完全復活へ!今中慎二応援HP

16.「継投が勝利への近道」は過去の常識    2004. 5.15

「継投が勝利への近道」はすでに過去の常識

自分一人が近道を走っているのであれば、確かにそれは近道です。
でも、競争相手全員がその道を走っていれば、その道は近道でも何でもありません。
しかもその近道は、曲がり角や抜け道、車の乗り換えなど、沢山のリスクが伴います。

皆がみんな、すでに近道の意味を成していない凸凹道をそれと気付かずに走っています。
そうなると、同じ近道を走るのであれば、勝敗の決めるのは沢山お金をかけてパワーのある、
いい車に乗っている人です。そうなればお金持ちがレースに勝ちます。
スタートラインに並んだ車を見比べれば、結果の解るレース。
そんなレースに誰も興味は示しません。わざわざお金を払って観に行くなんて、
よほどの車好きですよ。

皆が近道を使い出したレース。さて、どうやって勝つか?と言えば、
ライバルよりさらにお金を払ってスピードの出る良い車を買うか、
近道よりももっと近い道をさがすか、
安心して飛ばせる本道(王道)を走るかですよね。

さて、
「継投策は監督がゲーム内でするもっとも難しい作戦だ。」
「監督の手腕は投手起用によって決まる」
と言われています。そうでしょうね、投手交代は必ずリスクを伴うものです。
交代した投手が必ずしも調子が良いとは限りません、ブルペンで良くてもマウンドでは
さっぱりと言う事もあり、結果的に継投は失敗となります。そしてその時に
監督のいう言葉は「方程式通りに最善の手を打った。これでダメなら仕方ない。」
 でも、それはあくまでも「継投策」と言う枠組みの中での最高の手を使ったと言う
だけでしょう?
二人三人と継投すればするほど、そのリスクって増えますよね?
どうして、わざわざリスクが伴うような作戦をするのですか?

先発が打たれてしまって、継投するのは仕方ない。
でも最初から最も難しいと言われリスクの伴う作戦を前提に戦うのって、
おかしくありません?

理想は、一人の投手が先発完投すること。
これは至極当然な事で誰も異論は無いと思います。
「投手継投が一番難しい」と解ってるのなら、最初から継投をしなくて済むように
すれば良いじゃないですか。
なぜそうしないのですか?先発投手にそれだけの力が無いからです。
なぜ先発投手にそれだけの力がないのですか?それが出来る様な準備を
しなくなったからです。トレーニングの目標と投手の意識目標が7回になったからです。
目標を7回に設定すれば、良くて7回、悪くて5回が試合での力です。

そもそも「投手分業制」の理論に基ずく継投策は、権藤博氏がD投手コーチ時代に
自分の苦い経験と、そこそこの力しかないD投手陣でも何とか互角以上に戦えないかと
考え出した奇抜なアイデアに始まるものだったと思います。
ソコソコの力の投手でも最初から7回を目標に力を込めて投げてくれれば何とかなる。
7回から先はこれまた、ソコソコの力で先発は出来ないものの、打者の目先を変えたり、
特別球が速いなどの選手を起用する事により打者を抑える。
この、当時は奇抜なアイデアと捉えられていた作戦のおかげで、
磐石な投手陣を誇るライバルチームと互角に渡り合えるようになりました。

ところが、それを観たライバルチームがまねをしました。
自分たちの磐石な9回投げる力がある投手達に7回を目標に投げさせたのす。
そして、中継ぎや押さえにもこぞって力のある投手を起用しはじめました。
それを観た他のチームは更に、それぞれの役割を果たす投手達を国内だけでなく、
韓国やアメリカなどからもお金を払って呼ぶようになりました。
そして、それらの「選手集め」に勝ったチームが優勝への最短距離にいると
言われるようになりました。
そして、それをウマく操れる監督が優秀な監督と呼ばれるようになりました。

ところがさらに、それから数年経つとおかしな現象が出始めました、
それまでは、7回なら大丈夫と思っていた先発投手達がだんだんと投げる回数が、
少なくなって来たのです。おしまいには5回の勝利投手の権利を得るのが精一杯です。
そうなると更に沢山の継投をし、その分それに伴うリスクを背負わなくてはいけません。
投手も沢山いるようになりました。監督たちはこぞってこう言います。
「投手は何人いても困らない、多ければ多い方が言い。」当たり前ですよね。
そう言わざるをえない作戦を自らが取ってるのですから。
しかも、それの作戦はもう近道でも何でも無い、ライバルみんながやってることなんです。
この事をこれ以上続けることに意味があるのでしょうか?

ライバルが近道だと思い込んで、裏道抜け道のクネクネした道を車を乗り継いで
苦労してるのを脇目に見ながら、舗装されてまっすぐな道を信頼できる一台の車で
走りきった方がずっと楽に簡単に勝てます。これは、とても合理的な考えに思えます。

「継投が勝利への近道」なんてのはもう過去の常識です。
みんなが通っている以上もう近道ではありません。

あと、三年もすれば優秀なチームは、こぞって本道をぶっ飛ばせる車を生産することに
やっきになり、それが出来なかったチームがリスクの多い「過去の方程式」を
やむなく使っていると思います。

今日、ナゴヤドームで川上投手の投げる姿を外野席でぼんやりと見ながら、
こんな事を考えてしまいました。
また一つ落合監督の考えが理解できたつもりになんとなくなりました。
古くて固い頭だど、彼の考えにはついていけませんね・・・

同文はこちらにも


17.今の時代が求めるプロ野球    2004. 5.18

今のこの時代、非効率的でロマンチックなプロ野球は消えるしかないのでしょうか?

