| ■NOT FOR BEGINNERS / RONNIE WOOD |
先日のミック・ジャガーのソロアルバムに続いて、今度はロン・ウッドのソロが登場。さすがに僕が期待していたような大R&R大会ってな感じのアルバムではなかったけれど、自分の家族やボブ・ディラン、イアン・マクレガンなどの豪華なゲストを迎えた、いかにもロニーらしいアットホームなアルバムだと思う。 “Not For Beginners”ってタイトルはどういう意味なのかな…“いちげんさんお断り!”みたいなことかな(笑)。でも、アルバム全体のサウンドは、決して新しい音ではないけれど、R&Rやブルース、カントリー、アイリッシュ・ミュージックなんかのトラッドな音楽の香りがたっぷり詰まった温かい音で、これまでロニーのソロを一度も聞いたことがない人でも充分に魅了されちゃうんじゃないかと思う。 多分、ロニーはこのアルバムを気のあう仲間や家族と楽しみながら作っていったんだと思う。そして、器材のこととかごちゃごちゃ考えるより、とにかく手元にあるギターをただ弾き倒すって感じでレコーディングが進んでいったのではないだろうか。アルバム全体がジャムっぽい雰囲気に充ちているし、曲もスタジオでじっくり練ったというよりは、おおまかなスケッチだけ決めて後はノリにまかせたような感じ。いい意味で作りこんでないっていうか…。 特に今回のアルバムではロニーのアコースティック・ギターがたっぷり聴けるのが嬉しい。ロニーのアコギっていうのはカントリー・フィーリングたっぷりで、とても輪郭がはっきりしている(この辺りは最近のボブ・ディランのバンドにも共通したものを感じるなあ…)。 ロニーに限らず、イギリスのミュージシャンのやるカントリーってのは、アメリカの、それこそイーグルスみたいな“もろカントリー・ロック”なバンドを更に一捻りしたようなセンスを感じる。ちょっと湿っぽくてブルースっぽいカントリーというか…。イギリスのミュージシャンはブルースやカントリーをアメリカへの憧憬とともに聴いていたから、多分カントリーは白人のもので、ブルースは黒人の伝承音楽なんていう先入観はなかったと思うのだ。どちらも見知らぬ広大な国アメリカの大地が育んだ素晴らしい音楽として共通にリスペクトしてたんじゃないかなあ…。 60年代から活躍しているブリティッシュ・ロックのミュージシャンにはブルースもカントリーも大好きって人が結構多い。ストーンズもそうだし、ロニーがストーンズの前に在籍していたフェイセズなんてその最たるバンドだったと思う。 実は僕、フェイセズってバンドが、昔からストーンズと同じくらい好きなんだけど、今回のロニーのソロアルバムは、そのフェイセズのアルバムとすごく感じが似ていると思った。3曲目のWhadd'ya Thinkなんて、まるで亡くなったロニー・レインが作った曲みたいじゃないか。数年前、ロニーがフェイセズ時代の盟友ロッド・スチュワートのMTVアンプラグドにゲスト参加して、それはそれは素晴らしい演奏を聞かせてくれたことがあったが、そんなこともあってか、ロニーの中でまたフェイセズ時代のようなフィーリングが戻って来てるんだったら、僕、凄く嬉しいなあ。 ロニーのファンは誰でも同じようなことを言うと思うのだけれど、僕はこの人のキャラクターが大好きだ。 高いワシ鼻でキツツキ頭というロックスターそのもののような風貌。陽気を絵に描いたような性格。彼のソロアルバムには毎回錚々たるゲストが参加するが、それもひとえに彼の人柄に引かれてのことなんだろう。ファースト・ソロを作り終わった後のロニーのコメントなんてもう最高ですよ。“いやー、金がかかってかかって…。ジャックダニエルとコカインにね…。”ってちょっとすごいよね(笑)。 そしてロニーは、ちょっと頑張れば自分がリード・オフ・マンになれるだけの実力を充分持っているのに、いつも一歩下がってゲストを立ててしまう。ファースト・ソロの“I Can Feal The Fire”を初めて聴いた時なんか、僕笑っちゃいましたよ。だって、バックボーカルのはずのミックったら、リードボーカルのロニーより全然目立ってるんだもん(笑)。でも、この永遠のナンバー2ともいうべき、愛すべきロニー・ウッドがいるからこそ、ストーンズはここまで転がり続けられたと思うのだ。 実は僕、ローリング・ストーンズの前のツアーが終わってからロニーのことがちょっと心配だった。来日公演の時も、元気一杯ばりばりソロを弾きまくるキースに対して、ロニーはなんだか後ろに下がってて元気がないように見えたし、その後も、もうギターも弾けないくらいひどいアル中になっちゃったとか、その治療の為に専門の病院に入院したとか(結局耐えられずにその病院を途中で抜け出しちゃったらしいけど…(苦笑))、ろくでもない噂ばかり聞えてきたからだ。この人は昔から大酒飲みで有名だし、来日公演を見た口の悪いストーンズ・ファンからは、“キースが健康になった分ロニーがヤク中になっちゃったんだよ…”なんて声まで出始めていたから、このソロアルバムでのびのびとギターを弾きまくるロニーを聞いて心底ほっとした。 ミック・ジャガーの、全然レイドバックしてないソロアルバムは素晴らしかった。ロニーの“Not For Beginners”はミックとは全然正反対の、ある意味とてもトラディショナルな音なんだけど、やっぱり素晴らしいと思う。この相反する個性が交じり合っているところ、この辺りにローリング・ストーンズというバンドが21世紀に入っても転がり続けていられる秘密があるんじゃないだろうか。 (2001年11月28日) |
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| ■近頃はまたルー・リード |
