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Esperanza


となりのアジサイ

梅雨の晴れ間の爽やかな休日を過ごしてる。

最近ホームページちっともいじってなかったけど、GW以降ずっと風邪をひいていたというのもあって、でもそのあとはとにかく学校が楽しすぎてhpまで行きつかなかったのです。大事な友人からのメールにも答えないままたまってる。この場をかりてちょびっと。
KEIKO、台湾ぜひ行きたいよ!またメールするね。
Yasukoさん、元気でやってますよ〜!スペイン語学習欲もまたまた高まっています。いっそのこと短期留学しようかな...。
またメールします!

GW以降、3週間ひいていた風邪は、
もともとうちの母が一か月以上も熟成させていた性質の悪いやつで、新学期は何とか伝染らないように細心の注意を払っていたんだけど、GWの阪神淡路強行(回生旅行ともいうかな)から帰ってきて弱った身体に見事に感染した。
でも往復夜行バス、ハードスケジュールで遊びまわり、帰りは朝7時半に博多に着いて駅のトイレでジーンズをストッキングに履き替え、身支度をすませてその足で学校に行って授業という無茶をしたのだから、自業自得、しんどくても弱音を吐くわけにはいかなかった。(いや少し吐いたですね、弱音。)
もともと授業がないはずだったから予定を入れていたんだけど、ほんと大変だった。コリゴリ!もうこんなことはいたしません!誓って!

学校は本当に楽しくてたまらない。
生徒達が、実にいい顔をするのだ。
こないだ100kg超級の柔道部二人に廊下で作文のアドバイスをしていたんだけど、あとで客観的にその光景を思い出したらおかしくなった。豆つぶのように小さな私が山のように大きな男の子たちに「うん、文章を読んでみて君が混乱しているということは解った。でもね、自分を見つめて表現して他人に『私はこういう人間ですよ』ってわかってもらう必要があるのよ、時にはね」なんて言ってるのだから。
そういえば昨日、TVで血液型の特集をやっていた。人を型にはめて理解しようとするのはあまり好きじゃないけど、つい最後まで見ちゃった。
ちなみに私はB型で、興味のないことはすぐ飽きてしまい、自分の興味のあることはいくらでも続けられる、というのがあまりにも当たっていて笑ってしまった。大好きなことだから続けられる。
私は大好きなことを仕事にするために、今までいろんな回り道をしていたんだなぁ。

そしてもちろんこれからもいろんなこと目指していくぞー。実は今日、また新たな夢が生まれたところなのだ。 para porvenir...

2004.6.6

うちの!


日曜日の夕方、いつものレンタルショップでビデオを選んでいたら、生まれて初めての経験をした。

「先生じゃないですか?」

見ると目の前に確かに見覚えがある顔があった。確か彼は3年生だ。


-あれ!家この近くなの?
-ハイ、自分八女ですよ。
-よく来られるんですか?
-ウン、私映画めっちゃ好きだもん。
       ・
       ・
       ・

ごく普通に会話を交わしたが、実はかなり動揺していた。学校の外で自分の教えている生徒に出会う、というのが初めてだったからだ。しかも地元の、思いっきり自分のテリトリーで!
身近によくみてきた状況をはじめて自分の立場で理解した。
そして、あ〜もうおいそれとバカなこたぁできないかな〜、と思った直後に、
(ああ、じゃあ京都でやろう!)という考えがやってきて嬉しくなってニヤリとした。
でも、きっと私は地元でもかわらずバカやってしまうことでしょう。いいんだ。
そういう私ごと教員やっていこう!

4月、母校である西短が 私の職場になった。

2004.4.19


私の心の中でいろんな気持ちが渦巻く。おだやかな夕方。

怖い。当然だ。
ワクワクする。解る。
これでいいのか。
ずっと望んでいた。
長いステップだった。
忘れていることはないかな。
本当にこれでよかったかな。

私にできる?
できることはわかっている。
できないこともわかっている。
できることをやる。

彼らの笑顔と信頼。
私の愛する南米。あの蒼い空。
楽園は心の中に...。

やれることをやる。

2004.3.31


旅立つ友へ

数日前のメールで、あなたがドイツへ留学することを初めて知りました。そういうことなら京都に行った折に無理にでも帰るあなたを引き止めて、積もる話をしたかったのに...。一期一会という言葉が頭をよぎりました、それからBIGINのボーカルのまるい顔も・・・。
そして、嬉しい気持ちが泉のように沸き上がってきました。余裕と落ち着きをめったに失わないあなたの、内面の葛藤を私たちの前に垣間見せてくれた あの琵琶湖の夜を思い、決心を静かに温めてきたあなたの姿勢に共感しました。

自分の意志で過ごす異国があなたにどんな経験をもたらすのか、あなたのユニークな感性がドイツという国を留学生活を身に振りかかる様々をどうとらえるのか、私はとても楽しみにしています。

そしていつか、あなたと彼(先駆者)の通訳で、彼(音楽家)の解説付きで、彼(年配)の手配で私たち(深草)みんなが本場のオペラを観に行ける日がくるといいなぁ・・・!

応援の気持ちを今すぐ届けたいけれど、もう機上の人であろうあなたにメールがつながるのは一か月先とのことだから、私にできるのは留学日記を更新することくらい。何かの気まぐれにでもこのページをのぞいてくれることを祈って。

あなたが望むものをきっとゲットできますように!
よい旅を!!!

2004.3.2


高校時代、その存在が気になっていた。
しかし私たちは 三年間、実に一度も二人でじっくり話したことがなかった。これは私の高校生活七不思議の一つと言ってもよかった。クラス替えがなかった高校の三年間、私たちはずっと同じクラスだったのだから。

卒業後も、時々噂は入ってきた。しかし私と彼女のタイミングが合うことはなくそれぞれの時が過ぎていた。
そんな彼女と私が時を同じくして日本を離れ、世界に飛び出した。アフリカとラテンアメリカへ...。お互いにそれぞれの人生の節目のような大きな経験をのりこえて...のことだった。

恩師やあの頃の仲間たち、昨年末に帰国した彼女とも10年ぶりに顔を合わせた新年会。彼女の母校での講演会を聴きに行き、そして母校で働く共通の大事な友人を介して私たちの対話が始まり...

「やっぱ呑まなきゃ始まんないでしょう!」
日曜の午後、冷たいが遠からぬ春を感じさせる陽射しの中、濃厚で至福なコーヒーの香りに包まれた気のおけないカフェで、感性を自由に泳がせて好き勝手なことを言えた美の空間で、通りがかりに出会った開店したばかりの粋な隠れ家で、10年の歳月を埋めるべく私たちの会話は進み盃は傾いた。

私たちはお互いのいくつもの共通点に初めて気づいたのだった。そして七不思議のわけにも...。
遅刻・欠席をくり返していた我々は、お互いが遅刻魔であり欠席魔であることさえ知らなかった。家庭の事情や自らの体調を持て余していることも、同じような胸のモヤモヤとウンザリにも。私が放課後に演劇をするためだけに登校していた頃のことも、彼女が登校途中のバーガーショップで自分の勉強を済ませて帰宅していた頃のことも。私は ピンと胸を張って自分の道を行く彼女の背中ばかりを眩しく見つめていたから、あの頃彼女が実は体が弱くて、いつも顔色が蒼かったことになんて気がつかなかった、そう私も細すぎる身体と蒼い唇に大きすぎる野望を噛みしめて日々を過ごしていた。

