東海道五十三對
日本橋〜箱根


題・絵師・版元 詞書 資料
日本橋 日本橋
国芳
伊場屋仙三郎
手遊びもふり出す槍のにほんばし
なまこえりさえ見ゆる魚市

  梅屋


品川
国芳
伊場屋久兵衛


川崎
国芳
小嶋屋重兵衛
 新田義興は竹沢右京亮江戸遠江守が姦計に欺れて矢口の渡にて亡され その志魂ととまりて 江戸が帰るさに霊魂雷になりて雲中より現れ 敵を取り殺す 後霊魂を慰めんか為に新田大明神と祟祭る その霊験今に於て倍新也

神奈川 神奈川
三代豊国
遠州屋又兵衛
   浦島づか
 雄略天皇の御時、丹後国に浦島子というあり ある日独小舟に乗りて海上に釣りし時霊亀顕れ彼の亀に乗り龍の都へ至りぬ 日を送りて家に帰らんと思い此事を神女に告けけれは神女別れを恋慕ふといへとも止らづ 終に別れとなりかたみに玉匣をもらひて喜び古郷へ帰りしに数百歳を経て七とせの孫に逢ひしとかや
KY107国芳画展
hodogaya 保土ヶ谷
国芳
海老屋林之助
 足利基氏竹沢右京亮とはかりて 義興を討んことを談ず また竹沢江戸遠江守をかたらひ 両人鎌倉を背きたるよしにて偽り 竟(つひ)に矢口の渡口にて義興を亡ぼす 篠塚八郎此よしを注進して由良兵庫に知らする

戸塚 戸塚
広重
伊場屋仙三郎
 重の屋光雄
白雲によう似た花へ舞ふ蝶も
とまりとまりの枝の夕霧


【狂歌画像】
東海道五十三對鑑賞の手引き」には「かまくらを出る鰹につれだちて やぼないなかになく郭公」とある。こちらの版をよく見かける。
fujisawa 藤沢
国芳
伊勢屋市兵衛
 小栗小次郎は鎌倉権現堂にて 強盗横山の家にとまり 毒酒にてすてに殺さるべきを 照手が貞操にて其場を忍びいで 鬼かげといふ荒馬にのつて藤沢寺へ駈入 急難遁れける されどもその毒気にあたり 終にかきやみとなつて熊野本宮にいたる 照手百千の苦をしのびて車につきそひこれを引行 熊野権現の利生によつて本復なし かたき横山をうちとり 照手をともなひ本国へかへり家をおこし美名をかがやかす

hiratsuka 平塚
広重
伊勢屋市兵衛
 馬入川は平塚宿の手前にあり 昔は相模川と唱ふ 甲州猿橋より流れて大河也と相伝ふ 建久九年十二月稲毛三郎 相模川に橋供養をいとなむ 右大将頼朝公も行向ひ給ふ 此時水上に悪霊出てくろくも舞下り 雷電霹靂す 頼朝公の乗馬 驚て水中に飛入て忽ち死す 故に馬入川と号(なづく)るよし 俗説に云伝ふ


大磯
国芳
海老屋林之助



小田原の駅
国芳
州屋又兵衛
 前右兵衛佐源頼朝は承暦元年より伊豆の国に配流となり 十四年の春秋を送り給ひけるうち 伊東入道の娘に馴れそめ 人しれずふかき中とそなりける 此事入道の耳に入 うしなひ奉るべきを祐清か忠義によつて北条か館に入 御頼ありて終に時政が婦女と籍に相馴給ひける 是なん後に御台所と仰かれ給ひ 頼朝公没後尼将軍と恐れしは此姫君の事なりける

箱根1
国芳
伊場屋久兵衛
工藤左エ衛門祐経は 所領の遺恨に依って河津三郎祐保を討 其二男箱王父の菩提の為とて箱根の別當きやうじつの弟子となる しかるに人となるにおよんて父の仇を討ん志を定む ある時當山へ左エ門祐経来る時 祐経に対面しあかぎづくりの短刀を貰ひ 弥(いよいよ)敵を討んと思 ひそかに當山をぬけ出下山なし 北条を頼てえぼし子となつて兄弟共に十八年のかん苦を経て 終に建久四年五月廿八日冨士の裾野に於て兄十郎と共に工藤を討年比の本望を達す
静岡県立中央図書館所蔵
塔の澤湯治場の図(立美人) 箱根2
広重
伊場屋仙三郎


読み下しは「東海道五十三對鑑賞の手引き」を参考にした。

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