■今年も暮れるんだな〜♪
いやあ、いろいろありましたが今年ももう終わりですねー。僕の場合、まだ明日あさってと麗蘭のライブという一大イベントが控えているんで、まだ年の暮れという感じもしないんだけど…(あ、でも正月飾りは今日28日中にやらなきゃいけないんだよね、確か)(苦笑)。

さて、今年の10大ニュースにも書きましたけど、僕にとって今年は何と言ってもこのサイトを起ち上げたことがとても大きい出来事です。以前からインターネットというメディアには興味があり、大好きなCHABOの音楽をキーワードに、30代半ばを迎えた今の自分の感じたことや考えていることを、フットワークを軽くして発信できるメディアがあったらいいなあとは思っていたけれど、それがこうして実現できたのはやっぱり嬉しい。僕は子供の頃から文章を書くことが好きだったけれど、今もこうしてつらつらと文章を書く媒体を持っていることは、気持ちの上で凄くゆとりを得た感じがします。
日記を書くのも嫌いじゃないけど、なぜか長続きしないんですよね。それは思うに、日記は自分の中で完結してしまうもので、他人に見せることを前提に書くものではないからだと思う。HPの文章は常に他人に読まれることを意識して書くものだから、自分の考えや行動をある程度客観視できるっていう面があるんじゃないかな…。それは僕にとって精神的にとてもいいものだと気が付きました。特に9月にあの忌まわしいテロが起きたり、アメリカが報復という名の元に空爆を始めた頃、新聞やテレビを見ていて感じたどうしようもないもやもや感を、HP上で文章に起こせたのは精神衛生上どれだけ良かったことか…。

そもそも、cafe HENDRIXは仲井戸“CHABO”麗市のファンサイトのはずなのに、カレーのこととか(笑)、気に入った本のこととか、CHABOとは直接関係ないことを載せ過ぎかなあ、なんて思うことも時々あります(ひょっとしてそう思って見てる人、けっこう多かったりして…)。でも、僕はこのサイトで36の等身大の自分を表現したいと思いました。まるで文芸同人誌のようなCHABOさんのファンクラブの会報を見てても思うけど、きっとCHABOのファンって、色んな音楽を聴いてきて、色んな本を読んできて、いろんな映画を見て育ってきた感受性豊かな人が多いんじゃないかなあ…。そんな人たちとネットで繋がれれば、な〜んて僕は思ってるんですけれどね。
CHABOさんには到底及ばないまでも、僕も20年以上ロックを聴いてきてる男です。CHABOさん以外にも素敵なミュージシャンをたくさん知ってるし、それはこれからもどんどん話していきたいです。どうぞこれからもお付き合いください。

それから、36の等身大の男の日常って実はすごくかっこ悪い(笑)。仕事じゃあ、下げたくもない頭を下げてぺこぺこしなきゃならないし、家に帰って来たら帰って来たで、自分のことはさておき子供を風呂に入れたりオムツを換えたりしなきゃならない。場合によっては飯だって作らなきゃならない。はっきり言って僕の日常は全然ロックっぽくありません(笑)。20代の頃の僕は、30過ぎてこんな生活をしているとは思ってなかったなあ…。
でも、僕はこのかっこ悪い日常を楽しんでるし、そんな生活をしながら鳴り続けるのが僕にとってのリアルなロックなんだと思ってます。だって、ジョン・レノンの曲なんか家族ができてからまるっきり違って聞こえるようになってきたもん。それは悪いけど若い連中には絶対わからないだろうと思う。家族の手前、スピーカーからでっかい音でギターの音を響かせるわけにはいかないけれど、満員電車の中でヘッドフォンから流れるビートに思わず指を鳴らしてしまったりするのが僕にとってのロック。“ロックだぜ〜っ!”ってかっこつけたサイトを作る気は全然ないし、これからも等身大の、僕にとってのロックが感じられるようなサイトにしていこうと思ってます。

それにしても、8月にこのサイトを立ち上げてから約4ヶ月で6,600のアクセス数ってのは、ちょっと自分でも信じられないくらいです。ほんとにいつも見てくださっている皆さんには感謝の気持ちで一杯。今ではこのHPは僕の生活になくてはならないものです。僕はいろんな人に言いたい気分だなあ。ホームページ作るのは面白いよ、ハマるよ、と…。

明日は京都に行っちゃうから、多分今年のcafe HENDRIXの更新はこれが最後じゃないかと思います。ほんとに今年は僕のささやかなサイトを見てくれてどうもありがとうございました。来年も良かったら遊びに来てくださいね。HENDRIXならいつでも大丈夫ですから…。そして来年こそ世界中が平和に包まれますように。愛をこめて。ピース!

(2001年12月28日)

■John Lennon Museum
クリスマスの翌日、さいたま新都心にあるジョン・レノン・ミュージアムに行って来た。
ここは世界で初めてのジョン・レノンの常設博物館ということで、僕も以前から気にはなってはいたんだけど、その反面あえて来なくてもいいような気持ちもあった。まず、このミュージアムがジョン・レノンにもヨーコさんにも全然縁のない埼玉県にできたことや(軽井沢とかだったらもっとすんなり受け入れられただろうな…)、大手土建屋の大成建設がスポンサーでいるということに、何だか商業主義的なものを感じずにはいられなかった。それは何となくジョンが生前歌っていたメッセージとは違うもののような気がしたし、だいたいジョン・レノンを博物館なんかで崇め奉ること自体ナンセンスなことのような気がした。そもそも僕は一部のモノ・マニアックなビートルズファンとは違うと自分では思っている。ジョンの残した音楽に時々耳を傾けるだけで充分。僕には僕なりの確固たるジョン・レノン像があるし、わざわざ埼玉くんだりまでのこのこ出て行ってがっかりして帰ってくるようなら、無理して行かなくてもいいんじゃないかと思っていたのだ。
でも、今年は21世紀最初の輝かしい年だというのに、同時多発テロがあったり、アフガン空爆があったり、ジョージ・ハリスンが死んじゃったりと気持ちが沈んでしまうような出来事が多かったから、年の瀬の一日、一年の区切りの意味でしばしジョン・レノンの縁の品を見ながら感傷に浸ってみるのもいいかな、なんて思って行ってみることにした。…う〜む、どうも30男は行動を起こすにも言い訳が多くて困るね(苦笑)。