このサイトのBiographの欄に、1985年頃僕がルー・リードに傾倒していた、ということを書いたが、実はあれちょっと事実と違ってました。どうもごめんなさい(笑)。勿論、あの頃僕がベルベット・アンダーグラウンドのファースト(あのウォホールのバナナのジャケットのやつね)やマックス・カンサス・シティでのライブ盤、ルー・リードのソロ「NEW SENSATIONS」や「MISTRIAL」をよく聴いていたのは事実。特に「NEW SENSATIONS」は大好きなアルバムで、大学一年の頃なんか殆ど毎日のように聴いていたはずだ。 ベルベッツのファーストと「NEW SENSATIONS」は時代の隔たりが随分あり、ルー・リードが歌う詞の感じも、二枚の間ではずいぶん変わっていた。ルー・リードというと、NYアンダーグラウンド・シーンの帝王とかステージでヘロインを打ったとか、退廃的なイメージを持っているロックファンが当時は多かったように思うし、僕自身もそう思っていた(ベルベッツの「I'M WAITING FOR MY MAN」なんて、はっきり言ってホモセクシャルが一夜の恋人を探す歌だもんね)。でも、「NEW SENSATIONS」でルーは自分が普通の男として生まれ変わったことをはっきりと宣言していた。女性の恋人へのてらいのないラブソングを歌ったり、クリスマスイブの日にバイクにまたがってアメリカの荒野を一人駆ける男の姿を描いた歌には、ルーが体験してきた地獄から脱した強さを感じたし、それは、これまたその頃傾倒していたヘミングウエイの小説を読む時に感じる爽快なフィーリングとも似ていた。 ベルベッツのファーストはNYのアート青年的な匂いや、ルーのシンプルなR&Rがとても好きだったのだけれど、それだけで過ごすのは気だる過ぎてちょっと辛い時もあった。そんな時は「NEW SENSATIONS」をまた繰り返し繰り返し聴く…。大学一年の頃はそうやって過ごす夜がけっこう多かったように思う。 でも、それ以外のルー・リードのアルバムは僕、聴いたことなかったんです。実は、そのことに気が付いたのはつい先日のBBSでの万年さんとのやりとりから。恐ろしいことに、僕はその時までその事実に全く気が付いてなかった。あれほどベルベッツのファーストや、「NEW SENSATIONS」というルーのアルバムの中ではマイナーなやつを聴いておきながら(これらを聴き過ぎていたからかもしれないけど)、僕は代表作といわれる「ベルリン」や「トランスフォーマー」さえ聴いていなかったのだ。 で、これはいかんと思い、先日早速「LIVE IN ITALY」というルー・リードのライブ盤を買ってきたのだが…。いい!!凄くいいではないか!!ルー・リード!!いやもう、こんなにかっこいいロッカーだったのか、ルー・リードは…。 ルー自身のギターとロバート・クインの2本のギター以外はベースとドラムだけという、これ以上はないくらいにシンプルな編成のバンドだが、徹底的にリフ中心のストレートなR&Rでぐいぐい攻めまくっていてもう最高。このライブでのバンドは歴代のルーのバンドの中でも最強とされているそうだが、とにかく凄くタイトなバンドサウンドだ。それにのって独特の語りかけるようなボーカル・スタイルをたたみかけるルー・リード。うーん、なぜ僕はこの人のアルバムを今までちゃんと聴いてこなかったんだろう…。ルー・リードのしなやかなギター・サウンドには、はっきり言って僕が大好きなタイプのロックの要素が全て含まれている。 とにかく収録されている曲全てが素晴らしく力強い。ベルベッツ時代の曲も幾つか演奏されているが、それらもすべてが、それこそ「ヘロイン」のような曲ですら前向きで力強い。なんか、このライブ盤を聴くことによって、はじめてベルベッツと今のルー・リードが自分の中で繋がったような気がする。それにこうしてライブでベルベッツの曲を聴くと、ルー・リードという人はなかなかのメロディーメーカーだと言うことも良くわかる。 うーん、しかしこのしなやかで気持ちいいギターは何と表現すればいいのだろうか…。ロバート・クインは勿論のこと、ルー自身のリズミックなギターも巣晴らしい。いやはっきり言って、ルー・リードがこれほど素晴らしいギタリストだとは思わなかった…。 そう言えば、数年前HARRYも最近はルー・リードを良く聴いているって言ってたっけな…。そう言えばチャボもSFロックステーションでルー・リードの曲をかけてたな…。そう言えば、佐野元春もずっと前から詩作に関してはルーの影響大だと語っていたっけな…。彼らがそう言っていた理由が今僕にもやっとわかったような気がする。 この人の曲にはボブ・ディランやスプリングスティーンをもっとストリートレベルにしたような、一遍の短編小説的ストーリーを感じるし、その味付けはシンプル&タイトを絵に描いたような極上のギターサウンドだ。これ以上何が必要だっていうんだ? と、いうわけで、近頃の僕はルー・リードにぞっこんなのです。この分だとそのうちルーのソロ作、全部集めてしまうかもしれません(笑)。 (2001年11月25日) |
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| ■GODDESS IN THE DOORWAY / MICK JAGGER |
