■想像してごらん…
天国なんかないと想像してごらん
簡単なことだよ
地獄だってないんだよ
僕たちの頭の上に広がっているのは
ただただ青く澄んだ空
世界中の人たちは
今日一日を精一杯生きているんだよ

国境なんかないと想像してごらん
簡単なことだよ
殺し合いもなく
宗教もなく
世界中の人たちみんなが
満ち足りた幸せな人生を送っていると想像してごらん

財産なんかないと思ってごらん
君にできる?
欲張ったりせず飢えの心配もない世界を想像してごらん
僕たちはみんな兄弟なんだ
みんなが世界中の今日一日の糧を分かち合っていると想像してごらん

ぼくを夢想家だと思うかい?
だけどそう思ってるのは僕ひとりじゃないんだぜ
いつの日か君たちも僕たちの友達になってくれれば
いつか世界はひとつになれるのさ…

(John Lennon「イマジン」/Y.HAGA訳)



僕は“たまたま”日本に生まれて、“たまたま”世界的水準で見れば、まあまあの教育を受けられて“たまたま”愛する家族に囲まれて生活できている。でも、それはほんとに“たまたま”だと思う。

子供の頃って誰でもこんなことを想像したりしないだろうか。
もし自分が他の親の子だったら?、その親が自分のことをひどく憎んでいたら?、もし自分が日本でなくアメリカに生まれたら?、もし自分が黒人に生まれたら?、そして、もし自分がアフガニスタンに生まれたら…?。

僕が今、まあまあ幸せな(いやいや、世界的水準で見ればものすごく幸せな)生活を送れているのは、何千分の一の、何万分の一の、いやいや何億分の一の宇宙的確率の中で、“たまたま”日本という平和な国に生まれることができたからだと思う。
アフガニスタンの子供たちはそんなことを想像したりするのだろうか…。季節のない国に生まれた子供たちは、それが当たり前で、季節が欲しいなんてきっと思わないだろう。でも、ある日ふと手にした本で、野原一杯に咲く花の写真を見たり、輝くような銀世界の写真を見たりしたら、季節がある国を羨ましく思い、自分の運命をちょっと悲しんで涙するかもしれない…。

アフガンでアメリカの爆撃を受け、がれきを黙々と片づける一般市民の映像を見た。僕は彼らの気持ちを想像する。彼らは生まれたときからその土地の民であり、ちょっと運命の歯車が違っていれば、それは僕自身だったかもしれないと想像する。
彼らは空から降ってくる爆弾に何を思ったんだろう?それは“たまたま”ハイジャックされた飛行機に乗り合わせてしまった人たちや、“たまたま”ワールドトレードセンターで働いていた人たちが感じた恐怖心と、全く同じだったはずだと僕は想像する。この重い事実の前には、テロリストを倒す為の正義の戦争なんていう大義名分や、自由のための報復なんていう言い分けがましい答弁は全然関係ない話なのではないだろうか。
アメリカは、空爆を正義だと主張してアフガンの罪なき民に、結果としてテロリストと全く同じ恐怖と限りない苦痛を与えてしまったのだ。そして、僕たちはそれを容認してしまった国、日本の国民なのだ。これは僕たちが死ぬまで背負い続けなければならいない十字架だと思う。

さらに僕は想像する。今回“たまたま”ビンラディンがアフガニスタンではないどっか別の国に逃げ込んだら、アメリカは一体どういう行動をとっただろうかと…。
例えば、彼がたまたま日本のどこかのイスラム支援団体に紛れたら、例えばたまたまアメリカのカルト教団のアジトに匿われたら、アメリカは今回のように速やかに空爆をしただろうか。もし空爆が正義だというのなら…やっぱりやったんだろうか…。
今回の同時多発テロとそれについての世論を聞くにつけ、僕がどうしても違和感を憶えてしまうのはそこだ。「空爆は確かに良くないことだが、自由主義を守るためにはしかたがない。国際的な同意もあるし…」どうしてそんなことが軽々しく言えるんだ?それは、ビンラディンが潜り込んでいるのが、たまたまアフガニスタンだからじゃないのか。これほど早くに軍事行動にでられたのは、たまたまそこがアフガニスタンだったからじゃないのか。報復攻撃を肯定するような報道をしている日本の一部のマスコミも、たまたまそこがアフガニスタンだから、暴力に暴力で返すことが理不尽であるとわかっていても無理矢理納得している…。そんな面がないだろうか?

想像力っていうのは、人間の持っている最も素晴らしい能力の一つだと思う。僕たちは、他人の気持ちを想像することによって思いやりの気持ちを持ったり、優しさを分かち合ったりして生きている。理想の社会や環境を想像することによって、明日へ向かって頑張ったりしている。今日の文明社会を築き上げた人類の原動力は、想像力によるところがかなり大きいのではないだろうか。
ジョン・レノンが「イマジン」で伝えたシンプルなメッセージは、シンプルだからこそ重要なものなのだ。そこには人間が人間らしく振舞うための誇り高き尊厳がこめられていると思う。
今、強く思うのは、テロリストもアメリカも日本政府も日本のマスコミも、みんなあまりにも想像力が欠落している。人間としての尊厳が欠落している。テロの定義が何で、報復が正義なのか悪なのかなんて議論は、ほんとはどうでもいいことなんじゃないだろうか。
日本は自衛隊を送り込む前に、何かやるべきことがあるんじゃないのか。プレスリーの曲を愛好しているという髪の長いどっかの国の総理大臣は、何でそれに気が付かないんだ?

