8 美少女戦士セーラームーンについて


 

☆読む前の注意事項☆
今回かなり長いです。読むにあたっては気合いを入れて読みましょう。
2. ストーリー内容にモロに触れてます。当作品を知らない方、これから観る予定の方にはネタバレ注意。
以上のことを踏まえた上で読んで下さい。

     

 

はじめに
 
 
今回は
『セーラームーン』について述べたいと思います。
このアニメに関しては今更説明は不要でしょう。
ドラゴンボールと並ぶ日本を代表する超人気アニメであり、日本人なら誰しもその名前くらい聞いたことがあるはずです。
しかしながら、私は当初これを前の番組だった
『金魚注意報』と勘違いするという
大ボケぶりを発揮しておりました。まるで、関根勤が
月光仮面『ジャガーの眼』
笹リンドウ
と間違えていたようなものです(メッチャマイナーな例えやな)。
まあ、そんなわけで、当初はまったくと言って良いほどこの作品を知らなかったので、ちょっくら観てみるかと軽い気持ちで見始めることとなったわけなのですが…。
感受性豊かな私は色々と思うところがありながらも、現在にまで至ってしまったわけです。
さて、そこで、今回は例によって様々なつっこみを入れつつも、この作品の爆発的な
人気の謎について迫っていきたいと思います。

 

なぜかばれない正体
 
 改めて言うまでもないことですが、セーラームーンとはいわゆる変身ヒロイン物です。これは日本の王道的なマンガの一形態ではありますが、これにはある一定の暗黙のルールがあります。それは彼女らの正体が
だ〜れも知らない知られちゃいけ〜ない〜というものです。実際セーラームーンにおいても、月野うさぎを始めとするセーラー戦士達はどういうわけか自分達がセーラー戦士であるということを周囲の人間に隠しています。特にやましいことをしてるわけではないのですから、別にばれてもよさそうなものなのですが、これが日本人の美徳という奴でしょうか?
とにかく、そんな慣習に従い?、日夜孤独な戦いを繰り広げているわけです。
が、ちょっと待て!おまえら素顔さらけ出してるじゃん!
おまけに
セーラー服美少女戦士と大胆にも自分らで公言しています。
この自信はどこから来るのでしょうか?さらに不可解なことに、それでいて誰も彼女らの正体に気付きません。周囲の人間はもちろんのこと身内でさえも気付かないのですから、これは極めて異常な事態です。
実際主人公の月野うさぎの弟はセーラームーンに変身した姉を見て
「可愛い」とかトチ狂ったことを言ってるわけですから、バカとしか言いようがありません。
また、セーラービーナスこと愛野美奈子の男友達は、ビーナス(変身後)の戦闘中の動きとバレーボールで見せた彼女(変身前)のレシーブとが重なり、
「そうか、彼女が…」と正体に気付くのですが、いや、そんな動きより顔見れば一発で分かるじゃん。
なんなんでしょう、このバカさ加減は。ギャグなんでしょうか?
まったくもって理解に苦しみます。

 しかしながら、どういうわけかその後の少女マンガにおいてこのパターンは定番と化してしまいます。
怪盗セイントテール、愛天使ウエディングピーチ、ナースエンジェルりりかSOS、神風怪盗ジャンヌなど、素顔をさらしているにも関わらず、なぜか正体がばれないヒロインが増加してしまったのです。
最近ではもっとも記憶に新しいのが、
『Dr.リンにきいてみて!』の神崎明鈴。
例によって彼女も素顔をさらけ出してはいるものの、なぜか正体はばれません。
しかし、仲間達は平気で
「明鈴、明鈴」と本名で呼ぶのですから、おまえらほんとに正体隠すつもりあんのか!とつっこみたくなります。

 このように、今時の変身ヒロインは、素顔さらけ出しているがなぜか正体がばれないといったことが大きな特徴なのですが、よくよく考えると、これはセーラームーンに始まったことではありません。あの伝説的な時代劇『遠山の金さん』が本家本元なのです。そう、ただ頭巾を被っただけなのに、桜吹雪の入れ墨を見せられるまでは誰も金さんの正体に気付かないというアレです(笑)。
私も子供の時分に
「いや、分かるやろ!」と毎回つっこんでいたものですが、基本的にこれとまったく同じと見て良いでしょう。
つまりは、このしょーもないアホみたいな設定も、実は過去の名作の模倣であり、日本人には極めてなじみのあるものだったと言えます。
セーラームーンが爆発的に人気が出たのも、こういったことが要因のひとつにあげられるのかもしれません(え〜そうかあ?)。

 

役立たずな2人?
 
