初めて三井園子の作品を見た時、女性の作品だなと感じた。何故ならば今でも女流作家展が存在する様に、男を追越せの感覚が残っている。男女平等率は世界で29番目だそうである。しかしながら美術は男と競うものではない。女性の作品は女性なるが故にむしろ女性の生理からといっても良いが、自ずと渉んでくるものが根底にある筈である。
欧米では女性でなければ発想できないような作品が多々存在する。三井の作品では布を主材にして絵を描いている。キャンバスも布であるが、三井の場合、布が布として作品の重要な表現のひとつになっている。そのことによる効果としては、平面としての絵画と同時に立体をも連想させ、又逆に異なる布の種類によって布は消滅し、色彩のみが空中に存在しているようにも見える。アメリカ作家のマーク・ロスコにも似たようなところがあるが美術としての存在のさせ方は全く異なるといって良いだろう。
西欧の絵画(宗教画は別にして)は横への動きが多いように思われる。東洋では水墨画、掛軸等に於いて上から下へ、又下から上というようにパーティカルな流れが殆どといってよい。三井はヨーロッパ、アメリカに長いが、その中でこそ東洋の血が無意識の中に根底をなしたと見るべきだろう。本来美術というものは自己の確立だと思っている。その意味では外国に住むことによって東洋の生理を根底にもったといっても過言ではない。
私は何も外国に住んで錦を飾ることに麗辞を送るものではない。一歩も国を出ず錦を飾る者も少くない。最後に、この諺をつけ加えたい。“井の中の蛙、大海を知らず”に下の旬があることを知られてない。
“されど天の深さを知る。”
篠田守男
彫刻家(筑波大学名誉教授)
(金沢美術工芸大学・博士課程教授)