結論から言うと行って良かった。凄く行って良かったと思う。皮肉で言ってるんじゃない。全然失望させられなかったし、感傷に浸るんではなくて素直に気持ちを潤されたような気がした。恥ずかしい話、僕は展示の部屋をゆっくり見て歩きながら何度も涙ぐんでしまった。
最初、展示物を見る前にジョンの一生を7分間に纏めた映画を見せられた。もうこれがダサダサ。最低の編集の見慣れた映像。だけど、あれ?俺うるうるしてきちゃったよ。何でだろう?…(泣笑)。
ジョンの一生を少年時代からずっと追っていって、その折々の縁の品を見せるという展示方法だって、テレビや映画でジョンのドキュメンタリーをやる時はだいたいそんなパターンだから、はっきり言って使い古された常套手段。不幸な少年時代、ポールとの出会い、ヨーコとの運命的な出会い、ダコタハウスでの生活、そんなものはファンなら先刻ご承知。だけど、実際に実物を見ながら歴史を追っていくってのは、映像で見たり本で読んだりするのとは全然違う感動があるってことに今更ながら気付かされた。
特にジョンが初めて手に入れたというリッケンバッカー325を目の当たりにした時の感動はちょっと言葉では言い表せない。だって全てはここから始まったんだよ。ジョンがこれをかき鳴らして“Yeah!”と叫ばなかったら、CHABOがギターを持つこともなかっただろうし、RCサクセションだって存在しなかったんだ。僕だって30過ぎてライブだ何だとふらふらしたりはしてなかっただろう、きっと。ひょっとしたら若者たちが髪を伸ばしたり、茶髪にしたりすることだってなかったかもしれない。この一本のギターは世界中の数え切れないくらいの人の生き方を変えたシロモノなのだ。それが僕の目の前にある…。これが見られただけでも、今日ここに来てよかったと思った。
それからジョンのハウスハズバンド時代、軽井沢に避暑に来ていた時に着ていたシャツも印象深かった。僕は西丸文也さんの撮った軽井沢でリラックスしているジョンの写真がとても好きなのだけれど、その中にこれと同じシャツを着ているものがあったのを憶えている。ああ、まさかこれの実物を見られるとは思ってもいなかった。服ってその人のぬくもりが感じられるから、とてもリアルなイマジネーションが湧いてくるよねえ…。実際にジョンが見に付けていたシャツを目の前にした時の不思議な気持ち、わかってもらえるだろうか?

このミュージアムはジョンの活動を単なる平和主義者的な観点ではなくて、多面的に紹介していこうとする姿勢があるのがいいと思う。そしてエンターテイメント性とアートな感覚が上手くブレンドされているのに感心させられた。ジョンとヨーコさんが出会った画廊を再現したエリアなんか、自分自身でジョンと同じように作品をエクスペリエンスできてとても面白かったし。
ファイナル・ルームのジョンの言葉に囲まれた一部屋なんか、一つの芸術作品と言ってもいいのではないだろうか。僕は約2時間半かけてここに辿りついたんだけど、まるで一冊の本を読み終えたようなスピリチュアルな感動を覚えた。この日は平日ということもあって、年配のおじさんおばさんも多かったんだけど、きっとこの部屋に来た人は、それまでジョンのことを全く知らなかった人でも、それぞれのマインドの中で気持ちが大きく動かされたんじゃないかと思う。今人生の岐路に立ってる人たち、僕たちの世代にも最近多いけど、リストラされちゃったお父さんなんか、ここに来てジョンの言葉を目にしたらものすごく励まされるんじゃないかなあ、なんてことをぼんやり思ったりもした。

恐らく、僕はこれからこの博物館を何度も何度も訪ねることになると思う。心弾む日も、気持ちが荒んだ時も、ここに来れば何かを感じることができそうだと思った。
それから、ここは誰かを連れて来たくもなるところだな。そう、母親とかね…。ジョン・レノンってロック世代の免罪符みたいなところがあるじゃない?リッケンバッカー325の前でおふくろに“どう?俺が30過ぎても夢中になってるロックってなかなかでしょ?捨てたもんじゃないでしょ?”なーんて言ってみたいよなあ…。でも俺、涙ぐんじゃってこのセリフ最後まで言えないかもしれないなあ…。

(2001年12月28日)

■「プーさん」(武蔵小金井)のカレー
独身の頃、僕は小金井市に長く住んでいた。18の時に始めて東京に出てきて住み始めたのが保谷市(現西東京市)にあった学生寮だから、10年以上もディープな三多摩地区に住み続けたことになる。
で、その頃よく行っていた店が武蔵小金井にある「プーさん」というカレー屋だ。武蔵小金井は地元の若者には当時「ムサコ」と呼ばれ、同じ中央線沿いの街でもリトル渋谷化してしまった吉祥寺などより一層奥まった感があった。武蔵小金井は国分寺に似た雰囲気を持つ風の街で、特に「プーさん」がある前原坂あたりは、武蔵野の名残を色濃く残しているエリアである。この辺りに住んでいた頃、僕は「プーさん」でカレーを食べて、坂の並びにあった古着屋で服を物色したり、古本屋で古い雑誌を探したりして休日を過ごすことが多かった。そうそう、スカイコーポラスの一階にある飲み屋やとんかつ屋にもよく行ってたっけ。マウンテンバイクでハケの道を走って野川公園まで行ったり、坂を下って多磨霊園に行ったりもこの店を拠点にしてたなあ。あの頃は頭の中も完全に三多摩人間になっちゃってて都心にも滅多に出なかったんだよなあ…。

先週の土曜日の昼下がり、久しぶりに僕は「ムサコ」に降り立った。実は僕はここの数駅東京寄りの街で今も仕事をしている。でも武蔵小金井駅周辺はやっぱり僕の仕事場周辺とも違うディープな空気が漂っているのを感じる。うーん、なんだか一気に精神状態が“あの頃”へと帰っていくなあ…。考えてみると結婚してからこの駅に降りたのは初めてかもしれない。懐かしい商店街を突っ切って前原坂を登ると、やっぱり以前とは大分様子が変わっていた。僕が良く通った古着屋は宅配ピザのお店になっていたし、裏通りにあった古本屋ももうない。でも、通い詰めた喫茶店やスパゲッティ屋はちゃんと残っていた。そして…あった、あった!「プーさん」も相変わらずそこにあった。さり気ない店構えとカレーのいい香り…。順番を待つ人の列。みんな昔のままだ。懐かしいなあ〜。

僕はこの日「野菜チキンカレー」を頼んだのだが、写真を見てもお解りいただけるとおり、ここんちのカレーは凄く具の種類が多い。憶えてるだけでもトマト、ナス、カボチャ、シメジ、ブロッコリー、赤ピーマン、さつまいも、蓮、こんにゃく(!)、まだまだあったと思う。それがさらっと素揚げされて目にも鮮やかに盛り付けられている。ルーにもかなりの野菜が煮込まれていそうだから、これ一皿でかなりの種類の野菜を摂取したことになるだろうね。
「プーさん」の店内に貼ってある但し書きによれば、人間は一日に30品目食べるのが理想だそうで、それに近づけるべくカレーを作っているとのこと。なーるほどねえ…。塩も極力使っていないとのことだけど、充分に塩味を感じる。すごく不思議なカレー、ここんちのは。何だか体の中の不純物が汗と共に出て行っちゃいそうな感じだ。
肝心の味の方も抜群!ルーは野菜が煮込まれたコクのある味にチリが効いたかなりの辛口。クローブの香りも香しく、これが良く煮込まれたチキンとさっと素揚げされただけの野菜にとてもよくマッチしているのだ。

