論考:演技の効用

 筆者はこれまでRPGにおける演技を否定的にとらえてきた。しかし、今回は試みに演技を肯定的に捕らえてみることにする。
 まず、ここであつかう演技の概念を整理しておこう。高尚な理念ではなく、俗にRPGにおける演技と呼ばれるものを簡単に整理するだけにとどめる。

 【現象的演技】
  キャラクター(プレイヤーが管理する架空の人物。RPGはこれをあやつって遊ぶゲームである)のように台詞を吐く、時には動作をまじえる。

 なぜこのようなことをやるのだろう? RPGは卓を囲んで座ったまま行うことが多いから、これは落語のそれに似ているといえよう。落語のそれは状況のおもしろおかしさを伝えるために行うが、RPGのそれはさてどのような目的で行うのだろう?
 RPGは感情移入をともなう遊びである。自分の管理するキャラクターは多くの場合、ルールにのっとって自作した、いわば自分の作品である。しかもなんらかのイメージをもって作られた人物であってその場その場でどう考え、感じるであろうと思われることは比較的容易にイメージできる。自分の作品をふくらませるという点から見れば、視点を同一化し、さらにイメージをふくらませるのはいたって自然なことであろう。
 人はしばしば自分の発言や行動から自分自身へのフィードバックを得る。それによってさらに新たな感情や考えが芽生えるものだ。キャラクターのように話し、それらしい動作をまじえることはプレイヤー自身が新たなイメージを得るためのフィードバックを発生させるのに効果的であるといえよう。
 したがって、現象的演技はRPGを楽しむという面では有効なものといえる。ただし、それは行えば楽しめるというものではなく既に獲得している楽しみをさらに高めるために自発的に行うものである。
 では、演技はそのような自己完結的なものだけあろうか? 他者とのかかわりあいの中で演技はなんらかの効果を持たないのだろうか?
 明らかなものから確認していこう。
 まず、羞恥心からの解放という効果がある。他者も現象的演技をしていれば、自分が現象的演技をすることになんら恥ずかしさを覚える必要はない。そこは現象的演技をやってもよいハレの場となるわけだ。
 では、コミュニケーション的な意味合いはどうだろう? 現象的演技が自己フィードバックの意義があると先に書いたが、もしそれが他者からもフィードバックされれば効果は数倍となろう。異なるイメージのフィードバックによって、そこに自分の世界をこえる広がりを感じるからだ。感情移入面の楽しみは自己完結だけですんでいた時とは比較になるまい。
 ただし、これは一つの条件をクリアしなければ成立しない。

