自治圏の緑                   ・戻る


掲載/さろおむ3号 1982年7月1日発行

ジャンル/SF


 常に植物は生い育ち、虫は食みつづける。

 

 一面の乾いた枯色。

 “カアサン”が弱りかけている事に気付いた時も、ロウはかなり平静でいられた。彼の自治圏に於いてはもとより万物が老いていたのだから“カアサン”の老いることに何の不思議があろうか。 ―もっとも、この老いはロウが“カアサン”に造らしめたものである(つまり彼がそう望んだのだ)ということを、彼自身忘れているわけではなかった。“カアサン”が動かなくなる時、彼の自治圏は姿を変え始めるだろう。そしてそれは自治圏の消滅を意味するのだ。

「それにしては、俺は平静すぎるじゃないか」

 ロウが目を向けた四阿(あずまや)の外に雨が振り出していた。枯木と灰茶色の草々が、わさわさと音を立てて雨に抗い、やがてはぐったりと地面の泥色に溶ける。これだからロウは雨が嫌いなのだった。彼の良しとする老いの風景とは、乾ききった樹と草と風しか存在しない無情で静かな世界である。ところが、この雨のにおいときたら― 青臭い― 緑のにおい― そして果実の― ああ、虫の臭い! 吐き気がロウの胃をしぼりあげ、喉と口の境目で胃液がUターンする。そう、最後に「タベモノ」を口にしたのは二日前だった。ロウは振り向く。四阿の中心に据えられた“カアサン”に手を伸ばす。弱り始めたのはユニットβの方が先だった。βの上部をはね上げると、原子分解されないままの原材料―枯草―が今だにてんこ盛りになっている。するとやはり「タベモノ」は出来ないのだ。目を移すとユニットのゲージは異様なプラント・エントロピィ量を指し、しかもまだ増加しつつあった。αの狂い方は今日な境に甚だしくなっていくのだろう。そして―

 ロウは四阿を出た。彼の自治圏の崩壊を見とどけるために。

 

 枯色の植物の中にちらほらと緑色のものが混じり始め、それは進むにつれ増えていった。ここらはまだ自治圏内の筈だというのに。ユニットの制御力の衰えを目の当たりにしながら、小降りになってきた雨の中をロウは歩き続ける。不吉で生臭い緑は、それでも確かに美しい。矛盾は信頼と不安の間に生じて身を引き裂くものであり、それもまた美のひとつだと感じながらも、ロウ自身は引き裂かれることを拒んだのだ。彼はくり返し思う。 …俺は よわいのだ… 突然目の前に赤が有る。かつて彼が完璧に排斥したはずの色が。しばし硬直したまま立ち竦んだ後ゆっくりもぎ取った赤は手の中で暖かな弾性を示した。 ―果実だった。当然考えておくべき事態ではあった。しかし、いざ手にすることのなんと恐ろしいことか。遠い昔のあの記憶が激しい食欲と共にこみ上げてきて、震えながらも手放す事ができない。電気を握っているようなものだ。やがて目をつぶる。口に近付け、歯を押し当てる… がさ… がさがさ…

「来やがったか!」

 叫んで飛ぶように身をかわすと、果たしてそこに虫たちが迫っていた。ぞろりとした大群がただひとつの果実を狙っている。何も俺が手にした時に来なくてもいいじゃないか! しかし、虫の性質とはそういうものなのだ。奴らは落ちる時、もしくは人間が椀ぐ時を待ち続け、嗅ぎつけるや否やぞろぞろと這い寄ってくる。逃げても無駄だ。走り抜ける道のすべてから無言で沸いて出て、しまいには体へ、そして果肉を飲み込んだ口の中へと… しかし、二の舞を犯すほど俺は馬鹿じゃない。そう、だいたい俺が、「ロウ」がつややかな果実を食うこと自体間違っていたのだ。理屈を組み立てると同時に、ロウは果実をほうり投げて虫から遠ざかる。何も走る必要はない筈だ。俺はやつらと係わりたくないだけなんだから。そう考えながら、 …走っていた。

 

 気が付くと、ロウはその自治圏を大幅に外れ、まったく踏み込んだ事のない樹木の中を歩いている。おそらく他の人間の自治圏なのだろうが(他の人間! ロウが緑や虫の次に嫌悪しているのは、まさにそれだった) ―それにしてもなんて所だろう。ここは緑だ。一面がすべて黄系統へのグラディションを成す緑なのだ。まるでロウの中の「老い」を嘲笑し、生気を誇示するかのような色彩。鮮明というには、少々幼い明るみ… この自治圏の主は誰だ? 悪趣味な奴だ。顔が見たい。