つまり我々はあの頃学校ですれ違う時間が少なすぎたのだ。

彼女がそう答えを出した時、私はしこたま酔っ払っていたはずだが、霧が晴れ遠くまで見渡せるようなクリアな気持ちになった。
家庭の事情や成長期の経験やノーテクノロジー(私の場合はローテクノロジー)の世界、そしてそれぞれのパッションとリズム!を共感できる彼女との10年越しの出会いに感謝している。
私たちを結びつけてくれた共通の大事な友人(新年会だって、彼女が恩師と駅で偶然の出会いをしなければ実現しなかったのだ)にも...。

*

う〜〜〜ん!ここで終わっとけば感動的なのに!
そのあと私は明け方に彼女の家に一緒に転がりこんで、トイレを占拠した。間違いなく私の二日酔い人生でワースト1の悪酔いっぷりだった。何しろ病院のお世話になって点滴と採血とレントゲンと腹部エコーと初めての胃カメラまで飲んだ。胃カメラは上手に飲めたよ!(こういうとこで自己肯定 笑))芋焼酎に罪はないのだが もう一生(あるいはしばらく)匂いはかぎたくない。

それにしても私よりも1杯か2杯は確実に多く呑んだはずだけどスッキリ目覚めて私の介抱をして病院まで付き添って手続きやいろいろを済ませてくれ、私の母が到着するのを待って彼女は仕事に行った。心配をかけて本当にごめんなさい。

帰宅できてやっと人心地がついたその夜、彼女に電話したら すごく心配しつつも、
私が「また会おうね!」と言うと、
「うん!今度はもっとセーブしてね!」と言ったのだった。あ、また呑む気や〜!!!と思いつつ、これにこりないでいてくれるあなたにホッとしたんだよ。

2004.3.9


私は時々、大好きな人たちをハラハラしながらそっと見守る。ガンバレ、でも頑張り過ぎないで。

きちんと一日に一回「ホッ」としてる?
自分のリミットは自分しか分からないのだから、カラッポになる前に休まなくちゃダメだよ。
若さと体力を過信するのもいいけれど、心に栄養をやりつづけるのを忘れないでね。
「これをやれるのは自分しかいない」と思って頑張るのも必要だよね。だけどあなたが少し休憩をとってリフレッシュしたら、もっと素敵にやれるよ、きっと。
一つの社会の中に身を置いてるとそこでの考え方にいつのまにか押されてしまってる時がある。明日、カゼをひいて休んでみるのはどう?ちょっとだけ離れて眺めると、見えてなかったものがみえてくるかもよ!

急がなくていい。
忙しくないのもいい。
あなたのことを大好きで、心配している人がいることを思い出して。

私はこれを自分にむけても時々言わなくちゃいけなくなるんだけどね。

2004.2.25


日曜の朝は8時ごろに音楽が鳴る。
眠い耳に3曲ばかり聴いたところでおもむろに止まる。朝だ。準備をして階下におりて「オハヨウ〜」朝食はたいてい車の中でモグモグととる。母が時々おにぎりを作ってくれたりもする。とってもありがたい。父は病院勤務時代の私の勇ましい姿(と、彼はいう)を思い出し、喜んだりする。パンをくわえて「行ってきます」という、一昔前のマンガのような私でした。

車で約40分、「花畑」というステキな駅から電車に乗る。ほんの1分足らずの「久留米」で降りる。こんな面倒なことをしているのは自家用車通勤が認められてないから。田舎の生活に車は欠かせない。

NOVAうさぎや明るい色で並ぶ洋服を眺めながら商店街を歩き、映画館の「ロード・オブ・ザ・リング」や「ザ・ラスト・サムライ」の看板がある建物の中に入る。ここで仕事する。ロッカーを開けると薄水色の要洗濯、の博士のようなユニフォームを選ぶ、できるだけ襟やそで口が茶色ではなく、水色をしているもの、できるだけボタンが全部揃っているもの、サイズはM。タイムカード「ガッチャン」、ファイルを揃え、今日の私の席に座る。だいたい毎曜日の担当が定まってきたのでとても気が楽。あとは待つ。
10時。あ、やってきた。いつものかわいい小学生の兄妹。お客さん、ではなく、私の生徒さんだ!「おはようございまーす!」

妹のあーちゃんは勉強があ〜んまり好きじゃない。とくに国語が好きじゃなかった。とってもとってものんびりやさんで、時間がゆっくり流れる。彼女を見ていると子供のころの自分を見ているようだ。算数は「賢いムシ」をプ〜ンと頭にとまらせて、わり算も得意になった。国語を面白く勉強することならマカセロ!で、「かたたたき」や「か」の詩が今の彼女の大のお気に入りだ。でも「字を書く問題はきらい」というあーちゃんと、ありの実験の文章をやった。

あ、と思い出したようにあーちゃんが聞く。「女王ありはなんでえらいの?」ありの話が出たから聞くんですけど、と礼儀正しい。待ってました、「あのね、それはね...」あとでまたあーちゃんに、女王ありはなんで偉いんだっけ?ときくと「子どもを産むから。このひともこのひとも、このありさんもみーんな女王ありから産まれたから」

「あーちゃんね、はたらきありやったらムリ、もう出て行く」あらー 笑)、あーちゃん家出しちゃうの?!じゃあ先生は残って女王ありにでもなろうかな?
「あのね、出て行ってね、3人くらいけらいにして旅をする」わあ!じゃあ、先生をけらいにしてください!

お兄ちゃんはもう少年で、でも実にお兄ちゃん。妹を時々めんどくさいと思いながらかまってやって偉そうにして、だけどかわいがってる様子がほほ笑ましい。「お前、おれのやったシャーペンはどこにやったとか?あー、壊しとる!お前これ友達に触らせたろう?」小学生の間で、持ち手のところが柔らかーくてプニョプニョとした触り心地のシャーペンが流行っている。みんな持っている。あーちゃんはお兄ちゃんからもらったプニョシャーペンをうれしくて友達とプニョプニョ触ってるうちに壊しちゃった。
「あーあーもう!お前もう返してもらうゾ」泣きそうなあーちゃん。お兄ちゃんはしょうがないな、と直してやる。「ほら!もう友達に触らせんといたらいいったい!」あーちゃんはにっこりした。

もう1コマ、中学生の女の子に数学と英語を教えて、今日はおしまい。日曜だから!私は車を走らせスポーツジムへ、プールで泳いで、サウナで汗を流して、家路につく。明日はOFFだー。
パソコンの前に座り、最近調子を出してやってるエクアドル日記をカチャカチャっと更新したりする。

