我流つれづれ草

2009/07/10

我流つれづれ草・・・己を知らずして

高倉院の法華堂の三昧僧で何とかいう名の律師がある時、鏡を手にして自分の顔をよくよく見つめていると、 自分の顔がつくづく嫌になり、鏡さえも放り投げて、それからは一切鏡を手にすることをしなくなった。  そして、人付合いもしなくなり、寺の勤め以外は自分の部屋にこもってしまったという。 こんな話を興味深 く聞いたことがある。 たとえ賢そうな人でも、他人のうわべだけを見てあれこれ言っているが、はたして、 自分のことをどれだけ知って言っているのだろうか。 だいたい、我を知らずして、他人のことが分かるはず などはない。 だから、己がどんなものか知った人こそが、他人のことが分かる人というべきなのである。  ところが、己の容姿の不細工さを知らず、心の愚かさを知らず、芸の未熟さを知らず、境遇の惨めさを知らず、 年老いていることを知らず、病気に取りつかれていることを知らず、死期が近づいていることさえも知らず、

雪舟の達磨

禅昌寺所蔵 八方にらみ達磨

スギ

禅昌寺裏山の杉

おまけに、人生修行が足りない半端者であることも知らないのだ。 このように、多くの人は己を知らないも のだから、他人がどう思っているかなど知る由もない。 但し、容姿は鏡を見れば分かるし、年は数えれば分 かるから、己を全く知らないわけではない。 だが、知っていても、どうすればいいのか分かっていない。  これは、知らないのと同じことなのである。  とはいっても、顔を整形しろとか、若づくりに化粧しろと言っているのではない。 自分が拙い立場にいる ことに気づいたら、身を引くことを知るべきで、年老いたと感じたなら現役から引退してのんびりと暮らし、 人生修行が足りないと思ったら、修行に励むべきなのである。 それから、自分を歓迎してくれないグループ に加わったりするのは恥ずかしいことだ。 見栄えが悪く頭も悪いのに人前に出るような仕事に就いたり、 無知なくせに学者とつきあったり、未熟なくせに名人と同席したり、老体をさらしながら元気盛りの壮年者 集団に連なったり、そういう不釣り合いな場に身をさらすのは恥ずかしいことだ。  更に、手の届かないものを欲しがり、叶う筈のないことを訴え、来る筈のないものを待ち、人に遠慮をし たり、へつらうことも恥ずかしいことだ。 これらは他人からもたらされる恥ではない。 自分の欲望に執着す る(貪欲の)あまりに自分が自分にもたらす恥なのである。 そして、いい年をしていつまでも貪欲であり続け るのは、自分の命に限りがあること、その命の終わりが近づいていることすら、知らないからである。


徒然草 原文 第134段

高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの、或時、鏡を取りて、顔をつくづくと見て、我がか たちの見にくゝ、あさましき事余りに心うく覚えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後、長く、鏡を恐 れて、手にだに取らず、更に、人に交はる事なし。御堂のつとめばかりにあひて、籠り居たりと聞き侍りしこそ、 ありがたく覚えしか。賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり。我を知らずして、外を 知るといふ理あるべからず。されば、己れを知るを、物知れる人といふべし。かたち醜けれども知らず。心の 愚かなるをも知らず、芸の拙きをも知らず、身の数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すを も知らず、死の近き事をも知らず。行ふ道の至らざるをも知らず。身の上の非を知らねば、まして、外の譏り を知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ、年は数へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべきかたのなければ、 知らぬに似たりとぞ言はまし。かたちを改め、齢を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、何ぞ、やがて退かざる。 老いぬと知らば、何ぞ、閑かに居て、身を安くせざる。行ひおろかなりと知らば、何ぞ、茲を思ふこと茲にあらざる。 すべて、人に愛楽せられずして衆に交はるは恥なり。かたち見にくゝ、心おくれにして出で仕へ、無智にして 大才に交はり、不堪の芸をもちて堪能の座に列り、雪の頭を頂きて盛りなる人に並び、況んや、及ばざる事を望み、 叶はぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心に引かれて、 自ら身を恥かしむるなり。貪る事の止まざるは、命を終ふる大事、今こゝに来れりと、確かに知らざればなり。

この段によせて

孫子の兵法に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という有名な教えがあるが、敵の実力を見極め、 己の力で勝てることを客観的に判断して戦うならば、100戦しても危うくないということだ。 兼好さんの 「我を知らずして、外を知るといふ理あるべからず」という言葉を借りれば、戦いをする上においても、 己の力を知ることが、最重要、それが常識だということだ。だが過去に我国は、身の程知らずにも世界 列強を敵に回し、あわや玉砕かという悲惨な結末を体験している。そして、一億総国民が身にしみて本当 の日本の国力を知り、外国の実力を知るという力を付けて立ち上った。そして、欧米に追いつき追い越せ の目標を掲げて、国民総力で経済戦争に勝ち上がり、自他共に認める経済大国にのし上がった。しかし、 経済大国などという心地よい言葉に慢心し、先の目標や相手を見失い、バブル崩壊を機に己まで見失って、 今や、様子がおかしいのである。アメリカの凋落、日本、ユーロが後退し、BRICs四ケ国がこれからの世界の 核に伸びてきつつある中で、日本の実態、すなわち己が国の姿、行く末が見えにくくなってきている。  政治家はバラエティー人気を目指し、マスメディアは視聴率という商業評価一点張りで、見る気も起らな いほどアホらしい政治情報を国民に流している。 真面目な話、国民に己が国の実態を知らしめて、国民の総意をどこに向けて、指差するかが、政治、マス メデイアの果たすべき役割であろう。グローバル化した世界の中で、先進国集団から引きずり落とされな いようにするためにも、国民の目や心を肥やし、賢くなるような話題や情報を流して、国民を前向きに再 度奮い立たせてほしい。・・・只今、開催中の 伊・ラクイラG8サミットの映像・ニュースを見つつ、 我れ思うのである。


次へ
戻る