まず、ここまでの流れを元にRPGというものの本質をまとめてみよう。
1:RPGは多人数遊びである
このため、RPGには共通した約束事が存在する。共通した約束事とは・・・
○ルール運用などセッション管理者(ゲームマスター他の呼称で呼ばれる)の権威の承認
○ルール遵守の原則
○舞台となる架空世界の承認
○上記三つのいずれかあるいはすべてによって提供される目的の共有
(マスターによるシナリオ目的や架空世界におけるキャラクター群共通の敵の存在など)
そして、RPG独特の約束事として
○一人遊びの容認
がある。
2:RPGは一人遊びでもある。
多人数遊びの約束事として、一人遊びを容認したため、RPGにはこの側面が生まれた。
管理者はただ、プレイの管理を行うのではなく、自ら実現してみたい目標を設定してその実現を目指し、ふつうのプレイヤーは自分の管理するキャラクターをどのようなものにするか、何をさせるかを目指す。それは恣意的に設定、変更してよいものである。
ただし、一人遊びとしてのRPGばかりを優先すればそこに複数の人間が集まる理由はなくなる。一人遊びを容認した多人数遊びとしてのRPG、そしてめいめい勝手にやればばらばらになること必至の一人遊び同士の折り合いをつけていかなければならない。この構造は危ういが、調整が適正に働けば、通常の多人数遊びでは実現できない遊びの多様性をもたらすという効果がある。
さて、ではRPGコンポーネントおよびサポートの要件とはなんであろうか? 抽象的であることをいとわずにざっと拾い出してみると・・・。
○多人数遊びの約束事の規定および補完要素
ルール
プレイのコンセプト
セッション管理支援(世界設定、シナリオ等)
○一人遊びの支援
キャラクタープレイのガイダンス(世界設定、テンプレート等)
といったものになるだろう。これらのものは過去、実際にコンポーネントおよびサポートによって提供されてきたものである。したがって、これまでの失敗作としてのRPG製品はこれらの要件が不足していたがゆえに失敗したのではない。要件が要件としての機能を満たさなかったがゆえに失敗したのである。
もう少し詳細に考察してみよう。まずはコンポーネントについて考える。というのも、基本セットこそはRPGの要件のすべてを満たしていなければならないからである。
【プレイのコンセプト】
これはいわばそのRPGの遊び方である。正義の警官隊に射殺される危険を回避しながらなるべく多く、できれば他のプレイヤーよりも多くの無辜の市民を虐殺するのが遊び方なのか、それとも多様な価値観を持つさまざまな部族の英雄候補として絶対悪を討つことを目指すのか、それはまさにそのRPGそのものを語ることである。
したがって、コンセプトはもっとも最初に、きわめて明白に語られるべきことである。そして、通常は逸脱してならないものである。
さらに、コンセプトはプレイヤーやマスターを戸惑わせるものであってはならない。「何をやってもよい」ではコンセプトとよべないのである。なぜなら、コンセプトこそが多人数遊びの要であるからである。特に、ルールの運用についてマスターに変則運用等の権限がある以上、多少抽象的でもコンセプトに対して極力一致した認識を持っていなければ同じ遊びをしていることにならない。
よって、コンセプトは簡潔かつ明解に語られ、読む者に誤認を起こさせるものであってはならない。また、そのためには十分に絞り込まれていなければならない。
散漫なコンセプトのゲームはそれだけでクソゲーである。
(汎用システムであっても、ソースブック等サプリメントにおいてコンセプトの絞り込みが行われていることに注意されたい)
【ルール】
どんなゲームであってもルールのできふできがそのおもしろさを決定する。できのよいルールとは、おもしろい局面を数多く提供するものである。そしておもしろい局面とは、「あれか、これか」と思い悩む局面である。思い悩むとはつまり、どの選択肢を選ぶにしてもそれなりの長短があることであり、また隠れた選択肢の存在も考えられる状況であって、つまるところ考える余地がいくらでもあることである。また、この場合「おもしろい」というのは愉快のことではない。考える楽しみ、選ぶ愉悦、そして結果に一喜一憂することである。愉快と思うのはこれらの中で充実を覚えた時などに得られるものである。