 やがてロウの希望通り「悪趣味な奴」は現れた。女だった。

「…誰」

「君の自治圏に無断で入り込んだ事はあやまる。俺はロウだ」

「あやまる事はないわよ。あんたは虫じゃないんだから。私はニャク」

「虫かも知れんぜ。俺は虫を飲んだことがある」

 ニャクと名乗った女は、ふと押し殺したような微笑み方をして言った。

「私も虫にかじられた事くらいあるわよ。ほら」

 腕の肉が少しえぐれていた。目をそむけたのは、妙な妄想で自分の飢えを思い出したためだった。ロウは女に近付いて言う。

「ところで、俺のカアサンはもう寿命だ。タベモノが精製できなくなった。分けてくれないか」

「なんだ、それで入り込んで来たの?(ロウが違うと言う暇を与えず)でも残念でした。カアサンが老朽化してるのはあんただけじゃないのよ。私もお腹空かして思案してたとこ」

「俺だけじゃないって? …そうか。あんたも同条件てわけか」

 こんな女に同一視されたことで、ロウは多少プライドを傷つけられた。続ける口調にますます嫌味が込められる。

「それにしても、あんたの自治圏は妙だね」

「妙?」

「よくこんな緑の中で堪えてられるってことさ。何かい、君は果実を実らせて平気で食ってるわけかい。それとも― あ、そうか。君は虫が好きなんだな」

 女は突然表情を歪める。悲しいのか腹を立てたのか分からないような顔である。

「虫! …好きな人がいると思うの」

 しばしの沈黙。女の神経をいたぶったらしいが、別に罪悪感はなかった。ロウは常に、自分の神経を守るだけで手一杯なのだ。来るんじゃなかった… 女に背を向けて歩き出そうとしたロウの手がくんと引っ張られる。

「ニャク?」

「連れてってよ」

「俺は自治圏に戻るんだぜ」

「…だから連れてってよ」

「何を考えてるんだ、君は!」

 少しおかしいんじゃないのか、という言葉は差しひかえておいて、女を無視して帰り始める。

 しかし、手はしっかりと掴まれたままだった。

 

 ニャクの自治圏は実に似たり寄ったりの風景で出来ていた。いや、枯色に慣れた目には特にそう写るのかも知れない。とにかくロウは道を見失って、さっきからうろつくばかりだった。

「おかしいな… 同じ所を堂々巡り… かな… ニャク。君は道を知ってるんだろう」

「私はあなたにひっついていくだけよ」

「何だと?」

 樹木が二人の後ろで奇態な身震いを始めた。もとより気付く筈もない。

「君の考えてることは見当がつかん。それとも何も考えてないのか?… その妙な含み笑いをやめろ!」

「私は…」ニャクは目をそらさない。「あなたにひっついて行きたいのよ」

「理由は」

「今までずっと途方にくれてたから」

 ニャクに嫌悪を感じ、手をふりほどこうともがいたはずみでロウは顔を枝葉の中へ突っ込んだ。目の前で何かがぼそりと揺れた。

「果…」

 緑色で涙型をしたそれは、少しずつ確実にふっくらと肥大してゆく。緑が赤茶色に… そしてだんだん濁りのない赤へと変わる。ロウは布で口を押さえられたような声を漏らす。

「…逃げ …ないと」

 後ずさりを押しとどめたのはニャクだった。「無駄よ」ロウの手と二の腕を抱きかかえて、伏目がちに呟く。「おまえ… これはおまえの仕業か? どうして俺を落とし入れ―」

「どうしてそういう風な見方しかできないの」

 振り向いたロウの目と見据えるニャクの目がぶつかりそうな間近にあった。ニャクが再び口を切る。

「カアサンが老朽化したって言ったでしょう。つまり、ユニットの狂いが現れてきただけなのよ。無駄だって言ったのは、どうやら地上のすべてのカアサンが同時に力尽きはじめてるらしいから。どこへ行っても同じことだと思うわ。 ―そして―」

 二人を取り囲む緑は、音を立てそうなほど見事に変化していった。すべての木にぽつぽつと小さな花が開き、しおれていく。葉は黄金色に染まり出し、茶色にちぢこまった無様な花の残骸の後ろがふくらみ始める。重みでゆっくりと首を垂れた若い果実は、次第に暖色を呈してくる。