ボクの意見は、
「こう言う時代だからこそプロ野球は本来の形で残る」
です。

現実の世界が、効率追求で、お金至上主義、リアリスティックであり、
不公平(最初から持つ者と持たざる者の差で勝ち負けが決まる)であればあるほど、
スポーツは人々から求められると思います。

企業の競争原理や商業主義の中にあるプロスポーツでも、と言うか、
プロスポーツが一般の人に観られる事を前提として成り立っている広告塔だからこそ、
「人々がなぜスポーツを観て楽しいと感じるか?」
を、それにかかわる人々は考え直さないといけないと思いますし、
いい加減そろそろそれに気づく球団経営者も現れるはず。

一般の人々は、現実では味わえない世界をプロスポーツに求めているはずです。
ロマンがありドラマがあり、ルールにより公平を保たれた空間で、フェアプレーと
スポーツマンシップに基づいて戦う。
チビでもノッポでも、デブでもヤセでも、それぞれの特性をいかして活躍出来るのが
野球です。
生まれ持った環境や貧乏もお金持ちも関係なく、練習して汗して頑張った者が勝利する。
そして、観客は自分がやろうとしても、とても出来そうにないプレーを見て感動する。

本来、観客に「娯楽」を観せる事によって成り立つプロスポーツに”世間の現実”を
持ち込んではいけません。”世間の現実”を観客は観に来てはいないんです。

「プロチームを強くすることは、その企業の広告媒体としてチームが存在する以上、
 資本主義の競争原理に基づいて企業努力し(お金によって)チームを強くするのは
 するのは当たり前」
「それをしないでアレコレ言うのは、企業努力をしない負け犬の遠吠え」と平気で
のたまうバカオーナーや球団関係などがいますが、それこそスポーツとそれを観に来る
観衆心理を何も理解していない、消費者心理を理解してない大バカ丸出しで経営者と
しても失格です。

お金を払って「劇空間」にドラマを観に来るファンが、そこでまた現実と同じ物を
見せられたらどう思います?

「冬のソナタ」がどうしてこれだけ人気が出たか?
少し前の「トレンディドラマ」がなぜ高視聴率を得たか?
現実の自分では体験出来ない憧れの世界を描いているからです。

プロ野球は140回の連続ドラマであり、一話ごとにもドラマがあります。
結末はどうなるかは解りませんが、
ハッピーな回もあれば、主人公が窮地に落ち込む回もあります。

野球に限らず、スポーツ、音楽、演劇、映画などを楽しむ観衆の心理、
永遠に変わらない観る側の意識がそこにある以上、
プロ野球は、企業の競争原理でなく、シンプルなスポーツに立ち返るべきです。
そして現実がリアリスティックになればなるほど、プロ野球は必然的にピュアで
ドラマティックな物になる・・と、時代が本当に要求してるのはそれだと、
ボクはそう思っています。

18.星野仙一との決別     2004. 5.18

スポーツは公平なルールに基づいているから素晴らしい

オリンピックのチームごとの派遣選手人数での一連のやり取りで、
現ドラゴンズ監督の落合博満が、
「派遣選手人数は(ペナントレースでの戦力ダウンを平等にする為に)
 各チーム同数にしてくれ」
と行った事に対して、星野仙一が
「五輪の枠は自由にしないとイカン。不平等は人生につきものやないか」
と言ったと報道がありました。
これを読んだ瞬間、ボク中にわずかに残っていた彼に対する気持ちは、
完全に終わりました。

人生が不平等だからこそ、スポーツは平等であるべきなのに・・
人生が不平等だからこそ、それを観る人達はスポーツに平等を求めるのに・・
人生が不平等だからこそ、公平なスポーツに価値があるのに・・

スポーツがルールにより公平性が保たれてる為からこそ、その戦いに面白みがあり、
選手同士が自分達の力のみで優劣を付ける真剣に戦う姿が生まれ、
それを観た観客が感動するのに。
星野仙一は、それを観に行く人々の気持ちが解らなくなってしまったのだな。

現役時代に「ONゾーン」
(他の打者にはストライクでも打者がONの時にはボールと判定されたゾーン)
の存在をはじめG有利のアウト・セーフの判定、G有利の試合日程など、
球界のG寄りの不公平さや不条理さと戦う事に意味を見出したのが彼。
それが彼のスタイルであり存在意義でもあったはず。
それと必死に戦ってきたからこその星野仙一だったはず。
その姿をみてボクは彼がカッコいいと思いファンになった。

その彼が「不平等は人生につきものやないか」と言うのはボクには、
そう言う物と戦ってきた彼の敗北宣言のようにも聞こえた。

プロ野球は今でも不公平だと思う。
星野仙一が監督を辞めても、更に上の立場になりそれを是正してくれる事を
ボクはひそかに期待していた。
・・でも、心底ガッカリしたよ・・・


<TOP>   <今中慎二投手関連TOP>   <らくがきの目次>

 完全復活へ!今中慎二応援HP
 since 1999.7.27