わかりやすさの大切さ
小さいころから理屈屋で、中学の時には議論で相手をたたみこむのが得意だった。高校にはいれば小難しい哲学の本などひもとき、自分の哲学的妄想を書きつけてみたりしたものだ。
そのころの私にとって、他の人にはなじみのない難しい言葉を自在にあやつり、言葉の魔術で複雑な概念を組み立てることこそ、高度な思考であり高度な学問であった。
若かった。
所詮それらは他人に理解できない難しい言葉を使っているという優越感にすぎなかった。議論で相手をやぶっているわけではなく、ただ煙に巻いているだけだった。そして、相手が理解できない最大の理由は私が自分の言っていることを本当は理解なんかしていないということでしかなかった。また、無数の言葉を自在にあやつっているわけでもなく、ただ言い訳をせっせと飾っているだけに過ぎなかったのだ。
年を重ねるにつれ、「わかりやすさ」こそがもっとも大事であると実感するようになった。わかりやすい文章を書けるということは、内容について十分な理解と整理がなされ、かつ読み手を意識しているということだ。そして、文章の目的が他者への伝達である以上、わかりやすさは非常に重要な要因である。
わかりやすい文章は脇道にそれることなく主旨を明確に、そして主旨を補う言葉を必要なだけ用いている。そこに無駄な言葉はなく、読み手が内容に十分に意識を向け、理解しようとしていればほとんど誤読がない。
わかりやすい文章は内容の是非はともかく、読み手に好感を与える。そして是非にかかわらず一つの考えとして受け入れられる。逆に煩雑な文章で記述された内容は結局、理解されずそのわずらわしさゆえに無視されることになる。
(ただし、文章の目的には二種類ある。一つは伝達であるがもう一つは整理のためである。整理は理解と整理の過程であり、これを記録することで理解と整理ができ、かつ忘れてもそれをなぞることで再度同じ理解と整理を獲得できる。このような文章はさまざまな岐路に迷い込み、あらわす言葉も試行錯誤等しつつ捜索の過程であって、伝達の文章としては煩雑である)
さて、「わかりやすさ」が重要なのは何も文章だけの話ではない。なにごとにおいてもわかりやすいものはわかりにくいものより好まれ、親しまれる。奥底に秘めた魅力に多少ならず劣ろうとわかりやすいものはわかりにくいものより一般に受け入れられ、普及するものである。わかりにくくとも、一度その魅力に気づけば二度とその人を離れさせないほどのものがあったとしても、その普及には時間がかかるものだ。たいていは普及する前に維持するための何か・・・例えばベンダーの気力や資金、あるいは時代への適合性などを失って消えていくことになる。その原因は、結局、わかりやすくする努力や工夫の欠如や失敗である場合がおおい。そうでなければ高尚すぎて誰もついてこないようなものであるか、だ。
RPGもまた例外ではない。RPGは遊びの一種であるから、わかりやすいにこしたことはない。だが、困ったことにRPGはわかりにくいのである。
RPGとは何か、簡潔に説明するのに苦労したことはないだろうか? ルールブックや解説書に一応の説明はのっているが、微妙に意味がくい違っていたり、いまひとつぴんとこなかったりするものが多い。そして、RPGとは何かと説明を試みる文章は多々ネットワークに点在している。
すなわち、RPGはわかりにくい遊びなのである。説明する側が十分に理解していない、概念を整理していない遊びであるとも言える。もちろん人によっては「もちろん自分の説明が正しい。ほかは残念なことに間違っている」と主張することもあろう。だが、一般認識として共通のRPG像が結ばれていないかぎり、やはりそれが正論であっても混乱の諸元に過ぎない。
RPGに対するとらえかた、感じ方は、たしかに個人により異なるだろう。だが、その中でも共通する一群の考え方もあり、それに応じたRPGもある。
RPGをわかりやすいものにするために(そうすれば社会的な認知は今より高まる)はRPGとはなんぞや、どういう遊び方をするものぞ、という概念を整理し、分類を成功させなければならない。その結果として、「なんぞや」や「遊び方」の異なる複数の分野に分化するなら、そうすべきである。
なぜなら、たとえばそのRPGを遊ぶときにはどういうもので、どういう遊び方をすればよいかが明確となり、プレイスタイルの違いのためとされる問題などはマージャンの卓で将棋の駒を並べ始めるような阿呆でもないかぎり解消されるからである。初心者でも遊び方が明確であれば安心できよう。
めいめいに好きな思いを口にするのは簡単だ。だが、今、必要なのは異なる考え方も受け入れ、理解し、そしてRPGの概念を整理することである。
まず、個々のRPGから始めてみるのもよいかも知れない。
おまけ
たとえば、まあ、こんな感じ。(もっとうまいやりかたがあればいいのだが)
分析例:古典的なRPG
- 【遊び方】
- 他に特技はないが戦闘にはたけたもの、戦闘はそこそこで治療を中心とした魔法が使えるものといった個性のある架空の人間を使って、迷宮などの冒険におもむかせ、なるべく高い得点をあげること。得点は持ち帰った宝物や克服した障害などに応じて管理者より与えられる。
- 【キモ】
- 架空の人間(キャラクター)の命は一つなので、自分が死んでしまってはもともこもない。
しかし、一人一人は弱いので機能的に役割分担しなければならない。
(したがって、宝をめぐっての仲間われなどはリスクが大きく賢明ではない)
他のキャラクターは他のプレイヤーの意志の下にあるので、全体を統括する意志がない
(おもいのまま、というわけにはいかない)
したがって、頭を使い、他のプレイヤーを説得する、あるいは他のプレイヤーの発見に留意する賢明さと、大胆な行動にもにぶらない決断力をもち、自分のやったことによる結果を受け入れるスリルを楽しむことになる。
また、えた得点をためることでキャラクターの強化が可能であるため、続ければ、さらに困難な、そして高度な冒険に挑戦しつづけることができる。そのようなキャラクターの履歴はまた過去の冒険の個人的なトロフィーにもなる。
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