9月11日に発生した米国の悲劇は、五千人を超える行方不明者の安否が不明な状態が続き、この中には数十人の日本人も含まれている。
米国は有力な容疑者としてオサマ・ビン・ラ−ディンの存在を挙げ、その引き渡しについてアフガニスタンを実行支配しているタ−リバ−ンと交渉中である。
夕刻の報道では同組織がオサマに国外退去を通告することを決定したと伝えている。
パキスタンの役割も含めて数日はアフガニスタン内部の動向が注目される。
そこで手元にある資料をもとにオサマと米国のこれまでの経過についてレポ−トしておきたい。
1.オサマは1957年、サウジアラビアの裕福な家に生まれた。
ジッタの大学で経営学の修士課程に在籍していたが、やがてイスラム神学に転じた。
その間、イスラム原理主義からの影響を受けたようである。
オサマの父親は、故ファイサル国王の親友で大手建設会社を経営しており、オサマも経営に関わるようになった。
オサマの2億ドルとも3億ドルともいわれる資産はこの頃に蓄積されたものではないかと言われている。
その後オサマは、宗教的信念から当時、対ソ連ゲリラ戦最中のアフガニスタンに赴き、豊富な資金をもとにムジャ−ヒディ−ン(聖戦士)を支援した。
ソ連がアフガンから撤退した1989年にはサウジに戻り、イラクが1990年にクウェ−トに侵攻すると、サウジ王室にクウェ−ト防衛を働きかけた。
しかし、王室はオサマの進言を入れず、米軍を招聘した。オサマは、非イスラム教徒の駐在に強いショックを受けたという。
オサマは、クウェ−ト解放後も米軍2万が在駐を続けたことに対し王室批判を展開し、1994年にはサウジ国籍を剥奪された。
その後オサマはス−ダン潜入を経て、1996年5月にアフガニスタンに舞い戻った。
オサマは、米国に対するジハ−ド(聖戦)を公に宣言した唯一人のテロリストと言われ、1996年から1998年にかけて3度、サウジアラビアやその他の聖地における米国の存在に対してジハ−ドの宗教上の指令(fatwa)を出している。
199センチの長身と濃いあごひげが特徴的である。
2.オサマが関与したと言われている米国を標的としたテロ事件
・貿易センタ−ビル襲撃事件(1993年)』
死者6人 負傷者1000人
・オクラホマ連邦ビル爆破事件(1995年)
死者81人 行方不明者約200人
・ケニア・タンザニア米国大使館爆撃(1998年)
死者263人 負傷者数千人
・米国イ−ジス艦コ−クス爆破(2000年)
死者17名
<以上の資料は、国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 373 より抜粋>
岩倉博文
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