待ちに待ったミック・ジャガーのソロ4作目。一言で言ってとても優雅なロックアルバムだと思う。実を言うと、しっとりとしたミディアムなナンバーがいつも以上に多かったので、最初聴いた時は“あれ?”と肩透かしを食ったような気持ちになった。だが、何回か聴いているうちにじわじわとこのアルバムの良さが体に染み込んできたように思う。 今回のアルバムは楽曲の感触自体がこれまでとはちょっと違うように思うのだ。ストレートなロックナンバーはレイニー・クラビッツと一緒にやった“God Gave Me Everything”ぐらいで、あとは重厚なサウンドのドラマチックな展開のものが多く、打ち込みっぽいリズムに生々しいアコギの音色や雄大なストリングスの響きが徐々に加わる様はまるでロックオペラを見るよう。曲調も東洋的な旋律や中近東風のものなども含め、これまで以上にバラエティ豊か。そのゴージャスなサウンドにのってミックのボーカルが縦横に動き回るのは、ロックというよりソウルミュージックのグルーブ感を強く感じた。 ローリング・ストーンズの前作でも感じたことなのだが、最近のミックはこういう展開がけっこう好きみたい。歌詞もゴスペルっぽいていうか、観念的な表現が多くて中世ヨーロッパ的な香りや聖書的な世界観もちらつく。こういう要素はストーンズが昔から持っていたものではあるけれど、それを深めてきたのはやっぱりミックなんだな、ってのがこのソロアルバムを聴くとよくわかる。やっぱりこういう詞はキースやロニーは書かないんじゃないかなあ…。 今回のアルバムにはマット・クリフォードというキーボード奏者がプロデューサーとして入っている。この人はストーンズのSTEEL WHEELESツアーの時にサポートメンバーとして参加し、僕自身もそのプレイを東京ドームで見ている。実を言うと、僕はあの時のツアーの音があまり好きではない。その最大の理由がこのキーボード奏者の出していたサンプリング音が耳障りで仕方なかったことなのだが(苦笑)、今回のソロではそれが吉と出たのではないか。マットは曲作りの段階からミックと絡んだようで、節回しに明らかにミックでは書けないようなメロがあったりして妙に新鮮だ。うーむ、あのツアーから10年以上経ってまたマットを引っ張り出してくるとは…。ミックも相当執念深い(笑)。 ミック・ジャガーは現在までに4枚のソロアルバムを出しているが、それらの味わいはどれも微妙に違っている。 85年のファーストソロ「シーズ・ザ・ボス」を出した頃、ミックはだらだらとスタジオでリハーサルを繰り返すローリング・ストーンズのやり方に不満が鬱積していたというが、その不満をぶつけるかのように、ストーンズとはまるで正反対のシャープで都会的なサウンドを突きつけてきた。 続く2枚目の「プリミティブ・クール」は、ミックとキース二人の仲が最高に悪化していた時期にリリースされた。この頃のミックは本気でストーンズをやめるつもりだったんじゃないだろうか。“ソロで食っていくんだ”と言わんばかりに、まるでストーンズのアルバムに入っていてもおかしくないようなキャッチーなメロディを持った曲をたくさん入れ、ギタリストにジェフ・ベックを全面フューチャーし、何だかキースへの当てつけみたいに僕には思えた(でも、僕はこのアルバムけっこう好き(笑))。 3枚目の「ワンダリング・スピリット」が出たのは92年だった。この頃はストーンズも落ち着きを取り戻していたので、僕も安心してミックのソロを聴くことができたが、リック・ルービンという当時の売れっ子プロデューサーの起用、レッチリのメンバーのゲスト参加などによるトレンディな部分と、一発録りでの勢いのあるストーンズっぽい曲や、ビリー・プレストンのように70年代ストーンズとかかわりの深い人のプレイを入れての原点回帰的な部分とが同化している好アルバムだったと僕は思っている。そしてその味はローリング・ストーンズとしてのアルバム、“BRIDES TO BABYLON”に引き継がれたように思うのだ。 僕は、前作からミックのソロアルバムへのアプローチの仕方が違ってきたように思っている。最初にミックがソロアルバムを作った動機は、はっきり言ってストーンズというバンドに対する要求不満が大きかったと思う。ミックのソロワークがストーンズのサウンドとシンクロする部分もあまりなかったように思うのだが、最近のミックのインタビューを読むと、ストーンズのトラディショナルな部分はむしろバンドの強みとして認めた上で、ソロで色んなミュージシャンと他流試合をして得た新しい音を積極的にストーンズに取り込もうとしているように思える。 そして、それに対して頑固者のギタリスト、キース・リチャーズもかなり寛大になったのではないだろうか。ストーンズの前作なんか、ミックとキースが別々のプロデューサーと組んだ曲を入れたり、曲によってはキースが参加していないものまであったのだから…。 恐らく、来年早々ストーンズが動くのは間違いない。早い時期にアルバムをリリースしてツアーに出るだろう。そのローリング・ストーンズとしての21世紀最初のアルバムがどんなものになるのか、ミック・ジャガーはこのアルバムで一枚だけカードを切って見せてくれた、ってとこなんじゃないのかな。 (2001年11月25日) |
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| ■RIKUOマンスリー・ライブ“セッションナイト” |
昨日の日曜日(11月18日)グルービー・ピアノマンRIKUOのライブに行って来た。9月から3ヶ月間続いたマンスリー・ライブもいよいよ今月がラスト。毎回テーマを変え、一回目がリクエストナイト、2回目がカバーナイト、そしてこの日はセッションナイトということだったが、何せ交友関係が広いRIKUOのこと、ゲストに誰が飛び出すのか見当もつかない。個人的には3回のセットの中でこの日を一番楽しみにしていた。 7時少し前に出てきたRIKUOはこの夜終始ご機嫌だった。10月のマンスリー・ライブが終わった後はツアーでずっと地方を廻っていたらしく、コンディションも気持ちもかなりハイに見えた。いつも以上にピアノが弾みまくり声もびんびんに張っている。うん、やっぱりミュージシャンはライブが一番のビタミンなんだなあ。 期待のゲストは何と4人。 登場した順に挙げると、まずHONZI。バイオリン奏者にしてボーカリスト。