 さて次に、何かと物議を醸しだしたセーラーウラヌスとネプチューンについて述べましょう。当初こいつらときたらなにかと感じが悪かったのですが、強いと言うのが唯一の救いでした。しかし、彼女らが強いのは実は至極当然のことだというのが後に判明します。なんでも彼女らは太陽系外からの敵の侵入を阻む役目を担っており、それゆえに他のセーラー戦士達より戦闘力が高いのだそうです。
 しかし、実際は見事なまでに地球に侵入されているばかりか、そんな自分らのミスを棚に上げ、セーラームーン達は甘過ぎるから、自分達だけで戦うなどと言っておりました。しかも、その敵が今までにない最大最強の敵とまで言ってるのですから、なんだか言い訳がましい気もします。
 ところが、周知のように、その後にも
セーラームーンSS、セーラースターズとシリーズは続き、闇の女王ネヘレニアや全銀河の支配者ギャラクシア(こいつがラスボス)等、より強力な敵が出てきているわけです。
 ここまで述べると、もうお分かりでしょう。彼女らはまったく自分らの使命をまっとうしてないわけです。それどころか、いつも2人でいちゃつく始末。特に印象に残っているのは、みちる(ネプチューン)がはるか(ウラヌス)の手を握り、
「私はあなたの指が好き」とか言ったアヤシゲなシーン。「夕方の7時になにやっとんじゃ」とつっこんだばかりか、子供が観ていたら絶対親はチャンネル変えるなとか思ったりしたことは今でもよく覚えています。
しかも、
セーラームーンSSでは戦線から離れていたばかりか、新たな敵が現れたというのに、「メシア(セーラームーン)がいるから大丈夫」と脳天気なことをほざいておりました。これはもう完全な職務放棄ではないでしょうか?
おまけに、
セーラースターズでは別の銀河からやってきたセーラースターライツを太陽系外からの侵入者だと言って、同じセーラー戦士だというのに敵視するといった、変なところで職務に忠実なところを見せたりしてくれました。
しかも、最終決戦ではギャラクシアに寝返ったと思わせるために、プルート、サターンを犠牲にしながらも失敗という結果に終わっています。
はたして、彼女達は自分の使命を果たしたと言えるのでしょうか?彼女らのアヤしい関係や、立ち振る舞いは確かにおもしろくはありましたが、厳しい目で見ると色々と疑問が残ります。
 しかしながら、その強烈な個性と妖しげな関係により、一部で爆発的人気を誇ったこと、なにより、マンネリ化しつつあった戦闘のヴァリエーションを増やしてくれたりと、作品自体の人気上昇にも貢献したことは疑いようのない事実であります。
ゆえに、以上のことを総合的に判断した結果………。無罪とします。

 

インフレ、デフレ、またインフレ
 
 さて、マンガやアニメにおいては強さのインフレという概念があります。
どういうことか簡単に説明しますと、
強い敵が現れ、それを倒す。すると、また強い敵が現れる。それを倒す。またさらに強い敵が現れる……と延々続いていくにつれ、主人公達もパワーアップを繰り返し強くなっていくというものなのですが、これがあまり続くと、キャラの強さがどの程度かわかりにくくなる上に、下手するとストーリーまでもが破綻することにもなりかねません。
ドラゴンボールがいい例です。当初強さの度合いが戦闘力という数値で表されていましたが、それもいつの間にかなくなり、星ひとつ簡単に破壊できる力を持った後も、さらに何度もパワーアップを果たしており、具体的にどのくらい強いのかさっぱり分からなくなってしまいました。
 さて、セーラームーンにおいてはどうだったでしょうか?
結論から言えば、当初は加速的にインフレの道をたどっていました。そしてそれはセーラームーンSで一旦最高潮を迎えます。セーラームーンはスーパーセーラームーンにパワーアップするし、ウラヌス、ネプチューン、プルートの参戦に加えて、滅びの戦士と呼ばれる、惑星を破壊するほどの戦闘力を持つサターンまでもが現れ、今までにない激戦が繰り広げられました。
しかし、それほどの凄まじい戦いの為、サターンは力を使い果たし、赤ん坊に戻ってしまうし、セーラームーンに至っては変身アイテム(聖杯だったかな?)が壊れてしまい、スーパー化できなくなってしまいます。それでも、ラストでは敵の残党に苦戦しつつも、なんとかこれを撃破。みんなの力を合わせればスーパーセーラームーンになれなくても戦っていける!ということで幕を閉じたはずなのですが、次のシリーズ−セーラームーンSSの第一話でいきなりペガサスの力により再びスーパー化できるようになってしまいます。この展開には、
どないやねん!前回のラストはなんだったんだ?と思った方も多いのではないでしょうか?
 しかしながら、このシリーズは明らかにデフレでした。と言うのも、前回の戦いでプルートとサターンが戦闘不能になったばかりか、ウラヌス、ネプチューンまでもが戦線離脱してしまうからです。確かに、セーラームーンのみならず、ちびうさもスーパー化するし、最終的には他の4人もスーパー化したのですが、やってることは全然変わらないものですから、どれほどパワーアップしたのか全然分からないし、やっぱウラヌスとネプチューンがいないとなんだか物足りないなあと思った方もさぞかし多かったのではないでしょうか?
 そういうわけで、これは次のシリーズ
『セーラースターズ』までの単なるつなぎでしかなかったのかなあと今でも疑問に感じています。

