イサベラ編
あの子が・・・イサベラがロレンソの店に来たのは、今から3年前のことだ。
よその店で踊っていたイサベラを、ロレンソがスカウトしてきたのだ。「あの子は伸びるよ」
ロレンソは、事あるごとにそう言っていた。しかし皮肉なことに、その確かな技術が
邪魔をして、ペアを組んだ相手が何度も変わる。ある相手は、自分より上手い
イサベラをリードできないから、と。ある相手は、技術に走るイサベラとは踊りにくい、と。
次第に店の中でショーダンサーとしての相手を見つけられなくなったイサベラは、
客を相手に踊る踊り子になっていった。捨て鉢に踊るイサベラを、何とかしてやりたいとは思ったが、ロレンソにも打つ手が
なかった。悪い男に引っかかっている、と言う噂を聞いたのもこの頃だった。そして、
あの事件だ。よその店の用心棒達が、イサベラを店から連れ出そうとする。何とか
暴力沙汰だけは避けて、リーダー格の男に事情を聞くと、イサベラが契約したのに
店に出てこないから連れに来た、と言うことだった。イサベラに事情を問う。話が食い違う。
ようやく、どうやらマルセーロと言う、イサベラがつきあっていた男が勝手に契約して
支度金を持って逃げたらしい、ということがわかった。ロレンソが、相手の店のオーナーと
直談判し、迷惑料を払うことで事は解決した。「すみません、ロレンソさん。・・・お金は、私のお給料から差し引いて下さい。
こんな事になったのにお店においていただけるだけでも、本当に感謝して・・・」
「気にするな。お前は踊っていればいい。必ず道は開けるさ。」ロレンソは笑って、イサベラの肩を叩いた。再びイサベラは、真面目に練習するように
なった。だが相変わらずパートナーは見つからない。他の踊り子達より3時間も
早く店に出て、掃除などを手伝ってから一人で黙々と練習するイサベラは、まるで
誰かを待ちわびているようにも見えた。そんなときに、ニコラスが現れたのだ。
イサベラは、時々、こんな事を言っていた。
「ニコラスが店に来た日のこと、良く覚えてるわ。強引にフロアーに
引っぱり出されて、なんて嫌な客が来たんだろうって最初は思ったの。
でもすぐに・・・なんて踊りやすいのかって思ったわ。初めてで、あんなに
息があった人は今までいなかったもの。」イサベラは、ニコラスが客ではなく求人広告を見て入ってきたのだとバーテンから聞いて
すぐにロレンソに掛け合った。「お願いです、ロレンソさん!彼を雇って下さい。私と・・・私と組ませて下さい!」
「しかし・・・アイツはダンサー希望で入ってきた訳じゃ・・・」
「ダンサーじゃないんですか?!そんなはずありません、あんなに踊れるのに・・・」
「イサベラ、アイツはそんなに踊れるのか?」
「踊れます!彼となら・・・彼と組んで踊ってみたいんです!」イサベラの珍しく熱心な様子に、ロレンソも何かを感じたのかもしれない。
「安心しろ。」
ニコラスに採用通知が行ったのは、その2日後のことだ。
しかし、ニコラスが店に勤めるようになったというのに、ロレンソは掃除や裏方の仕事
ばかりを言いつけていた。イサベラが業を煮やして、ロレンソに詰め寄る。「いつになったら彼と踊らせてもらえるんですか?彼は・・・彼をダンサーとして
雇ったんじゃないんですか?」
「そう焦るな、イサベラ。最初に踊れるのかと、アイツに尋ねたとき、アイツは
『稼ぐほどにはとても』と断った。それをダンサーとして雇うと言ったんじゃ、
逃げられかねないからな。とりあえず裏方の仕事をさせて、店になれてきたら
ダンサーのことを話そうと思っていた。・・・なんだ、そんなにアイツと踊りたいのか?」
「あ・・・いえ・・・その・・・」恥ずかしそうにうつむくイサベラに、ロレンソは笑って言う。
「まぁ、ちょうど良い頃合いだろう。明日、話してやろう。」
ニコラスは断らなかった。と言うより、断る隙を与えてもらえなかったのだろう。そして・・・
あんなに嬉しそうなイサベラを見たのは、久しぶりだった。翌日から毎日、開店前に特訓を続けるイサベラとニコラスの姿を見かけるようになった。
確かに腕はいいけれど、プロとして踊ったことのないニコラスの踊りは、あちこち手直しが
必要だった。でも、元々の勘がいいのだろう。砂に水がしみこむようにマスターしていく。
イサベラと良いペアになるのに、そう時間はかからなかった。ショータイムダンサーとして舞台に上がって良いかどうかをロレンソに判断してもらうため、
開店前に1曲、踊ることになった。真っ黒の衣装を着たイサベラ。帽子で表情を隠し、
体で心を表現するニコラス。踊り終えた時にロレンソが発した言葉は、意外なものだった。「良くやった、二人とも!お前たちなら、どこへ出しても恥ずかしくないペアに
なれるかもしれない。・・・オーディションを受けてみないか。
オルケスタ・アルヘンティーナに友達がいる。」自分の店から一流のダンサーを出すこと。それがロレンソの長年の夢だった。イサベラは
そのために連れてこられたようなものだった。そして、ニコラスの出現で、それは現実の
ものとなるかもしれない。初め、ニコラスは渋っていた。自分はダンサーを目指してきたわけではないから、と。
しかしイサベラの熱意に動かされたのだろうか。次第にやる気になったようで、
オーディションの日取りが決まる頃には、二人とも毎日、熱心に練習に励んでいた。でも、オーディションの当日。不幸な事故で、ニコラスはオーディション会場に姿を現す
ことはなかった。幸い、警察の取りなしで再オーディションが決定したが、ニコラスは
とても踊れるような状態ではなかった。イサベラは、ずっと待ち続けた。
ニコラスが、再び彼女の手を取って踊り出すのを・・・「無理矢理に連れ出して踊ってもダメよ・・・いいのよ。オーディションがダメでも。
私はニコラスと踊りたいんだもの。」イサベラが待ち続けていることに気づいたのか、ニコラスは再び踊り始めた。それは
以前にも増して、哀しみと憂いと優しさと透明感に満ちた踊りだった。二人とも、オーディションに合格した。今、二人はオルケスタ・アルヘンティーナの
看板ペアとして踊っている。しかし、この間イサベラが店を訪ねてきたとき、
こんな事を漏らしていた。「たぶん・・・ニコラスは踊りをやめるわ。彼にとって、やりたいことは
踊る事じゃないもの。彼のやりたいことは、きっともう見つかっている。
だから・・・もうすぐ彼とは踊れなくなるわ。」しかし、イサベラの表情は晴れやかだった。
「彼に感謝してる。彼は私に『踊りたい理由』を思い出させてくれた。
だから・・・今度は私が彼の『やりたいこと』を応援する番なのよ。」私たちは、イサベラとニコラスの最後のステージを見に行った。
アンコールと拍手喝采の舞台が終わり、楽屋を訪ねる。「やぁ、良く来てくれたね、ロレンソ。それにメルセデスまで・・・」
「残念だわ、ニコラス。あなたの踊りが見られなくなるなんて。」
「踊りたくなったら、店に行きますよ。」ニコラスの笑顔と、それを見つめるイサベラの表情を見て、私は安心した。
二人には、ちゃんと風が吹いたのだ。お互いの想いをのせた、優しい風が・・・
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