僕は彼女をこの日まで知らなかったが、高田渡やカルメン・マキ、FISHMANS、UAなど幅広いミュージシャンのアルバムに参加している人らしい。旅愁を誘うバイオリンは言わずもがな、時にはバイオリンをギターのように抱えてアルペジオ風に指で弾いてみせたりと、とにかく懐の深い人だった。 続いて鈴木祥子。彼女はメジャーどころから何枚もアルバムを出しているから名前だけは知っていたけれど、実際に見るのはこれまた初めて。いやもう素晴らしかったです!なんて優しい声なんでしょう。しかもRIKUOとやってくれたのが大好きなキャロル・キングの“You've Got A Friend”ときたもんだ。このところ事あるごとにしみじみ聴いてた曲だけに嬉しかったなあ…。 続いてはTSUNTA。この日はギターを持って参加したのだが、普段はRIKUOと同じようなスタイルでピアノで弾き語りをしているらしい。RIKUOがゲスト参加した自分のアルバムからの曲をやったのだが、これがSIONみたいなスタイルの曲でまた良し。 そして4人目が坂田学だ。ファンの間では“まなぶっち”という愛称で親しまれているドラマー&パーカッション奏者。RIKUOとはヘルツというトリオで活動している盟友同士でもあるが、僕は最近この人がかなり気になっている。フルセットのドラムだろうが、民族楽器だろうが、独特のリズム感覚で万華鏡のように曲を彩ってしまうのには見るたびに驚かされてしまう。こんな凄い人を業界が放っておくはずもなく、最近はいろんなミュージシャンのゲストに引っ張りだこみたいだ。この日も7時まで吉祥寺で他の人とリハーサル中だったということで、8時を廻った時間にふらりと店に来ていた。いや、凄かったですよ〜、まなぶっち。ペルーの民族楽器だという四角い箱みたいなやつを座りながら叩いて音を出すのだが、そのリズムが編み出す世界はほんとにジャンル・レスといった感じで、ジャズともロックともサンバともつかないようなカラフルな世界。触発されたRIKUOも大ハッスル。凄かった! “パラダイス”という曲には、“トゥ、トゥルル…”っていうルー・リードの“ワイルドサイドを歩け”風のコーラスが入るのだが、これにはゲストのミュージシャンたちものっちゃってて(彼らは出番が終わると客席の後ろでRIKUOのステージを楽しんでいたのだ)、一緒になって大きな声で口ずさんでいた。実は、僕はミュージシャンご一行様が座っているベンチシートのすぐ隣のカウンター席にいたんで、RIKUOの声とHONZIさんや鈴木祥子ちゃんの声がサラウンドで聞こえてしまうという、とても贅沢な体験をしたのであった(笑)。 とにかく、RIKUOもゲストミュージシャンたちも皆本当に楽しそうだった。勿論、僕たち観客もまるでRIKUOの部屋での音楽仲間の闇鍋パーティに呼ばれたみたいな感じで(笑)楽しかった。ラ・カーニヤという暖かいお店の雰囲気だからこそのライブで、ほんとにいいものが見れたなあと思う。 ミュージシャンってやっぱりいいなあ…。RIKUOの楽しげな顔やゲストであることを忘れてしまったかのように客席で歌を口ずさんでいた祥子ちゃんの柔らかい表情を見て、この日集まったお客さんたちは皆そう思ったんじゃないだろうか。 途中の休憩時間を抜いてもたっぷり3時間の長尺ライブ。すごく良かった。3回のマンスリー・ライブの中でもこの日が一番良かったと個人的には思う。 (2001年11月19日) |
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| ■「まめ蔵」(吉祥寺)のカレー |
吉祥寺は僕にとって思い入れの深い街である。地方に住んでいた時から、RCサクセションの「いいことばかりはありゃしない」の歌詞でこの街の名前だけは知っていたし、実際に東京に出てきてからも、小金井や保谷(現西東京市…この名前、なんかダサいなあ…)に長く住んでいたので、この街はずっと僕にとって身近な遊び場だった。レコファンで中古レコードを探したり、古本屋を廻ったり、時には女の子と会ったり…。春には仲間たちと井の頭公園で花見酒を楽しんだりもしたっけ。ただ、あそこで花見すると悪酔いして池に飛び込んだりする奴がぜーったいいるんだよね(苦笑)。で、その大好きな街吉祥寺のカレー屋さんといえば、真っ先に思い浮かぶのがここ「まめ蔵」。ここのカレーはとても素朴な風味に溢れている。色んなカレー屋さんを食べ歩きした人だとちょっと物足りなく思うかもしれないけど、野菜をじっくり煮込んだと思われるルーの旨みはとても深い味わいで癖になる。何だか懐かしい感じがしてほっとしてしまうのだ。 それと、僕はここのお店の雰囲気がとても好き。店名のとおり蔵を改造したような内装で、木製の温かみのあるテーブルと椅子を前にするとほんとに気持ちが和むし、流れる音楽もとてもセンスがいい。演劇人の多く住む吉祥寺らしく、店内には近々開催される演劇のビラが置いてあったりするのもいい感じだ。 実は「まめ蔵」店主の南さんという方は画家としても有名な人らしく、店内に飾られる絵や食器の柄も凝っている。その画風は“和製シャガール”とでも言いたくなるような、とても素朴でイマジネーションを誘うもので、写真をご覧になってもお分かり頂けると思うけど、カレーの盛り付けも絵を描いたようにとてもきれいだ。 いってみれば、このお店はカレーだけじゃなく全体の雰囲気もひっくるめて楽しむものなんじゃないかな…。 吉祥寺は、この「まめ蔵」がある中道通りと東急デパートの裏側の通称東急通りに、洒落た喫茶店やレストランが集中している。僕もこの辺りは馴染み深い店がたくさんあったんだけど、東京に出てきて十数年の間に随分お店が入れ替わってしまった。そんな中、「まめ蔵」は昔と変わらぬ佇まいで今もこの街に息づいている。 僕は今でも吉祥寺で電車を降りることが時々あるけど、お腹が空いている時はやっぱりここに寄ってしまうことが多い。そして店内に飾られた南さんの素朴な絵を眺めながらカレーを食べていると、なんとも幸せな気分になってしまうのだ。 |
