東海道五十三對
石薬師〜京


題・絵師・版元 詞書 資料
ishiyakushi 石薬師1
国芳
小嶋屋重兵衛
 義経逆桜(さかささくら)は石薬師寺の向ひ民家の裏少し林のうちにあり むかし範頼上洛の時 名馬生食(いけづき)の出し所はここならん とめぐり見給ひ 馬の鞭を倒(さかしま)にさし給ふ 後に枝葉栄えり 義経逆桜と云か田宿の内に有 ちなみによってここへ義経をえがくものなり
源範頼 石薬師2
国芳


庄野
国芳
伊場屋仙三郎
此駅の東に植野村といふ所あり 名馬いけずきの出所なり 昔此所の長者野登の観音の示現によって此の馬を得て右大将頼朝卿へ捧げけり その後佐々木四郎高綱へたまはりてそれより宇治川の先陣をぞなしたりけり
KY004Heroes & Ghosts
kameyama 亀山
広重
伊場屋久兵衛
 (こま絵)まだ霧ふかき朝まだき 城のこなたの松原にて 源之丞が二人の伜 かんなん辛苦も時を得て 恨みかさなる水右衛門を首尾よく討取本地に返り 名を万代に残しける めでたしめでたし
 (画中)石井が隠妻(ことつま)お松といえるは明石の里に侘住ひ 二人り子供を養育し賎が手業に世を送る まづしき中に操を立 夫の身の上物案じ しばしまどろむ夕暮に 門辺にたたずむ源之丞 昔にかはらぬ立派の出立 お松は嬉しく出迎ひ 御堅固なりしか我夫(つま)と いわんとすればこつぜんと ねふりはさめて逆夢なる 返り討ときくよりも ひたんに袖をしぼりしが 思ひ定めて幼子を 舅の源蔵に預け置き みどりの黒髪をおし切て 菩提の道に入りにける
 
KY110歌川派3巨匠展
seki
広重
海老屋林之助
 関の地蔵尊再興のとき一休和尚に開眼を乞ければ犢鼻褌(ふんどし)をときて地蔵の首にまとひし事は世に傳えて知るところなり 高須の遊君地獄といふ女一休を尊信して信觧(しんげ)を請る 其始連歌問答のことは事繁ければここに誌(しる)さず その面影 (かたち)を図する
sakanoshita 坂の下
広重
遠州屋又兵衛
   すすか山鈴鹿の神社の由来
 昔天智天皇の皇弟皇子 大友の乱をさけ此すずか山にわけ入給ふに 柴の庵に壱人の翁あり 皇弟ここに宿し給ふ 翁つくづくと見奉り 君は王位龍顔顕れまします われにひとりの姫あり 君に相ならふて相貴し とて皇弟に奉る 則最愛あつて 我は浄見原親王也 とてしばらく此家に忍ひ給ふ 翁誠心を尽くし 位奉り後大友を亡し位に即給ふ 天武天皇是也 鈴鹿の社は此翁を祭ると云

tsuchiyama 土山
国芳
伊勢屋市兵衛
 延暦年中奥州安部高丸王命に叛しかは 田村将軍追討として駿州清見が関まで赴きしが ここに合戦の時清水観音霊験の事あり 又鈴鹿山鬼神退治の時も観音の功力にて婦女とけし田村を導き是を討たしむ その眷属どもに数多矢を放ち給ひ 残らづ悪鬼を亡すなり
minakuchi 水口
国芳
伊場屋久兵衛
 昔高嶋といふ所に百姓の娘大井子といふ大力の女あり 力ある事を恥て常には出さづ 農業の間には馬を牽 旅人を乗て活業とす 折節田に水をまかする頃 村人大井子と水の事を論じ 女と侮り彼が田へ水のかからぬやうにせしかば 大井子憤りてある夜六七尺四方なる石を持ち来り かの水口に置けり 夜明て村人おどろき数人にて取らんとすれど中々動ず悩しに 大井子が仕業ときき 詮方なく種々侘けるゆへ 彼大石をかるがると引退けり 大力におそれて水論は止けるとぞ 今に此地に水口石とて残りける也
ishibe 石部
国芳
伊勢屋市兵衛
いせもとりならふ枕の二見潟
かたき石部てとらる合宿
   梅屋
KY107国芳画展
草津
国芳
海老屋林之助
延喜八年秀郷勢田の橋を過るに龍婦女と化して 三上山の百足を亡し給はれと願ふ よって秀郷かの蚣(むかで)を射る すなはちその恩として龍宮へ伴ひあまたの宝をおくる
KY107国芳画展
KY110歌川派3巨匠展

大津1
国芳
(こま絵は広重)
伊場屋仙三郎

大津絵の草のはじめは何佛
             はせを

唄い踊る大津絵 こま絵は頭をかく又平 大津2
広重
伊場屋仙三郎


kyo
広重
伊場屋久兵衛
綾にしき織れるみやこはたてぬきに
ゆきかふ人もしけき大橋 梅喜
 三条大橋は東国より平安城に至る喉口にして貴賤の行人常にたへず 皇都のはんくわこの橋上に見へたり 四方の山川名所旧跡遠近につらなり眺望尽ることなし



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