(2001年10月30日)

■ニュースキャスター/山川健一
小説の主人公は、看板ニュース番組の顔であり名実共にNo.1の人気キャスター。だが、罠が仕掛けられたり、圧力や脅迫を受けることも日常茶飯事、美人プロデューサーとの不倫も抱えている。そして生放送で、拳銃を持っている殺人犯から「殺してやる」と殺人予告が入り…というストーリー。
僕が書いたこのあらすじだけでも、おや?と思う人がいると思うけど、この小説には明らかにモデルがいる。夜10時のとある民放TVで毎晩ニュースを読んでいる“あの人”だ。勿論これはフィクションだが、こういう小説を書くことも、また書かれることも、相当に勇気のいることなんではないかという気がする。

実は僕が山川健一の小説を読むのはけっこう久しぶりだ。一読して、その小説世界がかなり変わったと感じた。
僕が山川さんの小説をよく読んでいたのは大学生の頃だった。今から10年以上前だ。自他共にローリング・ストーンズの大ファンであることを公言していた山川さんは、その頃ストーンズやROCKに関するエッセイを多く書いていて、それは僕にとってとても感情移入しやすいものだったのだ。
「ニュースキャスター」には、表面的にはROCK的なファクターはない。しかし、圧倒的にリアルな心理描写で小説としての深みが恐いぐらいに増していると思う。
山川さんは時代に敏感な人で、当時も日本で起こった様々な事件や環境問題等に言及した小説を書いていた(僕には村上龍と近いものを感じる)。IT、デジタルの世界にも早くから関心を示し、近年はマッキントッシュに夢中だった様で、「マッキントッシュ・ハイ」(幻冬舎文庫)という本を書いたり、ホームページやウェブマガジンを手掛けたのも早かった。
「ニュースキャスター」には、そんな山川さんのかかわってきたファクターが全て含まれていると思う。そして、それらを抱えた僕たちが、どんな憂鬱を抱えていてどこへ向かって歩いていったらいいのか、考えさせてしまうようなものになっていると思った。
僕は、この小説を読むことによって、この10年で日本が大きく変わってしまったことを改めて感じないわけにはいかない。山川さん自身もそう感じていたらしく、特に95年の阪神・淡路の大震災、地下鉄サリン事件以降は、小説どころの話じゃなく、日本という国の未来に不安と不信感をもってしまったと自身のHP上で語っている。

『今や銀行や証券会社や生命保険会社が倒産する時代でしょ。で、巨額な負債を背負って会社を潰したやつほど居直って威張ってる。政治家がなんと言おうと、テクノロジーがどれだけ進もうと、もはや「昨日より素晴らしい明日」なんてものを、誰も信じてはいない。階段をのぼっていく時代は、もうとっくに終わってるんだよ。ゆるやかに、階段をおりていく勇気。そいつが必要なんじゃないかとぼくは思うね。あるいは、階段をおりていくための言葉が必要なんだよ。その言葉が、愛情や、悲しみや、ほんとうの怒りや、喜びを、つまり感情ってものを支えるんだよ。透明ではない自分を発見するための言葉。そいつが必要なんじゃないかな。』

これもWebでの山川さんの発言。重いよね…。でも、これって実は、僕たちみんなが今漠然と感じていることなんじゃないかな。
今、10代の子たちがよくキレる。大人たちも駅のホームでキレている。それはきっとどうやって階段を降りたらいいのかわからずに悲鳴を上げているのだと僕は思う。
僕だってキレそうになる自分に気がついてはっとすることがある。大人になった僕たちにこんな世界が待っているなんて少年の頃は夢にも思わなかった。だけど、僕たちは生き続けなくてはならない。僕たちは日々の暮らしの中で、ゆるやかに階段を降りていく方法と言葉を見つけ出していかなければならないのだ。

『ニュースキャスター』の登場人物たちは、皆必死でその方法を探し、必死でその為の言葉を発しようとしている。その姿は、僕にとってやはり圧倒的にリアルだ。

■山川健一/『ニュースキャスター』(幻冬舎)

(2001年10月30日)

■nakata.net
中田英寿に対して、「生意気な奴」とか「クールな奴」という印象を持っている人は意外と多いのではないだろうか。その印象は中田自身が書き込んでいるインターネット上のオフイシャル・ホームページの日記を読むときっと変わると思う。
ワールドカップの最中たまたま知り合った隣人との心温まるふれあいとか、ペルージャ入団後現地で知り合った友人と行ったレストランの話など、プライベートな時間から見えてくるのは無邪気な20代の若者、中田ヒデの素顔だ。日記の中のヒデは、口調もくだけていて日記を書くのを楽しんでさえいるかのよう。

