季節の絵


画像 タイトル 絵師
版元
制作時期 紹介・詞書

花魁
国芳
川口屋長蔵
天保2年頃
瓦やくや今戸もあるに玉なせる
あそひのこゝにつとふたかとの
           梅屋
見立松竹梅の内
しめかざりの松
芳玉
江崎屋吉兵衛
弘化

山海愛度図会
はやくにげたい
下総葛西海苔
国芳
佐野屋喜兵衛
嘉永5年12月

susaki 東都名所
洲嵜雪之初日
広重
川口屋正蔵
天保2年
洲崎辺に漕ぎ出でてみれば
安房の山の雲居なしつつ遙けく見ゆも

           田安宗武
保永堂板五十三次に先立つ広重の風景画。幽斎描き東都名所として知られる十図揃いものの一図。

michizane 皇國二十四功
贈正一位菅原道真公
芳年
津田源七
明治14年
東風ふかば匂ひをこせよ梅の花  主なしとて獨居に吹こん風の言傳は 飛たつばかり飛梅も やがて綻ぶ如月の初雷に蚊帳つりて 契を結ぶ梅の実を一生断た天神様へ 無理な願ひをかけまくも真の為(?)に叶はぬも こころ筑紫の海の末(はて) 廣き神屋(やしろ?)に憎まれねど 天はむじつ(?)を憤り暴雨に轟ぐ霹靂に 鴨の河原の洪升(みずまし)て祇園八阪の往来(ゆきき)も絶 客の便のありやなしや 聞に北野の法性坊が 神の怒を宥めずは濡衣の干る時あるべしや
hashiba 東都名所
隅田川橋場の渡
広重
丸屋清治郎
弘化4〜
 嘉永5頃
咲花にひまなし隅田の渡し守
  東都作者 立亭京楽
 中央やや右の鳥居が水神の森だとすると、さらにその右の赤い花が咲いているのは新梅屋敷、今の向島百花園。そうするとこの花は梅。渡し船に乗っている人の着物もまだ寒そうである。

hinamatsuri いま姿
ひなまつり
昇雲
松木平吉
明治40年4月
昇雲は風俗画報で活躍した山本松谷と同一人物。一枚絵では代表作といえるいま姿シリーズは明治40年前後に作成され、30枚ほどが確認されている。いずれも彫り摺りとも完成度の高いもので、後摺は見られないことからあまり刊行されなかったと推測される。20世紀まで残った最後の浮世絵と評される。

和漢百物語
清姫
芳年
大黒屋金之助・金次郎
慶応元年 清姫ハ 恋慕のあまり安珍を いづく迄もと追かけしに はや日高川をも打越たり 此方の岸にハ船なけれバ 清姫心いらだちて 川へざんぶと飛入バ 其半身は蛇躯と変じ なんなく河を游(およぎ)越せし 嫉妬の念こそ恐ろししけれ
mukojima 向島・桜
小林清親
福田熊治良
明治13年

江戸名所図会・八
新吉原・花川戸助六
(八代目市川団十郎)

豊国V
伊勢屋忠介
嘉永5年7月

江戸八景の内
墨田づつみの晴嵐


豊国V
清水屋
弘化

あつ盛 敦盛
沢村訥舛
国周
具足屋
明治2年5月  明治2年年4月、守田座で訥舛は敦盛を演じています。他にもこの図を何図か見ましたが、何れも背景は紺でした。どちらが早い摺りか気になるところです。

忠孝名誉奇人伝
其角
国芳
遠州屋又兵衛
弘化 夕立や
田をみめぐりの
神ならば
かきつばた 当世花競
かきつばた
国貞
近江屋平八
文政5年頃
 かきつばたの他に、このシリーズでは柳、菊など3図見たことがありますが、いずれも若い町屋の娘が描かれています。
 杜若(かきつばた)といえば岩井半四郎。この時期は五代目。文政五年には若女形で極(木偏以外白抜き)上々吉、九年には極上々吉となっており、最も脂ののった時期のようです。
百人一首絵抄
紫式部
豊国V
佐野屋喜兵衛
弘化
五十七番
歌の心は 月の夜みちにて をさなき時のともだちにゆきあひしに よくは見わかねども たしかにその人ならんことをかはさんとおもふうちに はやゆきすぎて見うしなひぬ そののこりおほきこと さながらさえたる月の にはかにくもがくれして むなしきそらをながめやるがごとく也 とそのともだちを月によそへてよめるなり

紫式部
めぐりあひて見しやしれともわかぬまに
雲がくれにし夜半の月かな

hayashi

無題(肉筆)
林静一
1990年頃?
帯の柄は蘭かスミレかおだまきか?