こんな日曜が私は大好き。

2004.2.23


いま、生活が試験中心にまわってるので、私にとって週1度のスペイン語クラスはまさに息抜き。ある日のクラスから。

「カステラは退屈?!」

大航海時代に日本にもやってきたポルトガル人から伝わったいろんな言葉について話していた時。カステラ、パン、タバコ・・・

先生(ぽつりと)「カステラか・・。何であれが存在するのか僕は理解に苦しむよ、だってあんなに退屈なお菓子はないよね」

私「え!たいくつ?!」

先生「あの黄色くてふわふわした部分が、ず〜っと続いているだけだもん」

私(意外な意見にくすぐられながら)「でもカステラの上の部分美味しいよ、こげてて。あと下にはザラメもついてるし」

先生(まじめに)「ああ、唯一救いといえばあのこげてる部分だね。砂糖がついてて甘いからね。でも退屈なお菓子だよ!君たちは好きなの?」

私「私はカステラ大好きですよ。でも先生の言うことはわかる。ラテン人はとにかく甘〜〜いもの好きですよねー」

「私も好きです」ともう一人の生徒のおじさん。「カステラは由緒あるお菓子で、長崎の名物です」

9/15のクラスで.
03.9.16思い出し笑い


最近周りの人たちが頑張っている姿を見たり聞いたりするにつけ、とてもイイ刺激を受けてます。

先日電車の中で偶然再会した、病院勤務時代の上司(ばりばりの女課長だった)は、30年間勤めあげた病院をこの春退職し、以前から興味を持っていた心理学を勉強するために大学に通っているそうだった。
「気がついたら私の頭の大部分を仕事だけが占めるようになっていて、私の人生これでいいのか?と思ったの。私自身が自分のこともっと考えてやらないと、他に誰も考えてなんてくれないわ。」

彼女と話していて、迷っていたことがさらりと解けていく気がした。例えるなら、難しい結び方をしようとしていた2つのヒモが実は1本だったみたいに。

あんた達若い子ががんばってんのに、のうのうとしてられないわ、と50歳にしてもう一度学生になった彼女は、前にも増して魅力的な笑顔をみせた。その言葉はまた、私の気持ちをそのまま代弁していた。

7月末にようやく重い腰(たとえよ!)をあげお勉強モードに入った私は、9月を迎えて猛虎のごとく、そして10月には若タカのごとく追い込みに入る予定。ちなみに私はもちろん若鷹を応援するけど、猛虎は負けそうにないな〜!どっちにしろいい試合がみたいもんです。

2003.9.21


Fridaは悲惨なのにカラリとした独特の雰囲気のある映画で、目を覆って困ってニヤリとするようなシーンもあったけど、少し長いとも感じたけれど、終盤では知らずに涙が溢れ・・・私は好きだった。

でも、あの本。
買わないでおこうかと思うくらい悔しかった。この気持ちはどう説明できるだろう。

Fridaを観に行く日の朝、私の恩師が本を出版されたことを、新聞を読んだ母が教えてくれた。その先生方は高校時代から、卒業後の今でも大きな影響を与えてくださっている方々で、私にとっていつまでも特別な存在だ。さっそく帰りに書店で探してみることにした。

*

私は生きているのか、生きている。
まだ生涯を燃やす仕事に出会えていないじゃないか、
今自分で決めた方向へ自分の力で進んでいる。
何を甘ったれていたんだ、
もうそのことには気づいて修正した。
じゃあなぜ悔しい?

私はばかだ、どうして「これ」を忘れかけてしまうんだろう、いつも。

本屋では、ただ悔しかった。店員に書名を告げて探してもらい、熱心に立ち読みをして・・・。
買わないでおこうかとさえ思った。
家に帰って、本屋の包みを横目に、このまましばらくしまっておこうかと思った。
袋から出すと、いつの間にか日付けが変わるまで読みふけっていた。

各章に書いてある年代を頼りに、私自身の歴史と照らしあわせて読んだ。

1992〜1995年に西日本短期大学附属高校に在学していた。
1998年に教育実習に行った。手紙を出した99年。
2001年7月20日、そして9月に西短へ行く。
2002年9月に最果ての地から葉書を出した。

思えば私が西短に(先生方に)関わった期間と回数は、これだけなのだ。たかが知れている。
それにもかかわらず私は、西短に関わる度に、
何かの区切りをむかえてもう一度考え直さなければいけない自分の人生、ひいては自分と向きあうことになる。
必要な時期に、これ以上ないタイミングで。
そして今日もそうである。2003年9月4日。

ていねいにていねいに読んでしまったあと、
発行年月日を見て ぼうぜんとした。

福岡からの帰りの電車ではいろんなことを思った。
私はガッチリと強く、しなやかにならなければ…とか。
やはり、やはり、自分で切り開いてやれることをやろう、甘ったれていた自分を恥じた。
国語教師になることを、人生の受け皿のように考えてしまっていた私の横つらを張りたかった。悔しかったはずなのに先生たちに申し訳なかった。

世の中にある程度流されるのも仕方ない、かな...と思っている時に決まって出会うのだ、私の恩師たちと、母校であり自己表現の原点である西短に・・・。
そして私は思い出す、こだわって向きあってぶつかって追い求めて乗りこえてつかむ、本当に価値あるものとは何かを知っているあの空気を。

また、出会ってしまって、
思い出したのだ、その感覚を。

そのヒリヒリが、うらやましかったら、教師になれ、と言っている。以前よりも随分近づいた感覚はあるのだが...。
私はどう行くのだろう。

伝えたいものを、山ほど持っているくせに、
何をためらってるのよ、と竹島先生の声が今にも聞こえてきそうである。

ためらっている...確かにそう。でも、
私は私のやり方を探したい。
それは遠まわりなのかもしれないけど..。

2003.9.7


今回の火星の大接近は6万年ぶりなのらしい。
獅子座流星群もそうだったが、こういう天体のイベントはやけにワクワクする。
そういえば子どもの頃にハレ−彗星を見に行った記憶がある。
それは真夜中だった、古いフォルクスワーゲンのツブツブとしたシートに毛布と一緒に乗り込んで、町の光の屆かない山の峠を目指す。物好きな深夜の行軍に母は来なかった。妹はまだ小さかった。この宇宙的行事?を見届ける仲間に自分も加えられたことが私には何だか誇らしかった。
大勢の人が集まっている峠に着き、眠くてふさがった目をだましだましてレンズを覗いた。白く輝く小さな星に確かに尾がついているのを確かめて、ホッとしたそのあとの記憶はとんでいる...。

そして2003年8月27日に火星が大接近!
残念ながら私は自宅の庭から小さな双眼鏡で、あの星の赤っぽいきらめきを確認しただけだった〜。天文台に行きたかったのだけど、当日はかなりの人が予想されたので。。

いやでもまだまだ遅くはないゾ。接近した火星は10月頃まで観察できるそうなので、秋のよく晴れた夜に観測台へ行こう!っと。

*

人間は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがつたりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがつたりする
それはまつたくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしやみをした

谷川俊太郎『二十億光年の孤独』

2003.9.2 


Todos tenemos un amor, que nos complica la vida.
todos tenemos un amor que nos rompe el corazon y nos complica la vida..

誰もがひとつは愛を持ってる、人生を複雑にする愛を。
ハートを砕いて粉々にして人生を複雑にする愛を・・・

*

やれやれまったく人はなんで恋なんてするんでしょうね。
(種の保存のためにDNAが命令する、なんて言わないでね)
つらい別れを経験しても、たとえ痛い目にあっても、人生を複雑にしても、何やら誤解されても、たとえば恥ずかしい思いをしたって、それじゃあもう恋はしない!!!と言うかっていうと、
「・・・しばらくは絶対。」
まったくなんで人は恋なんかするんだろう!?