![]() そうそう、僕の近所のスーパーにはこんなものが売られている。な、な、なんとレトルトのまめ蔵カレーだ!しかも、これは通常のレトルト製品と違って冷蔵物のコーナーに置いてある。値段も少々高い。何となく高級そうな感じだが、切らさずずっと置いてあるところをみると固定ファンがいるのだろうか。よっぽどのカレー好きならともかく、この辺りの人が実際に「まめ蔵」のカレーを食べたことがあるとは思えないのだが…。 で、僕も早速買ってみたが、うーん、なかなか雰囲気出てます、これ。ただ、「まめ蔵」カレーの持ち味である繊細な旨みがレトルト独特の匂い(ほら、お湯から出した時のカルキ臭い感じとか、レトルトパック自体の匂いとかあるじゃないですか…)で薄まっているような気がするのがちょっと残念。あたり前だけど、やっぱり実物とはちょっと違うなあ。これは“まめ蔵風レトルトカレー”ですね、あくまでも。 個人的には、やっぱりレトルトカレーはスパイシーな香りと辛さがないとレトルト独特の匂いに負けてしまうような気がする。ただ、「まめ蔵」のカレーがどんなものかちょっと試してみたい向きにはいいかもしれません。 ■「まめ蔵」 武蔵野市吉祥寺本町2-18-15 TEL 0422(21)7901 無休 ※JR吉祥寺駅北口を出てパルコの前の道を三鷹方面へ行って中道通りに 入る。4つめの角を右へ。徒歩5分。 (2001年11月14日) |
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| ■“Love And Theft”/BOB DYLAN |
このアルバムは1997年の「Time Out Of Mind」以来、4年ぶりとなる待望のボブ・ディランの新作。前作が素晴らしい出来栄えだったし、間に今年2月の素晴らしい日本公演もあったので、僕はこの新作に期待するところ大だった。ところが、9月に日本盤がリリースされて直ぐにこれを買ったのはいいが、その直後に例の同時多発テロという大事件が起きてしまい、僕の中ではなかなかディランを聴くモードになれないでいた。僕の場合、ボブ・ディランを聴くのにはちょっとした覚悟がいる。何年ぶりかで届くディランからの手紙を聴くのだから、気持ちをニュートラルな状態に戻してからでないと…などと考えていたら2ヶ月も経ってしまった…(苦笑)。 余談だけど、いくら好きなバンドやミュージシャンのアルバムでも、それを聴くモードになれない時ってないだろうか?そういう時ってみんなどうしているんだろう?僕の場合、年齢とか自分自身の環境とか、いろいろ理由はあるんだけどそういうことってけっこうある。多分、チャボさんやROLLING STONESの新譜とでもなれば、自分がどんな状態の時でもすっと入ってくることがわかっているから、すぐにでも封を切って聴き込んだと思うのだけれど…。 で、ようやく耳にしたディランの新譜なんだけど、一言で言って“明るい”です!(笑) いやー、ほっとした。じつにほっとした…(笑)。いやほんと、こんな時節に「Time Out Of Mind」みたいなストレンジな曲ばかりだったらちょっとキツイよなあ、なんて内心思ってたし、そんな風だと後々、“これはアメリカで同時多発テロが起こった頃に出たアルバムで、その時代のムードが…”なんて、全然ディランの意図してなかった捉えられ方をされてしまうんじゃないかとちょっと心配だったのだ。いやあ、余計なお世話でした。見事に肩透かしを食らわせたみたいな軽快なディラン。あー、ホント良かった。これでなんの拘りもなく、21世紀最初のボブ・ディランからのメッセージを受け取れるってな感じだ。 収録された曲は12曲全てディランのオリジナル。ディランの声は、90年代以降ますますガラガラ声になってきているけれど、バンドの音は素晴らしくしなやかで、50年代のR&Rっぽい曲とか、4ビートのスイング・ジャズっぽい曲とか、アメリカのルーツミュージックっぽいのがたくさん入っている。“Lonesome Day Blues”みたいなヘビーなブルースが久しぶりに入っているのも嬉しいし、“Honest With Me”はSTONESばりのタイトなR&Rだ。いやー、多種多様。メロディメーカーとしてのボブ・ディランの魅力を再認識させられた。 バックのバンドは現在のディランのツアーバンドがそのまま務めているのだが、ザ・バンドは別にしてこういうパターンは、ディランとしてはけっこう珍しい。今のバンドがよほど気に入っているのだろう。先の来日公演でも、日によって曲目を変えながら自由自在にのびのびとやっていて、ディランも凄く楽しそうだったのだが、このアルバムには、ライブでのそんなリラックスしたムードがそのまま入っているような気がする。 それにしても還暦を超したボブ・ディラン、元気だなあ…。ディランは88年からネバー・エンディング・ツアーと題した長大なツアーをやっていて、一年の大半をツアーに費やしている。ライナーノーツによれば、2月の日本公演の後もオーストラリアを廻って、短いオフを取った後アメリカ国内を廻り、6月には北欧公演に出かけているとのこと。 …ってことは、このアルバムは今年の5月中旬にレコーディングされたらしいから、実際に制作にかけられる期間は実質1ヶ月ちょっとしかなかったはずなのだ。それでこんな凄いアルバム作っちゃうんだからなあ…。一体いつ曲書いてるんだろう? 還暦過ぎてますます元気なボブおじさん。僕もたかだか36くらいで落ち着いてる場合じゃないと思うのであった(苦笑)。 (2001年11月11日) |
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| ■モンタナ急行の乗客/新井敏記 |