「あ… あ… あ」

「―そして ―そして …そ」

 ぐるりを、艶やかな赤がすずなりに取り巻いた。

「そして―」ニャクは目を閉じる。「ここは…もうあんたの自治圏の中よ」

「何だって?」

 

 随分長い間、二人は座り込んでいた。ロウは草をかき回している。それは確かに枯れてはいるが、枯色ではない。どうしても黄金色としか形容できないような色をしている。

「つまり… 俺の自治圏は今まで“枯れた季節”に調節されていた… それが、ユニットαの機能が停止したため… つまり… 一度“緑の季節”を経て… “実りの季節”へと… つまり… これが今の地上の本当の季節… つまり」

「ロウ。独りで話してないで。せっかく二人居るんじゃない。 ―あなたは今まで“枯れた季節”で暮らしてたのね?」

「そうする必要があったんだよ」ぶっきらぼうに答える。「果実なんか実らせて、あのいやらしい虫共を呼び込むのは御免だ。 …った… ああ」たわわなる赤い実を見上げる― 「今もそこら中の草陰で虫共が待ちかまえてるだろうさ。あの果実欲しさに… 人間が何も食ってないってのにだ。いまいましい!」

「私はね…」ニャクは草陰には目を向けず、どこか遠くを見ている。「あんたと反対に緑の季節に調節してたのよ… つまり果実の実る前の季節にね。反対だけど、同じ事だわ」

「ほお?」

 ロウは始めてニャクに関心を寄せた。が、ニャクはついと立ち上がると、ぐるりの果実をひとつひとつ眺めて回る。ロウは背中に話しかけた。

「俺は、君が無神経な奴だと思ってたんだ。虫にたかられ、身を食われても平気な奴を見たことがあるもんでね。奴の自治圏に迷い込んだ時以来、俺は他人には決してかかわるまいと決心したもんさ。でも、君については誤解だったようだ。あやまるよ」

「ロウ」

「え?」

 ニャクは振り向く。「果実、食べましょう」

「な…」

 信頼をくつがえされた、という顔でニャクを睨みつけたあと、きびすを返したロウの背に静かで重たい言葉がのしかかってきた。

「このままでは飢え死によ」

 立ち止まる。歩くに歩けないでいるロウの手を、ニャクは再び握る。

「確かに、果実を食べたら虫共はやって来るでしょう。私たちを果実ごと齧るでしょう。でも、どのみち同じ事だわ。あなたは今までに、ゆっくりと果実を味わった事がある?」

「…いや」

「私もよ」

 ニャクが笑った。何故か今度は、“妙な含み笑い”に見えなかった。

 

 二人は向き合って立っている。

「…やるか…」

「ええ」

 それぞれ、一つずつ果実をもぎ取る。見事な赤。芳香。胸像のように二人はそれを口に近づけ、歯をたてた。 ―みずみずしい霧が広がる。

「甘いわね」

「なんていうか… 思ってたより… その」

 がさがさ… 草が騒ぎ出す。

「ねぇ。小さかった時の事憶えてる?」

「そうだな… “フネ”から降りて、カアサンの設置を手伝った事くらい… なら…」

「それが終わって… 大人、何人いたっけ?… 死んでしまって… カアサンさえあれば食べ物に不自由しないって言い残したわね」

「虫のことなんか… 奴ら知らなかったんだ」

がさがさがさ… 草の間から黒光りする泡のように沸いて出るものの気配も、交互に果実を味わう二人には届かない。

「どうして私たち… ばらばらの自治圏で暮らしてたのかしら」

「さぁ、ケンカしたんじゃないか… そんなこと今まで思い出しもしなかったよ… 随分昔の話だ」

「そんなに昔じゃないかも知れない… だって私たちは… まだ若いもの」

「…わかい?」

 がさがさがさ… もはや虫たちは彼らの足元に達していた。一匹、また一匹、そして黒い波がぞわぞわと足を包み始める。

「私たち… 同じ“フルサト”から来たのよ… ね」

「そして… 行き着く所も同じ… か」

 二人は幹の黒い二本の木と化していく。ロウがふと気付いたように自分をかえりみる。

「血が出てる」

「赤いわね」

「赤い」…

 二本の木が崩れるように近付き、やがてそこにひとつの黒塊があった。「老い」を捨て、「青さ」を捨てて、一個の赤い果実となったものが黒い果皮をまといながらそこで密やかに熟していった。

 ―実りの季節である。

                END


〔解説〕

いまだに、何を考えて書いた話なのかよく分からない。でも、ひょっとしたらラブストーリーかも知れないのである。およそ平和的な恋愛ものが描けないという業病は、今も続いている。

 

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