4.機動天使エンジェリックレイヤーの考察
(みさきと萩子はなぜ7年間も会わなかったか?)
エンジェリックレイヤーも原作・アニメ共に終わり、ファンの方々は寂しい思いをしていると思います。
私もそうです。そこで、今までを振り返ったところ、上記の疑問が浮かびあがってきました。
何を今更、と言うなかれ。確かにその答えは何度も語られてきました。
しかし、それで納得された方が果たしてどのくらいいるでしょうか?
どことなく不自然でいて、不可解、よく考えるといまいち分からない。
そんな方が多いのではないでしょうか?
そこで、上記についての私的見解を述べさせていただきます。
「お母さんはお仕事で忙しいから…」
みさきは母、萩子に会えない理由をそう言っています。
その時の表情は寂しげでとても辛そうです。
まるで、自分自身に言い聞かせているようにも見えます。
みさきはまだ12歳の少女ですから当然と言えば当然ですね。
一方、当の母親、萩子はどうでしょうか?
みさきが言うように仕事が忙しいから会えないというのも確かに理由のひとつです。
しかしそれは事実全てではありません。
彼女は原因不明の病気により、2度と自分の足で歩けない体になっていたのです。
そして萩子はみさきに会わない理由を次のように言っています。
「この姿をみさきに見られたくない」、「みさきの声を聞くとくじけそうだから」、
「私より辛い思いをしている人はたくさんいる」と。
しかしながら、どれも曖昧で理解に苦しむものばかりです。
多くの方がこれらの理由に、不可解と感じたのではないでしょうか?
しかし、これには深い理由が隠されていたのです。
ご存じの通り、みさきには父親がいません。
離婚したのか、死別したのか、劇中でははっきりとは語られていませんが、いずれにせよ、萩子は女手ひとつでみさきを育てていかなくてはならなかったわけです。
ところが、車椅子生活でひとりで動くのもままならないのに、十分に子育てが出来るでしょうか?
ここがポイントなのです。みさきに見せたくないというのは、みさきに負担をかけたくない、辛い思いをさせたくないということなんです。
ここで、当作品の登場人物、城之内最のことを思い出して下さい。
彼女は学校が終わると、すぐに病気の妹のお見舞いに行っていました。
そのせいで彼女には友達がいなかったわけですが(もっとも最の性格も原因のひとつだろうけど)、これが萩子、みさき親子の場合どうなったでしょうか?
心優しいみさきのこと。車椅子姿の萩子と一緒に暮らしていれば、同じことをしたでしょう。
その結果、友達をつくったり、一緒に遊んだりすることができなかったかもしれません。
本来なら世話をすべきみさきに逆に面倒をかけてしまうというわけです。
だからこそ、萩子は早く足を治し、万全の状態になってみさきの元に帰ろうとしていたのです。
母親としての義務を果たすために、一旦は放棄してまでも。
これはある意味英断だったのかもしれません。
しかし、そんな萩子の意思とは裏腹に、事態は一向によくならず、月日はどんどん過ぎていったのです。
ここで再度改めて申し上げます。これはあくまで私の私的見解です。
しかし、まったく根拠がないわけでもありません。
それは、みさきと萩子、この2人が非常によく似ているという点です。
親子だから当然だとしても、海水浴に行った時に2人が味付けまでまったく同じ弁当をつくってきたというエピソードまでわざわざつくられてるんですから、これはことさらに強調されていると言わざるを得ません。
そして、第24話ではみさきの幼年時代が出てきます。
そこで彼女はこう言ってます。
「自分が手紙を書くと、お母さんは返事を書こうとして、仕事で忙しいのに無理させてしまう。だから書くだけで出さない」と。
そして萩子は前述したように、自分の足が治らないことにはみさきに負担をかけてしまうから、治るまで帰らないと決意します。
2人ともお互いを思いやるあまり、その思いはすれ違い、交わることはありません。
そして時は止まることなく、無情に過ぎ去り、2人の心には大きな不安が残ります。
そして、この2人はよく似ていながらも、対照的に描かれています。
みさきが前向きに生きているのに対し、萩子は極めて後ろ向きです。
前述した萩子のセリフからもそれは見て取れます。
萩子がみさきに電話をかけることさえしないのも、「みさきの声を聞くとくじけちゃいそうだから」と言っていますが、これも事実全てではなく、自分がみさきに恨まれているのかもしれない怖かったからではないでしょうか。
ここで、また別の例を挙げてみます。『新世紀エヴァンゲリオン』という作品をご存じでしょうか?
この作品に登場する主人公のシンジと父親のゲンドウ。
彼らの関係はみさき・萩子母子の関係に非常に酷似しています。
シンジもみさきと同じように、5歳の頃父親と離ればなれになり、14歳になってようやく再会を果たします。
しかし、その間彼は父に見捨てられたと思いこむようになっていたのです。
一方、ゲンドウの方はシンジに対しては父親らしいことを何一つしません。
と言うのも、ゲンドウは父親として我が子シンジに対し、どう接していいのか分からない−要するに息子とのコミュニケーションを恐れていたからです。
これは彼らの元々の性格にもよるものでしょうけど、時の流れが心の不安を増長させることは変わりありません。
下手すると、みさきと萩子もシンジ・ゲンドウ親子みたいになってたかもしれません。
少なくとも、萩子はゲンドウと同じ様な心境だったと思われます。
一向に足は良くなる気配はなく、前述した理由でみさきからの手紙は来ない、そして時間はどんどん過ぎ去っていく。
こんな調子では、親は子に恨まれているのではないかと不安になるのは至極当然のことです。
事実、萩子はみさきに会うことに対し、「なにを言っても言い訳になる気がして…怖くなるの」と言っています。
しかし、これは、みさきへの言い訳ばかりではなく、自分への言い訳でもあるわけです。
「私より辛い思いをしている人はたくさんいる」という発言がまさにそうです。
このセリフは妙に浮いています。
だからどうした?と言うと、別になにかをしたという話はありません。
ただ、ひたすらエンジェリックレイヤーの被験者として実験を続けていただけです。
また、「母親としてではなく、操縦者(デウス)として会う」とも言っておきながら、結局は決勝戦を前に、母親として会ってしまったり、彼女の言動は一貫性がなく、支離滅裂です。
それゆえに、萩子はみさきに離れていた時間に、自分がやってきたことを何か形として残そうとエンジェリックレイヤーの開発に力を注いでいくのですが、みさきとの再会を果たして、自分が間違っていたことに気付くのでした。
このように、萩子は決していい母親とは言えません。
厳しい言い方をするならば、母親失格とも言えます。
しかし、私は彼女を責める気にはなれません。彼女の気持ちも、その弱さも痛いほど分かるからです。そして、人間誰しも弱い心を持っています。
萩子とは対照的に前向きに描かれていたみさきについてもそうです。
背が低い、小さいことにコンプレックスを持っていた彼女も、エンジェリックレイヤーを通じて、最後まで諦めずにがんばれば道は開けることを知ります。
まさにこれが、この作品のテーマだったわけですが、萩子も最後にはみさきと仲良く町を歩いていたところを見ると、みさきと同じように最後まで諦めなかった結果が、足の完治(義足ができた)につながったとみて良いと思われます。
7年間も離ればなれで暮らし、会うことも、電話で話すことも、手紙を書くことさえも出来なかった2人。ようやく再会を果たし、互いの気持ちを理解できた母子が、今後末永く仲良く暮らしていくことを私は願っています。