七色の “ 虹 ” は、何を現わすのでしょうか。 あなたのお知恵をお貸しください。m(_ _)m (^0^)/ 【 店主の隠れ家 】 の 『 「旧約聖書」の「創世記」を歴史書として読む 』 を お読み戴くと分かりますように、少し角度を変えて読むと なぜかこの「創世記」の部分が、歴史的な事実を書き記したものとして読めてしまいます。 不思議なことに、この部分には、ビッグ・バンに始まる宇宙の歴史が記されているのです。そう読めてしまうのです。 ただし、この「創世記」の中に、私がどんなに想像を膨らませても、いかに妄想をたくましくしても、さらにはどのように屁理屈をこじつけても、現実の出来事と結びつけることの出来ないものがあります。以前から私の頭を悩ましているものです。それが “虹” なのです。 創世記 9 には、「ノアの箱舟」の話があります。天が裂けるほどの大雨によって、大洪水が起きたという内容です。これは、あまりにも有名なお話です。 その大洪水が治まった後で、神が、ノア向かって、次のように言います。 『 ーー 略 ーー わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。』 そして、こう続きます。 『 ーー 略 ーー すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現われると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。ーー 以下、略 ーー 』 ( 以上、『聖書』日本聖書協会(共同訳聖書実行委員会)より ) ここに登場する “虹” というのは、具体的に、何を指すのであろうかということです。 もしこれが雨上がりの空にかかる虹を指すのであれば、この時まで太陽光線は七色の光ではなく、単一色であったことになります。或いは、水には太陽光線を分光する能力が無かったことになります。 つまりこの時を境に、太陽光線の性質が変化したということです。或いは、水の性質に変化が生じたということです。ただしグリセリンという物質に関しては、実際にそうしたことが起きたようですから、この考え方を完全に否定することは出来ません。 たとえばこの時の大雨の原因を、氷の惑星(彗星)との接触によるものであったと考えることが可能です。そして大量に降り注いだ雨(水)が、地球上の水の性質を変えたということも、まったく無いとは言い切れません。むしろこう考えると、二度と大洪水を起こさないという意味が容易に理解できます。地球と接触する可能性のある彗星は、他には無いということになるからです。 しかしこれには、何か別の意味があるのではないかと考えることが出来ます。それは神が、わざわざ 『 わたしの虹 』 と言っているからです。そして、その虹が出現したら、『 契約に心を留める 』 とも言っているからです。 つまりこれは、あちら側の世界の何らかの原理、法則を説明したものではなかろうかということです。 要するにこの “虹” というのは、単なる物理現象として発生する光のスペクタクルではなく、何かまったく別の現象(真理)を指すのではなかろうかと考えられるわけです。 たとえばこういうことです。 神の世界と、この現実の世界は、虹が象徴する何かによって、相互に結び付けられているということです。そして、その虹を介することによって、“契約” も守られるということです。従って、虹を発生させるものは、神の世界に通じる橋渡しの役割を担うことになります。( 水晶や他の宝石類が、神秘的な力を持つとされるのは、このことと結びつくような気がします。) このような考え方をすると、少しはもっともらしくなるのですが、どうもいまいちすっきりしません。神が『 わたしの虹 』 と言った真の意味が解かれていないからです。そもそも根拠となるものが、何も無いからです。もっと他に違う考え方がありそうにも思えますし、さらにまったく別の意味「真理」が隠されているようにも思えます。 時々、思い出しては、無い知恵を絞って考えてみるのですが、この謎がいつまで経っても解けません。むしろ深まるばかりです。これを解決するためのヒントが、何か得られないものかと思っている次第です。 手がかりは、 “虹” です。 『 わたしの虹 』 です。 ○ あなたは、雨上がりの空にかかる虹を見て、何を感じますか、 ○ 美しい “ 七色の虹 ” から、何を連想しますか。 直感的に思いついたものを、そのままお書きください。 2001. 3.26. 店 主 --------------- ○○○ * --- * ○○○ ---------------- --------------- ○○○ * --- * ○○○ ---------------- ―― 不思議な虹 ―― 2001年6月16日(土曜日) テレビ朝日 「不思議どっとテレビ。これマジ!?」 この番組の中で、タイ国の不思議な「気」のパワーが紹介されました。 タイのバンコクから北東へおよそ100キロの、ナコンナーヨックにあるワット・スットタンマラムという寺院。 ここでは、砂に「気」を入れるという。 その「気」を入れた砂で作られたペンダント状の仏像が、人々を病気や事故から守ってくれると信じられているという。 また、家の周りに撒くことによって、家族を様々な不運から守ってくれるという。 案内人のセタウットさんが、ビニール袋に入れた砂を、二つ用意した。片方にだけ「気」を入れて、比較するためである。 