ここのカレーはインドカレーというのとはちょっと違うなあ。勿論ベースにはインドカレーがあるんだけど、それをもっとアウトドアっぽく解釈してるというか…。多分お店のご主人はナチュラル嗜好の強い方で、その思想の元に色々とアレンジした結果こういう独特なカレーになったんではないだろうかと思う。食後にはアイスクリームかコーヒーが付くんだけど、アイスクリームも手作りで美味いよ〜。

昔はこのお店がマスコミに取り上げられるようなことは殆どなかったのだが、最近は雑誌のカレー特集などで時々「プーさん」の名を見かけるようになってきた。そりゃあそうだろうなあ、ここのカレーは他の何処とも似てないもん。「ムサコ」なんて首都圏に住んでる人でもよほどのことがない限り降りない駅かもしれない。でも、カレー好きな人ならこの店に行く為だけでも降りる価値のある駅だよ。麗蘭の「ヒッチハイク」でも聴きながらちょっと行ってみるとどうだろう。

■「カレーの店 プーさん」 東京都小金井市前原町3-40-27 042-384-7055
 営業時間 17:30〜21:00 但し土・日は11:00〜15:00も営業
 定休日 月曜・木曜
 ※JR武蔵小金井駅南口下車。商店街沿いに歩いて前原交差点を渡り、前原坂の途中右側。徒歩5分。

(2001年12月25日)

■今年の10大ニュース
暮れも押し迫ってきましたが、皆さんにとって、今年はどんな年でした?
今日は僕自身の今年の10大ニュースを挙げてみることにします。実は僕、こういうのけっこう好きなんですよ(笑)。もし良かったら、これをご覧になってる皆さんも自分なりの10大ニュースを「風と月のcafe」にでも書いていただけると嬉しいっす。ではいきます!

【10位】ちょっとだけ髪を長くした!
 いきなりくだらないとか言わないでね(苦笑)。僕は学生時代から殆ど髪形変えたことなくてショートだったんだけど、実はずっと長い髪への憧れってあったのよ。なんてったって長髪はロックっぽいじゃん(笑)。ただ、いきなり髪伸ばすのは結構勇気いりますよね。職場の目とかさ…。それが去年の暮れ、無茶苦茶忙しかった時期に二ヶ月くらい髪切らないでいたら自然と長髪になっちゃった(苦笑)。まあ、最近はロン毛や茶髪のリーマンも珍しくないから、僕なんてまだ可愛いもんなんですけど…。最近はパーマなんかかけて色気づいちゃってる36歳です(笑)。
P.S.家族にはたいへん不評です(苦笑)。

【9位】ジャパン・ブルース・カーニバルを野音最前列で見た!
 毎年恒例のブルース・カーニバル。今年はオーティス・ラッシュがトリでした。僕はネットでチケットを取ったんですが、なんと野音のステージ向かって左側の最前列が当たってしまい、オープニングの上田正樹とは何度も目が合うし、エリック・サーディナスには煽られまくるし、もう最高でした。ついでに美人ギタリスト、カメリア・マキちゃんのチャイナドレスからのおみ足もかぶりつきで堪能できちゃって最高でした(爆)。来年もブルース・カーニバル行きたいなあ。野音でビール飲みながらブルース聴くのは最高に気持ちいいです〜。

【8位】スポーツ・ジムに行き始めた!
 僕は元々人も羨むほどの痩せっぽちだった…と言っても今じゃ誰も信じてくれないでしょう(泣)。醜く突き出たおなかの肉。これは間違いなく運動不足からくるもの。ミック・ジャガーになるかローエル・ジョージになるかは36の今が分かれ道だと思って(笑)、ゴールデンウイーク明けからジムに通いだしました。これが結構面白くてハマった。最近は仕事が忙しいのと風邪気味なのとでご無沙汰してるんだけど、夏なんか週4回ぐらい行ってたなあ…。ジムワークやってる間は頭空っぽにできるから、精神的にもいいってことが良くわかった。ついでに弛みきった腹は半年ぐらいじゃあ引っ込まないことも良くわかった(泣)。

【7位】玲葉奈にハマった!
 今年の夏に一番良く聴いたのは玲葉奈だったと断言できます。ジムでマシントレーニングしながら聴いたりすると妙に燃えました(笑)。今年はライブも3回見たなあ…。来年1月には2枚目のアルバムも出るんで楽しみっす!

【6位】その玲葉奈のライブで蘭丸に会った!
 事の顛末はH.H.さんの掲示板にも書きましたけど、7月にラフォーレ原宿であった玲葉奈がトリのイベントで偶然にも土屋公平さんに会ってしまいました。イベント途中ですっと入ってきた公平さんは僕のすぐ隣ですごく楽しそうにライブ見てた。終わった後は少しだけ話もできて嬉しかった。何しろティーンの頃からの憧れの人ですからね…。思えばアポロ&バンプスクールで玲葉奈がボーカルをとったのはこの辺の経緯があるんだねえ…。後日オフィシャルのBBSにこのこと書いたら、本人から返事を貰えたというおまけ付きでした。

【5位】21世紀最初のライブがボブ・ディランだった!
 待望の生ディラン。なんと生でディランを見たのは僕初めてなのです!初来日の時はまだディランのデの字も知らない子供だったし、その後の来日はなぜかタイミングが合わずに行けなかった(特にトム・ペティと一緒に来たときは見たかったなあ…)。なので、これは凄く楽しみだったんだけどやっぱり最高でした、ディランは。全然衰えないあの声でギターもバリバリ弾きまくり思ったよりずっとロックしてたディラン。バックの達者な演奏も含めて最高のアメリカン・ミュージックを聞かせてくれました。3回見たけど国際フォーラム2日目はまるで“ブロンド・オン・ブロンド・デイ”と言いたくなるような選曲で、僕としてはベスト。

【4位】八丈島で2日間足止めを食った!
 これは夏の忘れられない思い出。まさかと思った台風直撃。最初は物凄い波が押し寄せてくるのが面白くて喜んで見てたけど、そんなもん30分も見てりゃあ飽きます。その後はもう暇で暇で…。まあ、僕よりも子供の方が可愛そうだったけどね。泊まったホテルにレンタルビデオのコーナーがあって良かったよ、ほんと。その2日間子供と一緒にビデオ見続けたおかげで、僕は夏以降「らんま1/2」に異常にハマるという後遺症が出ました(笑)。

【3位】職場の同僚の女性がおめでた!
 僕のデスクの向かいに座っていつも一緒に仕事をしてる女性がおめでた。勿論おめでたいことなんだけど困ったことでもある…。というのも、うちのシマの電算システムは彼女の力に頼ってたところが大で、産休・育休と彼女がいなくなると一体どうなってしまうのか…。当面は年度末のデータ更新…ああ、考えただけで憂鬱になる…。来年の一番の憂鬱がこれ…。

【2位】ジョージ・ハリスンの死
 去年ぐらいから重病説の飛び交ってたジョージ。ずっとデマだと信じていたのに…。ずっと新譜を待っていたのに…。

【1位】HPを立ち上げた!
 僕にとって今年一番はやっぱこれです。大好きなCHABOさんのことを思い切り語れて、CHABOファンと知り合える場を自分で作り出せたってのは嬉しい。HPって面白いです。自分が好きな時に好きなことを書ける場を持てたってのは、気持ちの上でもすごくリフレッシュできました。いつも見てくださってる方にはほんと感謝してます。4ヶ月で約6,500カウントって数字も自分では思ってもみませんでした。ほんとに感謝してます、皆さん!

