2002−06−05
若葉なびく御殿山・富士見山

異様な雰囲気を感じながら句碑の里をジグザグに愛車を、走しらせて[甲斐やすらぎの宮]に着いた。ここからの富士見山(1640m)への登り口に駐車するところが見当たらなかったので、橋を渡って暫く走ったら奥殿参道登山口が見つかった。
近くの竹藪の所に愛車を止めて見たが、なんとなく寝心地がイマイチしっくりこなかった。良いところないかなとそのあたりを歩いて見たら小さな部落があり、その上に中富町の郵便資金の融資をうけて出来た施設があった。
施設にアスレッチックがあるが草がぼうぼう伸びていて、誰も踏み込んだ形跡がなかった。少し斜めだがここに決めて愛車を、入り口に16時ごろ車を止めた。
登山口を確認する為にすぐそばに富士見山への看板の道を少し登ったら水道施設とバス停前に出た。草が生える中にノビルが沢山あったので、採って大根をおろしてビールのつまみにして食べた。
富士見山の裾野の斜面に
憩いを呼び寄せる広場
施設に草が自由気ままに伸び
誰も訪れて運動する人もなし
アスレッチックの設備が
哀しく聞えてくる
富士見山の草原に
採る人もなく野蒜が気ままに
柔らかな土に伸び伸びと
大きく生えて我を呼び
風にのり聞えてくる
起きたら明るくなっていたので外を見たら曇り空で山の上は見えていなかった。食事をして5時10分に出発した。車道の登山口から薄暗い杉林の中へ入って登っていった。 昔大木を伐って引きずって里に下ろした跡を登って大国神に着いた。
落葉樹の木の回りを三つの輪に切られて無残な姿があちらこちらに見られた。何故このようにするのか、考えながら登っていたら植林上限の尾根に着いた。
富士見山に木霊が呼ぶ
落葉樹の木々さん
切られてコモかぶせられて
痛かろうな
誰がやった
金のなる木を
植える為に
苦しんで
枯れてしまったのか
富士見山を守ってきて
切られた虚しさ
中富の里に
森の悲しみが谺する
落葉樹が間引きされて見晴らしが良くなっているところを少し歩くと[危険危ない]という看板があった。左側の稜線がえぐれていた。
左にトラバースして右方向の尾根らしからぬ所をジグザグに登って行った。山頂まで1.5km看板の当りから若木の混じった自然林になっていった。
山頂出会いに着いた。
暫く下って登り返したらそこは富士見山の展望台であった。
富士川も霞んで
浮かぶ雲にのって
富士のお山もかすかに
春霊な残雪見えるかな
奥の院に訪れる人々の
願いこめて望むれば
富士のお山もおぼろげに
心に溶け込み雲流れる
富士見山の水のふるさとは
谷間の岩や土に助けられて
木々や草にうるおいをあたえる
富士見町の子供達の守る森に
未来に流れる清き水かな
狭い尾根を少し下って三つめの頂きが二等三角点の富士見山であった。
オドリコ草に見守られ
土山をあえぎ登り
カラマツ林に囲まれし
頂きの三角点
見えぬ眺望に静かに
横たわる富士見山
東斜面に山桜を見つつ
花びらまた一つ散り
流れる香りに浮足は
富士見山の大地知る
展望台に引き返して再び霞がかかる富士山を眺めながら一時を過ごした。
展望台の神社に別れを告げて登り返して堂平峰御殿山分枝を越えた。平坦な道を暫く行くと、
甲斐やすらぎの宮と御殿山の分枝に着いた。そこから御殿山へと向かった。
暫く下り登り返して行くと朽ちた大きな木や かなり昔から生き続けてきた大ミズナラの木があった。
一つ目の山を越えると登山道に昔伐採に使用したのか、撤収しないでそのままに放置された錆びたワイヤーが散乱している。自然らしさを失わせる光景を見ながら枯れ葉を踏みしめて静寂な道を歩いた。
二つ目の山を越えたら手入れもされていない枝枯れをしている無残なカラマツ林広がっていた。哀しい稜線のカラマツ林を通りすぎて平坦な道にアセビの林が広がっていた。アセビは切られずに残ったのか、ワビを思わせる素晴らしいアセビ通りである。
登る人が少ないのか不明確な道を登り、三つ目の山の頂きに着いた。そこが三等三角点の御殿山であった。

落葉樹に囲まれし
句碑の歌声も聞えぬ
静かなる御殿山
木々から若葉が顔を出し
我に話しかけるのか
いつまでもいて欲しいのか
やがてやってくる青葉の山に
訪れて戯れて見たし
御殿山の精魂なる森
御殿山に別れを告げて、富士見山の分枝から危険な不明確な下山道を通って甲斐やすらぎの宮へと下った。
追記
山梨県、中富町の句碑の里付近から登り、朝が早かったのか誰にも会わなかった、静かな山登りを味わうことが出来た。竹藪のある広場に登山者の車か、3台車が止まっていた。
05:10発 奥参道登山口
07:45着 富士見山1640m
09:20着 御殿山1670m
11:02着 甲斐やすらぎの宮
11:10着 愛車