ばら寿司                早 島  潮

 酢でもんだ御飯の中に具として、さわら、鎮台貝、干し椎茸、干瓢、人参、銀杏等を混ぜ合わせ、ゆり輪の中へ敷きつめて、上には線切りにした薄焼き卵、紅しょうが、さやえんどうを色鮮やかに飾りつけたばら寿司。岡山県は早島町で収穫を祝って営まれる秋祭りの御馳走である。この地方では、誕生、七五三、入学、卒業就職、結納等の人生の節目毎に行われる祝い事の時に欠かすことの出来ない料理として位置づけられている。
 
 私にとってばら寿司は北朝鮮鎮南浦から早島町へ大戦後引き揚げのため、夜間銃声に怯えながら三十八度線を徒歩で突破した逃避行の想い出と結びついている。それは飢餓の旅でもあった。

 空襲の虞れがあるので疎開するため家財一切を先に送り出し、二日後には出発という日に終戦を迎えた。外地における敗戦国の国民は惨めなものである。在留日本人は手持ちの品を売り喰いしながら飢えを凌ぐ生活が始まったが、我が家では疎開地へ送り出した家財が返ってこないので売る物がない。父は出征していたので、当時七才の私を頭に四才の妹と生後十ケ月の妹を抱えた母は、女手一つで家族を養うべく、朝鮮人の経営する農園へ草取りの手伝いに出掛けた。賃金の替わりに貰ってくる白菜、大根、コ−リャン等が育ち盛りの私達兄妹三人の糧であった。必然的に栄養失調となり骨と皮だけのみじめな姿であった。このような生活が一年程続き漸く引き揚げることになった。

  佐世保港へ上陸した私達一家はDDTで体中を真っ白に消毒され、長時間石炭の煙に咽びながら列車に揺られて、伯母の待つ早島町へ明け方近く到着した。表戸を激しく叩いて家人を起こし、再開の涙にくれたのである。前日がたまたま早島町の秋祭りの日であったため親戚一同を招待した残りのばら寿司を御馳走になった。この時のばら寿司の味は一生忘れられない。                          98.7.11 脱稿