ってなわけで僕の10大ニュースはこんな感じです。皆さんも良かったら聞かせてください。

(2001年12月25日)

■「デリー」(湯島)のカレー
ここは本格的インドカレーを出すお店として昔から有名なカレー屋さんだから、首都圏に住むカレー好きの人たちはきっと一回は行ったことがあると思う。湯島のあまり品のよろしくない飲み屋街の近くにあるこの小さなお店は、カウンターと小さなテーブルが数卓しかなく、いつも混み合っていて決して落ち着いて食事ができるという感じのお店ではないが、一度食べたらそんなことは全然問題じゃなくなる。インドカレーの定番はこれ!と太鼓判を押したくなるような味で、とにかく病み付きになってしまうこと間違いなしだ。

写真のカレーは“コルマカレー”というメニューで、ルーはとろみがあり辛味もややマイルドなやつだ。これも勿論美味いのだが、やはりデリーらしいカレーは正統派インドカレー。カレー好きを自認する方は是非“カシミールカレー”か“デリーカレー”を食べていただきたい。僕も普段は迷うことなくカシミールカレーを注文するのだが、来店時はどうにもこうにも酷い二日酔いだったのでマイルドなコルマに逃げてしまった(苦笑)。でも、これを食べたら二日酔いも治まって来たのだから、カレーパワー恐るべし!インド人もびっくりだ(笑)。
デリーのカレー・ルーは一見いたってシンプル。こげ茶色のサラサラしたルーに具はジャガイモと鶏肉だけ。でも、そのルーの美味いことといったらもう…。香辛料の豊かな香りにうっとりしながらご飯にルーをかけるとすーっとルーがご飯一粒一粒に染みわたっていくのがわかる。これがも〜うたまらなく食欲をそそるのだ。口に運ぶとご飯の一粒一粒にカレーがコーティングされているかのような芳醇な味。辛さもすーっと鼻に抜けていくような爽快さだ。

実はデリーのある湯島は、僕が住んでいる街の目と鼻の先だ。
上野から湯島にかけての界隈ってのは新宿なんかとはまたちょっと違った猥雑さがあるので、馴れないとちょっと落ち着かないかもしれない。しかし、通い始めるとこの街はとても面白い表情をいろいろと見せてくれるところだ。だいたい僕は普段着る服もアメ横のジーパン屋や古着屋なんかで物色していることが多い。アメ横をぶらぶらするのは、僕にとっては東南アジアの屋台街を覗き込んでいるような楽しさがある。
乾物屋とジーパン屋の星条旗が入り乱れる街をひとしきり歩いた後に、デリーでカレーを食べて家に帰る…。これは僕にとって最高にゴキゲンな休みの過ごし方だ。

■デリー
 住所:文京区湯島3-42-2  TEL:03(3831)7311  営業時間:11:50〜21:30
 ※営団地下鉄千代田線湯島駅下車。春日通りを上の方面に歩いて5分。

(2001年12月15日) 

■ABBEY ROAD,過ぎ去りし青春
このところ、ジョン・レノンやジョージ・ハリスンのソロ作品にはじまってビートルズの一連のアルバムを聞き返す日々が続いている。
12月という月は僕にとって特別なものになりそうだ。これまでもこの時期はジョンのアルバムを聴いたり、そこから触発されてビートルズ時代の曲を聴き直したりして過ごすことが多かったのだけれど、今年はそれにジョージ・ハリスンの死という悲しい出来事が付け足されてしまった。この先僕は12月が来る度にジョン・レノンとジョージ・ハリスンという二人の偉大なミュージシャンの死を思い出し、ビートルズ関連のアルバムを何度も聞き返すことになるのだろう。きっと世界中にはそんな人たちがたくさんいるに違いない。

ジョージの“Here Comes The Sun”を聴こうと思って、久しぶりにビートルズ最後のスタジオアルバム“ABBEY ROAD”を聴いてみたのだが、改めてその素晴らしさに感動してしまった。
僕がこのアルバムを初めて聴いたのは高校1年生の頃だったが、はっきり言ってその頃はこのアルバムの良さがよくわからなかった。勿論、“Come Together”や“Something”など一曲一曲としては好きな曲が入っているのだけれども、アルバム全体としてみた時には何だか集中して聴くことができなかった。それはABBEY ROADがコンセプト・アルバムだったということが大きい。
ピンクフロイドなんかは別として、僕はコンセプト・アルバムみたいなやつが長い間どうしても好きになれなかった。アルバム一枚通してのトータルなサウンドが云々…なんてうざったいではないか。そんなことより一曲一曲取り出して聴いてみてもカッコいい曲が目白押しみたいなアルバムの方が好みだったのだ。その頃良く聴いていたローリング・ストーンズの“刺青の男”みたいな…。そんな高校生の耳からすれば、このアルバムの、特にB面のメドレーはどこがいいのかさっぱりわからなかった。“Golden Slumbers”なんてちゃんと作れば凄くいいものになった筈なのに、なんで途中でほっぽり投げたような構成になってるんだろう…。これはきっと末期のビートルズはバラバラだったからアルバムに入れられるだけの曲がそろわず、ポール・マッカートニーとジョージ・マーティンが頭を絞って未完成の曲を四苦八苦して繋ぎ合わせて何とか体裁を整えたんじゃないのか、と当時はそこまで僕は考えていた。