 そして、最終章となった『セーラースターズ』。ここに来て再びインフレが加速します。
これはしょっぱなからかなり飛ばしていました。
第一話にして、
プルートの復活に加え、赤ん坊だったサターンが急激に成長し始めたのです。なんでも、サターンは前述したように、惑星を破壊する程の戦闘力を持っているため、それ相応の危機(クライシス)が訪れないと現世に現れないということなのだそうですが、それゆえに、今までにない壮絶な戦いの幕開けを予感させられました。
さらに、セーラームーンは最終形態
エターナルセーラームーンとなり、集結した全てのセーラー戦士達と共に、復活した闇の女王ネヘレニアとの激闘に幕を下ろしたのですが、それこそが真の黒幕、ギャラクシアの思惑通りであり、さらなる激闘へのプロローグにしかすぎないという壮大なスケール感を出してくれたのでした。
 しかし、残念だったのが、その後の展開。せっかく、序盤からネヘレニアとの激しいバトルを描いておきながら、それ以降はいつもの調子−すなわち、毎回ザコキャラが現れ、それをダラダラ倒していくという展開に戻ってしまったのです。
しかも、惑星を破壊できるほどの力を持つと言われていたサターンも、実はその力を使えば死んでしまうことが発覚します。
これは味方になったキャラは弱くなっているという典型的なデフレです(厳密に言えば敵であったことはないのだけど)。その上、ストーリーの終盤、ギャラクシアとのラストバトル直前になるまでまったくと言って良いほど戦っていないばかりか、登場してすらいない上に、ギャラクシアとの戦いでは、その圧倒的な戦闘力を見せる間もなくリタイアしてるのだから、これでは拍子抜けしてしまいます。
 しかし、これと言うのも、別の銀河から来た
セーラースターライツの3人が新たに増えたことで、一人一人を描くことが困難になったからなのかもしれません。
なにしろ、これでセーラー戦士は12人にまで増えたのですから、一人一人見せ場をつくるってのは無理からぬことだったのではないかと思います。
それゆえか、セーラースターライツ以外のセーラー戦士はあまりにあっさりとギャラクシアに倒されたなあという感が強かったのですが、同時にそれだけギャラクシアが強大な敵であるということでごまかし…いや、もとい、うまくまとめることができたのではないかと思います。

 このように、振り返ってみると、当初に比べてかなりパワーアップしているし、必殺技も仲間も増え、最終的には全銀河の命運を賭けた戦いにまで発展するという、極めて凄まじいインフレを見せております。
 しかしながら、これもストーリーを盛り上げるためにある程度は仕方のないことだと思います。確かに、
「んなアホな」という展開は何度かありましたし、パワーアップする過程もあまりに安易ではありましたが、この作品が少女マンガであることを考慮すれば許容範囲だと言えます。
 とは言え、決してこの作品の戦闘シーンが少年マンガに比べて貧弱だとか言ってるわけではありません(そもそも、ドラゴンボールのような戦闘の派手さで魅せる作品でもありませんし……)。あくまでこの作品のテーマは
であるわけですから、魅せるシーンは戦闘ではないというわけです。
そして、その愛というテーマは見事に視聴者に訴えることができたのではないかと私個人としては思っています。それに、ストーリーにしても全銀河の危機にまで陥ったわけだから、これ以上続けるのはさすがに無理があるだろうし、そういう意味ではあそこで終わらせたのは妥当な判断だと言えます(ドラゴンボールは何度も全宇宙の危機が続いた)。実際、私もセーラースターズ以降、さらにセーラーギャラクシアが仲間に加わり、新シリーズが続いたらどうしようかと冷や冷やしてましたから(笑)。
 しかし、最後の敵の意外な正体、そしてエターナルセーラームーンの
エターナル(=永遠)を考えると、まだまだセーラー戦士達の戦いは続いていくのだということを示唆しているようでもあり、良い幕の引き方だったのではないかと思えます。