その儀式が行われる建物の天井には、千メートルを超す聖なる糸が、複雑に張り巡らされている。 中央のテーブルに、砂を入れた袋が、一つ置かれる。 テーブルを囲んだ僧侶達が、それぞれ天井から垂れ下がった糸の端を持ちながら読経を開始する。この儀式は、丸一日に及ぶという。 その儀式が始まってから間もなくして、屋外で、空に浮かぶ雲が映し出された。 上空には、夏の雲が浮かんでいる。白い雲が、けっこう早く流れている。その隙間から、青空が覗かれる。 そこに、何と!!、。虹が掛かっている。 案内人のセタウットさんの説明では、「昔から儀式の最中に虹が出ると、それは歓迎を意味し、成功するあかしだと言われている」 ということであった。 儀式は、深夜にも及んだ。 翌日、儀式が終った後の砂で、不思議なことが起きた。 ただの砂と、儀式で「気」の入れられた砂が用意された。 見た目には、どちらも同じである。触った感じも、どちらもさらさらしている。何も変わらない。 「気」の入った砂を一握り、手で握って、そっと水槽の水の中に入れる。 水の中で手を開くと、砂は一つの塊になったまま、底に残っている。 今度は、その塊を、手で握って取り出す。なぜか握る際に、多くのあぶくが立ち上った。また手からは、かなりの水滴がこぼれ落ちた。このことから、砂が、水に濡れていることが分かる。 ところが手を開くと、隙間からこぼれ落ちた砂は、さらさらに乾いていた。 女性アナウンサーが、実際に手で触れて確認するが、砂は確かに乾いている。水に濡れた形跡が、何も残っていない。 しかも洗面器の水の表面には、砂が薄い層になって浮かんでいた。 比較のために、「気」の入っていない砂を、水の中に入れてみる。手を開くと同時に、土煙で水が濁ってしまった。 水に細工がしてないことを証明するために、今度は一つの水槽に、両方の砂を、同時に入れる。 「気」を入れた砂は固まったままであるが、ただの砂のほうは、土煙を立てて崩れてしまった。 水中で固まっている砂を水槽から取り出すと、やはりサラサラの砂になって、指の隙間からこぼれ落ちた。 この砂では、さらに不思議なことが起きた。 仰向けに寝ている男性の両目を、案内人のセタウットさんが指で開いている。 もう一人が、砂を手で握って、サラサラと両目に降り掛ける。 起き上がった男性が、顔に掛かっている砂を祓う。 両目に砂が入っているのに、まったく痛くないという。 その砂が、スタジオに持ち込まれていた。 司会役の爆笑問題の二人で、同じ実験をしてみる。 水槽の中に、手に握った一握りの砂を入れる。砂は崩れずに、固まったままである。その塊が、ころりと九十度回転した。大きなあぶくがあがった。それでも崩れないで、固まったままであった。 その塊を水から取り出す。手を開くと、サラサラと器の中に落ちていった。 また水槽の表面には、乾いた砂の層が浮いていた。 ***** ○ ○ ****** さて、儀式の最中に、虹が出たということは、上空に、水滴か氷の粒があったことになります。しかし、映像で見る限りでは、濁りのある空の色ではありませんでした。雲と雲の間から見える青空は、すっきりとした色に見えました。ごくごく普通の夏の空の色です。 しかも、上空の雲は、けっこう早く動いていました。つまり空気の流れがあったということです。おそらく上昇気流もあったでしょうから、虹の掛かっている部分の空気だけが、滞留していたということも考えられません。そうした状態で、水滴や氷の粒が消えてしまわないというのも妙な話です。 従って、あの虹は、通常我々が見る、雨上がりの空に掛かる虹とは、本質的に違うのかも知れません。また、映像では、まさに「雲の間に置かれた虹」のように見えたので、ちょっと驚きました。 もしかしたらこれは、ただの砂が「気」のパワーによって、その性質が変わったことに関連する現象なのかもしれません。 案内人のセタウットさんの説明にあった「昔から儀式の最中に虹が出ると、それは歓迎を意味し、成功するあかしだと言われている」 という言葉は、何等かの隠された事実(真理)を物語っているように思われます。 いよいよもって難解、不可解です。 2001. 6.21. 店 主 --------------- ○○○ * --- * ○○○ ---------------- --------------- ○○○ * --- * ○○○ ---------------- 小さな子供たちは、時としてお母さんのおなかの中にいたときの記憶を思い出すことがあります。胎内記憶と言われるものです。この記憶は、三歳から四歳くらいで、自然に消えてしまいます。 おそらくそうしたものの一つではないかと思われるものが、先日の朝日新聞で紹介されていました。 朝日新聞 2001年 6月 29日 日刊 『 あのね ― 子どものつぶやき 』 ( この欄には毎週、小さな子供たちのほほえましい出来事が紹介されています。) ○ 独身時代の母の写真を見て、 「このおなかに○○子がいるの?」 と聞く。 「いないよ、遠くの星にいたのかなあ」 と言うと、思い出したように、 「そうだった! 虹をすべって、お母さんのおなかの中に入ったんだった!」 ( 広島市 永吉○○子 3歳 ) もしこの子が思い出した記憶が、胎内記憶の一種であったとすると、「虹」について、さらなる疑問が生じます。 『 虹をすべって、お母さんのおなかの中に入った』 というのが何らかの真理を語っているとしたら、人が生まれてくる時にも、虹というものが関わっていることになります。 さらに、さらに不可解です。 2001. 6.30. 店 主 |