その答えのひとつは、こういうところにあるのかな?

elviaje13

でもちなみに私だったら人生を複雑にする恋なんてまっぴら!ですけどね。だってしんどいもん。女の子は(まあ男の人もでしょうけど)もっと自分を大切にするべきだわ。やれやれ。そうもいかないときもありますけどね、時にはね...。


「大地の子」の再放送を欠かさず観ています。もう大詰め、主人公の陸一心(日本名、松本勝男)が生き別れになっていた妹、あつ子に38年ぶりに出会い、幼い頃のわずかな記憶をふたりで辿り、兄妹であることを知る場面は、もう涙なしには観れない・・・。明日は重い病気だったあつ子が亡くなってしまうし、父、松本耕次(上海事務所長として一心と共に日中共同プロジェクトで働いていた)が現れて一心と親子であることがようやく判明するし、絶対見逃せない。明日もタオル(もちろん涙拭き)を持って、11時になったらTVの前へ。

2003.8.11


九州北部の梅雨もそろそろ明けそう。
今年は本当に長い梅雨でしたね。
大雨のなか、我が家ではかえるちゃんが大発生。
小指のつめぐらいしかないちびがえる達が
あっちにもこっちにも、うじゃうじゃ!
かわいすぎます!
2003.7.27


7月になりました!

 昨日ラジオで2003年上半期のニュースを特集していました。リスナーそれぞれのこの半年間のニュースを聴きながら、
私にもすっごくいろんなことがあった6か月間だったな・・とあらためて思い返しました。


2年前の7月...兄が亡くなって、エクアドルへ出発するまでの半年、そして南米での1年間・・・。私の人生で心も身体も激動の波に揺れ動いた期間だと言えると思いますが・・・、
帰国してから今にいたる半年については、大変でもありました。でも、きっといろんな方向に心も身体も広がっていったという気がします。
エクアドルにいくまでは、とにかく必死で...自分でも背負いきれるのか分からないくらいいろんな重いものを背負って、自分を見失わないよう、悲しみに押しつぶされないよう、世の中の美しい部分に目を向けて笑顔を取り戻そうと...そんな状態でよく南米に行けたな、と自分でも感心しますが、南米大陸に足を踏み入れてしまえば、大自然や人々の強さと力に助けられて、私はたちまち笑顔を取り戻しました。南米で暮らすことの大変さ、危険、孤独などももちろんあります。そのことはこれから留学日記が進んでいってその輝きとともにもっと伝えていければと思っています。

南米ではいろんなことが、いわば人生がシンプルでした。
生きていくこと、暮らすこと、楽しむこと、喜ぶこと、誕生も老いも死も、もっと言えば食べることも排せつすることも、強盗も襲われる災難も、貧困も、靴磨きの少年や散歩をする老人やまめ売りのインディへナの女性達なんかとともに、道ばたにさりげなくあった気がします。
私自身について言えば、留学生活で訪れる苦労や問題はすべて、私の語学力に関わっていました。困難な状況が次々に訪れても、いつも解決の基盤となるのは 単純に私の語学力がアップするということ、基本的にそれだけでした。
それがそう簡単には進歩しないから苦労がつきないのだけど、この単純さが、きっと単純な私にはとてもよく作用したのだと思います。私はシンプルに勉強に励み、生活しました。シンプルに哀しむこともできました。そして最高の旅仲間とシンプルに旅をしました。

そうしてエネルギーを満タンにして帰ってきた私は、平和な日本で何不自由なく暮らすことが、南米にいたときよりも多くのエネルギーを必要とするなんて、思いもしていなかったのです。そこには私がもう一度向き合わなければいけない哀しみと家族の問題がありました。なれ親しんでいた南米と、故郷日本。二つの全くかけ離れた世界と自分との折り合いをつける必要もありました。

今の日本でシンプルに生きるのにはかえって努力が必要だと思います。自分にとって大切なものを見失わないでいるのは、本当はとても大事なことなのだけど、この雑多な速い流れに個人は巻き込まれそうになる。

自分の意見を埋没させることでも、自分の生き方を他人に任せることでもない。少しずつでも自分の人生を(あるいは方向性を)自分でコーディネートして、日々起こる出来事や様々な事柄に対して自分なりの考え方を持ち、育て、そして他の人々とのコミュニケーションの中でそれぞれの(あるいは全く違った)考えを伝え理解し妥協しあい融合して、分かち合う。特長をもった個人として社会に貢献し協力し、認めあい支えあって生きていく。とてもシンプルなことが、とても難しいのですよね。

ある一つの居場所に落ちついてしまうと、ついつい決まった見方で物事を見てしまう。だけど、ちょっと外に飛び出してみれば他の場所では他の人たちが全く違った価値観に基づいて生活をしていることを思い出します。新たな世界を知ることはちょっとした勇気も必要だけど、刺激を与えてくれる...好奇心をみたし新たな出会いをもたらしてくれる。柔軟でしっかりとした姿勢でいれば、自分とは違う世界に暮らしていたはずの人たちと理解しあえるんです。
それは日本の中にいても外に出た場合でも、同じことが言えると思います。

日本ってこうだから。私たちは日本にいるから。
シンプルに複雑に、素敵な部分を謳歌して、ときには利用して、道を探してみようかな〜、と日本人である私は思っているのです。

2003.7.1

小倉日記〜通訳生活

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 いろんなおかげと幸運があって、通訳のアルバイトができることになりました。
とはいえ仕事先の北九州市戸畑は私の住む町からは福岡県の端と端。通っていたら効率がわるくてしょうがないので、ウィークリーマンションに部屋を借りて6/8から3週間暮らすことに。そうすると給料の半分弱は必要経費でとんでいき、アルバイトというよりも、いい勉強というかんじです。
田舎暮らしはこういう時に大変だー!と嘆きつつ、
でも自分の大好きなことをやって勉強になってお金までもらえるんだから、とわりきってやることにしました。

 北九州市の会社が毎年各国から生徒を募って、船の操舵方法など?について講習をやっているのだそうで、私はチリ、アルゼンチンから来る生徒さんたちの通訳をすることになっています。本当はスペイン人の大学教授が雇われているのですが、彼が行けない日がわりと多いのでその日に行ける代役を探していて、彼と同じ大学で働いている私のスペイン語学校の担任の先生が 私を紹介してくれた、というわけです。
私たちはスペイン語の通訳だけど、ほかにもアフリカやアジア各国の生徒さんにはそれぞれに通訳がつくのだそう。
なんだか面白そうでワクワクです。

*


 しばらくいじれないので留学日記、ちょっぴり多めに更新しました。

elviaje

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 私の大好きな人は、すごく忙しい。
本来はすごくのんびりした時間をもった人なのに
いつからか知らないけれどすごく忙しそう。

人生には全力疾走し続ける時期があると思う。
そして身体を休める時期も時々。
一人暮らしの人には一人暮らしのリズムがあると思う。
実家に暮らす人にも...。
その人を大切に思う気持ちは変わらないのに
リズムがあわないことは きっとある。

カチッと歯車を合わせることが出来なかった。

じゃあ、とりあえず距離を置こう。
そのあいだに自分の人生を進めよう。
私の道を歩いて、輝きを思い出そう。

私の歯車はこれからまた大きさも変わっていくから、
彼の回転数ももしかしたら変わっていくから、
私たちがもういちど、
歯車を合わせるチャンスはくるかもしれない
(し、こないかもしれない。それは誰もしらない)。