でも、今ABBEY ROADを聴くとあの頃とは全く違った感慨を抱いてしまう。なんというかすごく切ないのだ、このアルバムは。すごくすごく切ない。一人で夜ヘッドフォンで聴いているとはらはらと涙が零れてしまうほど切ない。そしてこの切なさはアルバム全体を通して聴かないと得られない。一曲一曲だけ取り出して聴いても絶対感じることのできないフィーリングなのだ。
30を過ぎた今聴くと良くわかる。このアルバムに収められた曲たちは、みんな青春の様々な断片を切り取ったかのような輝きに満ちているのだ。“Something”や“Here Comes The Sun”は言わずもがな、“I Want You”のようなヘビーブルースにも、“Oh! Darling”のような粗野なR&Rにも、二度と戻ってこない青春の日の輝きのようなものが感じられる。
僕がビートルズに対してストーンズと決定的に違うと思うところ、それはビートルズにはあったかさとか剥き出しのピュアネスがあったということだ。ほんとはビートルズだってストーンズ以上にワルだし、ストーンズにだってビートルズに負けないぐらいの水晶のように美しいピュアネスがほんとはある。しかし、少なくともビートルズ時代の4人のカブト虫たちは、紙一重の線を歩きながらも最後まで楽曲至上主義的な姿勢を貫き通し、太陽のように温かく優しい音楽を作り続けた。他に比べようもないあったかいコーラスや心の琴線を直撃するかのような美しいメロディ、それらのいわゆるビートルズ・サウンドと呼ばれるものは僕にとって、クサイ言い方かもしれないけどやっぱり“青春”という言葉を連想してしまうようなものなのだ。
今にして思うのだが、B面の未完成曲のメドレーはやっぱり未完成でなくてはならないものだったのだ。あの曲たちは未完成であるが故の儚げな美しさに満ちている。それらの美しい曲たちが走馬灯のように駆け抜ける展開は、まるで60年代という時代を駆け抜けていったビートルズ自身をも思い起こさせ、今聴くと喩えようもないくらいに感動的だ。
やっぱりビートルズはすごいバンドだったとつくづく思う。解散直前のグループがよくぞここまで感動的な作品を作れたものだ。メドレー最後の“The End”は、若草のような青春の日々が過ぎ去ってしまう悲しさと一瞬の美しさに満ちている。すごくすごく切ない。ビートルズファンですらポールの人間性を悪く言う人がいるけれど、そういう人たちはABBEY ROADのB面をちゃんと聴いた事があるのだろうか?この人は間違いなく生きることの喜びや悲しみをたくさん知っている人だと思うなあ…。

僕はこのアルバムのジャケットもたまらなく好きだ。見ていると引き込まれてしまいそうな気持ちになる。
何年か前ロンドンを訪れた時、僕は実際にABBEY ROADを訪ねることができ、そこを訪れた人の誰もがそうするように、ビートルズの4人と同じように横断歩道を歩いて写真を撮った。しかし、僕の写真に写っているABBEY ROADとアルバムジャケットのABBEY ROADが同じ場所だとはどうしても思えなかった。このジャケットに映る風景は遥か彼方の風景のようでありながら、遠い昔に故郷の町で似たような風景を見ているようでもあり、胸をかきむしられる様な郷愁を覚えてしまうのは僕だけだろうか…。
そういえば、道を横切るビートルズの4人、先頭と一番最後の人はもうこの世にいないんだねえ…。切ないなあ…。

(2001年12月15日)

■ I Love Leyona
CSのViewsicという音楽専用チャンネルに“The Roots”という番組がある。写真家のハービー山口さんが、ゲストのミュージシャンに縁の深い場所を一緒に旅しながらミュージシャンの素顔に迫るという番組なのだが、11月には玲葉奈が登場した。

僕はBBSにもしょっちゅう玲葉奈のことを書いているので、このサイトを良く見てくださっている方には僕が熱烈な玲葉奈ファンだということが既にバレバレだと思う(笑)。
実は僕が彼女の歌をちゃんと聴き始めたのは今年に入ってからだ。勿論デビュー曲をCHABOがプロデュースしたとか、991/2がバックをつとめたイベントを観たHARRYが彼女のことを褒めていたなどの前知識があったので、前々から是非ライブを見てみたいシンガーではあったのだが、なかなかそのチャンスに出会えないでいた。それが今年5月、幸運にも大好きな吉祥寺のライブハウスでRIKUOとのジョイント・ライブという超おいしいイベントを見ることができ、完全に玲葉奈にヤラれてしまった次第。もう殆ど恋してしまったと言ってもいいくらい(笑)。
赤いタンクトップとジーンズといういでたちでステージに出てきた玲葉奈は無茶苦茶キュートでスタイル抜群。こんなにセクシーな娘だったのか!とおぢさんは客席で一人のけぞってしまいましたよ(笑)。
しかし、何つってもやられたのはその声だ。彼女の声を何と表現したらいいんだろうか。ちょっとハスキーでとてもしなやかな、のびのびした声…。陰陽がはっきりしていてめちゃめちゃエモーショナル。僕が女性ボーカリストを好きになれるかどうかって声質がかなり大きいのだが、こんなに僕の好みにフィットする声に出会えたのは久しぶりだ。そんな抜群のボイスを持ったとびきり若くてキュートな女の娘がR&Bっぽいステップを踏みながら、のびのびとホントに楽しそうに歌ってるのを目の前にしたら、そりゃあ30半ばの子持ちの男だって瞳の中に星ぐらい飛ばすだろうよ(笑)…。

で、番組の中で玲葉奈とハービーさんは、玲葉奈が高校時代まで過ごした広島県三原市を旅の場所に選んでいたのだが、これが思っていた以上に見応えがあったのです。見ているうちに彼女の歌声がなぜこんなにも温かく感じられるのかよくわかったような気がした。
三原市は海沿いに広がる小さな地方都市で、二人は玲葉奈が高校時代にバイトしていたお店や、通い詰めていた楽器屋、レコード店などを廻っていくのだが、とにかく三原という町全体にとても穏やかな空気が流れているのがよくわかったし、何しろ住んでいる人たちが皆とても温かいのだ。
玲葉奈は中学時代から市内の楽器屋さんに通っていたようだが、最初は音楽というよりただ遊びに来ていただけだったらしい。でも店長さんは楽器を買おうと買うまいと、そんな子たちが店にたむろすのを少しも嫌がらずに温かい目で見続けてきたようだ。彼女が歌を歌っていこうと決心したのも、この店が主催するコンテストにアカペラで出場したのがきっかけだということだった。
番組では玲葉奈の通った高校も出てきた。玲葉奈はサッカー部のマネージャーをしながらバンドで歌うことを夢見る少女だったというが、サッカー部の顧問の先生が最高にイカしていた。英語の担任でもあったその先生は玲葉奈が歌に興味を持っていることを知り、何と自分のフェバリットでもあったジャニス・ジョプリンのアルバムのテープを彼女にあげたというのだ。今でもジャニスを自身のフェバリットと公言する玲葉奈だが、そのきっかけは高校の先生から貰った一本のテープだったのだ。

僕自身も北国の小さな町で思春期を過ごしたけれど、僕にはちょっとこういうシチュエーションは考えられなかった。町全体が保守的なムードで、若者が溜まれるような場所はゲームセンターやデパートの地下食堂ぐらいしかなかったし、バンドをやりたいと思っても他校の生徒と知り合う方法なんて考えもつかなかった。まして高校の先生なんか無気力の塊みたいな頭の固い大人ばっかりで、バンドをやるのを止めこそすれ応援してくれるなんてことは絶対になかった。久しぶりに会う先生の前で屈託のない笑顔を見せる玲葉奈は何だかちょっと眩しかった…。
暖かい海風の吹くであろうその小さな街で、きっと彼女はのびのびと思春期を過ごしたに違いない。彼女の声の聴く者を包み込むような豊かな表現力や天真爛漫なキャラクターは三原時代に培われたものが大きいのではないかと思う。“最近は生まれた土地の匂いを感じさせない人が多くなった”とは、あの村上ポンタの言葉だが、玲葉奈にはしっかりしたルーツが感じられてほっとさせられる。

