@口唇期……生まれてから、1歳半ころまで。生まれたばかりの赤ちゃんは反射的におっぱいを吸うことができる。そして体のなかでは唇や口の中の粘膜の感覚がすでに発達している。おっぱいを吸うことは、飢えを満たすとともに、唇や舌で乳房を吸う感覚を楽しみ、お乳を味覚や嗅覚も楽しみ、そして満足して眠くなるという体験をする。おなかが空き、そこで親がそれに気づき、おっぱいを与えるということが繰り返されるなかで、赤ちゃんは自分の欲求を読み取ってくれる存在を感じ、基本的な信頼感を獲得してゆく。
しかし、同時に、完全に赤ちゃんの欲求を読み取れる大人はいないから、時には欲求不満を感じ、その欲求を和らげる手段を発達させる。たとえば、指しゃぶりやタオルをくわえるといった手段である。また、欲求不満は、自分の願望通りには世界が動かないことがあることを知ることにつながり、これが自分とは違う他者の存在を知ることにつながる。こうして発見された最初の他者は、一般には母親ということになるが、その母親をもとめるという気持ちが赤ちゃんに芽生える。これが対象愛の基礎になる。この時期は人生の始まりの時期であり、そこで問題が生じるとその人の精神的な発達に大きな影響を及ぼすと考えられる。
口唇期性格…依存的・我慢が苦手・要求がましいなど。病的でなくてもおしゃべりや酒、タバコ、パーティなどは大人になってもこの欲求をみたす。A肛門期……1歳過ぎから3歳頃までの時期で、この時期は括約筋のコントロールが可能になる時期であり、肛門や尿道の感覚が発達してくる時期と考えられる。そして、トイレット・トレーニングが行われる時期でもある。この時期は歩行が可能になり、言葉もはなせるようになり、自分からいやだという意思を表明できるようになる。また、この時期にはうんちを自分の好きな時に好きなところで排出したいという子供の欲求と、決められたトイレという場所で決められた時間に排出できるようにしようとする親の要求との戦いが起こると考えられる。子供の中に、親にうんちという贈り物をして喜ばれたい気持ちと逆らってうんちをため込みたい気持ちといった二つの相反する気持ちが並存するようになる。この相反する気持ちが同時に存在する心理を両価性(アンビバレント)という。
肛門期性格…几帳面で倹約家にみえて、浪費やだらしなくすることへの欲求も強い。一見、従順そうにみえて、なかなか人の言うことを聞かず、人を支配したい気持ちを隠し持っている。
B男根期……3歳から4歳くらいの時期で、男女の性別を意識するようになるとともに、性器の感覚が分化し、性器の刺激による快感を発見する時期であるといわれている。いわゆる小児オナニーの多くはこの時期に始まると考えられる。この時期の子供は、性器の違い、子供の出産、性行為などに興味をもち、親にいろいろ尋ねたりする。そして、性器を触っていると親から叱られたり、性的なことへの質問もいい顔をされない。そこで去勢される不安が子供に植え付けられると考えられる。この時期に性器の形の違いがわかると、こどもはいろいろと思いを巡らす。女の子は、自分にペニスがないことを不公平にかんじることも多く、男の子をうらやむようになるとフロイトは考えていた。
男根期性格…傲慢で露出的で虚栄心が強い一方、傷つくことをおそれるという性格がある。
Cエディプス期……男根期に続く時期で3歳〜5歳頃の時期である。エディプスというのは、ギリシャ悲劇の主人公である。そのストーリーは「生まれた子供は、父親を殺し、母親を妻にする」という予言のためにエディプスは森に捨てられ、やがて運命の糸にあやつられ、知らずに父親を殺し、母親を妻にしてしまい、やがてその真実を知ってしまうというものである。この時期には、異性への性欲も意識されるようになり、その性欲の主な対象は、異性の親となる。そして、同性の親の存在が邪魔者に感じられるようになる。そして、両親との勝ち目のない三角関係に子供は悩むことになる。子供の側の主観的な三角関係をめぐってさまざまな感情や観念が絡まり合うことになるが、その絡まりあった観念や感情の集合体をエディプス・コンプレックスという。
異性の親への性的願望は、実現は普通は不可能である。しかも同性の親からの去勢という形で処罰される恐怖もあり、そもそも子供は同性の親にも依存せざる得ない立場にあるので、子供はそうした願望をあきらめて、抑圧してしまうとフロイトはいう。そして、親の態度や規範を自分の中に取り込むことになる。このようにして取り込まれた規範や親のイメージは、内在化すると超自我と呼ばれる。エディプス期の父親、母親、自分という三角関係を通過することで、人は母親との二者関係から、三者関係の延長線上にあるヒトの社会の中に足を踏み出すことになる。
D潜伏期……6歳〜10歳頃の時期で、エディプス期が子供の断念で終わることで、性欲も抑圧され、子供達は学校などで集団生活を経験し、社会的な規範や社会生活をするのに必要な知識や技術を学ぶことが生活の中心となる。子の「時期は思春期が始まるまで続くが、性欲が相対的に潜伏しているという意味で、潜伏期と呼ばれる。子供の関心は地球や宇宙、時間、死といったものが自分にとってどんな意味を持つのかを探求する一方、親しい同性の仲間との秘密の時間を持てるようになる。こうした探求の成果や仲間体験は、思春期を乗り切る力を与えてくれると考えられる。
E性器期……思春期から後の時期全体をさす。第二次性徴の発現とともに、潜伏期の相対的な安定は脅かされる。思春期あるいは青年期には、今まで従っていた両親や教師から異性へと自分の関心を切り替えて、最終的には、異性をひとりの人間(全体対象)として愛せるようになる。そして、幼児期にはばらばらで倒錯的であった性的活動が、性器を中心としたものに統合される。フロイトはこのような統合を性器統裁と呼んだ。これは単に性感帯が性器中心になったという意味ではなく、相手を一人のまとまった人間として感じ取れるようになり、相互に責任を持った交際が可能になるという意味も含まれている。こうして、次の世代を育てる準備が整う。
固着と退行……性器期以前において、それぞれの時期に欲求が十分に満たされなかったり、逆に過剰に満たされてしまった場合に、フロイトはリビドー(性欲動)の固着と呼ばれる現象が起きると考えた。つまり性欲動がある発達段階の所に留まっているという意味で、それがそのヒトの性格傾向にも影響を与えるという。肛門期に強い固着があれば肛門期性格の特徴を持つことになる。固着というのはエネルギーがその段階にとどまる意味だが、人との関わり方、欲求の満足の仕方がその発達段階にとどまるということでもある。固着があっても多くの人はその先の発達段階へ進むが、何かその時点の欲求が挫折すると退行と呼ばれる現象がおこる。エディプス期の至った子供が父母との葛藤や兄弟との葛藤に耐えられず、肛門期に退行しおねしょをしたり、口唇期に退行して指しゃぶりが生じるという例はよく見聞きする。この固着と退行が、成人の神経症の発症において重要な役割を果たすとフロイトは考えたのである。