80年代中頃「Switch」という雑誌が創刊された。大判の誌面に豊富な写真を使い、日本のものとは思えないような洗練されたレイアウトの雑誌だったが、それにもまして毎回特集される人物のセレクトが素晴らしかった。僕が憶えているだけでも、俳優ではサム・シェパード、ミッキー・ローク、ロバート・デニーロ、作家だとピート・ハミル、ジョン・アーヴィング、ミュージシャンではトム・ウエイツ、スティング、ブルース・スプリングスティーン、その他スポーツライターやアメリカン・ニュー・シネマを特集した号などもあった。東京に出てきたばかりで、ちょっとアーティスト気取りの生意気な学生だった僕は、毎号夢中になって「Switch」を読んだ記憶がある。この雑誌から名前を知った人も数多い。トム・ウエイツなんか「Switch」の特集がなければ、なかなかアルバムまで手が伸びなかったと思うし、映画「ライトスタッフ」でパイロットの役をやっていたサム・シェパードが、俳優よりむしろ脚本家として素晴らしい文章をたくさん残していることを知ったのも「Switch」の特集からだった。そして、どの号にも、まるでモンタナ行きの急行電車に乗っているかのような旅愁が、まるで一遍のロードムーヴィーを観るかのようなムードが漂っていたと思う。 新井敏記さんは、その「Switch」の初代編集長だった人。つまり、センス溢れる特集のセレクトは殆どこの人が行なっていたということなのだろうと思う。 この本は新井敏記さんが「Switch」誌上で行ったインタビューやルポなどの10編の文章をまとめた本である。B・スプリングスティーン、サム・シェパード、ピート・ハミル、ジャコ・パストリアス、ユージン・スミス、日本人では沢木耕太郎、緒方拳、笠智衆といったところの名前があるが、どの文章にも対象となる人物への深い想いが溢れていると思う。 一番始めの文章が沢木耕太郎のインタビューになっているのは、そういった意味でも象徴的だと思う。「一瞬の夏」でボクサーと日常を共有することによって、リアルなルポを書き上げた沢木耕太郎と、新井さんの人物への視点や物書きとしての対象への入り込み方は、とても良く似ていると思うからだ。 例えばブルース・スプリングスティーンに関する章では、実際にブルースが育ったアズベリーパークに行き、ブルースの住まいまで辿り着くのだけれど、結局ブルーズには会えずに終わっている。しかし、アズベリーパークで知り合ったホテルで働く娘や彼の父親の佇まい、アズベリーパークという街の描写からは、スプリングスティーンが語ったであろう言葉以上に、アズベリーパークで育った一人の男としてのブルース・スプリングスティーンの素顔が見えてくるのだ。切なくて美しい、素晴らしい文章だと思う。 視点の独特さは、佐野元春に関する文章にも表れている。この項で新井さんは、かつて元春と活動を共にしていたことのある佐藤奈々子が元春とつかの間の邂逅をした時間を切り取った文章を書いている。この切ない文章を読めば、誰もが自分が経験してきたであろう、それぞれの切なく甘い人生の出会いと別れの瞬間を思い起こさずに入られないと思う。 新井敏記と佐野元春は、その感性も影響されてきた音楽や映画も、とても近いものがあるのではないだろうか。後に元春が編集長を務めた「THIS」という雑誌でも、新井さんは重要な役割を担ってきたようだし、月刊カドカワの佐野元春の特集でも愛情溢れる文を寄稿していた。 「Switch」は今でも続いている雑誌であり、相変わらず洗練されたレイアウトは書店で目を引くが、新井さん自身は大分前に編集長の職を降りてしまっている。僕にとっては現在の「Switch」は、以前と全く別の雑誌になってしまったような気がしてならない。 また新井敏記さんの詩情溢れる文章が読みたいと思っているのは僕だけではないだろう。 ■モンタナ急行の乗客/新井敏記(新潮社) (初版発行・1994年10月) (2001年11月11日) |
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| ■デジカメ |
このサイトを作るにあたって、僕は画像の取り込みをどうするかいろいろ考えた。最近安くなってきたスキャナを買おうか、デジタルカメラを買おうか…。結局、僕は大好きな中田英寿がCMをやってる一台のちっちゃなデジカメを買うことにした。スキャナにも惹かれたけれど、どうせ僕の技術では画像バリバリのページなんてできっこないから、結局それは宝の持ち腐れになってしまうような気がしたし、デジカメだったら普段もスナップ写真を撮るのに使えるから得なんじゃないかと思ったわけだ。 結果的にこの選択は正しかったと思う。 デジカメがこんなに面白くて便利なものだとは思わなかった。最近は色んな場所に出かけるのにデジカメを持ち歩くことが多くなった。今更だけど、記憶媒体がフィルムから上書き可能なメディアになったっていうのは、大変な革命だと思う。これはもうオープンリールテープがカセットテープに替わったよりも革新的だ。 何しろ、現像代やフィルムの残り枚数を気にする必要がないから、ちょっと心に残った風景やモノを、まるでコピーするような感覚でどんどん撮れる。いや、風景やモノだけではない。気に入った本のページを接写することだってできる。おまけにそれはお金と時間をかけてプリントする必要はなく、パソコンのディスプレイですぐに確認できるのだ。もちろん必要とあれば簡単に写真にプリントできるし、コンピュータに取り込んでホームページ上に載せるのも簡単。つまり、一台のデジカメを持っているということは、ポケットの中に常にカメラとメモ帳とコピーとスキャナが入ってるようなものなのだ。 僕は昔からこういう風に、一台で幾通りもの使い方ができるモノが大好きだった。考えてみれば、パソコンだってそもそもそういうモノだよね。