1997年6月 奥秩父・大弛峠、国師岳

 長野県・川上村と山梨県・牧丘町の間にある大弛峠に行きました。ここは、車で行ける日本で一番高い峠だそうで、ツーリストとしては、「日本最高XX」とか「日本最X端」というようなところには、行かなければなりますまい。

 ということで、ふもとの牧丘町、塩平までは車、そこから自転車で登りました。最近はこの道も舗装が進み、山梨県側はほとんど舗装済で、拍子抜けしてしまいました。数年前にオートバイで来たときにはダートがほとんどだったのに。本格的なヒルクライムでしたが、やってみると結構登れるものだなぁという感じでした。夕方に峠に着き、テントを張る。まわりの登山者と仲良くなり、8時ぐらいまで酒を飲み山の話に花を咲かせる。

 次の日は、自転車を担いで国師岳登頂。なぜ、自転車を担いで山に登ったのか?それは、予定のコースが、西沢渓谷まである森林軌道跡を自転車で下るというものだったからです。しかし、考えは甘かった・・・国師岳から天狗岩までの下りは順調。そこから先に落とし穴があったのです。なんて事の無い、踏み跡のような道を下っていったら、いつのまにか道が無くなってしまったではないですか。普通の登山なら、怪しいと思った時点で戻るので今まで道に迷ってひどい目に会ったことは無かったのですが、この時はクソ重い自転車を担いでいたので登り返すのが大変だったので、ちょっと道から外れたぐらいだろうからそのうち復帰できるだろうと思いずんずん下っていったのです。そのうち大きな岩やら倒木やらが行く手を阻み、ついに藪こぎをしないと下れない地点まできてしまいました。ここまで来てこれ以上下ることは危険だということに気づきました。沢が近くを流れているのを見つけ、ここを下れば林道に行き当たるはず・・という思いが脳裏をかすめました。しかし、遭難時は沢を下るというのは取ってはいけない選択肢。無事に帰り着くには今きた道を登っていくのが確実だということはわかっていました。しかし、きつい斜面をさまようこと二時間ほど。時間も3時近くになり自転車を担いで登るには時間も、体力的にももはや限界でした。生きて帰るには自転車を置いて帰るほか無いと決心し、泣く泣く自転車を放置して帰ることを決意しました。初めて自転車に乗る楽しみを教えてくれた自転車だったので、そのまま置いて帰るには忍びなく、置手紙をしていきました。

「こんなところに置いていってごめんなさい。こうなったのは、まったく僕の責任です。自転車に乗る楽しみを教えてくれてありがとう。さようなら。」

書きながら本当に泣きました。(;_;)しかし、帰るにはそうするしかなかったので、気を取り直して登り返す。しかし、登ってみたらあっけなく30分ほどで道に復帰。西沢渓谷に向かうのはもちろん中止して大弛峠に戻る。そこからは、歩きで車を置いてある塩平まで行くことになるのすが、かなり距離があります。とぼとぼ下ってると、通りがかりの車が止まってくれて送ってくれました。感謝です。

教訓 「登れないと思った道は下らない。」
   「道に迷ったと気づいたらわかる地点まですぐに戻る。」

 後日談・・・自転車を置いていった地点が、意外に近いところにあるのがわかったので、次の週に友人3人を引き連れて「焼肉食い放題に連れていく」をエサに自転車回収登山に行ったのはいうまでもありません・・・協力してくれた方々、ありがとうございました。
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