先日のことであった。久々に同期の仲間と飲む機会が合った。

そして下らない話から何時しか話題は真面目な語りへ・・・。

内容は会社の経営方針から社員への扱いについてだった。

 

「会社はこうあるべきだ。」

「社員のことをもっと考えるべきだ。」

と熱く語る友人。

しかしその内容をどこか覚めた目で聞いている俺。

そんな俺の態度に不満を感じた友人は俺に意見を求めてきた。

 

「でもさ、それって奇麗事じゃん。」

そう冷たく言い放つ俺。

当然の如く友人と俺の口論が始まった。

 

俺の発言に対して「会社に飼い慣らされた」とか

「丸くなっちまった。」とか色々言われたが

実はそんな事じゃないんだ。

たしかに学生の頃に比べると社会人の汚い部分、

汚れた部分を見せ付けられて昔のピュアなままではいられない

自分がいることは確かである。

 

けれど、そんな事じゃないんだ。

 

実現不可能な夢を追いつづけてもそれは

俺にとって現実逃避でしかないんだ。

実現不可能なことを少しでも現実に近づける努力がなければ・・。

それは今という現実を受け入れられない我がままに過ぎない。

たしかに今に満足してしまう事は成長を止めてしまうことである。

しかし、今という現実を見据えずに未来ばかり見ても

それはただの現実逃避に過ぎない。

 

今が嫌だ。

 

それはわかる十分過ぎる程わかる。

でもそこから逃げる事ばかり、夢ばかり見ることばかりしても

何も生まれない。

 

自分が存在する今と言う時を見据えて、

そこからどこに向かうべきか考え努力してこそ

未来や夢を語る資格があると俺は思う。

 

努力無き夢なんそ夢では無いと俺は思うのである。

単なるラッキーは夢ではない。

行動無き夢は夢ではない。

そんな風に思うのである。

 

たしかに「大人はみんな汚ねぇ」と言い放っていた

学生の頃からは変わった。

 

はたして俺は飼い慣らされたおとなになってしまったのだろうか?

それは違うと断言できる。

飼い慣らされない為にも

自分という人間を確立させる為にも

俺は考え努力しなければいけないのである。

その努力が実ったときに初めて、

自分に夢を語る権利が与えられると思うのである。

 

だから俺は今がどんなに嫌な「今」でもそれを受け止める。

だって俺は何時でも「今」でしか生きられないのだから・・・。

 

 

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