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梅雨の晴れ間の爽やかな休日を過ごしてる。 最近ホームページちっともいじってなかったけど、GW以降ずっと風邪をひいていたというのもあって、でもそのあとはとにかく学校が楽しすぎてhpまで行きつかなかったのです。大事な友人からのメールにも答えないままたまってる。この場をかりてちょびっと。 GW以降、3週間ひいていた風邪は、 学校は本当に楽しくてたまらない。 そしてもちろんこれからもいろんなこと目指していくぞー。実は今日、また新たな夢が生まれたところなのだ。 para porvenir... 2004.6.6 |
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日曜日の夕方、いつものレンタルショップでビデオを選んでいたら、生まれて初めての経験をした。 「先生じゃないですか?」 見ると目の前に確かに見覚えがある顔があった。確か彼は3年生だ。
ごく普通に会話を交わしたが、実はかなり動揺していた。学校の外で自分の教えている生徒に出会う、というのが初めてだったからだ。しかも地元の、思いっきり自分のテリトリーで! 4月、母校である西短が 私の職場になった。 2004.4.19 |

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私の心の中でいろんな気持ちが渦巻く。おだやかな夕方。 怖い。当然だ。 彼らの笑顔と信頼。 やれることをやる。 2004.3.31 |
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旅立つ友へ 数日前のメールで、あなたがドイツへ留学することを初めて知りました。そういうことなら京都に行った折に無理にでも帰るあなたを引き止めて、積もる話をしたかったのに...。一期一会という言葉が頭をよぎりました、それからBIGINのボーカルのまるい顔も・・・。 自分の意志で過ごす異国があなたにどんな経験をもたらすのか、あなたのユニークな感性がドイツという国を留学生活を身に振りかかる様々をどうとらえるのか、私はとても楽しみにしています。 そしていつか、あなたと彼(先駆者)の通訳で、彼(音楽家)の解説付きで、彼(年配)の手配で私たち(深草)みんなが本場のオペラを観に行ける日がくるといいなぁ・・・! 応援の気持ちを今すぐ届けたいけれど、もう機上の人であろうあなたにメールがつながるのは一か月先とのことだから、私にできるのは留学日記を更新することくらい。何かの気まぐれにでもこのページをのぞいてくれることを祈って。 あなたが望むものをきっとゲットできますように! 2004.3.2 |
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高校時代、その存在が気になっていた。 卒業後も、時々噂は入ってきた。しかし私と彼女のタイミングが合うことはなくそれぞれの時が過ぎていた。 恩師やあの頃の仲間たち、昨年末に帰国した彼女とも10年ぶりに顔を合わせた新年会。彼女の母校での講演会を聴きに行き、そして母校で働く共通の大事な友人を介して私たちの対話が始まり... 「やっぱ呑まなきゃ始まんないでしょう!」 私たちはお互いのいくつもの共通点に初めて気づいたのだった。そして七不思議のわけにも...。 つまり我々はあの頃学校ですれ違う時間が少なすぎたのだ。 彼女がそう答えを出した時、私はしこたま酔っ払っていたはずだが、霧が晴れ遠くまで見渡せるようなクリアな気持ちになった。 う〜〜〜ん!ここで終わっとけば感動的なのに! それにしても私よりも1杯か2杯は確実に多く呑んだはずだけどスッキリ目覚めて私の介抱をして病院まで付き添って手続きやいろいろを済ませてくれ、私の母が到着するのを待って彼女は仕事に行った。心配をかけて本当にごめんなさい。 帰宅できてやっと人心地がついたその夜、彼女に電話したら
すごく心配しつつも、 2004.3.9 |
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私は時々、大好きな人たちをハラハラしながらそっと見守る。ガンバレ、でも頑張り過ぎないで。 きちんと一日に一回「ホッ」としてる? 急がなくていい。 私はこれを自分にむけても時々言わなくちゃいけなくなるんだけどね。 2004.2.25 |
