受験体験記

新潟大学 理学部化学科     T.Hasegawa

1、 教科外活動について
活動状況 テニス部に3年間所属して1年次はテニス中心の生活を2年次は勉強と両 立した生活を送っていた。ほかにも自分でいいなと思う文庫本を読んでいた。

学習との両立で留意したこと
1年次は本当に勉強をしていなかったが、指を骨折したときが転機となった。 今自分にできることは何なのかと考えてみると、その中に勉強という文字が 浮かび上がりった。骨折は2ヶ月ちょっとで直ったので2年次になるときに は普通の生活が送れるようになったので、勉強とテニスの両立はできないも のかと試行錯誤を繰り返した結果、一日の生活のメリハリをきちんとすれば 時間はいくらでも作れるということ気がついた。メリハリをつけた生活は思 った以上に大変なことだった。やる気がないからとだらだらと生活するので はなく、積極的に望むという姿勢を大切にした。やる気は結局自分の気持ち の問題なので自分の気持ちを前向きに持っていく努力をした。

2、 学習方法
通常の勉強
  数学
  ニューアクションωをはじめはやっていたが、途中から青チャートにした。 青チャートとニューアクションはどちらもいい参考書なので自分にあった 雰囲気のものを選んで長い時間没頭していた。授業でもらったクオリティ ーもAとB問題は時間が許す限りやっていた。3年からは大学への数学を 中心に「Z会京大即応MK」とともに解いていた。
  化学
  この教科は僕のもっとも得意な分野なのでよく勉強していた。化学は暗記 ではない。事象を体系的(事象全体を理解するみたいなもの)に理解する ことが一番大切。まずは問題を解くことを大切にした。この分野の面白い ことは、基礎は応用で学べるということ。確かに基礎は大切だが、基礎に 偏った勉強は化学の勉強としては間違っていると思う。化学の問題を解く のは、基礎ではなく、基礎を使いこなす思考力。基礎問では思考を使う前 に答えが誘導されてしまい意味がない。だから「自分にとって」少しむず かしめの問題を長期間「楽しく」とくことが大切。世には「やさしく〜」 「よくわかる〜」といった問題集があるが、そういう物では思考力の強化 は望めないと思う。使った参考書等は「化学標準問題精講」「化学標準問 題精講パワーアップ問題集」「Z会京大即応CK」「化学TB・Uの新研究」 「化学TB・Uの新演習」「化学問題100選」。並べた順に難しい。理系で あるならば「化学標準問題精講」程度は解けるようになるから思い切って 挑戦してほしい。
  物理
  この分野が化学の勉強方針が正しかったことを証明した。最初僕は物理が 苦手だった。(今も苦手だが)でも化学のように体系的な理解をしていっ たらよくわかるようになった。最も大切なのはイメージ(思考力)。これ も化学同様に少しむずかしめの問題を解いていた。3年次は独学というこ とで授業はとらずに学習館で勉強していたが成績はよかった。(校内模試 には出れるので受けていた。順位はTOP10(最高4位)に入っていた)。使 った問題集は「物理教室」「物理標準問題精講」「河合塾エキスパートク ラス 理論物理学への道しるべ上下巻」「Z会京大即応PK」。並べた順に 難しい。
  英語
  学校でもらった「即戦ゼミ」を中心に文法をやっていた。単語は速読英単 語必修編と上級編を使っていた。英語はできなかったのでアドバイスとい うようなことはできないと思うが、継続すればそれに見合う力はつくと思 う。
  国語・地理
  国語に関してはZ会の「専科QLA」「京大即応LK」しかやっていなかった。 地理は小さな問題集を買ってたまにやるくらい。だからこれ以上何もかけ ない。

  センター演習
  平日は学校の授業でやる演習しかやっていなかった。冬休みは、駿台文庫 を中心に全科目そろえて一応全部やった。演習する上で心がけたことは、 「早く」「正確に」ということ。普通の試験ではじっくりとくという余裕 が時間的にあるが、センター試験はそのような時間がないと先輩に聞いた ため、できるだけ短時間で解けるような解法を身につけていった。数学で あるならば、ちょっと高校範囲を逸脱したものや、記述問題では証明なし に使えないような物(オイラーとか)を使っていった。センター数学は答 えがとてもきれいになるから勘がいい人は答えの推測ができる。(図形を きれいに書ける人は図から一瞬で答えが数個出ることもある)だからそう なりたいと思い推測や作図の訓練もしていた。