彼女はCHABOや清志郎みたいなベテランからROCKIN' TIMEやDJ系の若手ミュージシャンまで幅広い付き合いがあるようだ。最初僕はもう少し焦点を絞った活動をした方がいいような気がしていたのだけれど、逆にこれだけルーツをしっかり持っているのなら、何をやっても大丈夫だろうという気がしてきた。何よりも僕がいいな、と思うのは、彼女は自分をソロシンガーというよりもむしろバンドの中で歌うべき人間だという気持ちを持ち続けていることだ。そしてルーツに対するリスペクトを常に忘れていない。忌野清志郎、土屋公平、佐野元春や関口正之などのおぢさん系ミュージシャン(失礼!)からゲスト出演の依頼が数多いのも、玲葉奈のそんなピュアなソウルがベテランミュージシャンの心をも甘く揺さぶるからじゃないかと思ったりするのだが…。
デビューのあてなんか全然なく、ただバンドを組みたいという想いだけで夜行バスに乗って東京にやってきたという玲葉奈。これから先、彼女が今より売れようと売れまいと、あのソウルフルなボイスと天真爛漫なキャラはきっとそのままだろう。
玲葉奈、Leyona、レヨナ…。最高にイカしたソウルシンガーであり、最高にイカした女の娘だと思う。

(2001年12月9日)

■Double Fantasy / John Lennon&Yoko Ono
今日12月8日はジョン・レノンの21回目の命日。今年は9月にニューヨークの貿易センタービルへのテロ事件やアメリカ軍のアフガニスタンへの空爆という大きな事件があり、個人的に平和への想いをより強くした年だった。街角から流れる“Imagine”を聴いていると、平和な社会を願う気持ちがこれまで以上に切実なものとして湧き上がってきてしまう。
しかし、逆説的なことを言うようだけど、ジョンは死後“愛と平和を歌う音楽家”というイメージがとても大きくなったが、ひょっとするとそれはジョン自身が望んでいたものではなかったんじゃないかなあ、なんて僕は時々思うことがある。

ジョン・レノンという人はその生涯で風貌も生き方も目まぐるしく変わった人だった。ポール・マッカートニーなんかはビートルズ時代からあまり見た目も変わらないし、音楽家としての立ち位置も一貫したものがあるように思う。むしろそれこそがポールの持ち味だと思うのだけれど、ジョンは一介のロックンローラーから平和運動の活動家、飲んだくれの落ちぶれた男、ハウスハズバンドと自身の様々な状況の変化を如実に音楽に反映させながら活動を続けてきた。
今では世界国家みたいになっている“Imagine”だって、リリース時と“Double Fantasy”を出した頃とではジョン自身がかなり違ったフィーリングでこの曲を捉えていたように感じられる。だから、あまり“Imagine”にとらわれ過ぎるのは逆にジョン・レノンという人の実像から離れてしまうような気がするし、かと言ってジョンが単なるロックンローラーに過ぎなかったかと言えばそんな一言ではとても言い切れない大きさを感じる。僕自身は、この振れ幅の大きさこそがジョン・レノンという人物の魅力だと思うのだが。
多分、ジョン・レノンのファンに彼のアルバムで何が一番好きか質問をすると、返ってくる答えは人によってかなり違ってくるのではないだろうかと思う。ジョンを愛と平和の伝道師として捉えている人は“イマジン”をベストに挙げるだろうし、ビートルズ時代のジョンが好きだった人は、“ロックンロール”や反動的に“ジョンの魂”を好きだと言うかもしれない。パンクにかぶれた経験のある人は“サムタイム・イン・ニューヨークシティ”が一番好きだと言うだろう。
僕自身も自分の環境の変化や歳を重ねるごとにフェバリット・アルバムが随分変わってきたが、結婚して子供がいる今は、ジョンがハウスハズバンド体験を得た後にリリースされたこの“Double Fantasy”が一番リアルに響いてくる。

僕は久しぶりにジョンが生前に残した最後のアルバムを聴きながら、亡くなったばかりのもう一人のビートル、ジョージ・ハリスンのことを考えていた。“Double Fantasy”に流れる穏やかな空気は、何だかジョージ・ハリスンがビートルズ解散後早くに到達した境地に似ているような気がしたからだ。
これは僕の勝手な想像なのだけれど、ジョン・レノンはジョージ・ハリスンの力強くて何事にも微動だにしない魂を内心羨ましく思っていたところがあったんじゃないかと思う。ビートルズ解散後ジョンが平和運動へと走ったのは、ジョージがマハリシの教えに心の安定を求めようとしたのと心情的には同じだったんじゃないだろうか。でも、熱くなりやすいジョンにとってそれは安定どころか喧騒の日々を招く事になってしまい、しまいにはヨーコまで失いかけることになった。紆余曲折の末、自分にとって一番に大事なものがヨーコだと本当の意味で気が付き、奇跡的に二人の間に子供が生まれた。大上段に振り被った平和運動より自分の身近にいる一番大事な人を愛することが究極の幸せ、そんなジョン・レノンの心境が素直に現れているのが“Double Fantasy”だと僕は思っている。
悟りの境地にまで達したかのようなジョージ・ハリスンに対して、ジョンの辿りついた境地はパンを焼く匂いの香ってくるような生活にしっかりと根を下ろすことだった。それは現在の僕にとってとてもリアルに感じられるものなのだ。そして“Double Fantasy”を聴いていると、今僕は何だかジョージ・ハリスンの死という悲しみも癒されるような気持ちになってしまう。音楽って本当に不思議だよなあ…。20年前には“Double Fantasy”をこんな風に聴くなんて夢にも思わなかった…。

逝ってしまった二人のビートル。今頃天国で何をしているのだろう…。お調子者のジョンのこと、案外ロイ・オービソンやキース・ムーン、ジミヘンなんかとすっかり話をつけてあって、ジョージを迎えてのスーパーバンドの準備がすっかり整っているのかもしれない。ブライアン・エプスタインがまたマネージャーについてたりしてね…(笑)。

  一人きりで旅に出かけてみようよ
  どこか遠い見知らぬ国へ
  また いつか 僕らは一緒になれる
  昔のように とても新鮮な気持ちでね。
     〜 (JUST LIKE)STARTING OVER 〜

(2001年12月8日)

■ALL THINGS MUST PASS / GEORGE HARRISON
このところ、ジョージ・ハリスンの曲ばかり聴く日々が続いている。BBSにも書いたが、ジョージの場合は唐突に天国に旅立ってしまったジョンとは違って、事前に重病の情報があったから、僕は割と冷静にその事実と向き合えたつもりでいた。
しかし、こうして彼の残した音楽の数々を聞き返すにつれ、ジョージ・ハリスンという素晴らしい音楽家がもうこの世にいないというどうしようもない現実がひしひしと胸に迫ってきて、日を追う毎に悲しみが深まってきている。