この本は、中田がインターネットのオフイシャル・ホームページにアップした日記の中から、98年中のものをまとめたもの。ネット上のテキストを本にするって、考えてみればデジタル録音されたものをアナログで録り直すみたいでなんか変だよね。これからはこういう出版形態って増えていくのかなあ…。
僕はこの本を中田の本音を知る面白さとともに、スポーツ選手がインターネットを自ら操って、直接ファンにメッセージを届けるという新しい試みの一つの事例としても興味をそそられた。
中田が現在日本のマスコミのインタビューを殆ど受けないのは、日本のマスコミが彼の言ったことを勝手に解釈したり、練習中チームメイトにまで迷惑をかけるような行き過ぎた取材があったからだ。世間では、彼自身が取材嫌いと思われているような節があるが、僕は決してそういうわけではないと思う。むしろ自分の気持ちを正確にファンに伝えたいという気持ちは、他のスポーツ選手以上に強く持っている人なのではないだろうか。それが実現できるツールとして、中田にとってインターネットは最適だったに違いない。この本を読むと、最初はシンプルな短い文章の多かった日記がだんだんと分量を増し、不特定多数の人が見るサイト上のテキストという意識を持った文章に変わっていく様子が垣間見れる。

98年といえば、中田にとってはワールドカップのフランス大会を経て、イタリア一部リーグ・ペルージャへの移籍、新天地での活躍と、劇的に状況が変化した年だった。僕はそれほど熱心なサッカーファンではないけれど、中田英寿という選手の存在は常にとても気になっているので、幾つかの新聞・雑誌・TVなどで彼の活躍振りを追っかけていたのだが、確かに彼の行動に勝手な解釈をつけて批判的なことを書き連ねたものも多かった。
しかし、中田は常にHPで自分自身の考えと姿勢を表明してきた。そして、ペルージャでの試合結果や日本代表の一連の動きが、正に彼の言う通りになったりする瞬間を目の当たりにすることになるのだ。こういった経験はこれまでのスポーツ観戦では殆どなかった興奮だ。
僕が中田に魅力を感じるのは、卓越したアスリートとしての魅力は勿論なんだけど、こうした彼なりのやり方が、これまでの日本のプロスポーツ選手とは決定的に違う何かを感じるからである。

さて、その後中田はペルージャからローマ、そして現在パルマへと所属を移してピッチに立ち続けている。ご承知の通り、今シーズンの中田はあまり目立った活躍ができずにいる。僕は今のパルマが一番中田らしい活躍ができるチームだと思っていたのに、この結果はちょっと残念である。
最近はオフィシャル・ページにアップされる日記の間隔がかなり空き気味になってきている。ペルージャでもローマでも、不調な時は不調なりに日記で何らかの考えが述べられたりしたものだが、最近はそれもあまりない。つまり、彼は今よほど悩んでいるか、不調に陥っているか…。うーん、心配だ。

頑張れ!中田!日本のマスコミの言ってることなんか気にするな。日本代表のことも気にかかるだろうけど、まずはパルマだ。強行日程で国際試合に出たりなんかしなくていいから、またパルマで目の醒めるようなキラーパスを見せて欲しい。

(2001年10月26日)

■シーナ&ロケッツのライブ
この日のライブの会場は、鮎川夫妻のホームタウン下北沢の“シェルター”というライブハウス。僕はこの小屋に何度か来たことがあるんだけど、とにかく狭い。田舎だったら、普通の民家でもここより広い部屋がごろごろあるはずだ。天井も、鮎川さんがステージでギターを高く掲げると、ネックの先が天井を突き破りそうなぐらい低い。かつてRCサクセションがブレイク直前に伝説のライブをやっていた屋根裏って、こんな感じだったんじゃないだろうか…。

その猫の額ほどのライブハウスは、ちょっと年齢層の高いR&Rフリークがぎっしり。開演前からブルースのスタンダードや、鮎川さん自身がインターネットからダウンロードしたという、ミック・ジャガーのソロアルバムの曲が流れているあたりも心憎い演出だ。
午後8時近く、恒例のロケット発射のアナウンスでステージに現れた鮎川さんは、黒いパンツとシャツ、黒のサングラスに咥え煙草という、見事に期待通りのいでたちで、最初から最後までこれまた黒のレスポール・カスタムを掻き鳴らしてゴキゲンなR&Rを聴かせてくれた。
“ヴィールス・カプセル”から始まったギグは、最初の数曲鮎川さんがボーカルをとり、会場が熱くなってきたところでシーナが現れるというのも、もはや恒例。シーナは一体今いくつなんだろう?超ミニのラメ入りドレスに身を包み、髪を振り乱して“You Really Got Me”を歌う姿は、僕が高校生の頃、仙台の菅生スポーツランドで見た時と殆ど変わってない様に見える。
ファンにはお馴染みの“ハッピーハウス”や“レイジー・クレイジー・ブルース”、ウィルコ・ジョンソンと一緒にやった鮎川さんの“ロンドン・セッション”からの曲なんかも挟み込みながらひたすらR&Rで突っ走り、アンコールではジョニー・サンダースやローリング・ストーンズのカバーも飛び出して、最後は“Johnny B Good”で占める二時間弱のステージ。爽快だった。集まった大勢のファンも、きっと皆満足して家路に就いただろう。