3、 志望校を考えた時期、理由
本来僕の志望校は「京都大学」だった。志望校を考えた時期は「中3」の頃。 なぜ「新潟大学」になってしまったかというと、原因の大部分はセンター失 敗だった。国語と英語以外(提出科目)は平均で9割程度取れていたが、残 りの2科目で180点落としてしまった。そうすると合計で200点以上落とし たことになり、京都大はもとより旧帝国大の受験は非常に難しい点数になっ た。もともと「浪人」はいやだと感じていた為で信州大と新潟大に絞り前期 新潟大を受けてここに入った。
4、 大学受験のために必要だと心がけたもの
生活のリズムを大切にした。勉強とはいままで勉強をしてこなかった人が突 然「勉強をやるぞ!」といったその瞬間からやれるものではなく、まして真 面目に1年間続けるとなると無理。僕自体も1年次遊びまくっていて1年の 冬から本格的な勉強を始めたが、その成果が出始めたのは2年の4・5月ご ろだった。勉強が板についてくる頃、すなわち「生活のリズムの一部」とな るころに成績も上がり始める。僕はそんな印象を受けた。だから、生活のリ ズムの中に勉強を繰り込みそのリズムを大切にして生活していった。生活の リズムに入っていると、ある時刻が来て(僕の場合午後8時から9時頃)「あ、 勉強しなくちゃ」という思いが脳裏を走る。生活のリズムなんで当たり前だ が…。そうすると何の不満もなく勉強が長期にわたって続く。長期間勉強が できる→成績が上がる→勉強が楽しくなる→また勉強する。という好循環に なったわけだ。このサイクルを作るのは出だしが非常に重要。先にも述べた が勉強開始と勉強の成果は数ヶ月の時間差がある。だから勉強を始めた頃は 勉強すれども成績上がらずという大きな壁に直面する。そこで自分をどうす るかが鍵。「自分には到底無理」と思いこむのか、そんなこと気にかけずた だただ勉強を続けるのか。この2つの差は後に成績という形で表に出てくる。 だから簡単にあきらめずに継続していった。
5、 自由な手記
僕はストレスを過敏に感じやすい体質だったので本当に苦労した。学校生活 ではあまりそういう面は見せないようにしていたが、実際はストレスによる 「急性低音障害難聴」「体重減少」などに困っていた。普段からそういうこ とに弱い事は感じていたが、それを知りつつも自分を追い込んでいかなけれ ばならなかった位、僕にとって受験は厳しいものだった。センター試験前日 までは先に述べたとおり「京都大」を目指していたため相当勉強していた。 (特に夏は朝5時から最低11時間はやっていた)自分をそんなにも追い込 まなければならなかった最大の理由は、「ライバル」達の存在である。(自 分でそう思い込んでいただけだが)彼等は僕以上の勉強量があった。これは 冗談ではなく、彼らは休日は軽く12時間は勉強できる。というよりしてい た。実を言うと僕が物理を取らなかったのもそういう理由によるところが大 きい。(表向きには違う理由を通していたが)28組時代僕らは同じクラス だった。そんな彼等に物理のテストで絶対に勝てなかった。クラス1・2位 はその2人が常に独占して、僕は3位から5位を数人で争っていた。(秀先 生だったのでクラス順位がわかる)彼らが物理を3年次取らないということ を知って、僕は愕然とした。いつも一歩先にいたやつらにさらに先を越され たというショックが大きかった。出遅れるわけにはいかないと思い僕も物理 を独学にすることにした。初めは勉強方法の模索の状態だった。本当に出来 るのか。そんな思いと、やつらに負けていられるか。という思いが僕の中で 湧き上がっていた。頼れるものは自分だけ。そんな状態だった。今思えば本 当に危険な賭けであったような気がする。ほんの少しの妥協が大きな失敗に なりかねない。そういう賭けだったと思う。でも実際は大きな失敗はしてい ない。ほんの少しの妥協も許さなかったのが「ライバル」の存在だったと僕 は常々思う。真っ直ぐ前を向いて前方にいる「ライバル」を追いかける。そ んな状態が功を奏したと思う。同じ学力の人と横向きに争っているだけでは 得られない経験だったと思う。奇麗事を並べただけと思うのは読者の勝手で ある。ただ言いたい事は見上げる存在にある「ライバル」がいかに自分を押 し上げてくれるかということである。「ライバル」とは「友人」とは意味合 いが違うと思う。そんなよき「ライバル」を作ってほしいと思う。
なんか意味不明かつ身勝手な体験談を書いてしまった。でも僕の体験を全部 書くことが出来たので書き直す気はない。(というか書き直すのは面倒)

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高校生向け公開講座にて

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