RPG論考でよく目にする意志決定とは、このことである。
ただし、ルールはコンセプトをよく実現するものであることが望ましい。ゆえに無駄に詳細な脇道ルールがあっても、必要な処理に関するルールが欠如していてもいけない。
コンセプトにそって良き意志決定を実現するのがルールの機能である。したがって、未整理のルールを備えたRPGも、葛藤の発生しようのないRPGもクソゲーである。
【セッション支援管理】
基本ルールに含まれるべき支援としては、最低限シナリオを添付すればよいが、このシナリオはただのシナリオであってはいけない。なぜなら、基本ルールに添付されるシナリオは入門に用いられるものであって、そのシナリオをプレイすることによってマスターにはそのRPGのマスタリングや自分で作る場合はどんなシナリオを作成するのかの理解を、プレイヤーにはコンセプトで語られた遊び方とそのおもしろさの理解を導けなければならないからだ。
したがって、どんなシナリオでもよいというわけではない。シナリオそのものは簡単でも、その中にはそのRPGをプレイするために必要な情報が必要最低限だけ詰め込まれていなければならない。
必要な情報とはゲームの舞台となる架空世界の人名録でもなければ、詳細な歴史でもなんでもない。
過大で無用の情報で初心者を圧倒するようでは、やはりクソゲーである。
必要な情報とは、本当に最低限のことでよい。コンセプトの説明の補足説明程度のものでよいのだ。
さらに付録として、マスターが自分でシナリオを組み、セッションを管理するための情報がついているとなおよいだろう。しかし、そこには具体的で詳細な情報などやはり不要なのだ。世界そのものについては大ざっぱな地域分類とその簡単な背景、そして敵を含む住人のステレオタイプのデータがあればよいだろう。まずはそのRPGは初心者であるマスターをあまりしばらない形でシナリオなどくめるように環境作りをすることが肝要だ。無用に詳細、過大な情報は無駄な拘束にすぎない。
大雑把にいえば、コンセプトの実現の邪魔となるような情報や、コンセプトの実現を支援しない情報は無用であるばかりか有害であるということだ。
世界設定やシナリオがデザイナーの自己実現でしかないRPGもクソゲーである。
【キャラクタプレイの支援】
これもまたコンセプトにそった遊び方を支援することが肝要となる。
RPGは何をやっても自由だと思う人がいればその誤った認識をあらためるようお願いする。何をやっても自由なのだが、それはコンセプトにそった遊び方をするにはどのようにやってもよいということに過ぎないのだ。
とはいえ、やはり何もなしでは戸惑ってしまう。ある程度の拘束があったほうが自由にやりやすいというものだ。したがって、キャラクタプレイの支援では架空世界に生きる存在の価値観や哲学、行動原理を提供するものであることが望ましい。提供するといっても微に入り細に穿っては困惑を招くばかりだ。アレンジしやすい、基本的なものでなければならない。したがってこれも社会のサンプルや考え方のサンプル程度でいいだろう。そしてこれらはルールのところで触れたゲームとしての面白さに緩やかな制約をつけるものであることが望ましい。疎外するような設定は邪魔なだけである。
世界設定の中には、デザイナーの自己表現でしかないものも見受ける。そのようなRPGもまたクソゲーである。
総じてできのよい基本コンポーネントというのはすべてがコンセプトの実現に向けて集約され、理解をはばむ無駄は省かれているものといえよう。
次はサポートについて考えてみよう
サポートの目的はなにか? これは需要側と供給側にわけて考えて見ることにする。
まず、需要側、つまりサポートを受ける側を大別する。既にそのゲームを購入している者と、購入を検討中の者である。購入を検討中の者は、そのゲームを買う、買わないの判断材料がほしい。どこがおもしろいのか、欠点があるとすればどこか、世界設定等はどのようになっているか。したがって、紹介記事や論評が欲しい。紹介記事で魅力を知り、論評で欠点も知りたい。そのゲームの魅力とはすなわちコンセプトそのものである。そしてそのコンセプトをどのように展開しているかの情報が必要だ。したがって、ゲームコンセプトの紹介を主軸とした紹介記事や、客観的な批評記事が必要となる。これらは価格的にもリアルタイム性の面でも雑誌サポートがのぞましい。