シナロケってバンドはいつ見ても変わらない印象がある。はっきり言って、同じR&Rバンドでもストリート・スライダーズのライブに行くといつも感じていたような、一期一会の危うさのようなひりひりした感じはあまりない。むしろ職人芸を見るみたいな安心感があって、とにかく極上のR&Rが聴きたい!と思ってギグに行くと、その通りの満足感を必ず得られるという感じだ。
僕は寝ても醒めてもシナロケに夢中になるようなことはなかったけれど、色んな節目でこのバンドを見てきた。ある時は野外イベントで他のバンドと一緒に、またある時は単独でどこかのライブハウスで…。そして、ストーンズが来日する前はストーンズ流R&Rの後継バンドとして鮎川さんのギターにキースを重ね、ストーンズ来日後は日本一のR&Rギタリストのいるバンドとしてシナロケを見てきた。
シーナ&ロケッツのライブって、R&Rを愛する人なら、無条件で信頼できてしまうようなところがあると思う。安心感と言ったら保守的過ぎる表現かもしれないけど、期待をかけても裏切られることが絶対にないのだ。それは、本当は僕が好きなミュージシャンのタイプとはちょっと違うのだけれど、やっぱり時として必要なものなのではないかと思う。
きっと、会場に集まっていた僕と同年代ぐらいのR&Rフリークたちも同じような気持ちだろう。ただでさえオーソドックスなR&Rバンドが少なくなっている今、シナロケがなかったら僕たちはホントにゴキゲンなR&Rギターを聴きたくなった時、どこに行けばいいかわからなくなってしまうではないか。それこそ数年に一度のストーンズの来日まで延々待たなければならなくなってしまう。
考えてみれば、このバンドは僕が中学生の頃から既にあったのだから、思春期にロックに目覚めてから、ずーっと今までお付き合いしているバンドということになる。そんなバンドはこの歳になるともう数えるほどしか残っていない。

東京で行われるライブは全てフォローするというほど入れ込んでいるわけではないが、絶対にシーンに残っていて欲しいバンド、一年に一回ぐらいはライブを見ておきたいバンド、シーナ&ロケッツって僕にとってはそんな存在だ。

(2001年10月17日)

■オリエンタル・マース・カレー
今日は町のカレー屋さんのお話ではなく、市販のカレー粉の話を…。
オリエンタル・マース・カレーというカレーをご存知だろうか。昭和40年代生まれの方なら、この不思議な名前に何となく記憶があるかもしれない。僕は子供の頃からカレーライスが大好きだったけど、当時僕の家で使っていたカレー・ルーは、殆どの場合このオリエンタル・マース・カレーだった。その後、バーモンド・カレーとか、ジャワ・カレーとか、色々なカレーに変遷していったわけだが、何しろ僕が子供の頃はそんなにカレー・ルーが市販されてなかったはず。僕の家がなぜこのカレーを贔屓にしていたのかはわからないけど、とにかく、福島県の片田舎に暮らす僕の家では、カレーと言えば“オリエンタル・マース・カレー”だったのだ。

一児の父親となった今でも、相変わらずカレーライスが大好物の僕ではあるが、この名前はずーっと記憶の片隅に追いやられていた。ところが、今年の夏帰省した際、地元のスーパーマーケットで、僕は思いがけずこのカレーと再会することとなる。いやあ、まだ売っていたとは夢にも思わなかった。それも昔と全く変わらないパッケージで…。黄色と赤の目にも鮮やかなコントラスト、妙に不恰好でレトロなロゴ。スプーンを持った子供の写真も昔のままだ。僕は迷わず2箱このカレーを買って帰った。

で、昨日の日曜日、うちの奥さんに頼んで実際にこれでカレーライスを作ってもらった。当時は全然気が付かなかったけど、このカレー、ルーが固形ではなくて粉末なのだ。そしてこれがなかなか溶け難いらしく、うちの奥さんはぶつぶつと文句を言いながらルーを溶かしている。昔らしく、具も極力シンプルに豚肉とジャガイモ、たまねぎ、にんじんくらいにおさえて作ってもらう。
出来上がったカレーは…うーん、黄色い(苦笑)。最近のカレーと比較すると、かなり黄色いのだ、これが。そしてなんだか懐かしい香り。香辛料の匂いはあまり感じられないけど、とろっとした感じと、妙に白々しいカレー臭さが何だか蕎麦屋のカレーを連想させる。
そしていよいよ一口食べてみると…うーん、粉っぽい(苦笑)。しかし、決して不味くはない。そして全然辛くない。なんと言うか、カレー風味のクリームシチューを食べている感じで(変な表現だな…)、これはこれで結構いける。何だかとても懐かしい味だなあ、と思いながら食べていて、突然はた!と思い出した。給食のカレーの味だ、これは。
そうか、僕のカレー好きの原点は給食にあったのか…。今の小学校の給食は大人でもある程度満足してしまうくらい美味しいものだと聞くけど、僕たちの頃は決して全部が全部美味しいものではなかった。しかし、それでも銀食器に先割れスプーンをカチカチと当てて食べるカレーは美味かったのだ。