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最近周りの人たちが頑張っている姿を見たり聞いたりするにつけ、とてもイイ刺激を受けてます。 先日電車の中で偶然再会した、病院勤務時代の上司(ばりばりの女課長だった)は、30年間勤めあげた病院をこの春退職し、以前から興味を持っていた心理学を勉強するために大学に通っているそうだった。 彼女と話していて、迷っていたことがさらりと解けていく気がした。例えるなら、難しい結び方をしようとしていた2つのヒモが実は1本だったみたいに。 あんた達若い子ががんばってんのに、のうのうとしてられないわ、と50歳にしてもう一度学生になった彼女は、前にも増して魅力的な笑顔をみせた。その言葉はまた、私の気持ちをそのまま代弁していた。 7月末にようやく重い腰(たとえよ!)をあげお勉強モードに入った私は、9月を迎えて猛虎のごとく、そして10月には若タカのごとく追い込みに入る予定。ちなみに私はもちろん若鷹を応援するけど、猛虎は負けそうにないな〜!どっちにしろいい試合がみたいもんです。 2003.9.21 |
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Fridaは悲惨なのにカラリとした独特の雰囲気のある映画で、目を覆って困ってニヤリとするようなシーンもあったけど、少し長いとも感じたけれど、終盤では知らずに涙が溢れ・・・私は好きだった。 でも、あの本。 Fridaを観に行く日の朝、私の恩師が本を出版されたことを、新聞を読んだ母が教えてくれた。その先生方は高校時代から、卒業後の今でも大きな影響を与えてくださっている方々で、私にとっていつまでも特別な存在だ。さっそく帰りに書店で探してみることにした。 私は生きているのか、生きている。 私はばかだ、どうして「これ」を忘れかけてしまうんだろう、いつも。 本屋では、ただ悔しかった。店員に書名を告げて探してもらい、熱心に立ち読みをして・・・。 各章に書いてある年代を頼りに、私自身の歴史と照らしあわせて読んだ。 1992〜1995年に西日本短期大学附属高校に在学していた。 思えば私が西短に(先生方に)関わった期間と回数は、これだけなのだ。たかが知れている。 ていねいにていねいに読んでしまったあと、 福岡からの帰りの電車ではいろんなことを思った。 世の中にある程度流されるのも仕方ない、かな...と思っている時に決まって出会うのだ、私の恩師たちと、母校であり自己表現の原点である西短に・・・。 また、出会ってしまって、 そのヒリヒリが、うらやましかったら、教師になれ、と言っている。以前よりも随分近づいた感覚はあるのだが...。 伝えたいものを、山ほど持っているくせに、 ためらっている...確かにそう。でも、 2003.9.7 |
2003.9.2 |
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今年は本当に長い梅雨でしたね。 大雨のなか、我が家ではかえるちゃんが大発生。 小指のつめぐらいしかないちびがえる達が あっちにもこっちにも、うじゃうじゃ! かわいすぎます! 2003.7.27 |
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昨日ラジオで2003年上半期のニュースを特集していました。リスナーそれぞれのこの半年間のニュースを聴きながら、
南米ではいろんなことが、いわば人生がシンプルでした。 そうしてエネルギーを満タンにして帰ってきた私は、平和な日本で何不自由なく暮らすことが、南米にいたときよりも多くのエネルギーを必要とするなんて、思いもしていなかったのです。そこには私がもう一度向き合わなければいけない哀しみと家族の問題がありました。なれ親しんでいた南米と、故郷日本。二つの全くかけ離れた世界と自分との折り合いをつける必要もありました。 今の日本でシンプルに生きるのにはかえって努力が必要だと思います。自分にとって大切なものを見失わないでいるのは、本当はとても大事なことなのだけど、この雑多な速い流れに個人は巻き込まれそうになる。 自分の意見を埋没させることでも、自分の生き方を他人に任せることでもない。少しずつでも自分の人生を(あるいは方向性を)自分でコーディネートして、日々起こる出来事や様々な事柄に対して自分なりの考え方を持ち、育て、そして他の人々とのコミュニケーションの中でそれぞれの(あるいは全く違った)考えを伝え理解し妥協しあい融合して、分かち合う。特長をもった個人として社会に貢献し協力し、認めあい支えあって生きていく。とてもシンプルなことが、とても難しいのですよね。 ある一つの居場所に落ちついてしまうと、ついつい決まった見方で物事を見てしまう。だけど、ちょっと外に飛び出してみれば他の場所では他の人たちが全く違った価値観に基づいて生活をしていることを思い出します。新たな世界を知ることはちょっとした勇気も必要だけど、刺激を与えてくれる...好奇心をみたし新たな出会いをもたらしてくれる。柔軟でしっかりとした姿勢でいれば、自分とは違う世界に暮らしていたはずの人たちと理解しあえるんです。 日本ってこうだから。私たちは日本にいるから。 2003.7.1 |
