科学の進歩



最近スペースシャトルの着陸失敗の事件がニュース番組を

独占状態ですね。

番組内では色々な評論家が憶測まじりで、

「シャトルの老朽化が問題だ」とか

「そもそもアメリカの宇宙開発予算削減が」とか

「断熱材の亀裂の発見が」などと、騒がれていますが。


俺としてはそんな専門的な事は分からないので、

別観点からテキストをまとめたいと思います。


まず乗組員7名が全員死亡という大惨事に発展して

しまったので、この事を非難する声が後を絶たない訳です。

しかし、俺としてはこれはどうしようも無い事なのでは

無いかと思います。


そもそも科学の発展に多少の犠牲はつきものなのです。

犠牲と言わないまでも「実験体」とでもいいましょうか。


こんな風に言い切ってしまうと、とても冷たく取られるかも

知れませんが、例えば新しい治療薬で新薬が発見されたとします。

幾度と無く動物実験を繰り返した所で、誰かは初めて人間で

服用する人がいるはずなのです。

そうです、つまりは人体実験です。

それで何も無いに越したことは無いですが、

そこでなんらかの副作用に苦しんだ人も多いはずです。


その様な犠牲の元に、我々の今の豊かな社会は成り立っているのです。

インフルエンザで高熱で苦しめば、病院で注射一本で治る、

そんな社会の礎として。


そんな科学の恩恵の上にドップリつかった人達が、

にわかに感傷的になり、シャトルの事件に対して

「人命の尊重が」などと声を高らかに発言しても

なんの重みの無いのです。


たしかに7名もの犠牲は大き過ぎます。

尊い人命が一瞬にして奪われる、

その重大性に目を背ける訳には行きません。


しかし成功からしか得られないものもあれば、

失敗からしか得られないものと言う物もあるはずなのです。

それどころか、失敗からの方が得られる事が多いかも

しれないのです。


今回の事故は確かに悲しい事件ではありました。



とあるニュース番組で、シャトルの乗船経験者が

こんな事を語っていました。


「今回の事件は確かに悲しい事件だ。

 しかし、科学の進歩に100%の確証の得られた

 成功などあり得ない。」


涙ながらに訴えるその言葉が全てを物語っている気がしました。



人間とは「失敗」を「経験」に変える事のできる生き物である。


少なくとも俺はそう信じたい。

そうでないと、犠牲がただの「犠牲」で終わってしまうから。


 

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