いつかそういう日が来ればいいな。
わかりあうのは難しいのかもしれないけど、
あなたの事情を理解したい。



2003.6.7



京都伏見、琵琶湖疎水のほとり


 GWに、学生時代を過ごした京都に帰りました。京都に住んでる友達が「お帰り!」と迎えてくれたのに感激。京都は私にとって
時々帰る第二のふる里、という感じ。
やっぱり大好きな街です。

 学生時代の仲間とも久しぶりに会えました。
もう若くもないのに(!)旅行バッグを持ったまま山に登ったり、夜を徹して語ったり・・・
あの頃とちっとも変わらない部分と、
歳を重ねてすごく素敵になっていく部分、
気取らず、飾らず、強がらず、
本音を語って解りあえる関係はすごく貴重で、
これからもずっと大切にしたいな、
と思ってます。

2003.5.20


寺田屋

*

皆さん、本当にお久しぶりです!!
あまりのごぶさたに、
「もうこのページは更新しないのだろう」
と思っていた方も多いのではないでしょうか。
実は私もその一人なのでした(スミマセン〜!)。

*
しかしページは更新された。
いったいどういう心境の変化があったのか??
*

 いろいろと心境の変化も確かにありました。主な理由としては、日本に帰国してからこの4か月で、南米と日本との違いによる逆カルチャーショックともうまいぐあいに折り合いがつき、これからの将来にむけて日本での生活がどうやら定まってきた、ということがあります。
 また、帰国後(2月)にある友人からもらっていたメールも更新しようと思った大きな理由です。京都で劇団をやっているその友人は、私の「そうだ、やっぱり旅行記を書こう!」という気持ちを後押ししてくれました。
 しかし、きちんとした旅行記ができあがるのを待っていたら私たちはお婆ちゃんになってしまいます(この私のことだから(笑)。そこで、私が留学中に書いていた日記と、旅先から送っていたメール(旅日記風)を少し手直ししながら、写真とともにこのホームページに掲載してみよう、と思いつきました。

 それでは、さっそく南米の大地へと旅を始めましょうか!

2003.4.21

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*

東京から帰ってから、なんとなーく体調がもやもやしていて、あれ、なんでだろ?おかしいな、と思っていたら、またもや
腸管ウィルスをもらっていました!!といっても今回は前回(今年4月に侵された)のようにひどいものじゃなく、病院に行った頃には落ちついていて、注射一本で元気になりました。もしかしたらもう免疫がついてたのかもしれない。
何にせよ、体調のもやもやが説明されて、
「な〜んだ、腸管ウィルスだったのか!」とホッとしました。

最近私にとってエキサイティングなできごとが多くて、早くホームページにも書きたいです。(という気持ちはヤマヤマ)

2001.12.18

*

朝、「大使館から電話よ!」と母に起こされた。
私は先日、エクアドルへのビザを12/12に申請に行く予約をしたところだった。
キャンセルか、はたまた書類不備か、と眠い目をこすりながら半分ねぼけた頭で電話に出た。

「エクアドル大使館の桜木と申します」
このおばちゃんなら知っている。前回のビザを取得する時からお世話になっていて、ひとことで言えばアバウト&クールな印象だ。エクアドル人か日系っぽい顔で日本語はペラペラである。
「順子さんはいつエクアドルに行かれます?」
「1月1日に出発する予定でいます。」
と私は緊張して答えた。
「実は個人的なお願いで恐縮なんですが...」
それからの桜木さんの話は奇妙キテレツ、私の予想をまったくうらぎるものだった。

 大使館の桜木さんの個人的な知り合いに、あるエクアドル人の家族がいて、日本に十何年住んでいるらしいのだが、高校生の息子がいる。彼は日本で育ったのだが、お母さんの国でスペイン語を学びたい、と現在エクアドルに留学しているらしい。ところが日本で育ったこの彼は、今どうしても日本の味が恋しくて、インスタントラーメンを送ってほしいと両親に頼んでいる。そこで日本にいる両親は何度も郵便でラーメンを送ったが、途中で紛失して、息子のもとには全く届かないのだという。両親は親しい知人でエクアドル大使館に勤務しているセニョーラ・サクラギに相談した。そして都合よくエクアドルへ行こうとしているのが私だったのだ。

人はいいのかもしれないが業務上ではとりつくシマもないという感じだった桜木さんが、この話では終始笑っていた。
「むこうも信用ある人ですし、まあちょっと子どもに甘過ぎるという点はありますけど(笑)、順子さんが行かれる学校もエクアドルで大きな学校ですので...。お礼はするそうですし、向こうでも何かと相談にのってくれると思いますよ。荷物はラーメンですからもし不都合があった場合には捨ててもらってもいいですのでね。」
もし引き受けていただけるのならいつでもいいのでお電話ください、ダメだったらもう電話もなしで、全く気にしていただかなくて結構ですよ、と桜木さんはいう。
「お電話はどちらへ...?」
「大使館で結構です」 「!!」

 電話を切った私は何だかマヌケな顔をしていたらしい。そりゃそうだ、こんなヘンな話、めったにあるもんではない。夢の続きかと思ったくらいだ。家族に話してまた笑ったり驚いたりした。
母は、郵便事情の悪さに驚きながらも
「これが縁でまた輪が広がるというのも素敵じゃない」という。
妹は「日本からエクアドルに行く人って少ないっぽいね、こんなふうに電話がかかるくらいだから!」と面白がった。
とはいえエクアドルは発展途上国で、麻薬で有名なコロンビアのお隣の国である。しかも今はこんな御時世。私は電話の途中で、
『他人から不審な荷物を預かったりしていませんか』という空港警備の看板が頭に浮かび、運び屋になっている自分を想像してしまったりしたので、ちょっぴり疑いながら話を聞いていた。タイに卒業旅行に行ったアメリカの女子高生が知らないうちに運び屋にされていて無期懲役になった「ブロークダウンパレス」という映画はこわかったからなー。

でも、大使館の人を通じての話だしすごく面白そうなので、引き受けようと思う。大使館の桜木さんと相手の人には念のため名刺と一筆書いてもらおーっと。

2001.12.3

*

はじめて水彩画をかいた。

昔から私は水彩画は苦手でへたくそだった。
下書きの段階ではうまくいっていても、絵の具で色をつけると
何ともフォローしがたいような代物になってしまう。
中学1年の夏休みの宿題のポスターでも、色を塗っているうちに
収拾がつかなくなって慌ててお兄ちゃんに助けを求めた。
べそをかいている私をしり目にお兄ちゃんは
手慣れた様子で絵の具を溶いて色を重ねてゆき、
私の絵は窮状を救われた。
夏休みの最後の一日だったと思う。

その絵が優秀作品に選ばれた時には、何とも気まりが悪かった。
次の年からはポスター的なポップな絵柄を心がけた。
いわゆる「ベタ塗り」なら得意だった。

それ以来水彩画というものは描かなかった。
それが、今回なぜか絵の具と絵筆を手にした。
水彩画は楽しかった。
微妙な色をつくって、色を重ねていくことがとても楽しい。
はじめて自主的に水彩画をかいた絵なんだなぁ、
と思う。そんなに大したものじゃないんだが。
あーそれと、はじめて自分の頭の中にある風景を描いた絵でもある。

へたくそだけど、この絵がかけてうれしい。
「椰子の木と灯台があるサンセット」
え?やしの木なんかないって?
ある予定だったの、左はしに!