“ALL THINGS MUST PASS”は1970年に発表されたジョージ・ハリスンの実質的なソロ第一作目。熱心なジョージ・ファンの間では必ずしもこれをベストに挙げる人ばかりではないらしく、ジャムセッションのパートはいらないとか、もう少し曲を吟味して焦点を絞ったアルバムを作って欲しかったという意見もあるようだ。でも、僕は昔からこのアルバムが大好き。ジョージの書いた一曲一曲がまるで“Here Comes The Sun”や“Something”の世界をぐっと引き伸ばしたような優しく繊細な歌ばかりで、3枚組という冗漫さが全く感じられない。音の錬金術師フィル・スペクターの手による、まるでオーケストラのようなロックサウンドはまるで玉手箱を開けるような手触りさえ感じられる。
僕は特にCD1の1曲目から8曲目までの流れに何物にも変えがたいぐらい愛着がある。嫌なことがあって気持ちがくしゃくしゃしている時でも、悲しい出来事に塞ぎがちな気持ちを抱えていても、このサウンドに身を委ねていると、まるで日の当たる縁側でうたた寝をしているような穏やかな気持ちにさせられる。こんなに優しい気持ちにさせられるロックってちょっと他には思いつかない。
そしてエリック・クラプトン、リンゴ・スター、ジンジャー・ベイカー、ビリー・プレストンなどの豪華なゲストも、ジョージとのセッションを心から楽しんでいるようなのびのびしたプレイを聞かせている。特に親友クラプトンの情感溢れるプレイは自身のアルバムよりもいいんじゃないかと思うくらいだ。
生前ジョージは、このアルバムを手始めにして全てのオリジナルアルバムをリマスタリングして出したいなんて計画を漏らしていたっけ。今となってはかなわぬ夢だけど、せめてALL THINGS MUST PASSのリマスタリングがこの世に残ったことを、僕たちは素直に喜ぶべきなのだろう。

アルバムタイトルでもある“ALL THINGS MUST PASS”でジョージはこんなことを歌っている。

  すべては移りかわっていく
  全ては過ぎ去っていく
  人生を織り成す糸は永遠には続かない
  だから…僕は休まずに歩き続けよう
  新たに訪れる日を迎えるために

どんなに騒がしい音楽業界で生き続けていても、微動だにしなかったジョージ・ハリスンのピュアな魂に、僕は今心の底からこみ上げてくる熱い想いを抑えることができない。“ALL THINGS MUST PASS”を僕が冷静に聞くことができるようになるまでは、まだだいぶ時間がかかりそうである。

(2001年12月7日)

■さようならジョージ
僕が子供の頃、NHKに中学生日記というドラマがあった。ドラマとは言っても、それは天下のNHKが作るものであるがゆえ、民放の金八先生みたいなアイドル養成ドラマとは全然違っていて、当時の中学生の抱えるささやかな悩みをさりげなく描いた秀作が多く、地味ではあったが僕はけっこう好きな番組だった。そこに出てくる美術の先生があまり説教がましいことを言わずに、悩める生徒たちを影でそっと見守るような感じなのも良かった。はっきり言って、武田鉄也演じるうっとおしい熱血教師よりも、中学生日記に出てくる美術の先生の方が、僕にはずっとリアルに感じられたものだ。
僕はけっこうマセたガキんちょだったから、この番組を小学生くらいから見ていたが、今でも忘れられない印象深い回がある。それは、学校や家に少し違和感を持っている少女が、夏休みに年上の大学生に淡い恋心を抱き、彼とちょっとした感傷旅行をする話だった。今の中学生と大学生なら、こんなシチュエーションに陥ったらきっといくところまでいってしまうだろう。しかし、当時の中学生と大学生にはそんなことなど起こるはずもなく、少女は様々な場面を彼と一緒に過ごしながらも結局何も起こらずに、少し大人になって新学期を迎えるという筋だったと記憶している。

その中でも特に印象深いシーンとして、麦藁帽子に白いサマードレスを着た少女が、かげろうたなびく並木道をぶらりぶらりと歩いていく場面があった。そしてBGMには優しいアコースティック・ギターの音色と優しい歌声が流れていた。それは、思春期を目前に控えた少女の儚げな美しさと、大人になる少しばかりの悲しさを見事に表現していた名場面だったと思う。当時の僕はまだ自分から積極的に音楽を聴くような少年ではなかったが、長い髪の透き通るような少女の姿とともに、そこに流れていた美しい音楽がいつまでも耳に残っていた。

それから数年たって、僕がちょうど少女と同じぐらいの歳になった頃、思いがけずにその曲と再会することとなる。ふとしたきっかけで友人から借りた二枚組のレコード、それは俗に“青盤”と呼ばれるビートルズのベスト盤だった。その中に心の奥にずっとしまってあったあの曲が入っていたのである。“Here Comes The Sun”という名のその曲のクレジットには、作詞・作曲ジョージ・ハリスンという名前があった。

僕の、ジョージ・ハリスンという人に対する想いはこの時決定づけられたといっていいと思う。ビートルズのアルバムやソロ作品を聴くにつけ、他のビートルたちに対する想いは様々に変化していくのだけれど、ジョージに対しては、今でもあの頃と変わらない気持ちを抱き続けている。干草に包まれてまどろむような懐かしい香りと、まるで絹を紡ぐように繊細で優しい音楽を奏でるロマンチスト…。後にジョージが、カール・パーキンスに憧れたロカビリー少年だったことや、レーシングカーを愛するスピード狂だったことを知っても、その想いはいささかも変わりはしなかった。

恐らく、ジョージは他の3人のメンバーたちの誰よりも幸せな少年時代を過ごしたのではないかと思う。ジョージ・ハリスンという人の持つ優しさは他のメンバーたちにも安らぎを与えたことだろう。特に幼い頃に実母を亡くしているジョン・レノンにとっては、有名になった息子を手放しで喜ぶ母親がいるジョージを羨ましく思うこともしばしばだったのではないだろうか。

ソロになってからのジョージは、必ずしも幸福とは言えない人生だった。大志を抱いて開催したバングラディッシュ難民救援コンサートは、いい加減な会計士が集まった募金を横流しした為、ジョージまで批判されることとなってしまったし、代表曲My Sweet Roadは盗作だと訴えられ、あろう事かジョージは裁判で負けてしまう。ポップスターというものの馬鹿らしさに早くから気付いていたジョージは、ヒット曲を要求するレコード会社に嫌気がさして何年も沈黙してしまうこともしばしばだった。生き馬の目を抜くような音楽業界で、ジョージはどんな思いで移ろい行く日々を過ごしてきたのだろう…。

“Here Comes The Sun”を聴くと、僕の心は夢ばかりを見て暮らしていけた少年の頃に帰っていく。辛い現実に立ちすくんでしまった時、悲しい別れに眠れぬ夜を過ごす時、僕はジョージの歌声に何度も何度も励まされてきた。きっと、これからもそんなことが数え切れないくらいあるのだろう。

