちを選ぶのをどうして止められるだろう。

彼女といろいろなことを話した。
(個人的なことにもなるのでここではふれない)
それから私がこの前のテストをうけて、自分には単語力が圧倒的に足りない、欠けている、と思ったことを話した。これは努力して手に入れることが可能だ。
ちょうどkanakoも名古屋の登山仲間に相談して、とにかく語いを増やすこと、今はそれだけを考えたらいい、とアドバイスをうけていたので、二人とも一致した。二人でガンバロウと誓った。
「でも、」とkanakoは言った。「Junkoはいつも私にすごい刺激をくれる。もしJunkoがいなかったら私は絶対頑張れてない。」
たとえどんなでも3か月は頑張ろう、と決めてたけど、それ以上はここにはもういなかったと思う、と。
二人にとってお互いの存在がすごく幸運だったんだね。と私は言った。
本当にそうだ。kanakoがいることが、日本語でしゃべれる相手がいることが、私にとってどんなに安らぎをもたらしていることか。いらないストレスを逃がしてくれているのはkanakoの存在だ。私もできるだけ力になりたい。

 

<2002.1.23日記より>


ここで少し触れておきたいことがある。

留学する以前と留学経験後とで、私の考え方はかなりたくさんの面で変わったがその一つについて。

留学以前は「留学しても日本人ばかりとつきあっていて、語学の習得が進まない人」に対する否定的な思いを抱いていたものだった。
私だけではなく多くの日本人が思いがちなことだとも思う。
しかし、これはわりと大きな間違いだ。


留学前の情報で、私が行く学校には日本人は私だけだと聞いていた。それは心細くもあり、それだけ言語が上達するにちがいない!と嬉しくもあった。しかし、留学生活を終えた今の私の目で振り返ると、あのEF校でもし日本人が私一人だけだったら・・・、私はあんなに頑張れていたかどうか、むしろあやしい。私自身について言えば、留学生活で、信頼でき価値観を共有できる同朋の仲間に出会えたからこそ、かえって語学が上達した、と言っても過言ではないのだ。

そしてもうひとつ、ある程度の年齢になってから海外で長期生活をした人には分かってもらえるかもしれないが、その人らしさを異文化の中で保つために必要な環境というものはある。その環境要因の一つに「自文化とのつながり」がある。
たとえば日本に生まれ日本の文化を吸収して育った(文化化された)日本人が異文化に触れる時、その個人の特性(性格や能力、たとえば英語力など、その他)にもよるが、多かれ少なかれ、どのような形であれ、同国人の仲間というのはとても大きく心強い存在となり得る・・・ということを、私は経験と、帰国後の異文化間コミュニケーション学で学んだ。

私たちの置かれた条件、つまりスペイン語学校のEFでは周りの生徒が皆欧米人で、クラス以外では英語かドイツ語(ヨーロッパで最も使用人口が多いとされる)が共通語だった、ということを除いても、
留学生活は楽しくそして孤独、なのである。(留学は孤独との戦いだ、と言ったのはドイツに留学していた私の友人だった。)留学の目的以外のところでやってくる苦しさを和らげる必要があり、楽しくやっていく必要があり、その手段として同じ国の人間とつきあうということを否定的な目で見るのはどうも違うな・・・と今の私は思っている。
このことは何も日本人の場合のみではない、ということも付け加えておく。

2004.2.2. Junko

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