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40年前にさかのぼる。
福岡県下のとある田舎の小学校。
新学期の朝礼の新任紹介で、壇上に立ってガンをとばしている若い先生がいた。これが父である。少し斜に身をひき、眼光するどくにらみつける。当時はそれがいいと思い込んでいたらしい。でも父は、今でもそうだが
黙っているとそのスジの人に間違えられる位のコワモテなのだ。
小学生たちはふるえあがった。小さい母も、
「こわそうな先生!!この先生にならんといーナー」と祈っていると、となりの優しそうな先生に担任が決まったので、ほっとした。
父24才、母10才のことであった。
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あの怖そうな先生はとなりのクラスを受けもった。
となりのクラスの子は、何かというと
「顔洗ってこい!」
「運動場走ってこい!」とどなられていたし、給食はのこさず食べなければいけなかったし、寒い冬でも換気のために窓を開けなければいけなかった。そしてよく、「ゲンコツもらってこいと言われました。ゲンコツください」とやってきていたので、給食がきらいで
寒がりで おこられるのがこわい母は、
「あ〜よかった、となりのクラスじゃなくて」と胸をなでおろしていた。
ところがある時、音楽コンクールに出場するために、各クラスから20人位選抜されて、独唱の練習をすることになった。母もこれに選ばれた。
そして、指導をうけもったのは…となりのクラスの、あのこわい先生だった!
練習が始まったが、あまりの厳しさに生徒たちはつぎつぎと脱落していく。やめる者があまりに多いので、とうとうコンクールの1か月前、
「もうやめていいのは これが最後だ。やめたい者はやめろ!!」と先生がどなった。小さい母も家に帰り、
「私もやめたい」と母ミサヲに相談すると、
「せっかく始めたんだからつづけてみなさい」と優しくさとされて、
次の日に練習に行くと、残っていたのは3人であった…。
それからハードな日々がはじまる。練習は、朝、昼、夕、晩の4回。朝、早く行って授業の前に練習し、昼、お昼休みに練習し、放課後残って練習し、家に帰ってごはんを食べてから、また学校に出ていった。練習は
夜9時ごろまで続けられた。
そんなスケジュールが1か月続き、
むかえた筑後地区音楽コンクール。そこで母が3位に入賞した。体も小さく弱虫で、それまで何事にも自信がなかった母だが、これで大ーーきな自信をもらったのだった。
ここで母は父に淡い恋心をいだくのか?いやいやそれはまだ気がはやい。
次の年は、独唱よりも、みんなで合奏をという気運になり、母は大勢の中の一人にもどり、やがて、小学校を卒業した。
中学校に入ると新生活に忙しく、当時の母の日記には、父のHの字もでてこない。二人の人生が再び交差するのには、すこしだけ、時間が必要だ。
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