第3回 「幼児のうちにしなければならないこと T」

                      ―幼児期の心の発達―

 

 いよいよ等身大の子供についてお話します。発達には大きく分けて2つの筋道があるとお話しました。ピアジェらが子供の観察をまとめた、認知や観点などの発達と、エリクソンが考えたライフサイクルという一生を通した発達です。これら2つの理論を幼児期にスポットを当てて、お話します。しかし、ほかにもいろいろな方面から研究され、例えば発達は遺伝か環境かというような問いかけで、考えるとどちらもが影響しあう、相互作用説が有力です。


事例1)ジェンセンの環境閾直説の解説図(出典:放送大学「児童の臨床心理」)

事例2)「狼に育てられた少女」と「言葉を理解する猿」

 インドで、姉妹の捨て子が狼に育てられて発見された。イギリスの研究者が保護し、世話をした。姉は7歳くらい、妹は2歳くらいと推定されたが。妹はどうにか話したり歩いたりできるようになったが、姉の方は17歳くらいで死亡するまで、話すことも歩くことも出来なかったという。彼女は狼のように唸ったり、ほえたりし、歩く時は四つばいのままだった。これから、発達には臨界期というものがあり、適切な時期に適切な働きかけがなければ遺伝的には人でも、人として生活できないということがわかった。

 しかし逆に天才猿のアイは言葉を理解しても話すことは機能的に無理と考えられている。今後猿がしゃべることができるか、ということが大きな課題になるが、働きかけがあっても人でなければ、人にはなれないという遺伝と環境の関係を表している。

 

事例3)「双子の研究」

 一卵性の双子の一人には1歳6ヶ月で階段の上り方を教え、もう一人には教えなかったが、二人とも1歳9ヶ月には階段を上るようになった。

 

発達のガイド

1.ピアジェの4つの知的発達の段階(出典:「発達心理学の基本を学ぶ」)

T感覚運動的段階:生後間もなくからおよそ2歳ぐらいまで。

 子供は、自分が行う身体的活動から外界について知るようになる。この段階は、言語の 

 獲得をもって終わる。

U前操作的段階:2歳からおよそ7歳ぐらいまで。

 就学前の子供は、まだ十分な論理的思考を獲得していないということでこう名付けた。V具体的操作段階:7歳から12歳まで。

 初等学校の典型的な年齢の子供は「今ここ」の状況で「具体的」な問題について論理的

 に考えることができる。具体的操作の獲得によって、思考は可逆的になり、子供は、物

 事の具体的な特性についての推論の内在的な必然性を理解する。

W形式的操作段階

 西欧社会の成人において獲得される思考形式で、仮説からの系統的な推理によって進行

 し、特に科学的な推論によって進行し、抽象的あるいは仮説的な課題について考えるこ

 とができる。

 


 事例3)ピアジェの「3つの山の課題」(出典:「発達心理学の基本を学ぶ」)

 就学前の子供が異なった観点からの光景をどのように想像するのかを見いだすために用

 いた。他者の視点を理解し、述べることができるか、を判断するテスト。

 図のような模型の周りを歩かせて模型に慣れさせた後で、子供はaの位置に座り、そし

 て、自分の位置からの見えと1つの人形がb、c、dの位置に置かれたとき、その人形

 からの見えを想像するように訪ねられた。子供に与えられる課題は次の3つである。

 @山の形をした3枚の厚紙を配列する。

 A異なった視点から撮った10枚の写真の中から、人形の置かれた位置〜の見え方1つ

  選択する。

 B写真を1枚選択し、そのように見えるには模型に対して人形がどこに座らなければな

  らないか決定する。

T 4歳以下:子供は単純に質問の意味が理解できない。

Ua 4歳から6歳:子供は自分の見えと人形の見えとが十分に区別できない。その結果、

  子供たちは人形からの視点がどうであれ、彼ら自身に見えているものを選択する。

Ub  5歳から7歳:視点の区別が出来始める。子供は、その違いには気づいているが、

  明確に述べることはできない。

Va  7歳から9歳:変換した関係で理解できるものもある。まず、「正面と背後」が理解

  できる。しかし子供は全ての空間的変換を同時に考慮することができない。「正面と

  背後」の関係での人間の視点からは正しく表象されているが、右−左の視点は子供

  の視点からは変換されないままである。その結果、子供の想像は人形の位置から見え

  るであろうこととは一致しない。

W 8歳から9歳:全ての視点の変化に対処できる包括的な操作システムが現れ始める。

  視点の変化に関係するどのような変換も同時に考慮することができる。

 

このような古典的な説明においては、8歳以下の子供は、「自分自身の視点に根差して」おり、自分自身以外の他の視点を想像できないから、自己中心的であると考えられているのですが、その後の研究によって、子供が泣いている友達を慰めるような態度は1歳半頃から見られることがわかり、論議が生まれました。