今や国民食といわれるほど、日本人にはカレー好きが多いというけど、その原因は、ひょっとしたら不味かった学校給食で、カレーが唯一の楽しみだった、僕たちの少年時代の味覚がまだ残っているからかもしれない。

(2001年10月15日)

■「中村屋本店ルパ」(新宿)のカレー
ここのカレーは僕がいまさら紹介するまでのこともないだろう。新宿中村屋本店の2階にある“ルパ”は、日本に初めてインド風カレーを紹介したとされる老舗で、そのオーソドックスな味は大勢のカレーファンを虜にしてきた。本屋さんにあるカレー紹介本にも必ずといっていいほど載っている。あの安西水丸さんや嵐山光三郎さんなんかもファンだとのこと。

僕もここのカレーが大好きだ。
中村屋さんのカレーに対する僕のイメージは一言で言うと“トラディショナル”かな…。創業者の娘婿がインド独立運動の志士で、“本場の味を日本に紹介したい”という情熱があったという有名な話があるけれど、確かにここのカレーは新興のインド料理店のような、ただ香辛料を刺激的にまぶしただけの味付けではなく、いつ食べても何回食べても飽きない素朴で上品な味わいがある思う。これは香辛料使いに手馴れた人が長年店にいるのと、ベースのルーを作る際、手抜きをせずにじっくり時間をかけてやっているからなんじゃないかと思う。
具の鶏肉もまた美味い。なんでも、福島県(僕の故郷じゃないか!)の専用農場で育てた鶏の肉を使っているそうだ。薬味もアグレッツィ、オニオンチャツネ、マンゴーチャツネ、ピクルスなど豊富で、食べる食べないにかかわらず、一人一人に全ての薬味がそろったセットを持ってきてくれるのも嬉しい。

僕は、中村屋さんの店内の雰囲気も大好き。なんか昔のデパートの中にあったレストランみたいな感じで、お客さんがいつも一杯でがやがやしているんだけど、その混み具合が妙に落ち着くのだ。向かいの紀伊国屋書店なんかでお気に入りの本を見つけて、カレーを食べ食べつまみ読みしたりすると、ほんと幸せな気持ちになれる。
勿論ここはカレー専門店ではないから、メニューはカレー以外にも和洋さまざまな料理がありどれも美味しそうだ。
周りを見てみると、カレー以外のものを食べている人も結構いる。特に老夫婦がデパートで買ったと思われるような大きな荷物をベンチシートに置いて、二人仲良くシチューなんか食べていたりするのを見るのは微笑ましい。
新宿って、食べるところはたくさんあるけれど、たくさんありすぎてどこに入ったらいいのか逆に困ってしまうようなところがある。僕がそうなのだから、年配の人にはなおさらだろう。この店に老夫婦の姿が多いのは、昔からのレストランとしての安心感があるからではないだろうか。
僕は新宿でライブがある日なんかは、大概ここで腹ごしらえをしてから出かけることにしている。そして、中村屋さんに入るたびに、“今日こそはカレー以外のものを食べよう…”と思っているのだが、結局いつも“インドカリー”の魅力に負けてしまうのだ。

■新宿中村屋“ルパ”
 新宿中村屋本店2F 03(3352)6161
 11:00〜22:00
 ※新宿駅東口を出て靖国通りを花園神社方面に歩いて2分。

(2001年10月8日)

■村上春樹“Sydney!”
ティーンエイジャーの頃から僕は村上春樹の大ファンである。最近は新刊が出たら必ず買う作家も少なくなってしまったが、村上春樹はそんな数少ない作家の一人。重量感のある小説から軽いエッセイまで、氏の書いた本は殆ど読んでいる。

これは今年の初めに出た、村上春樹が実際にオリンピック期間中のシドニーに滞在して、オリンピックという史上空前の祭典を目の当たりにしてのレポをまとめたものである。当然のことながら、それは新聞記者の視点とは異なっているし、スポーツライターの視点とも違う。
一言で言って、村上春樹はオリンピックを“退屈だった”と言っている。しかし、その中でも大会中に見た幾つかの出来事は、確実に氏の心を深く揺さぶるものがあった、だからシドニーまでオリンピックを見に来たことに決して後悔はしていないと、まあそんな感じだった。
で、僕自身もオリンピックに対してはそれほど極端ではないにしても、氏と同じような気持ちを抱いていた。

