梅若堂(木母寺内)−隅田川神社−向島百花園−秋葉神社−長命寺−三囲稲荷−牛島神社(牛の御前宮)−墨堤−枕橋−亀戸梅屋敷−吾嬬神社
梅若堂(木母寺内)
 この辺りは防災上木造建築まかりならんというので鉄筋で覆われている

隅田川神社(水神様)
かつては隅田川に面していた鳥居
今は首都高速の土台に阻まれている
銘板は「大正12年9月1日 震災倒壊再築」

月岡芳年翁之碑(百花園)

向島百花園

秋葉神社と落語「牛ほめ」にでてくる鎮火のお札

長命寺「さくら餅」




三囲稲荷

一勇斎歌川先生墓表(三囲稲荷内)
明治6年10月、弟子達によって建てられた 国芳の伝記 裏には芳年など門人一同の名がある

三囲稲荷・鳥居
隅田堤から頭だけ出している図が浮世絵によく登場する

雨乞の碑(三囲稲荷内)
「此御神に雨乞する人にかわりて 遊ふ田地(ゆうだち)や田を見めぐりの神ならば 晋其角」

常夜灯
(桜橋東岸)
牛島神社はかつてこの近くにあった
なで牛(牛島神社)

隅田公園

墨堤の桜

向島 桜
絵師:小林清親
版元:福田熊治良
明治13年

江戸名所古跡傳・牛の御前宮(現牛島神社)由来
絵師:広重
版元:藤岡屋慶次郎
名主単印(村田) 弘化期

詞書「五十七代陽成院の御宇 清和天皇第七の皇子 故あって当国に遷(うつ)されさせ給ひ天慶元年酉(938年)の九月十五日此地において薨(こう)じ給ふ 霊告ありて此ところに跡を垂れ永く国家を守護せんとつげ給ふ よつて一社に奉じ素盞鳴尊(そさのをのみこと)を相殿に合祭し牛の御前宮とあがめ奉る 往古はこの地海濱にしてにして牛嶋の出崎なりしにかく号しけるとや」 最後の文が分かりにくいので江戸名所図会の記載を引用する「牛嶋の出崎といふべきを略して牛の御崎と唱へたりしならんを 後世誤りて崎を前に書きあらため またそれを御前と転称せしにやといへり」

隅田川 枕橋前
絵師:小林清親
版元:福田熊治良
明治13年

アサヒビール・スカイルームから
詞書「日本武尊東夷征伐し給ふとき 相模の国より上総の国に往かんとし給ふ その海上暴風忽ちにおこりて船をただよふて危かりしかば 妻弟橘媛のみづからの御身をもて尊にかはらんことを海神に誓ひ ついに波をわけて入給ふ そののち媛の御裳このへんの海上に浮びけるを 尊群臣に命じてこの所に収め 壇を築しめ給ふ 今の吾嬬大権現の社これなり」
復刻版画「名所江戸百景・
亀戸 梅屋敷(広重)」
東都舊跡盡・吾嬬森の故事
絵師:広重
版元:若狭屋与市
名主単印(村田) 弘化期

亀戸天神


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