はじめに
当サイトはコーエー歴史SLG「蒼き狼と白き牝鹿4・チンギスハーン」のファンサイトです。
そして中国歴史ドラマ「チンギスハーン」の紹介サイトでもあります。
2008年4月3日をもって、「蒼き狼と白き牝鹿4・チンギスハーン」は発売十周年!
2008年6月3日、当サイトのアクセスが1,000,000を突破しました!
- 私見に基づくゲーム「蒼き狼と白き牝鹿4」の攻略法&リプレイ紹介。
- チンギスハーンとその子孫が活躍した12〜15世紀の歴史の紹介。
- 歴史ドラマ「チンギスハーン」のストーリー・人物・感想など。
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攻略記事はWindows版を基準にしておりPS版では一部の記事が役に立てない事があります。
Win版パワーアップキットは販売終了しました。今後の入手の可能性はこちらから確認願います。
管理人からの報告(2008.10.05)
本日の更新:人物事典にて高麗王朝の項目を改訂。
文章の改訂の他、彼らが活躍する小説を載せてみました。
10月21日にアカデミー賞候補作「モンゴル」のDVDが発売! 今から待ち遠しいです。
管理人からの報告(2008.09.28)
本日の更新:シナリオ紹介にて高麗(S1)の序盤攻略記事を追加。
これにて高麗も全シナリオの序盤攻略を完了。S1は登用技能を持つ人材が二人いるのが心強いですが、難易度そのものは運に左右されがち。私の検証プレイでは南宋側から同盟を持ちかけられた上に金国を出奔した耶律留哥が仕官してきたので太宰府の攻略が思いのほかスムーズに進みました。
管理人からの報告(2008.09.21)
本日の更新:シナリオ紹介にてマリーン朝(S4)の序盤攻略記事を追加。
マリーン朝に関してはイブン=バツータ以外に馴染みのある人物がいないのが難点…彼が死亡すると一気にモチベーションが下がりそうです。
先週は通信トラブルにつき更新を休んでしまい申し訳ありませんでした。現在はフレッツ光に切り替えすこぶる快適であります。
10月上旬の出来事
1273年10月1日
ハプスブルク家のルドルフ1世がドイツ王に選ばれ、ドイツの大空位時代が終わる。
神聖ローマ皇帝の不在によるドイツ教会領の治安悪化を憂慮した教皇庁はドイツ諸侯に神聖ローマ皇帝となるドイツ王の選出を要請、絶対君主の出現を嫌った諸侯はスイスの小諸侯・ハプスブルク家のルドルフを国王に推戴します。その後ルドルフは卓越した政治力でハプスブルク家の勢力を強化しましたが、結局ローマ皇帝として戴冠されることはありませんでした。
1187年10月2日
サラディンが十字軍諸侯からエルサレムを奪回。
1187年7月にヒッティーンの戦いで勝利したサラディンは9月20日にエルサレムを攻撃、この日聖地入城を果たしました。ちなみにエルサレム守備の指揮を執ったバリアンを主人公にした映画が2005年に公開されています(キングダムオブヘブン)。
1275年(文永十一年)10月3日
【文永の役】元・高麗の連合軍が日本遠征に出発。
元のキント・洪茶丘、高麗の金方慶が率いる三万の軍勢は、この日高麗南端の合浦湾を出港しました。日本遠征のために高麗は軍船の製造を強要され、半年で九百艘を急造する羽目になっています…
1275年(文永十一年)10月5日〜6日
【文永の役】元・高麗の連合軍、対馬に来襲。
対馬の守護代・宗助国は80騎の郎党を率いて応戦するも、上陸した敵兵1000人の前に2時間の戦闘で壊滅。彼の郎党二名が壱岐・太宰府に元軍来襲を報告しました。対馬の島民はほとんどが殺されるか捕虜になるかという惨状。
1392年(明徳三年)閏10月5日
南北朝の合一なる。
この日南朝が所有していた三種の神器が室町幕府の擁する北朝に譲渡されました。実際には足利義満が謀略をもって南朝から皇位の正当性を示す神器を取り上げたわけですが、分裂していた朝廷を再統一し半世紀に及ぶ南北朝の動乱を終わらせた功績は大です。
1180年(治承四年)10月6日
源頼朝、東国武士を率い鎌倉に入る。
石橋山の敗戦で安房に逃れた頼朝は平家の政治に不満を持つ東国の武士達の支持を得て再起、僅か1ヶ月半で大勢力に成長してこの日源氏ゆかりの地・鎌倉に入りました。
1185年(文治元年)10月7日
源義経、朝廷から源頼朝追討の院宣を得る。
平家討伐を達成したにも関わらず鎌倉入りを拒否された義経は兄・頼朝への不信感を募らせていたところで頼朝の仕向けた刺客の襲撃に遭い、この日、後白河法皇に頼朝追討を強要し院宣を得ます。しかし武士達の支持は頼朝にあったため兵が集まらず義経は京を離れることに。
1492年10月12日
コロンブス、西インド諸島のバハマに上陸。
…殆どゲームとは無縁ですが、1500年までに起きた出来事の一つということで。
世界の主役が騎兵をメインにした大陸国家から海上ルートを切り開いたポルトガル・スペインなどの海洋国家に移る嚆矢となった大事件です。
1275年(文永十一年)10月14日〜15日
【文永の役】元・高麗連合軍、壱岐を襲撃。
14日夕刻に壱岐に出現した元軍を迎え撃ったのは守護代・平景隆率いる100騎。夜に紛れて樋詰城に籠城した守備軍は15日の攻防戦で全滅してしまいます。対馬・壱岐の防衛については鎌倉幕府は殆ど手をうちませんでした…
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