2001.10.28

sun_set  

*

今日は仲秋の名月です。
夕食時に父はそわそわ落ちつかない。
もう出たか、まだだった。と外に出たり入ったり。
しかし、自然の移ろいにこんなにわくわくして、
少年のように愉しみに待っているなんて、
この齢にして素敵だなぁ、と
我が父ながら思ってしまった。
母は今夜はIT講習会。
念願の月を拝めた父さんは、洗い物をすませ、
今はお米を研いでいます!
すごい、なんてすばらしいんだろう。
数年前まで家事にはノータッチ、完全な亭主関白だった父が、
今では何でもできてしまう。
これってめちゃめちゃカッコイイ。
いやぁ、何か「親父礼讃」になっちゃったけど、
実は今、大正・昭和初期の女性が虐げられてた時代の
本を読んでいるからなのですよね。
「まつを媼(おばば)百歳を生きる力」(草思社)
これ面白い。
東北のお婆ちゃんの、すごいバイタリティです。

今日は久しぶりに泳いだ。

2001.10.1

*

最近気が抜けていたが、
今日久しぶりにパソコンをいじっていたら
朝から出かけていた両親が帰ってきた。
「順ちゃんにオミヤゲがある。ヨロコビナサイ!」
「またお父さんはそんな押しつけがましいー」

「?」
一応「ワーイ」と言ったら渡してくれた。
世界遺産の最近の雑誌で エクアドルの、
ガラパゴス諸島とキトの街並を特集していた。

すっごく嬉しくて何にも言えずに
ニコニコして見ていたら、お父さんが
「よろこんでるよろこんでる」
と、喜んでいた。

ホントにうれしい。コレです↑。

2001.9.26

*

  -ある友人への手紙-

○ちゃんへ

メールありがとう!
○ちゃんに会えそう、と楽しみにしていたのだけど..
ごめんね、また状況が変わってしまいました。
こんな情勢だから、しょうがないとはいえ
ほんと残念です。

18日に飛ぶつもりでしたが、
日本からマイアミの国際便はまだいつ再開になるかわかりません。
来週には飛ぶだろう、ということで
旅行会社さんががんばってチケットを取ってくれたのだけど。
もしだめだったらまたチケットを切りなおして、延長、延長、
となるはずでした。

しかし、事態はとても深刻で、
戦争はさけられない状況だよね。
EF(留学機関)に電話した時に、
「こういう状況ですから、9月のコースをキャンセルして
そのまま1月のコースにスライドされる方も1人いらっしゃいます」
と言われたの。その1人はアメリカ本土の学校に行く人だったんだけど、
「私はキト校ですけど、もし望めばそういうことはできますか」
と聞いたら、「こういう状況ですから」とOKが出ました。

航空券や、ホテルや、
それからビザの取り直しなどがあるので
すごく迷ったんだけど、
1月にのばすことにしました。
決めてしまえば、ホッとして、
これが最善のチョイスだったなと思えます。

個人的な事情でとてもあわただしく、
気力と体力をなんとか出発に間に合わせていたので、
そのいきおいで行ってしまうのも手でしたが、
3か月のお休みをポッカリともらったような気分で、
きっといい日々になるような気がしています。
これから日本は大好きな季節へと移っていくわけだし、ね。

こういうわけなので、
○ちゃんに18日に会えないのが残念ですが、
3か月のうちに、
もしかしたら会える機会があるかもしれないよね!
再会を願いつつ...

またね。
△さんと☆、みんなにもよろしく!
楽しんできてねー!!

また連絡します。

                  
   

2001.9.26

*

明日で、今の職場は最後になる。
仕事をするのが心から楽しいと思えた。
今まで、いいかげんだと思っていた自分の性格が、
仕事をする時にはそうでもないことを知った。
何の役にも立たないことばかり得意で、
常識的な考え方が苦手だった私。
これでははたして社会に出てやっていけるのか?と
思ったこともあったが...

社会的な地位を確立しながらも、
柔軟で天才的なひらめきと遊び心をもって、
好奇心と、自らの成長を求めつづけ、
周りの人間の長所を見つけ、その成長をさりげなく導く。

私はこの職場でこんな人に出会った。
自分を捨てても人につくすなんて絶対にできないはずだった
性格の私が、うまれてはじめて
しかももちろん恋愛感情抜きで、
この人のためなら、何だってやりたいな、と思えた。
こういうふうに大人になれるんだ、と知った。
顔をあわせると絶対に言えないが、
私はその人をめちゃめちゃ尊敬している。

思っているだけでは伝わらないことも多い。
私は今まで思っていても伝えないことが多かった。
思っていることを表現することが
とても大事だということに最近気づいたので、
こうしてここに書いている。

職場で出会ったすべての人に感謝を込めて...。
ありがとうございました。
そして、これからもこの気持ちを伝えていけたらと思います。


   2001.8.30.

*

 南米の歴史は哀しい。

コロンブスがサンサルバドル島に到達してから、
スペイン人を始めとするEuropeが南米大陸へ侵食し、ネイティブ・アメリカン達は過酷な労働と、スペイン人が持ち込んだウィルスにより次々に死に絶えていった。早い時期から侵略をうけた島々や沿岸の地域では、先住民がすべて絶滅した国も多い。ジャマイカもその一つだ。困ったスペイン人がサトウキビ畑の労働力を確保するためにアフリカから連れて来た黒人奴隷が、今のジャマイカンの先祖だ。
内陸部では、インディオがそのまま侵略者と共存を続けた。彼らは虐げられた歴史の中で、しかし自らのペースを守って生きているように思える。


中南米に共通するのは虐げられた哀しい歴史だ。しかしそんな中で、人々は、歴史の波におし流されることなくペースを守り、創り出し、さらには征服者とともに生きていく。アフリカの、インディオの、リズムと魂、音楽、そして侵略者であるスペインの旋律や楽器さえもを融合し、自分のものにして、新しい文化や音楽を生み出していく。

アッケラカーーンと底抜けに明るく、生きているエネルギーに満ちあふれて輝き、この上なく楽天的!しかし強い強い、誰にも侵すことのできない強さを芯にもった音楽。
サンバ、チャチャチャ、ソン、ルンバ、
フォルクローレ、
レゲエ...

その音楽は希望の光を周囲に投げかける。遠く極東の島国にまでも届き、深いビンの底にいる一人の高校生に影響を与え、導いた。

悲しみから希望を...その地に行きたい。

兄の死を知る直前に、私たちはこういう話をしていた。
私はぼろぼろと涙を流し、不思議ね、こんなつもりじゃなかったのにと涙を拭いた。

2001.7.30

*

 久しぶりに書くけれど、最近思うことは
情報って、自分に必要か、ちゃんと取捨選択しなくては
自分のペースを維持できないな、ということ。
ネット、TV、雑誌、新聞、そして人との会話・・・、

毎日膨大な情報がわたしたちの生活に飛び込んでくる。

 いいニュースもあれば凶悪な事件もあり、
心温まる投書もあれば痛烈な批判もある。
なにかどこかがまがったような、視野の狭い考え方、
憎悪や汚い気持ちを撒き散らす文章・・・。
 
これは取り入れるべき意見か、
取るに足らないくだらない情報なのか、唾棄すべきなのか、
自分で見分けてうまく処理しなければ、
ひとつひとつに振り回されて心を乱されては、
いけない。