かざしの花 かざしの花
橋口五葉
「新小説」
第20号
第6巻口絵
大正4年6月 少女が手に持つのは待宵草。日中の暑さが和らいだ初夏の夕暮れ時でしょうか。アールヌーボー調の帯に大正モダンを感じます。
 五葉はこの年の10月、渡辺庄三郎の薦めで新版画の記念碑的な「浴場の女」を作成。「化粧の女」、「髪梳き」などをのこし、大正10年に41歳の若さでなくなりました。

chujohime 皇國二十四功
當麻寺の中将媛
芳年
津田源七
明治14年
蓮の糸と共に平條の難苦を重ねたるは御父横佩(よこはぎ)大臣豊成卿が 筑紫へ左僊せられし後に 継母が無慚の雪責は吾身に積る悪報により 蝮蛇(くちなわ)と生を換たるを 深く悲しみ世を果敢(はか)なみて 和州二上が嶽の麓なる 當麻寺に入て髪を雉(おろ)し 真の佛を拝まんと蓮の茎より糸を採 曼陀羅を織し功徳に因て 継母も生佛得脱し 虚空にたなびく紫雲庵に 弥陀観音の来迎ましまし 行年廿九才にて終焉につき玉ひしは 宝亀六年三月なりき
 柳亭種彦
十賢女扇
祇園梶
(中判)
国芳
藤岡屋彦太郎
弘化

azuma 東都舊跡盡
吾嬬森の故事
広重
若狭屋与市
弘化
日本武尊東夷征伐し給ふとき 相模の国より上総の国に往かんとし給ふ その海上暴風忽ちにおこりて船をただよふて危かりしかば 妻弟橘媛のみづからの御身をもて尊にかはらんことを海神に誓ひ ついに波をわけて入給ふ そののち媛の御裳このへんの海上に浮びけるを 尊群臣に命じてこの所に収め 壇を築しめ給ふ 今の吾嬬大権現の社これなり
小倉擬百人一首
27中納言兼輔
広重
伊場屋仙三郎
弘化  みかの原わきてながる丶いつミ川
  いづミきとてか恋しかるらん
 往古(むかし)泉州信田の森に 年経る雌狐あり 安部の保名に契りて 一子をまうく 末世にその名を止めたる陰陽の博士晴明ハ すなハち此童子なり
     柳下亭種員筆記
江戸じまん名物くらべ
こま込のなす
(中判)
国芳
伊場屋久兵衛
弘化
10
funabennkei つきの百姿
海上大物月
芳年
秋山武右衛門
明治19年  頼朝に追われた義経主従は大物の浦から船出するが、知盛の亡霊が嵐を起こしてこれを襲う。この時弁慶の法力で知盛を退散する。「船弁慶」としてよく知られた物語です。
 国芳などもしばしば描いた題材ですが、芳年は弁慶だけを描き、秋の月を配して、彼の代表的なシリーズ「月百姿」に取り上げました。「新形三十六怪異撰」には右向きの知盛亡霊だけを描いた図があり、対をなすようにも思います。
百種接分菊
(3枚続中央)
国芳
伊豆善
弘化 1本の茎から100種類の菊を接ぎ木して咲かせた。
11



隅田川・枕橋前 小林清親
福田熊治良
明治13年  中央やや右下の小高いところが赤くなっている。この方角にあるとすれば待乳山。北斎の隅田川両岸一覧には「待乳山の紅葉」がある。
mama 賢女八景
真間の晴嵐
国芳
伊場屋仙三郎
弘化
 真間の貞女
下総葛飾郡真間といふ所に獨(ひとり)の美女 いやしき家の女なれども人がら形の美き事貴人といへどもはづかしからず 故にみる人きく人恋したひければ女思ひわづらひ沖に身を沈めける 諸人あはれに思ひ後これをてこな明神とまつる
 万葉集赤人の歌に
かつしかのままの入江にうちなびき
たまもかりけんてこなしぞおもふ
12
shirabyoshi 白拍子
国芳
和泉屋市兵衛
天保末頃

sahohime 大日本名将鑑
狭穂姫/上毛野八綱田
芳年
船津忠次郎
明治13年
垂仁天皇の時の人なり 皇后の兄狭穂彦謀反を起こし朝廷を傾けんとなす 天皇此事を聞こしめし八綱田に命じて討たしむ 八綱田兵を率いて到る 狭穂彦稲を高く築き上げ胸壁となし稲城を構へて防ぎ皇后もまた兄狭穂彦と共是に篭り八綱田攻れ共能戦ひて落陥らづ 八綱田火を稲城に放つて焼き狭穂彦罪に伏し皇后も又焼亡給へり 天皇八綱田の功を賞し其名を日向の武日向と呼ぶ 武功甚だ多し
江戸名所図会・三十四
両国・大高源吾
(三代目嵐吉三郎)
豊国V
伊勢屋忠介
嘉永5年11月
年の瀬や水の流れと人の身は
   明日待たるるその宝船

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