あと、あるモノを通常とちょっと違う使い方ができないか考えるのもけっこう好き。 少し前、僕はFAXをスキャナ代わりに使う方法をあみ出して、けっこう得意になって使ってた時期があった。僕が依然使ってたパソコンには、電子メールのテキストや画像をFAXに送信してダイレクトプリントできるソフトが入っていたんで、これは多分逆をやっても大丈夫なんではないかと思ったわけだ。実際やってみたら思った通り大成功。ただ、何故か画像が縦長にびろーんと伸びてしまうんだけど…。 そうそう、昔バンドの真似事をやってた頃は、カラオケボックスをスタジオ代わりに使うと言うことをやってた。つまり、カラオケボックスのアンプにエレキギターのジャックを差し込んで、大音量で弾きまくるわけ。何しろカラオケボックスだから防音はバッチリだし、お店のカラオケに合わせて練習したりもできる。腹が減ったらつまみを注文すればいいし、喉が渇いたらビールでも烏龍茶でも店員が持って来てくれる。練習に飽きたらカラオケで発散できるし、なんといってもスタジオを借りるより絶対安い。こんないい練習場所はないと思って、僕たちはカラオケボックスにギターを5,6本持ち込んで、連日ギャンギャンやっていた。 ところが物事はそう上手くは運ばない。ある日、あまりの大音量にお店のスピーカーがぶっ飛んでしまったのである。こっぴどく怒られて僕たちが即出入り禁止になったのは言うまでもありません(泣)。 このサイトを見てるバンド少年にささやかな教訓を…。やはりバンドの練習はスタジオを借りてやりましょう。大体、カラオケボックスだとすぐに自分の十八番の歌に走ってしまい、練習になりません(苦笑)。 (2001年11月11日) |
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| ■スズキさんの休息と遍歴またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行/矢作俊彦 |
僕は古本屋が大好きだ。実を言うと、僕が買う本は新刊本より古本の方が圧倒的に多い。僕は話題の本をすぐに読みたいというタイプの本読みではない。むしろ、数年前話題になった本を忘れた頃に突然読みたくなったりすることの方が多いし、新刊の発売を首を長くして待つような作家も少なくなってきたから、発売後少し経って、古本屋の店頭に並ぶのを待って安くあげているわけである。それと、最近の本は絶版になってしまうサイクルが早い。油断をして買いそびれてしまった本が僕には数限りなくある。そういった本と古本屋で偶然再会するのもまた楽しいのだ。 矢作俊彦も絶版になるのが早い作家の一人。シニカルなユーモアとポップなセンスを併せ持ち、ハードボイルドから純文学まで幅広い守備範囲の小説を書く人。小説家でありながらイラスト、エッセイ、漫画までこなしてしまう怪人。 僕がこの人の名前を初めて知ったのは、80年代人気のあった大友克弘の漫画『気分はもう戦争』の原作に矢作俊彦の名前を見てからだ。以来、機会あるごとにこの人の本を買ったり、雑誌の連載に目を通したりしているのだが、この人は常にアウトサイダーとしての自分の立ち位置で文を書き、幾つになっても体制に物申すような態度を崩さない。しかもそれをポップに見せてしまう。つくづく凄い人だと思う。 この本は90年に初版が出ているが現在は絶版。当時買い逃していて、今年の夏行きつけの古本屋でやっと手に入れた。 40を過ぎてはじめて有給休暇を取ったスズキさんのところに届いた一冊の古本『ドン・キホーテ』。差出人はかつてスズキさんと学生運動の闘士として共に戦った懐かしい男の名前だった。スズキさんは独り息子のケンタくんとともに、愛車ドーシーボーで20年前の友に会うべく旅に出る…てなストーリー。 とにかく面白いです。数ページごとにおきる奇妙な事件。レトリックとして成田闘争、外国人不法就労、マスコミの傍若無人な取材方法、臓器売買、原発問題など日本の抱える様々な問題が絡む事件が起き、それに対してスズキさんは、自分の信念の元、妥協を許さぬ断固とした態度を取り続ける。それは最初滑稽で、全共闘崩れのおじさんがただわめきちらすだけみたいに感じるのだが、読み進むうちに不条理なのは僕たちの社会であることに気付かされ、いつの間にかスズキさんの側に自身を投入してしまうことになる。そして、そんなお父さんを見つめる独り息子ケンタくんの反応がまた少年らしい素直さでかわいい。 随所に矢作俊彦自身の手によるイラストが挿入され、絵文字があったりして、扱われているテーマがシリアスでも全体の印象はあくまでポップ。凄い作家だと思う。 数年前の『あ・じゃぱん』による文学賞受賞で、やっと矢作俊彦の知名度は上がってきたけど、相変わらず絶版になったままの作品は多いし、文庫化も進まない。なんでなんだろう? 僕自身、読んでない作品も多いし、是非どこかの出版社でまとめて再版して欲しいと思う。こういう時代だからこそ、ますます僕たちの今の気分にフィットする作家だと思うんだけどなあ…。 ■スズキさんの休息と遍歴 または かくも誇らかなるドーシーボーの騎行/矢作俊彦(新潮社) (初版/1990年11月 ※現在絶版) (2001年11月4日) |
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| ■ONESTEP FESTIVAL |
NHKアーカイブスという番組がある。NHKに残る過去の膨大なドキュメンタリー映像の中から、選りすぐりのものを再放送しているのだが、先週は凄かった。何と、74年8月に放送された“若い広場”から、ONESTEP