しかし、“あの日”以来、僕はその気持ちに微妙な変化が生じているのを感じる。確かにお金をかけすぎたセレモニーや、国威掲揚の材料としてオリンピックが道具に成り果てそうな状況は僕も変だと感じる。スポーツの祭典からオリンピックが大きくなりすぎていることもわかる。だけど、あの馬鹿騒ぎはやっぱり世界に必要なものなんじゃないだろうかと思う。
オリンピックが平和の証だなんて一言では言い切れないことぐらい僕にもわかっている。だけど、極端なことを言ってしまえば来年のワールドカップにしたって、テロリストの存在と比べればフーリガンなんてまだ可愛いもんじゃないか(まあ、実際に被害にあえばたまったもんじゃないでしょうけどね…)。平和ボケした僕たちが、一時的にでも幻想に浸れるバーチャル空間としての馬鹿騒ぎ、それができる余裕はやっぱり世界にとって必要なものなんじゃないだろうかと僕は思う。
昔は地域社会に“お祭り”という共同幻想があった。人々はお祭りの最中だけは現実から乖離して野性に帰る自由を味わったのだと思う。オリンピックって、お祭りの地球規模バージョンなんじゃないのかと僕なんかは今思うし、期間中は仕事を気にしつつもついついTVに見入ってしまうあの感覚が、何だか今となっては遠い出来事のように感じられてしまう。

考えてみれば、あれから一年しか経っていないのだ。それなのに、今世界を覆っているこの重々しい空気は一体何なのだろう…。村上春樹は“あの日”以来、オリンピックをどう思っているのだろうか…。

(2001年10月8日)

■キャロル・キング“つづれおり”
最近はだいぶ冷静さを取り戻してきたんだけど、アメリカであんなことがあってから数日間は音楽を聴く気になれない日々が続いた。僕は基本的にROCKは愛と平和を唱えるものだと固く信じている。それがジョン・レノンのお膝元だったニューヨークであんな事件が起こってしまい、報復攻撃を求める声が世界中に充満しはじめた。ROCKが誕生してから約50年…結局世の中は何も変わっていなかったんじゃないかと思うと、何だか今は音楽を聴く前にもっと考えることがあるんじゃないかと思って、ひたすらテレビを見続けていた。

そのうち、ネットや新聞、メーリングリストなど複数のメディアで複眼的にこの事件を俯瞰してみると、テレビの報道が必ずしも事実を正確に伝えているわけではないことに気がついた。同時にアメリカ人の気持ちも様々に揺れ動いていることが感じられ、必ずしも報復攻撃支持で一枚岩になっているわけではないことに気がついてほっとした。
そして音楽が欲しくなってきた。ほんとに素朴な、ささくれ立った心を癒してくれるような音楽が欲しくなってきたのである。
そしてふと思い出したのがキャロル・キングの“つづれおり”だった。

このアルバムに収められた珠玉の歌の数々は、どれも“わたし”と“あなた”との極私的な世界が歌われているが、極私的であるが故に普遍的だと思う。僕はこのアルバムの中でも特に“Way Over Yonder”から“You've Got A Friend”の2曲の流れが大好きだ。こんな悪夢のようなことが起きる世の中でも、僕は人と人との繋がりを大事にしたいと思うし、全ての人が幸福な人生を送れる道が見つかると思いたいのだ。
70年代のキャロルがどんな状況でこの曲を書いたのかはわからないけれど、妻も子供も寝た夜、歌詞カードを目で追いながらこのアルバムを聴いていると、自分の心が深く深く揺さぶられていくのを感じた。

僕がこのアルバムを初めて聴いたのは高校生の時だった。きっかけは良く覚えていないが、確か当時クラスメートだった女の子に貸してもらったんだと思う。実はその時はあまりピンとこなかった。当時の僕は、ストーンズやクラッシュ、ジャムみたいなイギリスのビートバンドに熱を上げていたから…。
当時はアメリカものって、せいぜいディランやスプリングスティーンを聴く位で、僕たちの間ではダサい感じがあった。このアルバムも、なんだかいかにも文芸部の女の子なんかが好きそうな感じで、ちょっとROCK少年が聞くのには抵抗があったのだ。
だけど、ジャケットの写真は凄く印象に残った。ウエーブのかかった柔らかそうな髪、洗いざらしのジーンズを素足に履いて穏やかな微笑を浮かべ、こちらを見ているキャロル。“ナチュラル”ていう形容がぴったりの写真で、“ああ、こんな女の人が恋人だったらいいなあ…”なんて思ったりしたものだ。

十数年ぶりに手にしたアルバムの中で、キャロルはあの日と同じように微笑んでいた。
ジョン・レノンが言っていたような平和な世界は21世紀に入ってもやって来なかった。幸福な未来が待っているはずだと信じていた高校生の僕。今この時期に、“つづれおり”を聴くと、これほどまでに僕が心揺さぶられてしまうのは、ひょっとしたら、あれから世界も僕自身も、数え切れないくらい多くのものを失ってしまったからなのかもしれない。そう思うと本当に悲しくなる。