結局、この「同情」は相手の視点に立ってみるというより、自分に置き換えたものであって、基本的にピアジェの観察は現在も通用するものとなっています。

 

 

 

2.エリクソンの発達理論(出典:放送大学「人格心理学」)

エリクソン(Erikson, E, H)は、フロイトの心理・性的発達理論とユングのライフサイクル論を統合することにより、彼自身のライフサイクル論を展開した。彼はそこで、人生の8段階説とそれぞれのライフタスク(人生課題)について述べている。ライフタスクとは、人間の人生にとって重要な課題で、その段階において解決されなければならない、固有の発達的課題のことである。エリクソンはライフタスクが肯定的に解決された場合と否定的に解決された場合の人格の構成要素を対にして示した。

人間は社会との出会いの中で、自己のあり方を選択しなければならなくなる時がある。このような特定の時期は、心理社会的危機と呼ばれている。心理社会的危機は、特定の時期に重要な人格の構成要素がうまく獲得されるか、それとも変形や欠陥をつくるのかの分岐点ないし峠のようなものと考えることができる。エリクソンは「危機的というのは、転機の特質であり、前進か退行か、統合か遅滞かを決定する瞬間の特質である。」と述べている。

 

3.幼児期の発達段階(出典:「ライフサイクルの臨床心理」)

 3歳から6歳にいたる時期は、いくつかの重要な発達上の問題によって特徴づけられる。再接近期を無事に乗り越え、情緒的対象恒常性を達成して、母親からの分離に耐えられるようになった幼児は、この時期に母親以外の人間、とくに父親、きょうだい、仲間へと自分の行動や動機の方向を移すようになる。この時期は、ちょうど精神分析でいうところの男根期にあたる。ここでフロイトが提唱した幼児性欲論と発達段階について簡単にまとめてみる。

フロイトは神経症患者の治療や自己分析から、幼児にも性欲があると確信した。ただし、フロイトにおける性の概念は、一般的な性行為だけではなく、口唇や肛門など、身体の部分的な器官を介して得られる、快感までを含む広い人間関係の性愛についての概念である。

幼児期にはこれらの慾動がもっとも活発な時期で、一定の性愛の組織化が開始される。この時期から性別についての認識が生まれ、男の子と女の子の精神性的発達はそれぞれの特異性を持つようになり、異性の親に対して性的関心をもつようになる。このときの異性の親に対する愛着、同性の親に抱く敵意や嫉妬、罰せられるのではないかという不安を中心として発展する近親相姦の心理をエディプス・コンプレックスと呼ぶ。

幼児期、子供はエディプス的な願望はかなうことがないのだという現実を認識し、同性の親と同一化する過程を経て性役割や社会規範を身につけ、罪悪感が内在化されて良心が形成される。こうして潜伏期がはじまり、性的な発達はひとまず鳴りを潜めて、子供の興味の対象は外界へと向かうと考えられる。

 エリクソンに戻ると、自発性と罪悪感の間で子供は揺れ動き、うまく克服できた場合には、目的を定めたり、それを達成する喜びを持てる人間になり、しかられたり、辱められたり、無視されたりしてうまく達成できない場合には、自信のない、意欲に欠けた人間がつくられるということになる。

事例4)性的倒錯者

     ニューハーフ

     結婚しない女性など。

 

「男性らしさ」「女性らしさ」を身につけるということは、仲間やきょうだいとのさまざまなごっこ遊びがこの時期に盛んにされるのをみるとわかります。ままごとや、闘いごっこの中では、実際にしたら叱られるかもしれないような、言葉や行動をわざを試したり、大人の態度をそっくりまねたりしている姿を観察できます。これらは遊びという名の立派な学習であると考えると、子供達は実に熱心に対人関係のローププレイングをしているということになるのです。あまりにも大人が統制しすぎると、子供達は自発的な表現や試みができないことになります。しかし、遊びを自覚しながらも入り込みすぎる場合もあり、言葉や態度の暴力が行過ぎる場合にはやはり大人が介入することも必要です。じっと見守りながら、いざという時は助けるという、一歩離れてしっかり見守るという態度が幼児期には必要と考えられます。これらが順調に発達すると、年長ころにはほとんど自分たちで解決できる対人関係をも持てるようになるようです。

幼児期には「やりたがり」という側面もあり、子供は意欲的に新しいことに挑戦できるものです。親としては人より早く形になるものを求める気持ちに沿うので、お稽古にも力がはいるのですが、子供の心理的発達の側面を忘れず、遊ぶ時にはしっかり遊ばせてやることが大切なのかもしれません。また実態として、遊ぼうにも回りがみなお稽古に通って、予定があわないという現象がおきています。大人は充分な遊び(ソーシャル・スキル)を経験しないまま、学校に送りだし、適応を心配しているという矛盾を子供に強いていないか、今一度考えてみたいところです。


 

 

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