 

総論
 
 さて、ここまで色々と述べてきましたが、最後にこの作品の人気の秘密をまとめたいと思います。
まず第一に極めて日本人ウケする要素が多かったこと。第一章で述べた、遠山の金さんのように正体がばれないというのもそうですが、毎回の戦闘においても同様のことが言えます。
 分かりやすく説明しますと、彼女らは毎回毎回窮地に陥っては、タキシード仮面(もしくはセーラーウラヌス、ネプチューン、スターライツ)に救われ、最後に逆転勝ちというワンパターンな戦闘を繰り広げています。そこにはなんのひねりもない惰性さえ感じさせますが、なんと言っても日本人はこういうワンパターンが好きなものです。
時代劇を見てもそれは明かであり、ワンパターンな展開というのは観ていて安心できるものなのです。いまいち実感できない方は
『サザエさん』を思い出してみて下さい。納得のいくことかと思います。

 第二に、この作品が
美少女アニメだということ。こう言うと聞こえは悪いかもしれませんが、なんだかんだ言って美少女とつくものは強いものです。
『ときメモ』などの美少女ゲーム等がいい例です。そして、それゆえに、少女マンガにも関わらず多くの幅広い年齢層の男性ファンもゲットできたというわけです。女性ファンについては言うに及ばず。
さらに、それを支えていたのは個性豊かなセーラー戦士達に他なりません。
各キャラがそれぞれに幅広く人気を博しているというのも珍しいケースです(厳密に言えばマーキュリー=亜美ちゃんの1人勝ちだったような気もするが……)。
当然、第二章で述べたウラヌス、ネプチューンについても然りです。
ある意味、この2人のおかげで人気も上がったと言えるのではないでしょうか?
もちろん高い年齢層に(笑)。

 第三に、ストーリーがいかにも少年マンガ的なこと。主人公達が悪に立ち向かうというお決まりのパターンに加えて、第三章でも述べたインフレもストーリーを大いに盛り上げてくれました。実際、その少年マンガ的なストーリー展開から「少女マンガ版聖闘士星矢」と言われた程です。当然中身は似て非なるものですが、それだけ世の少年達に取っつきやすい少女マンガを提供したという点では、セーラームーンの功績は非常に大きかったと言えます。

 第四に、時代が味方したこと。近年女性の時代と言われるように、一昔前に比べると、なにかと女性が男性よりも様々な分野で活躍しているのが目立つし、また強い印象すら受けます。もっとも、女性が強くなったと言うよりは男性が弱くなったという気がしないでもないですが、セーラームーンはそんな時代背景を反映していたのではないでしょうか?
女でも男に劣らず立派に戦えるということを強烈にアピールしていたように思えます。
そして、この作品以後も数々の変身ヒロインが世に現れ、今なお増え続けているということは、それだけこの作品の影響が大きかったと言えます。

  以上を振り返ってみると、セーラームーンはヒットすべくしてヒットした作品だと言えるのではないでしょうか?そして、その人気は衰えることなく、今や日本のみならず世界中に広まっています。それは一重にこの作品のテーマが「愛」、「信じる心」といったシンプルかつ人としてもっとも大切なものを説いたからではないでしょうか?
確かに、今のご時世人を信じることは難しいことかもしれません。
しかし、こんな時代だからこそ、信じる心を、人を信じることを大切にしていきたいと私は思います。
「希望の光はみんなの心の中にあるのだから……」
 願わくば、セーラームーンを観た世界中の少年少女達が、この作品のテーマである「愛」を、そして「信じる心」を正しく理解し、いつまでも大切に持ち続けてもらいたい、そう心から思います。

 

 

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