(2001年10月7日)

■運動会
今年はハッピー・マンデイとかで、10月8日が体育の日。何だか変な感じもするが、まあ連休が増えるのはありがたい。3歳になる僕の子供が通う保育園では、6日土曜日が運動会だった。

保育園の運動会なんてどうせたいしたことないと思うでしょ?実は僕も行く前はそう思っていた。大体小学校に入る前の子供が競技なんてできるわけないし、せいぜい月齢別クラスごとにお遊戯でも数曲やってお終いだろうと…。
ところが、はじまってみたらたっぷり二時間半の盛りだくさんのプログラム。さすがに勝負を競い合うようなものはあまりないが、ちゃんと月齢にあった運動競技が考えられていて、幼児が主役でもちゃんとした運動会の体裁をなしていたのには驚いた。
因みに、我が息子は平均台の上をバランスをとりながらテテテッ…と走って、跳び箱の上に上ってジャンプ、最後に前転してポーズ!ってのをやったのだが、もう僕はハラハラドキドキだった(親馬鹿ですねえ…)。
そして、うちの子に限らずどの子も一生懸命なのだ。中にはちょっとハンディキャップのある子もいるのだが、ほんとに一生懸命に、そして楽しそうに運動をしている。そして見守るギャラリーの親やお爺ちゃん、お婆ちゃんからはどの子へも大拍手が湧き上がっていた。
フィニッシュはちゃんとリレーがあった。一番年長の子達が保育園内をバトンを持ってドタドタ走るのだ。そして見守るギャラリーは子供も大人も大声援。これはちょっと感動的だった。

そう言えば、CHABOさんが“ガルシアの風”を書くきっかけになったのって、近所の小学校に運動会を見に行ったことだって何かで言ってたっけ…。最近の子達はしらけちゃってて、運動会なんかもあんまり盛り上がんないのかと思ってたら、とんでもなくって、どの子も精一杯やってて、精一杯声援してて、ちょっと目頭が熱くなったなんてCHABOさんは言っていたが、僕はその気持ちが今良くわかる。
考えてみれば、運動会に胸を躍らせるのって何十年ぶりだろう…。僕は運動が余り得意な方じゃなかったから、中学ぐらいから運動会がだんだん好きじゃなくなってきた。高校に入ると、運動会なんか途中で抜け出して悪友と屋上でタバコ吸ってたんじゃなかったかな(苦笑)。
子供が小さい胸をドキドキさせて一生懸命競技してる姿って、何だか涙が出そうなくらい感動しちゃうものがある。そして、子供たちを見ていると、忘れかけていた自分の少年時代が突然蘇る。小学校の頃、リレーの順番が来るのを待っていた時のからからに口が渇いていた感じとか、団体競技の待ち時間に膝を抱えてみんなで校庭に座っていた時、ふと空を見上げたら頭上に広がっていた飛行機雲のこととか…。

子供ができるっていいものだ。子供ができると、子供に触発されて自分の精神が子供に返っていくのを感じる。僕は今、30代の中盤を迎えたけど、気持ちはきっと20代の頃よりピュアになりつつあると思う。これから息子が成長して、若草のような少年時代を迎えたとき、僕はどんな気持ちで彼と向き合うことになるのだろうか…。親馬鹿と言われようと何と言われようと、この楽しみは父親にしか味わえない特権である。僕と彼はこれから幾つもの運動会を共に過ごしていくのだろう。
運動会、なかなかいいじゃないか…。中学の頃からずっと後ろ向きのイメージがあった運動会だけど、この歳になってやっと運動会を心から楽しむことができた自分にちょっと感動している。

(2001年10月7日)

■小室みつ子さんのライブ
夏も終わってゆく9月最後の土曜日、赤坂の草月ホールに小室みつ子さんのライブを見に行ってきた。
初めて見る生のmiccoさんは僕が思っていたよりずっとパワフルだった。伸びのある温かい声もパンチが効いていたし、キーボードもビートを感じた。何といっても小室みつ子さんご本人が思いのほか豪快なお姉様で(笑)魅力的な人だった。

小室みつ子さんのLIVE初体験の僕は、初めて聴く曲もかなりあったが、やっぱりどの曲も歌詞が素晴らしい。ピュアな気持ちを持ち続けている人だけが書ける水晶のような詞…。この人は女性的なシンガーというより、好奇心旺盛な男の子のような感性を持っているミュージシャンだと思う(いや、決してみつ子さんが男っぽいというわけではないですから念の為…(笑))。
それと、僕が幾つか知っているTMNの歌からは、サビが英語でバタ臭いイメージがあったのだけれど、この日の歌からは、風や土の匂いがするような風景がたくさん見つけられた。
僕自身、子供の頃母に連れられて行った夏のバス停とか、中学の頃気になってた女の子のこととか、ちょっとした家出気分で見知らぬ街に一人で出掛けた時の風の匂いとか、忘れかけていた風景がたくさん蘇ってきて、ちょっと目頭が熱くなったりした二時間だった。