既に購入した者が求める方向は二つある。一つは製品の欠陥の補完。デザイナーが予想していなかった問題点を製品の欠陥とすべて呼ぶのは適当ではないが、普通に遊んでいて発生しがちな問題はやはり製品の欠陥と呼ぶほかあるまい。これらの欠陥はほとんどの場合、十分なテストを行わなかったためにうまれる。
もう一つはプレイやマスタリング支援の追加情報。基本ルールに呈示されたものでは飽き足らなくなった場合に求められる。したがって、これらは基本コンポーネントの該当部分を入れ替えても成り立つ内容のものでなければならない。よしあしの評価も基本コンポーネントと同様である。
(ただし、シナリオだけは基本コンポーネントの初心者配慮の部分は緩和される。とはいえ、商業的に供給されるシナリオがコンセプトからはずれるのは問題である。変則的な遊び方を提供する目的でないかぎり・・・その場合は、変則的な遊び方のコンセプトにそわなければならないが)
これらは分量的に、雑誌だけでなく、時にはまとまった製品で提供する必要がある。
では、供給側の目的はなにか? ひとことで言えば売り上げの維持と増加である。たとえばフリーダイヤルの電話相談のサービスを行ったとして、その電話相談に必要な人件費など諸費用を上回る利益が得られるないなら打ち切ったほうがよいということになる。雑誌サポートならば、まずその雑誌の売り上げに貢献しないといけない。売り上げのない雑誌は廃刊がゆきつくところであるからだ。そのため、小説やマンガ、イラスト、そして読者をひきつけるための企画をたてて付加価値を増す方向に走る。ビジネス的にはまったく正しく、また読者も満足するだろう。だが、RPGを遊ぶ者は本来それを求めて雑誌を購入するのではない。上っ面の読者受けばかりに走れば結局、本来の読者を逃がすことになるのだ。そして雑誌はまったくRPG関連の雑誌でもなんでもない、ジャンル不明のものとなってしまう。
しかし、雑誌で利益があがらなくとも、その損失を補ってあまりある売り上げ増を別のところで発生させることができるなら、雑誌サポートは継続されるだろう。基本コンポーネントやサプリメントと呼ばれる周辺商品の売り上げがのびることを期待するところであるが、これもまた小説やマンガの単行本の売り上げにも依存することが可能だ。
RPGサポートとしての需要と、企業論理としての供給はこのように齟齬をきたしやすい傾向がある。RPG単独に目を向ければ、読み物よりも有益な情報を提供するべきであろうが、企業論理はそれを許さない可能性が高い。新しいサポートの可能性はインターネットにあるが、しかしRPGの要件をきちんと心得ていないと意味がないだろう。
RPGに関連する小説、マンガ、イラスト等を排除せよとは私は言わない。しかし、これらは最低必要なものではないのだ。RPGの要件を乱さない範囲、つまりそのゲームのコンセプトや世界を崩すことがない限り、いやそれらの感覚的な理解を助けるものであるかぎり、これら関連創作物は有益であると信じている。ただ現状を見る限り、予算など事情の有無もあろうがその点でうまく機能しているとはいいがたいものは少なくない。(ソードワールド関連は比較的うまく機能している。デザイナーたちが作家をかねているだけでなく、共有された世界であることも大きいようだ。そのため、ソードワールドについては人による好悪がはっきりわかれてしまったようにも思える)
現在、もっとも必要とされているのはRPGの要件を十分に心得え、企業論理との折り合いを巧みにつけてゆくことのできるマネージャーあるいはプロデューサーではないかと思う。現在、RPG業界と呼ばれる世界にそのような人が果たしているのか(いるとすれば十分に腕を発揮できない状態であろう)、あるいはいないのか、その判断は材料が少ない。しかし、そのような人がリードしていかなければRPG業界は別の業界、たとえばコンピュータRPGの業界などへと解体吸収されてしまうだろう。
RPGの根をしっかりはるためには時間をかけてまず土壌作りを行わなければならない。
了