 他者からのフィードバック(現象的演技)が自分にとって好ましいものであること。

 好ましい、とはまた曖昧な表現であるが、その内実はまず期待した通りのものである場合、そして予測しなかったものであってもイメージをさらに喚起してくれるものであった場合であって、曖昧のそしりを恐れず言えば面白みのないものであった場合は良くて寂寥、悪くすれば敵意さえ覚える結果となる。好ましいと好ましくないとに関わらず、いずれにせよ、他者がその現象的演技を生み出したイメージや、伝えようとした内容を把握していようといまいと問題ではない。とんちんかんな反応であろうと、それが愉快な状況や感動的な状況を想起させるならそれはそれで好ましいのだ。
 したがって、コミュニケーション面での現象的演技の目的はイメージの交歓にあって意志や情報の伝達にはないと結論づけることができる。さらにその成立の前提をかんがみるに、よしあし定石を語ることは困難である。
 他者の反応としての現象的演技がまったく同じであったとしても、働きかける側のイメージのもちかたによって好ましいと思う、思わないが食い違うからである。共通の文化的基盤をもち、その上での「粋」な反応を返す限りはうまくいくだろう。あるいは「お約束」という形で期待通りの決まった反応を返しても成立する。共通の文化的基盤というのは例えば同じ小説やアニメのファンであるといったことである。あるいはなんらかの思い出を共有するということである。内輪のグループでRPGを遊ぶことが気楽で楽しいという事実はまさにここに立脚している。
 では、共有している文化があるのか、あるとすれば何かあまりわからない者と遊ぶ時はどうだろう? そしてそのような共有文化のない場合は?
 通常、RPGには背景世界やゲームそのもののコンセプトがある。まったくの初心者でない限り、これに立脚した現象的演技を行うのはもっとも無難であろう。しかし、現象的演技は楽しみをいやますために自発的に行われるものであるから、無難な現象的演技を行うためには集中力と自制心が必要となる。モラル論的に言えば、共に楽しむためには相手にわからないことをしてはいけないと心掛けることになるわけだ。ただ、無難といってもそのRPGの背景世界設定のマニアックに詳細なものや何かのサプリメントを読まねばならないようなものにかかってはいけない。そのRPGを十分なりの短い時間で説明する時に最低限説明するようなものでなければならない。相手の知らないようなマニアックな部分を押し出した現象的演技は相手を精神的に疎外することになって不快をあじあわせることになるだろう。
 そのRPGの初心者相手や、あるいはRPGの背景設定を使うにふさわしくない場合は、もはや人間として普通の感情に訴えるものを行うか、まず探りを入れて共有文化を把握しておく必要がある。探りは雑談などで入れることができるだろう。いずれにせよ、自発的に行われるものに関わらず、自制心が要求されよう。(相手に教えて・・・という選択肢は最悪である。自発的に行われるはずのものにそれは押し付けがましい。ゆえに嫌われる。よけいな蘊蓄を語るのはよしにしたほういい)
 共有する文化の保証されない場合の現象的演技の目的は、自己完結よりも相手にイメージの交歓を実感させる、あるいはそのRPGの魅力をイメージの交歓によって実感させるといった点にあるといえよう。そしてお互いに楽しめる共有文化を持った内輪へと導いてゆくわけだ。このあたりは、共有文化の微妙に違う場合にも調整機能として存在する。
 こうして整理してみると現象的演技の目的はおのずとあきらかであろう。その1は感情移入によってイメージの世界に遊ぶ楽しみを強めること、そしてもう一つは他プレイヤーとの関係を快適にすることである。しかし、効用となると前者一つに絞られる。他プレイヤーとの関係を快適にするために自己の楽しみに制約を加えなければならないからである。しかし、初心者など他プレイヤーが感情移入によるイメージの世界を実感できれば、それはあらたな仲間の誕生であり、この自己犠牲もむくわれるものといえよう。ただ、必ずしもうまくいくわけではなく、また忍耐と人間観察の力、そしてそのゲームに対する理解を要求される難易度の高いものではあるが。

 さて、本論考の主旨はここまでだが、最後に現象的演技の弱点について触れておこう。弱点についての意識がなければ、シナリオが進まない、あるいは混乱、迷走するといったことが発生するからである。
 すなわち、他者に対する現象的演技においてはイメージの交歓こそが目的であり、情報の伝達はあまり重視されないという点である。また、情報の伝達という点に絞って見るならば、よけいなイメージの付帯した現象的演技は最適な方法とは到底いえない。と、いうのも情報の伝達は一度言えば必ず伝わるものではないからだ。筆者の経験からすれば、まったくよけいな飾りをつけずに要点のみ簡潔に(つまりいやがおうでもそれだけしか伝わらない、したがってそれだけにしか留意しない状況)伝達するのでないかぎり、三回はくりかえし強調するくらいでないときちんと伝わりにくい。したがって、伝達できてないと感じたら現象的演技をくり返すのではなく、直接に要点のみ伝えるなどの対応も必要である。
 また、相手がイメージの交歓を望んでいるとは限らないという点もある。自分がイメージを刺激され、自然に現象的演技を行っているとしても、相手はそうでなく現在の苦境をどう切り抜けるかルール的なことに頭を悩ませているかも知れない。現象的演技は自分の意志で自発的に行われるものであるから、相手に対応を要求するようなまねは失礼千万である。うまくいけばもうけもの、程度に考えておくべきだろう。
 そして、これはまったくの苦言であるが現象的演技を生み出すイマジネーションはその人の内面に発生するものであり、他者にとって愉快なもの、あるいは理解可能なもの、倫理的に問題のないものとは限らないということである。つまるところ、感情移入しているイメージそのものは自己のエゴを慰めるだけに生まれたのかも知れないということだ。また、文化の共有がなければ十全のイメージの交歓は不可能であるが、文化の違いとは基盤となる知識だけにあるのではなく、価値観のや倫理観の相違、あるいは精神的な成熟の度合いの相違といったものによるものも含まれている。微妙な相違は必ず存在する。内輪でもそういう微妙な相違は存在しつづけるのだ。安心しきるといつかたまりたまった不満が限界に達して集まることがなくなってしまうかも知れない。(しかし、その微妙な相違が予想外の、しかし好ましい反応としての現象的演技をうむのも確かである)
 つまるところ、現象的演技はただそれだけでは成り立たないのだ。楽しいからといって、無思慮に溺れることはできないし、他者に求めることもできない。しかし、RPGにおいて不可欠の要素であることに間違いはないだろう。


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