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いろんなおかげと幸運があって、通訳のアルバイトができることになりました。 北九州市の会社が毎年各国から生徒を募って、船の操舵方法など?について講習をやっているのだそうで、私はチリ、アルゼンチンから来る生徒さんたちの通訳をすることになっています。本当はスペイン人の大学教授が雇われているのですが、彼が行けない日がわりと多いのでその日に行ける代役を探していて、彼と同じ大学で働いている私のスペイン語学校の担任の先生が
私を紹介してくれた、というわけです。
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人生には全力疾走し続ける時期があると思う。 カチッと歯車を合わせることが出来なかった。 じゃあ、とりあえず距離を置こう。 私の歯車はこれからまた大きさも変わっていくから、 いつかそういう日が来ればいいな。
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![]() 京都伏見、琵琶湖疎水のほとり |
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学生時代の仲間とも久しぶりに会えました。 2003.5.20 |
![]() 寺田屋 |
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あまりのごぶさたに、 「もうこのページは更新しないのだろう」 と思っていた方も多いのではないでしょうか。 実は私もその一人なのでした(スミマセン〜!)。 しかしページは更新された。 いったいどういう心境の変化があったのか?? * いろいろと心境の変化も確かにありました。主な理由としては、日本に帰国してからこの4か月で、南米と日本との違いによる逆カルチャーショックともうまいぐあいに折り合いがつき、これからの将来にむけて日本での生活がどうやら定まってきた、ということがあります。 それでは、さっそく南米の大地へと旅を始めましょうか! 2003.4.21 |
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朝、「大使館から電話よ!」と母に起こされた。 「エクアドル大使館の桜木と申します」 大使館の桜木さんの個人的な知り合いに、あるエクアドル人の家族がいて、日本に十何年住んでいるらしいのだが、高校生の息子がいる。彼は日本で育ったのだが、お母さんの国でスペイン語を学びたい、と現在エクアドルに留学しているらしい。ところが日本で育ったこの彼は、今どうしても日本の味が恋しくて、インスタントラーメンを送ってほしいと両親に頼んでいる。そこで日本にいる両親は何度も郵便でラーメンを送ったが、途中で紛失して、息子のもとには全く届かないのだという。両親は親しい知人でエクアドル大使館に勤務しているセニョーラ・サクラギに相談した。そして都合よくエクアドルへ行こうとしているのが私だったのだ。 人はいいのかもしれないが業務上ではとりつくシマもないという感じだった桜木さんが、この話では終始笑っていた。 電話を切った私は何だかマヌケな顔をしていたらしい。そりゃそうだ、こんなヘンな話、めったにあるもんではない。夢の続きかと思ったくらいだ。家族に話してまた笑ったり驚いたりした。 でも、大使館の人を通じての話だしすごく面白そうなので、引き受けようと思う。大使館の桜木さんと相手の人には念のため名刺と一筆書いてもらおーっと。 2001.12.3 |
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はじめて水彩画をかいた。 その絵が優秀作品に選ばれた時には、何とも気まりが悪かった。 それ以来水彩画というものは描かなかった。 へたくそだけど、この絵がかけてうれしい。 2001.10.28 |
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今日は仲秋の名月です。 今日は久しぶりに泳いだ。 2001.10.1 |
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-ある友人への手紙-
2001.9.26 |
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くしゃみ
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6月9日から16日のノート ながいのであらすじを書きます。(ケストナーの童話風に)
01.6.16 |
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