『闇に咲く花』で泣ける理由

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5演目も観て絶賛した『きらめく星座』と同じ“昭和庶民伝三部作”の第2部です。といっても前作の続編ではなく、全く別の作品。
内容について触れずに書くことは不可能だし、しかし推理小説の犯人などと違って展開を語ってしまっても、この作品の魅力や価値を低下させることはないと信じていますので、内容についてかなり触れています、あしからず。(文字通りの確信犯だな)

*** データ ***
タイトル:『闇に咲く花』
公演主体:こまつ座

作:井上ひさし 演出:栗山民也
出演:益岡徹、近藤芳正、名古屋章、小市慢太郎(劇団M.O.P.)、たかお鷹、水村直也、木下政治(劇団M.O.P.)、増子倭文江、梅沢昌代 ほか

日時:11月21日(日) 13:30〜14:55(休憩15分)15:10〜16:30
小屋:紀伊國屋ホール
料金:4,750円(全席指定・税込:3作セット価格の1本分単価)
座席:I列3番(中央よりやや前、下手端近く)

*** ものがたり ***
昭和22年、神田の愛敬稲荷は境内を5人の戦争未亡人の「お面工場」に提供していた。ある日曜、未亡人5人がひいたおみくじのすべてが大吉で、しかもその直後に慶事が起るのを目の当たりにした宮司・牛木公麿(名古屋)も大吉を引当てる。そして戦死した筈の1人息子・健太郎(益岡)が帰って来るが…

*** 感想、のようなもの ***
これも初演、再演を観ていて今回が3回目なんですが、初めて泣けました。お恥ずかしい話ながら、過去2回は「あんなこと(後注)でC級戦犯にされてしまうのか」という戦争の恐ろしさについてが主な感想でして、今思うと随分子供っぽいなと。

※注 健太郎は職業野球選手で、駐屯していたグァムで現地民を相手に投球練 習をしたことが「拷問」とされてC級戦犯として裁判をうけることになる

で、以下、泣けた理由の分析など…

まず最初に涙ぐんだのは序盤。息子・健太郎とバッテリーを組んでいた親友の稲垣(近藤)が帰ってきて、公麿と4年振りに再会するところ。

ここで公麿は「よかった、よく帰ってきた」と言う。健太郎が戦死したことになっているのを既に知っているσ(^-^) は、公麿の父親としての気持ちを思い計ると共に、戦時中は「お国のために死ぬ」ことが美徳であり、たとえそう思っていたとしても生きて帰ったことを喜んだりできなかったことに比べていい世の中になったんだ、ということにホロリ。

そしてさらに、戦死公報まで届いていた健太郎が生きて戻って来た時(第2場)にホロリ。ここまでは最近のσ(^-^) なら、当然そうであろうから別に驚かなかったんですが、我ながらビックリしたのは第5場のクライマックス。

第3場のラストで戦犯容疑をかけられたショックにより記憶を喪失してしまった健太郎が、今は神経科の医師である稲垣のカウンセリングで記憶を取り戻した後のセリフ。

「神社・神道は死にまつわることを外へ締め出していると父さんは言っていたが、出征兵士を送り出したり、戦災での死者を境内で焼いたりしたときに神社も神道も滅んだんだ」

神社・神道への批判のように見えるけれど、「死」というものとは無縁であるはずの神社を、「死の世界への入口」ならしめたもの(=戦争)への強い批判ですよ、これ。

さらにその後、何人の出征兵士を送り出したか、何人火葬にしたか判らない、という公麿に対する健太郎の「忘れてはいけない。忘れたふりをするのはもっといけない」というセリフは作者自身からの観客へのメッセージであり、だからこそこういう作品を書いたんだという、作者の真摯な姿勢の表明でしょう。

そして「過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗い」とまで健太郎に言わせている。婉曲ではあれど「戦争は過ちだった」と言わせているんですね。これはスゴい。

しかもこの一連のセリフ、GHQ法務局主任雇員(たかお)が、記憶をとりもどした証拠とするために盗聴・録音している設定で、その少し後にテープを再生する、つまり2度観客に聴かせているんだから…

そう思うと、第6場で遺品として届けられる野球のボールは作者のメッセージで、それを受け取る稲垣というのは観客なのではないか?と勘ぐってしまったりもするのですが。

そんな風に考えたら、何て言ったらいいんだろう、芝居を書く作者の姿勢というか、そういったものに胸を打たれて涙が出てきたんです。
こういう経験って、もしかすると初めてかもしれない。だって、普段は舞台上にいる人物への感情移入止まりなんだもの。作品を書いている作者の心にまで気持ちが及んだなんて…

正直に告白してしまうと、実は「そんなところまで読み取れるほど成長した」自分に対するナルシスティックな感動もありまして…(爆)

一方、冷静に考えると『きらめく星座』に比べるとサイド・ストーリーが多い分、ちょっと焦点がボケた感じも否めないかも。

例えば、闇物資買い出し絡みで出てくる経済警察との攻防のエピソードなどは省いても良かったのではないかという気がします。むしろその方が「忘れてはいけないものをキチンと伝えていかなければならない」というテーマがより明確に浮きあがってきたのではないか、という気さえして。

あと、ちょっと悔しいのが、ラスト近くに響く「平和の太鼓」に主要人物たちが怯える場面があるけれど、ここの意味するものが読み取れなかったこと。いつか4演目を観る時には、そこも理解できるといいなぁ…(※ 後注)

(余談)
客席(D列5番)に西田敏行をみかける。かなりの巨漢ですね。


※ 2001年8月の4演を観た時の補足

4演では、響いてきた「平和の太鼓」に対して、神社の隅で戦争の犠牲者に対する鎮魂の意味でギターを引き続けている“加藤さん”のギターの音色が太鼓を制する、そして太鼓に泣き出した赤ん坊は泣き止み、神社の面々も安堵するという演出に変わっていたので納得。

つまり、それがたとえ「平和の太鼓」という平和に関する行事であっても、 神社庁のようなところが音頭をとって、他者が不和雷動的にそれに従うようであっては、戦争へと向かった時と構造的に変わりがない。
それよりも、戦友のみならず、アメリカ兵や戦地で迷惑をかけた現地の人々のために“個人として”ギターを弾き続ける加藤さんのような姿勢が大切である、というメッセージなんでしょうね。

演出によってここが判りやすくなったのも良かったです。

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