ドーピング

 

 

やはり、今回のオリンピックでもドーピング騒動(疑惑を含む)が

話題に上りましたね。

確かにスポーツマンシップに乗っ取るオリンピックを、

冒涜する行為であることは間違い無いのですが。

しかしながら、ドーピング=悪い行為だけでは、

話が広がらないのでオバロ風味で解釈してみようと思います。

 

まず何故にして、そこまでの危険を冒してドーピングを行うのか?

まず、選手生命自体を縮める恐れどころか、自分の生命自体を

脅かすことさえあります。

しかも検出されてしまえば、永久追放は免れない。

そこまでのリスクを犯してまで欲するものは、ただ一つ。

メダリストと言う名の称号です。

ここで、メダルという物理的な物質ではなくて、

メダリストという名の名誉を欲しがっている点が問題なのです。

 

つまりは、そこまでしてメダリストという名の称号を、

欲する理由があるのです。

それは、安定した生活です。

オリンピック選手なんてものは、スポンサーなどがバックに

ついていたり、プロ選手であったりという特例を除けば、

大抵が収入源に困っていると聞きます。

中にはその収入源の為に、ヌード写真集を出して問題になる

国もあったほどですから。

確かに、日中夜問わずに練習に励む選手達は、練習設備に

お金がかかっても、そこから収入を得ることは非常に

困難であると思われます。

ですからこそ、オリンピックのメダリストと言う名誉が

収入につながる国では、不正を犯してまでもその栄誉を欲するのです。

 

確かに我が国日本ではドーピングは非常に少ないと言えるでしょう。

しかしそれは、ドーピングをしてまで勝ち得たメダルに

意味が無いと言い切れるほど、スポーツマンシップに乗っ取った

奇麗事が言える、平和で安全な国な訳です。


オリンピックは世界各国から、さまざまな選手達が参加する祭典です。

多種多様の文化があり、経済がありそれをルールという

土台のもので争っています。

しかし、世の中には牛が神様の国もあれば、牛が主食の国だったあります。

そんなさまざまな価値観の違う選手達が集い戦うのが

オリンピックなのです。

 

ドーピングした選手達は汚い。

 

そんなスポーツマンシップに乗っ取った奇麗事が

大声で叫べるわが国日本というものは、

やはり平和であり安全なのだなと改めて思い知らされたのでした。

 

確かに、ドーピングは禁止せざるを得ない卑劣な行為です。

こんなものを認めてしまうと、各国の医学力の争いになってしまいます。

 

しかしながら、何故ドーピングまでに手を染めて、

メダルを欲したのか?

その背景には、平和な我々日本人には思いつかないほどの

さまざまな複雑な背景が存在することを忘れてはいけない気がします。

 

我が国日本はたしかに平和です。

だからこそ、奇麗事の裏に隠された真実を見極める

必要があるのでは無いでしょうか?


 

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