 こういうトピックは高校時代に学んではいたけれど、
最近特に痛感しているから。

日本人。
細やかな神経の日本人。
勤勉と言われてきた日本人。
時として時代に合わせてあざやかに変化をとげてきた日本人。
日本人の、日本人らしさって何だろう。
日本人の本質ってあるのかな?
私の中にも、日本人たる本質が息吹いているのかな・・・。
わからないけど、
海外から日本を眺めて、
自分の中の日本人らしさに気がつくことがあるかもしれない。

外国に出たい。
外の世界を見たい。
世界の広さを感じてみたい。

これってやっぱり私の願いだな。

2000.10.8

*

くしゃみ

 くしゃみがでかい人というのは 結構どこにでも存在する。
出モノはれモノ所構わずとはいうが、
くしゃみというのは予告ができない。
「出る出る」なんて言っていると引っこんでしまう。
引っこめばこれがまた、きもちわるい。出すほうだってその一瞬は必死だ。

 ある、大変人柄のいい課長のくしゃみは
私が今まで聞いた中でも 最高級にでかい。
しかも くしゃみの例にもれず、いきなりやってくる。
初めてその音を聞いた時に 私は
「なに?!今の!」
とキョロキョロした。
しかし、いつも同じ部屋にいる人達は全く動じない。
そのうち私も驚きは胸にしまいこみ、涼しい顔ができるようになってきた。

そんなある日のくしゃみ。

「波!」

なにかを放出するような、気合いの入った気だった。職場で聞くには、酷だった!私は楽しい想像をがんばっておさえ、ニヤニヤした。

「アッ!」

思わず「な、なんですか!!」
と振り返りそうになる心を おさえておさえて、
「あれはくしゃみ。課長のくしゃみ。」と、自分に言いきかせる日々。

       

01.6.12


*

6月9日から16日のノート

 ながいのであらすじを書きます。(ケストナーの童話風に)
 ここだけ読んでも内容は分かります。(ホント?)

EFの書類記入の締めきりせまるが気持ちよい昼寝ばかりしている。
仕事の問題は解決に向かい、写真を見ては驚く。くうホームページに留学の文字。
耳鼻科受診、CT、MRI。チューブを入れよう!

今週一週間に起こったことを書き出してみる。

 6月3日、日曜日。EFの書類を書くつもりが、ナショジオのマルコポーロを読んでいたら開いたまま寝てしまい、そのまま5時間くらい気持ちよく昼寝をした。
昨日も、帰宅した土曜の午後に書類記入の心がまえで コーヒーを入れたら、リラックスしたからか心地よい眠りに誘われて、目覚めたらコーヒーカップに飲み残しのコーヒーの筋がついていた。
 結局書類は持ちこされた。

 睡眠をたっぷりとって さわやかな気持ちで仕事が始まる。
仕事で頭を悩まされている問題をまず一つやっつけた。
 尊敬する先生の若かりし頃の写真を見せていただき驚く。相当すてきな青年医師だった。

 ホームページではくーが「留学」の文字を。少し困惑。
もったいぶってかくしているわけじゃなく、まだそんな時期ではないと。

 木曜日、耳鳴りと、いじっても感覚が鈍い耳内部に恐くなり、ついに耳鼻科受診。コマク切開、水を抜いてもらう。滲出液が相当たまっていて 耳鼻科の先生にびっくりされた。がぜん ニギヤカな世界。
次長に、とても困っていた13年度図書決裁の件を相談。いろんなことがクリアになる。解決へ動きだした。

 8日金曜日 耳鼻間に空気を通してもらいに行くと、もう通らなくなっていた。チューブを入れることを勧められ、今までの通院・手術歴を話すと、CTを撮ることになった。
 

物心つく前からつきあってきた持病なので、
これが当たり前で、もう慣れている。
幼い頃には長いこと通院を続け、手術も入院もしたし、耳にチューブも何回も入れたらしい。
しかしある程度の年令になってからは 半ばあきらめてしまった。
左耳はよく聞こえるし、右も、日常生活には支障のない程度。
聞こえにくいこともあるが その分を他の感覚や想像(的中率の極めて高いと自負する←アホ 推測)でおぎなうのが日常になっており、空気のように気にならない。

カゼをひくと聞こえが悪くなったり、耳を水が移動して痛みがはしる。あんまりひどい時に耳鼻科へ行き、いつもの状態に戻ると安心する。

今まで このくり返しだった。治るなんて思ってもいなくて、一生つきあっていくものと思っていた。
持病としてそんなに大した病気でもない。

留学にあたって、
気圧が低い高山地帯であるキトに暮らすことは、私の耳にどんな影響を与えるかという不安が、ないことはなかった。
でも 自分のガマン強さへの信頼と、持ち前の楽観的思考は そんな不安をフーフー吹きとばしていたのだ。

 CTをとって 耳上部の骨の部分に何もなかったら チューブを入れて簡単に治るそうだ。
しかし、感覚的に何もないことはないだろうと思う。
CTで乳突洞(腔?)に異常があれば手術が必要だ。

 でも、治りますよ、治しましょう。と言ってくれた先生の言葉が、とてもうれしく心にしみた。

*

平気な顔をしている私もさすがに不安に思ったらしく、
家に帰ってから 母に相談し、少し(たくさん?)泣いた。

 留学前のこの時期に
こんなことが浮上してくるのは、申し込む前に、
「こんなことあるんちゃうか?」と想像し笑っていたことが
本当にやってきたようで ヘンな気分だ。

 全てはCTをとってから考えよう。

でも これだけははっきりしている。問題はない。
留学には行く。
病気があれば治す。

01.6.9

余談

母に相談してひとしきり涙を出したあと、
「怒らないって約束する?」と念を押した。
あのね、コマクを切った日にお風呂に入った。
まあ!という顔の母。
髪も洗った。だって次の日仕事に行けなくなるもん。
あらあら...という顔の母。
しかもね...
もしや、という顔の母。
もぐった。
やっぱり!!!という顔の母。
「あと一つあるけど、怒らない?」
あのね、実は...
もらった薬、全然のんでない!!
もんぜつする母。
だって今体調不安定やし、体をコントロールできなくなると思って...

「怒った?」
怒る気にもならない。 と母は言った。

01.6.9

*

11日(月)、CTをとった。5分ほどで済んだ。
耳鼻科で診察してもらう。CTで見る限り、乳突洞(腔?私はここの名前を覚えられない!!)に何かがあるけど何だか分からない。MRIを撮りましょうか、と言われた。それともチューブを入れときましょうか。
迷ったあげく、まずMRIを撮ることになった。

チューブを入れることには抵抗を示す私。
「こんな小さなチューブですよ」(ミリ単位)と言われるが、
そんな小さなチューブを入れるだけで症状がなぜ改善するのかがわからない。でも診察中にはなかなか訊けなかった。

勤務時間も終わった頃、図書室に耳鼻科の先生がちょうどいらっしゃったので、これ幸いといろいろお訊ねし、疑問が晴れていった。

私は中耳に液がたまっていく滲出性中耳炎なのだが、鼓膜にチューブ(通気管)を通して、中耳をいつも乾いた状態にしておくということらしい。
なるほど!と納得した。今回自分が患者になってみると、今よくいわれているインフォームドコンセントというのがいかに大事かがよく分かる。
患者はなにが不安って、病状もそうだが、自分のからだが今どういう状態なのか、そして行われる治療は何のためか、が分からないというのがとても大きな不安になるのだ。私は今回、分からなかったことをいろいろ教えていただけたのがとても嬉しかった。