「ひとりぼっちの寒くてつらい冬が、ずっとずっと続いてる。何年も何年も。
でも、今、やっとお日さまが出てきたんだよ。
ああ、なんていい気持ちなんだろう…。」

ジョージ・ハリスンは木枯らし吹きすさぶ寒い冬から、温かな日のさすあの懐かしい日へと静かに帰っていったのだ。
さようなら、ジョージ。僕はあなたのことを、あなたの作った水晶のように美しい音楽を一生忘れません。

(2001年12月3日)

■空爆後の世界に思いをはせる
今日はちょっとかたい話をします(笑)。

アフガニスタンの首都を制圧したといっても、アメリカ軍の空爆は一向に止む気配がない。
9月11日の“あの日”以来、僕はネット、新聞・TVなど様々なメディアでいろんな情報を見てきた。情報を得たところで僕の頭じゃ答えを出せるような問題ではないことはよくわかっているけれど、とにかく今世界で何が起きているのか知る努力だけはしておかないと、なんだか不安で不安で仕方なかった。

今、僕は、空爆以降の世界はアメリカの大国主義やイスラム社会みたいな一極集中型から、もっと違う方向に進んでいくだろうと信じている。アメリカ合衆国は、今回の政策的な失敗で強権的な大国主義をやめ、利益を世界と分かち合えるような国に生まれ変わるだろう。これからも人類は何度か今回のような辛酸を嘗めなきゃならないだろうが、過ちを繰り返しながらも世界は少しづつ柔らかくなっていくんじゃないだろうか。
この期に及んでおまえは何を能天気なことを言ってると思われるだろうか?勿論僕だってすぐにそうなるとは思ってないさ。だけど、平和な世界を実現したいと思うなら、人類の選択肢はそれしかないではないか。そうならなかったら、近い将来人類はそれこそ本当に滅亡してしまうんじゃないだろうか…。

9月11日以来、あらゆる価値観ががらがらと崩れてしまったという人がいる。21世紀は20世紀の続きじゃなかった、9月11日以来世界は過去と分断された全く新しい世紀に突入してしまったという人がいる。
ならば言おうじゃないか。僕たちは、貿易センタービルに飛行機が突っ込む前日に戻るだけじゃダメなんだ。もっと新しい世界に進んで行かないと、もっと新しい世界を作っていかなきゃダメなんだと…。
災い転じて福となすじゃないけど、月日が流れ今度の事件が歴史となった時、未来の世界史の教科書には“21世紀初頭の同時多発テロは、多くの尊い人命を奪う悲しい事件だったが、それは世界が真の平和へと向かうことを考え始めるきっかけとなった”という一文が絶対に書かれてなければならないと思う。だって、そうじゃなければ貿易センタービルで亡くなった多くの人たちや空爆で亡くなったアフガン人たちは本当に犬死じゃないか。

メディアに散在する情報を注意して見てみると、すでに明るい兆候が幾つか出始めているのを見つけることができる。先々週に米ロ戦略核削減交渉がスムーズに進んだのもそうだし、イスラエルの外相は個人的レベルだが、イスラエル人の中にパレスチナの独立を支持する層が存在することを認める発言をした。こんなことは少し前までの世界では考えられなかったことではないかと思う。
あくまでも僕個人としての見方だけど、アフガニスタンについての基本的な知識については、ペシャワール会というNGO団体の代表中村哲さんの公演を、作家の池澤夏樹さんが纏めた、
http://miiref00.asahi.com/national/ny/ikezawa/011019.html
というサイトの一文が分かり易いように思う。一読しただけで、一般誌、TVで報道されるアフガンと実際の状況にはかなりの違いがあることに気付くだろう。
もちろん、これとて無数にあるアフガン関連情報の一つでしかないわけだから、複数のメディアを俯瞰して複眼的に情報を租借する必要はあると思うけれど、アフガニスタンで長年医療活動を続けている現場の人の発言は、名を挙げるだけの為に国際法を無視してアフガンに入ってるようなフリー・ジャーナリスト(という名の不法入国者)や、アメリカ政府の息のかかった似非ジャーナリズムよりもはるかに信憑性があると僕は感じている。
(ペシャワール会のサイトはこちら http://www1m.mesh.ne.jp/%7Epeshawar/index.html)

僕たちは、上記の人たちみたいな行動をすぐにとることはできないけど、平和な世界を作る為には市民レベルとしてどう振る舞っていけばいいかを考えることはできるし、その基準となる知識を習得する材料としてメディアを使うようにしていくべきだと思う。
はっきり言って、こんな時期にぼけーっとパキスタンに点数稼ぎに行くような外務大臣の行動は、どう見てもピントがずれている。“旗を見せろ!”と最初に言ったのが誰だったのか犯人探しをすることで偽善家ぶって喜んでる低俗なマスコミも、この際無視すべき。そんなの読むだけ時間の無駄だと思う。
そんなことより、アメリカが自国の権益を守るために京都議定書の批准を躊躇しているというなら、日本は徹底的にアメリカのお尻を叩かなければならないと思うし、僕はそれができる政治家に投票したい。
衆議院テロ対策特別委員会で、中村さんは参考人として「自衛隊派遣は有害無益だ」と発言したという。これに対して、自民党のK議員は「その発言を取り消せ」と迫ったらしい。話が聞きたいと招いておいて、自分が気に入らないことを言われたので「取り消せ」ときたわけだ。僕はこういうケツの穴の小さい男は金輪際指示しないことにしたし、彼が主流派として意見を纏めるようになるならその党も指示しないことにする。
そういう風に考えていけば、僕たちが今回の問題とどう関わっていけばいいのか、何となく方向が見えてくるんじゃないかな。小さいことかもしれないけれど、僕にとっては大事な拘り。だってその党を支持すれば、自分の選択として自衛隊派遣を容認したことになっちゃうんだからさ…。

中村さんはこんな事も言っていた。

『今回のテロ事件は終わりの始まりだと私は思っています。経済的繁栄と安全が両立する社会が成り立たなくなっ
たのです。今、日本は少し貧しくなっても安全に平和で暮らせる社会か、豊かだけれども危険と隣り合わせの社会
のどちらかを選択しなければならなくなったと私は思います。』

僕はベビーブーム世代の申し子だ。地方のしがない公務員の家に生まれた僕は決して豊か過ぎる生活を送ってきたとは思わない。しかし、世界レベルでみれば充分すぎるくらい豊かさを享受してきたのかもしれないと思う。
まあ、こうして暖かい部屋でネットに接続し、くだらないたわごとを書き連ねられる生活はやっぱり快適だしこのぐらいはできる豊かさが欲しいとは正直言って思う。でも、かつてスプリングスティーンが歌っていた様に、僕たちはいつか代償を支払わなければならないのかもしれない。それである程度僕たちの生活レベルが下がってしまっても、それはそれでしかたないのではないかと、僕は今思っている。

(2001年12月1日)

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