テキスト品質
テキストサイトなるものを運営する管理人さんは
全て思う事なのかもしれないが、自分のテキストには少なからず、
自信と誇りを持っていると思う。
その自信と誇りを保ち切れなくなった時ってのが、
サイト閉鎖タイミングなのでは無いか?と最近思う。
そして、このサイトも毎日更新をうたっており
最近ではそれなりに見に来てくださるお客さんも増えた。
だからこそ最近考える事がある。
自分のテキストはテキスト職人として満足のいくレベルの
ものを排出できているのだろうか?
自分自身が自信の無い駄作を垂れ流していないだろうか?
正直その様な作品はいくつか存在する。
それは毎日更新をうたっている以上、毎日毎日厳選された
ネタとそれに付随するテキストを排出するには限界がある。
つまりは、量をとるか、質をとるかの究極の選択になってしまう。
自分では駄作だと思ったネタでも、面白いと反応してくれる人もいる。
しかし、自分自身で納得がいかなかった時点でそれは駄作となり、
テキストの存在自信を否定する事になりかねない。
そうなってしまっては、駄作を垂れ流す屈辱というよりは、
その様な位置づけでしか存在を許されないテキストに同情してしまう。
テキストを生み出すものとして、多少は魂を込めたいと思っている。
それが、どんなくだらないシモネタだったとしても自分が納得して
アップしていればそのテキストに魂は込められているのである。
と言うよりは、シモネタ好きの管理人だからこそ魂を込めれば込める程
シモネタに走る傾向ってのはでてくるかもしれないですが。
それとは逆に、どんなに素晴らしい事、どんなに美しい事、
どんなに高尚な事を言っても、そのテキストが納得がいかなければ
その途端、そのテキストもただの文字の羅列に過ぎなくなる。
やはり、ただの文字の集まりに魂を込めてこそ、テキストってのは
できあがるものであると僕は思う。
これは、とらえ方によってはサイト閉鎖の前振りかの様にとられる
可能性もあるがそうではなく、新たな自分への挑戦と考えている。
やはり、サイト閉鎖のその瞬間までテキスト生産工場では無く、
テキスト職人であり続けたいと思う。
これがとりあえず現在の結論。