でも それにしても私は自分の病気を知らなすぎだ!
そこで少し調べることにした。

フムフム。(以下長いので読みとばして下さい)

滲出性中耳炎という病気は、急性中耳炎をくり返したり、中途半端で治療を終わらせたりすることでおこる。普通は治療するうちに治るんだけど、私は治らない。なぜだろう、ということになる。真珠腫性中耳炎という恐い病気の可能性も以前示唆されたことがあり、この際きちんと検査をするべきなのだろう。でもCTで小さな影しかなく、真珠腫はないか、あるとしても極めて軽いということは言われた。また真珠腫性は耳漏れや目まいがあるらしいけど、私にはそういう症状はない。
もう一つは、(またでてきた)乳突○という蜂の巣状の骨の部分に滲出液が固まって、石のようになっている可能性がある。
固形化した滲出液がある場合、手術をしないと難聴は改善されない。

また私の場合、中耳の気圧が外気より低くなって 鼓膜が内側に押し込まれ 振動しにくくなる耳管狭窄症から、滲出性中耳炎に進んでいるようなのだが、どちらにせよ、中耳と外気の気圧を調節する機能は十分に働いておらず、この状態で気圧の低い高地に行くと、気圧外傷(激しい耳痛,難聴,目まい)にかかる可能性が極めて高い。

チューブを入れることで、鼓膜内はいつも外気とつながっているので、気圧外傷は防がれ、滲出性中耳炎の進行も防げるということになる。

今回のことで最大の不安は、
留学前に手術をしなければいけない場合のこと、と
もしかしたら留学に行けないかもしれないこと、
だった。

しかし、MRIを撮り終え、放射線の先生に所見をいただいて、真珠腫ではなさそうだし、乳突○(伏せ字みたいでイヤね)にタンパク性の物質がつまっているものの、急を要する、ということではなさそうだった。
いずれ手術はして治したいが、当面、チューブを入れておくことで進行は防げそうである。来週の耳鼻科受診の時に先生に相談することにした。

*

ホッとした私は締めきりギリギリで書類を書き上げた。
いや正確に言うとかなり白紙が目立つが...。
事務提出の書類はまだよかったが、ホストファミリーへの手紙や、スペイン語のテストもあり、辞書を片手に悪戦苦闘したが、明け方近くに、力尽きた...。 私は初心者に毛のはえた程度だということが、よーくわかった!トホホー


これで終わり。それにしても長い2週間だった......!!

01.6.16


*

さっそく負けちゃった。
ありー

       

01.6.7


*

わたしは朝鮮人参茶と睡眠をこよなく愛しているが、
毎日なかなか早く寝られない。
10時には寝ようと思っているのに、たいてい12時前になってしまう。

理想的な睡眠時間は9時間。
しかし、日々の生活の中でめったに満足にとれたためしがない。
だいたい睡眠がとれないとろくなことがないというのが持論であるのに、これは問題だ!

そこでこうしよう。
お風呂に入る前に久米宏の顔をみたら敗北。
寝る準備がつつがなく終了し、ベッドの中で久米宏をみたら、私の勝ち!

久米宏と私の勝負。
なんだかうまくいきそうな気がするねー。
  


01.6.6


*

四季のライオンキングを観に行く。
私はディズニーではライオンキングがいちばん好きだ。
映画館でみた時には号泣した。

しかしブロードウェイのライオンキングを劇団四季が演ると聞いた時、最初はあまり気がすすまなかった。
それはきっと海外のものが日本版になってショボくなる、というイメージがあるからだろう。近年では 郷ひろみのアチチアチしかり、売れなかったけど野口五郎のスムースしかりである。
大好きなものが数段グレードダウンした形で流布していくのを見るのは、なかなかかなしいものである、ということを知った。

そんな時にはきまってチャゲ飛鳥の「LOVE SONG」が流れる。

きいたふうなハヤリにまぎれてぼくのうたが痩せ続けている
やすい玩具みたいで君に悪い

ところがさんちゃん、四季のCMで
ナ〜〜〜〜ヤエンヤーハバビートゥワワッとでっかい朝陽が昇り、
キリンがカッポカッポと闊歩するのをみただけで、
身体じゅうにじんわ〜っとふるえがはしり、
(これは、絶対に行かなくては!!!)
と、思ったのでありました。

       

01.5.24


*


キャスト・アウェイをみた。

トム・ハンクスは名優、敵なしだ。
私はケビン・スペイシーが好きなので、二人は張ると思っていたけれど、トムハンクスは格が違ってたなぁ。


監督が、

   生き残るだけなら易しいかもしれない......
   本当に難しいのは、生きてゆくことだ。

と語っているけれど、生き残る時点でお手上げだ。
生きてゆくことにしても、あの状況に置かれたら…自信がない。
私だったら...とりあえず歌はうたって、そしたらもう絵ー書くぐらいでほかにはすることがないな、と観ている最中は思っていた。

でも、最後まで観て、
のぞみなどなくても、息をし続ける。
ただ息をし続けるだけの時期も、ありなのだ。ポジティブに捉えることが難しくても、ちっともいい要素が見つけられなくても、もしかして思考を放棄したとしても。 考え方少し変わりそう..。

01.4.14


*

 今日は部屋の片づけをした。
子どもの頃からつかっていたオンボロベッドも とうとう片づけたので、人員も動員され、ちょっとした大掃除になった。このベッドは小さすぎて腕をのばすと手すりにぶつかり、うかうか大の字にもなっていられなかったのだ。寝ると背中が痛くなるベッドで、1年間よくがんばった。

 動員された父が荒れていた私の部屋を見て、
「ゴミ太郎が、こりゃどうか!」(何というゴミだろうか!)
と大げさに驚いたので、その言葉にくすぐられつつ、ちょっとムッとしたが、ともあれベッド移動も無事終了し、部屋ももうきれいに片付いた。

 部屋がきちんと片づいていると、しっくり落ち着いてやる気が湧いてくるから不思議だ。
 

天気だってそうだ。晴れている日はそれだけでうれしい!こころがウキウキしてしまう。単純だなぁー。

01.4.8


*

  

 

 夕食のあと、なんとなく
生きもの地球紀行という番組を見ていた。
ケニアに ンゴロンゴロ国立公園というのがあるらしい。
ンゴロンゴロ。
ひびきにひかれたので ノートにチョロッとメモ書きした。

(しばらくして)
私はパソコンをいじっていた。
母はテーブルの上を片づけていた。
「今日こそははやく寝よ〜。」
「そうよー、明日また早よ起きれるゴロ。」
 ん?  少しの間があった。
おかしくなって、「ンゴロンゴロみたい」というと、
母ははじけたように笑いだし、恥ずかしそうに、
「すぐバレちゃうねー」
「本当は〜〜ごと(ここ辺の方言で「のように」)って言おうとしてたのに、あんたのノートをチラッとみたもんだから 口にでちゃった。かくせないねー。」
彼女はひとの書いたものをちょっと読む習性があるのだ。困ったもんだがすぐバレる。そう、こういう具合に。

それからまたひとしきり楽しかった。

 こういうことってよくありますよねー。

01.4.6