*プロローグ・・・
服神院の生まれた故郷は、信濃町・仁之倉である。春には緑豊かな森や林に山菜を求めて、暑い日は鳥居川へ涼しさを探して、実りの秋に満腹の笑顔で過ごして、雪深い中で寒いながらも雪と戯れて暮らした。
子どものころ村で遊んでいたら、見知らぬ人に、
「一茶の母の家は何処ですか」
と時々聞かれたことがある。一茶ってなんだろうと思っていた。小学校に行きだしてから小林一茶という人を知った。子ども心にも野山を愛して草木や虫たちに話しかけながら しだいに詩歌・俳句が好きになっていった。
*一茶と芭蕉そして服神院・・・
一茶は15歳の時 江戸に出てから竹阿宗匠(葛飾派)の元で俳句を学んだ。一茶は動物や子どもを愛して、喜びも悲しみも全てが俳句にとけ込み、心温まる俳句を数多く残している。一茶の俳句は、二万句といわれている。
| 「やれうつな はえが手をする 足をする」・・・一茶 |
「我と来て 遊べや親の ない雀」・・・一茶 |
| 「路地うらら 我と遊んで じゃれる猫」・・・服神院 |
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服神院が18歳の時、松尾芭蕉の[奥の細道]を買って読んだ。芭蕉は伊賀(三重県)の上野に生まれて藤堂良忠に使えてから俳句を知った。京都の北村季吟(きぎん)宗匠の元で俳句を学んだ。それから江戸へ 芭蕉は冗談や笑いの句を好まず新しい俳句を目指した。芭蕉の俳句は現存するものは、一千句である。
| 「しずかさや 岩にしみる せみの声」・・・芭蕉 |
「夏草や つわものどもが 夢のあと」・・・芭蕉 |
| 「行春や 陸奥かなた 道千里」・・・服神院 |
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| 「やけ土の ほかりほかりや 蚤さわぐ」・・・一茶 文政10年(1827)65歳死去 |
「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」・・・芭蕉 元禄7年(1694)51歳死去 |
| 「山旅に 人生かけて 悔いはなし」・・・服神院 |
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| 「あさら井や 小魚と遊ぶ ところてん(心太)」・・・一茶 |
「おらが世や そこらの草も 餅になる」・・・一茶 |
| 「野ざらしを 心に風の しむ身かな」・・・芭蕉 |
「露とくとく こころみに浮世 すすがばや」・・・芭蕉 |
| 「全国を 訪ねし四季の 野山かな」・・・服神院 |
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| 「もたいなや 昼寝して聞く 田植唄」・・・一茶 「ともかくも あなた任せの としの暮れ」・・・一茶 「能なしは 罪も叉なし 冬ごもり」・・・一茶 「子をかくす 藪の廻りや 鳴く雲雀」・・・一茶 「子を思ふ 闇やかはゆい かはゆいと」・・・一茶 「年玉を あたまにおくや 小さい子」・・・一茶 「這え笑え 二つになるぞ 今日から」・・・一茶 |
「いやいやと 鼻取り仕事 田植哉」・・・服神院 「家帰って 妻に任せの 家事仕事」・・・服神院 「田舎かと 思ってはいるが 家恋し」・・・服神院 「親馬鹿に つける薬は 効かぬ哉」・・・服神院 「可愛いや おつむてんてん 我が子かな」・・・服神院 「怪我したな ちちんぷいぷい 元気な子」・・・服神院 |
| 「暑き日を 海に入れたり 最上川」・・・芭蕉 「子にあくと 申す人には 花もなし」・・・芭蕉 「僧朝顔 幾死にかへる 法(のり)の松」・・・芭蕉 「山路来て 何やらゆかし 菫(すみれ)草」・・・芭蕉 「死にもせぬ 旅寝の果てよ 秋の暮れ」・・・芭蕉 「笠島は いつこさ月の ぬかり道」・・・芭蕉 「煤掃きは 己が棚つる 大工かな」・・・芭蕉 「我が宿 淋しさ思え 桐一葉」・・・芭蕉 |
「猛暑に 最上川たち 夕涼み」・・・服神院 「可愛い子 憎む心は 散りし花」・・・服神院 「危の旅に 死相どこへ 禅の道」・・・服神院 「渓谷に 心洗われ 仏法草」・・・服神院 「松島や 感無量にて 月の船」・・・服神院 「我が山よ 楽しさ歌え 芽吹きの葉」・・・服神院 |
| *ピロローグ 「教えてな 一茶のおじさん 句の心」・・・服神院 「芭蕉知り 句の芸術を 学ぶ哉」・・・服神院 「真似て知る 奥の深さの 俳句道」・・・服神院 「足跡や 旅にみたてて 四季の暮」・・・服神院 「人生は 山谷楽あり 句旅哉」・・・服神院 |


