作曲者が書いたこと、楽譜は絶対か?

−−ポリーニによるシューベルト/さすらい人幻想曲を例に−−(2/Dec/98改訂)

 ポリーニは私の大好きなピアニストの一人なのですが、この人は楽譜に厳格なことで有名
でして、特に右手と左手の受け持つ音符は絶対で、演奏者の都合で弾きやすいようにしては
いけないと以前(いつかは忘れましたがレコード芸術誌だったと思います)言っていました。
 その極端な、そして私にはちょっと納得できない点をこれから述べたいと思います。場所は
第4楽章33小節3拍めの一番上の音です(下の楽譜を見てください)。私が持っている楽譜は
音楽之友社からでているパウル・バドゥーラ・スコダ氏の校訂によるウィーン原典版です。
解説が豊富で勉強になるため原典版が好きなのですが、この解説にも「おそらくシューベルト
の書き間違いによるもの」とあります。理由の大きなものとして「オーケストラ風に例外なくオク
ターヴで強化されてきた上声部が、突然9度になることと、それによって今までの厳格な3声体
(オクターヴの強化をともなった)がこわれることは、もっとも単純な作曲の規則に矛盾する。」と
あります。他にも3点ほどの理由が述べられていますがシューベルトが他の場所でも時々書き
間違いをすることも含まれています。
 何よりも聞いてみて下さい。ここだけ耳障りな音が響きます。ピアノが弾ける方は弾き比べて
みて下さい。事情を知らない人は「明らかにミスタッチ、なぜポリーニが直さなかったの?」と
感じるはずです。
 ここで問題なのは、ポリーニは
作曲者の間違いというものは無くて、作曲者の書いたことが正解なのだ。
という見解を持っているということだと思います。モーツァルトよりも短い生涯で同じようにたくさんの
作品を書いたシューベルト。ここにしても五線譜の上に「しゃしゃしゃ」と短い線を書き加えつつ
書いた音符の位置がちょっとずれただけのことだと思います。でもシューベルトの意識にあった
音はオクターヴだったのではないでしょうか。

 このページの最初にも書いたとおり専門家でもなんでもないただの音楽ファン(音楽を習った
のは中学まで)として素朴な疑問です。
 もうひとつ、間違いではないのですが作曲者が意図したであろう音と楽譜についてもうひとつ
話題がありますが後日書きます。ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」と呼ばれる第29番
変ロ長調op.106の第4楽章からです。

D760.jpg (12874  o C g)
 

シューベルト/さすらい人幻想曲より第4楽章の第31〜33小節

上にも書いたようにCake Walkを入手したので、この楽章の冒頭部分を聞き比べて見て
ください。第36小節目までです。
オクターヴに直したもの         恐らく間違いの自筆譜通り


−−ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番変ロ長調op.106−−(3/Dec/98改訂)

 これは楽譜のミスという問題ではなく、作曲者の意図はいかなるものかという考察です。
第4楽章115〜116小節左手、下の楽譜を見てください。ちょうど中央部分です。
 先に私の考えを述べますと、「ベートーヴェンはこの音をオクターヴにしたかった。」、しかし
当時ベートーヴェンが使っていたピアノはその上の「は」のオクターヴ下である「下一点は」
(へ音譜表の下第5線の下)までしか鍵盤が無かったんです(これは事実です)。そのため泣く
泣くオクターヴをつかむことをあきらめたのです(あ、断定してる)。下線をひいた2つの音符は
私が書き加えたものです。
 その裏付けは前後の左手です。楽譜を見れば一目瞭然!すべてオクターヴになっています。
さらに嬉しいことに、学者肌で有名なブレンデルの演奏ではこの音をオクターヴにして弾いて
います、確かに。 おまけに括弧付きでオクターヴ下の音を書き加えている楽譜も存在して
いることも事実です。
 実際、下の音符を弾いているかいないかで響きの全然違うこと!!当然ポリーニは楽譜
通り弾いていますから好対照です。

Beethoven_106.jpg (68138  o C g)

これも、実際の音にして見ました。トリルがいかにも「機械」といった感じですが、
下線の音符のあるのとないのを聞き比べてみてください。第108小節から第116小節目までです。

オリジナルの楽譜通り         音符を加えたもの


−−ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調op.125「合唱付き」−−(4/Oct/97)

 我が国を代表する指揮者、岩城宏之氏のエッセイ(今手元に無いため書名は忘れました。
判り次第書きます。)にあった話です。氏はもともと打楽器奏者であったために気になって
いたとのことです。ベートーヴェンはデクレシェンドとアクセント記号が曖昧、つまりアクセント
記号が少し長くなっていることが多かったそうです。

 第4楽章のクライマックスで、オーケストラのティンパニのパートを除くありとあらゆるパートに
アクセントがついている"vor Gott"の個所なんですが、ちょっと場所が分かりにくいでしょうか。
岩城氏の説明によると、指揮者になる前この曲を演奏するたびに、「なぜ自分だけが弱く
しなくちゃならないんだ」という疑問を持っていたそうです。そこでいろいろ調べていくと「これは
デクレシェンドではなくてやはりアクセントなのではないか」という結論に達し、自身の指揮の
ときにはティンパニにも強奏を続けさせているそうです。
 私は残念ながらその演奏を聞いたことはありませんが、ティンパニだけが弱くなっていくのは
確かに変だと思います。岩城氏もこの経験が無ければ気がつかなかっただろうということは
書いてあったと思います。


 重箱の隅をつつくような話題で恐縮です。細かいところが気になるととことんまで気になる
タチなのでご容赦のほどを。いつもそういう音楽の聞き方をしているわけではありません。
たまに楽譜を眺めながら(「読め」ないもので)聞くといろいろな発見をしたり、より深く曲が
理解できたりするものですから。でも聞き流していることの方が多いですね、もったいないと
思いつつ...。


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