FESTIVALのドキュメンタリーが流れたのだ。ONESTEP FESTIVAL、ご存知だろうか?今でこそFUJI ROCK FESだの、SUMMER SONICだの、日本でも大きな野外フェスが一般的になってきたが、そのハシリとなった野外イベント。「街に緑を、若者に広場を、そして大きな夢を」というテーマで、福島県郡山市でミニコミ誌を編集していた佐藤三郎さんという人が中心になり、1974年8月福島県郡山市の開成山競技場で5日間に渡って行われたフェスティバルだ。 サンハウス、イエロー、ウェスト・ロード・ブルース・バンド、四人囃子、外道、シュガー・ベイブ、はちみつぱい、サディスティック・ミカ・バンド、内田裕也、キャロル…総勢50組もの参加があったらしいが、特筆すべきは最終日のトリをとったオノ・ヨーコだろう。このフェスの趣旨に“町に緑を”という部分があるが、小野洋子が何年か前帰国した時に、日本の将来の公害問題について言及していたのを聞いた佐藤さんが、直接ヨーコに会って出演交渉したらしい。出演者全員がノーギャラだったというのもすごい話。番組は、出演者の貴重なステージのショットと共に、舞台裏での様々な出来事や、当時の若者たちの“夢”に対するインタビューなどをはさみながら構成されたドキュメンタリーで、とても見ごたえがあった。
勿論、演奏シーンも貴重。外道の毒気のあるステージは今見ても強烈だし、まさかイエローの映像が残っているとは思わなかった。サディスティック・ミカ・バンドのキッチュなステージも最高だった。 実は僕にとって、ONESTEP FESTIVALというのは長年大きな謎だった。僕は65年福島県の生まれ。郡山は少し離れた町だったけど、開成山競技場には何度か出かけたことがある(ここはお花見の名所としても有名なのだ)。そう、この日本のロック史に残ると言われる大イベントは僕の地元で行われたものだったのだ。だが、ONESTEP当時の僕は小学生。このようなイベントがあったこと自体知らなかった。思春期を迎えてロックに目覚めてからも、地元ではONESTEPの残り火など全くなかった。かつてそんなに凄いイベントがあったのなら、なぜ今俺の暮らす街はこんなに退屈なんだろう、一体オノ・ヨーコが来たというONESTEPって何だったんだろうと、当時はずーっと思っていた。 しかし、このドキュメンタリーを見て、ONESTEP FESというものは僕が考えていた以上に大きなものだったことがわかった。なんと言っても、このフェスが立ち上がった最初のきっかけが商業ベースではなく、地元の若者の、夢を実現しようとするヒューマン・パワーだったことに何とも言えない感慨を覚える。 結果的にその夢は複雑な余韻を残して終わった。地元郡山サイド、東京のミュージシャン事務所、当のミュージシャンとの間の度重なる確執。運営上の不手際。中には出演を取りやめて帰ってしまったミュージシャンもいたらしい。観客の中にもこのフェスのテーマが浸透していたとは言いがたい。全てが終わった後、会場に残されたごみの山を黙々と拾うスタッフたちの胸中はどんなものだったのだろうか…。 しかし、それでも僕はこのイベント、素晴らしいと思ったし、当時の若者たちの行動に深い感動を覚えずにはいられなかった。今はどうか知らないけど、僕が高校生だった頃も福島ってところはほんと保守的な街で、若者が集まれるような場所もなければ、若者が何かを生み出そうとするような動きも感じられなかった。その頃の僕は早く東京に出たいとそればかり考えていた。 80年代ですらそうだったのだから、ロックが今よりずっとマイナーな存在だった70年代当時の空気はもっと重かったと思う。そんな時代に熱意だけであれほどのものをやり遂げたのだ。 商業的には失敗だったと言うけれど、皮肉な言い方をしてしまえば、ONESTEP FESでの商業的な失敗が、後のイベント運営の際の教訓になったともいえるのではないか。75年以降、日本のロックは内田裕也主催のワールド・ロック・フェスティバルなど、大きなイベントが立て続けに行われるようになるけれど、それはやはりONESTEP FESという見本がなければ、もう少し時間がかかったかもしれないと僕は思うのだ。 実は、この日記は上記の文章で終わるはずだった。しかし、何気にネットでONESTEP FESを検索していて、新たな驚きがあった。何とONESTEP FESは今年の夏、2日間のダイジェストで再び開催されていたのだ。 しかも2日目のトリはあの四人囃子。彼らは27年前のONESTEPにも出演していた。99年に再結成されたものの、数えるほどしかライブをやらない彼ら。勿論僕は生の四人囃子を見たことがない。まさか、まさか地元であの四人囃子がライブをしたとは…。そして数少ないライブの場にONESTEPを選んでくれた彼らの心意気を思うと、堪らない気持ちになる。 それにもまして、当時は行けなかったONESTEPのスピリットをせめて感じ取りたかった…。福島に生まれてロックを聴いてきた僕にとって、それは大切なことだったように思うのだ。 27年前サンハウスで、21世紀になってシーナ&ロケッツでONESTEPのステージに立った鮎川誠さんは、ステージ最後にこう言ったらしい。”ふくしまの人は、日本で初めてロックフェスティバルを開催した場所だということを誇りに思って欲しい。”ああ、このセリフやっぱり会場で聞きたかった…。もう悔しくて涙が出てしまう。 今年行われたONESTEPの公式サイトがまだ残っているので、興味のある方は是非見てみてください。 ■http://www.bell-wood.co.jp/onestep/ 最後に74年のONESTEP FESでオノ・ヨーコさんが寄せたメッセージを…。 一人の人が見る夢は ただの夢だけど 大勢の人が同じ夢をもったら それはもう夢じゃない 今に通じるメッセージだと思いませんか? (2001年11月4日) |
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