リーアはこんなやつです


 

 自分のことを思いつくままにあれこれ書いたページです。衝撃の告白があるかも・・・(笑)


 リーアはオイルショックが終わった頃に、福岡県で生まれました。家族は両親と祖母。なんとしても男の子が欲しかった父にとって、私の誕生はちょっと残念だったかな?

両親が共働きだったこともあって、かなりのおばあちゃん子だったんです。それに、ものすごいおしゃべりだし、いたずらっ子だったらしい。何しろ、最初に覚えた言葉はパパでもママでもなくって、しゃあしい(九州弁でうるさいと言うこと)!なかなかでしょ?


 悪戯もかなりのものでした。私の実家は医療関係の仕事をしているので、消毒薬の類などがたくさんおいて在るのです。これらの薬に絵の具を混ぜるとこの世の物とは思えないほどきれいな色になる物が在るんです。それを捜すべく、何十本も在った薬品を駄目にしてめちゃめちゃ叱られたことは今でもよく覚えていますよ!

 こんな風でしたから、赤を来てもピンクを来ても、会う人ほとんどから「ぼうや」って呼ばれてました。今となっては、私の子どもがこんなだったらどうしよう・・・と、幼い頃の自分の姿に怯えてます(笑)。

 その後は、地元の保育園と小学校へ通いました。言わずとしれたガキ大将でしたが、6年生の時には児童会長なる物をやりました。ただ目立ちたかっただけかな!

 中学校・高校・大学・そして今日に至る十数年間はずっと東京に住んでます。実は、小学校の頃からずっと東京に憧れていたんです。中学受験の面接試験の時に、あなたはなぜ本校を受験したのですか?と聞かれたので、正直者の私は「原宿で遊びたいから」と元気に答えました(ほかにも理由はちゃんと在ったんですよ!)。なぜ合格したのかは今でも謎ですが・・・。

 中学・高校時代はひたすらフロアバレー(視覚障碍者用にアレンジしたバレーボール)とロックバンドにのめり込みました。これらのエピソードは思い出の箱で紹介します。初めて作詞作曲をしたのもこのころだったかな。

 大学は音大に行きました。皆さんのイメージとして、音大ってお嬢様が集ってるって感じじゃないですか? それって、当たらずとも遠からずなんですよ。私のような一般庶民には、目が点になるできごとが結構在りましたよ! 大学進学と同時にひとり暮らしを始めました。それまでは学校の寄宿舎に居たので、これぞ自由だっていう開放感でルンルンでしたね。

 このころ熱中していたことは、年に1度ヨーロッパへ貧乏旅行に行ってたんです。

 その際、友人といっしょに広場やストリートで現地のパフォーマーに混じって歌を歌うんです。前に帽子なんかを置いておくと、その日のディナー代くらいにはなるんですよ。音楽を通していろいろな国の人々とふれあえるのがとにかく楽しかった。

 在学中に、どうにか就職も無事決まりました。多くの方々に支えていただいているおかげで、現在に至るまでソプラノ歌手の仕事をなんとか続けて来られました。皆さんありがとうございます。

 卒業して間もなく、盲導犬エミリー(エミリーの部屋)と出会いました。彼女のおかげで、行動範囲も人の輪も広がりました。今では大切な家族の一員ですし、公私にわたって私をサポートしてくれています。


 そして、1999年にブラインドランナーチャンプ(チャンプの部屋)と結婚しました。2002年2月には新しい命が誕生します。

 結婚して変わったことは、夫にあやかって私も少しだけマラソンをするようになったこと。2000年のニューヨークシティーマラソンでは、初めてのフルマラソンをなんとか無事に完走しました。


 リーアという名前の由来ですが、留学先のイタリアでみんながこう呼んでくれてたんです。

 欧米の女性の名前の最後ってaで終わる物がとても多いんです。たとえば、マリア・アンナ・セーラ・・・。なので、eで終わる私の名前にはとても違和感が在ったらしくて、リーア(ria)になったわけです。とっても気に入ってます。

 趣味         スポーツ(とくにマラソンとテニス)、料理、ウインドーショッピング、読書

 血液型        B型

 性格         めちゃくちゃ楽天的でおっちょこちょいなマイペース型、寂しがりやで甘えんぼ、
             アバウトなところもあるけど物によってはとってもこだわる・・・良く判らないやつです。

 好きな食べ物    桃、茶碗蒸し、ワイン、ケーキ

 好きなアーティスト 小田和正、竹内まりや、ミーシャ

 好きな作家     江国香織、小池真理子、シドニー・シェルダン

 大切な物      家族、お友達

 好きな言葉     明日はすてきな自分に会おう


 こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします。

 


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