個人的に期待の大きかった土屋“蘭丸”公平のプレイにも大満足。
実を言うと、僕は、公平は3,4曲ちょこっと弾くだけなのかと思っていたのだが、中盤は殆ど出ずっぱり。かなりのっていたみたいで、バナナイエローのSGに回転系のエフェクターをかけたお馴染みの蘭丸サウンドが炸裂していた。
土屋さんがソロをとるたび、キーボードを弾いてるみつ子さんの表情も楽しそうにいきいきとしてきて、呼吸もぴったり。3人のユニットだけどバンドって感じが凄くした。
公平の使用ギターは3本。ギブソンのアコギ、バナナイエローのSG(カメルーン)、そしてストラトキャスターだった。カメルーン・サウンドの素晴らしさは言うまでもないけど、この夜僕は、アコースティックやストラトを使ったカントリー・タッチの演奏がとても印象に残った。「Give Me A Reason」での軽快なストロークのアコギ・プレイや「朝もやのRailway」でのストラトのパキパキしたサウンドは最高に気持ちよかった。まるで、ローリング・ストーンズが最近のアルバムで必ず入れてるカントリータッチの曲みたいな…グラム・パーソンズを彷彿させるようなプレイ。
こういったギターって、SLIDERSではあまり聴けなかったもので、今更ながらに土屋公平というギタリストの懐の深さを感じる。アポロを見た時に感じたちょっとした違和感も、今回は何故か全然感じなかった。

それから小室みつ子さんのピアノ弾き語りもかなりぐっときた。サウンドは違うけど、まるでCHABOさんのソロライブを見るかのような、ほんとに歌と楽器が寄り添ったプレイ。はっきり言って、アルバム・バージョンの何倍も素晴らしかったと思う。
僕自身かなり曲に入り込んでしまっていて、「あなたを救えるのはあなた自身しかいない」というフレーズが耳に残る「Helpless Night」の限りない優しさと美しさには、涙が零れそうになったぐらいだった。
心の底から揺さぶられたライブに行った時だけに味わえる包み込まれるような幸せな感覚を、この日会場を出る時確かに感じた。

このHPを見てくださっている方ならもうご存知だと思うけど、僕は奏られる音のスタイルが自分の好みに合うかどうかだけでなく、そのミュージシャンが何を感じているのか、どんな立ち位置でいるのかがより強く伝わってくるようなタイプの人が大好きだ。
そんな僕にとって、小室みつ子さんのような自然体のシンガー・ソング・ライターの存在はとてもいとおしい。僕が思春期を過ごした80年代の邦楽シーンには、こんなタイプの女性シンガーが結構いた。傾向はバラバラだけど大貫妙子さんとか、門あさみさんとか、麗美とか…。
当時僕は、RCやSLIDERSに夢中になっていたロック少年だったけど、こういう女性シンガーの歌を聴くのは、なんだかクラスメイトに隠れて他校の優等生の女の子と付き合ってるみたいで結構印象に残っていたりする。
最近のJポップって、独白的な歌を歌うというよりも、超人的なボーカルを聴かせる人が中心になっているような感じがして、まあ椎名林檎や宇多田ヒカルみたいな人も広義ではシンガー・ソング・ライターと言えるのかもしれないけど、ちょっと僕の好きなタイプのシンガー・ソング・ライター像とは違うのだ。

それにしても、僕がSTREET SLIDERSというバンドに思春期に出会い、家庭を持った今でもずっと聴き続けていなければ、こんな素敵なミュージシャンとの出会いだってなかったかもしれないと思うと不思議な気持ちになる。
失礼ながら、小室みつ子さんって、名前だけはぼんやりと知っていたものの、半年前には気にもとめた事すらなかった人だ。それが土屋公平繋がりでアルバムに辿り着き、一発でみつ子さんの広い歌の世界に魅了され、今や“ミュージシャン”小室みつ子の大ファンになってしまったのだから…。
おまけに、ネットという媒体を介して僕の書いたアルバムの感想がみつ子さんに直接届き、思いがけずにこのサイトにご本人からお返事を頂くような嬉しい出来事もあった。僕みたいな新米ファンとミュージシャンとの間にこんなインタラクティブなコミニュケーションが成り立つ事自体、少し前だったら考えられなかったことだ。
いい音楽との出会いって、人と人との出会いにも似て本当に不思議で面白いと思う。

夏の終わりの小室みつ子さんとの素敵な出会いは、僕に昔の同級生から思いがけず便りが届いたような、そんな優しい気持ちを感じさせてくれた。
またいつか、小室みつ子さんがライブを行うような事があれば、きっと僕はまた会場に足を運ぶだろう。
その前に、僕は久しぶりに故郷の街を訪ねておきたい。きっと忘れていた懐かしい風景が見えてくると思うから…。
(2001年10月1日)

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