無駄な物



最近なにかと、仕事で思うところがある。

それは俺の上司が心労の為倒れたのである。

もともと気苦労の多い役職であった事と、

気苦労の多いユーザを相手にしていた事と、

気苦労の多い部下をしたにつけていた事で一気にきてしまったのだ。


その兆候は以前からも見られ、

「大丈夫っすか?少し休んだ方がいいんじゃないですか?」

そう声はかけていた。しかし俺がそう声をかける度に

「大丈夫。俺は適当だから、お前が思っているほど抱え込んでいないし。」

そう言っていた。

しかし俺は分かっていた。

自分の事を適当だという人程、生真面目なのである。

本当に適当な人は自分の事を適当などとは表現しないものである。

→適当な為、自分が適当かどうかという自己分析を行わない為。


そしてその上司とはよく飲みの場で語っていた。

語るというより、俺の若気の至り的な質問をぶつけさせて

もらう場だったのである。

「なんで、こんな思いまでして働かないといけないんすかね!!」

「お前は何で働いているんだ?」

「え?!そりゃやっぱり給料の為・・。」


「それだけか?」


「それと・・・今まで築き上げて来た少しばかりのプライドの為っすかね。」


「それも大事だけどな、もっと大事なもんがあるんだよ。」


「え?!それはなんなんですか?」


「お客さんだよ。俺らの作った物を使うお客さんだよ。

 いいか、そのお客さんの前ではお前のプライドなんて

 無いに等しいんだよ。逆にそこでプライドという言葉を

 逃げ場になんてして欲しく無いんだよ。

 お客を満足させてこそのプライドだろ?

 お客が満足しねえプライドなんか、自己満足だよ。

 だから俺はいくら辛くとも、お客の為に働いているんだ。」


そうなんていうのかな、仕事の本質みたいな物を教えてくれる人だった。


ただ会社ってのが、利潤追求団体である限り、

売上 = 正論という方式が成り立っている。

適当な仕事で100億円の売上→いい仕事

お客の立場になった親身な仕事で1億円の売上→悪い仕事

という図式にずいぶんと悩んでいたようだった。

サラリーマンというよりは、どこかの職人にでもなれば

成功するタイプなのでは?とよく思った。


しかし俺は客観的に見て職人タイプか?サラリーマンタイプか?

と聞かれれば、サラリーマンタイプだと思う。


同じ結果なら、少しでも余計なものは省いて、少しでも効率よく、

最短距離で突っ走りたいと思ってしまうのである。


それが、会社の為であり(余計な残業代を使わない)

部下の為であり(休みがちゃんと貰える)しいては、

自分の為である(会社と部下から認められる)と考えていた。


しかしそんな俺の働きぶりをみて、よく指摘されたものだった。

「回り道してみて、初めて見える事だったあるんだぞ。」


そして俺がつまらないミスからはまってしまった時にも

こう言われたものだった。


「今だからまだよかったんだろ。これが後一カ月後だったら

 取り返しがつかない事になってたよな。

 ただ何で今まで見つからなかったは考えろよ。」


決して簡単には答えは教えてくれない人だった。

その答えの導き方、答えのある方向を示唆するようなやり方だったのだ。


そのあいまいさが、嫌になってついてこれなかった

同僚も多いが、俺にとっては逆にそれが

「束縛されていない、自由にやらして貰っている。」

と感じて心地よかった。


効率化・能率化そんなものが叫ばれ、神聖化される不況の世のかなで

「無駄な物こそ、時には一番大事だって事がある。」

こんなコンセプトが実はこのサイトにも含まれていたりもするんです。


あなたは人生を生き急いでいませんか?

きっと人生なんてもっと肩の力を抜いて、回り道しても

いいもんだと思いますよ。


 

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