みかんの元々の趣味は「読書」と「旅行」だったんです。
なので、空白の13日にどこに行ってきたのかをレポート。オートレースに関係ないから、旅行記を読んでもいいよーって人だけ、どーぞ。

ペルー&ボリビア、インカ帝国の旅

南米は2回目。ペルーの首都リマは空港だけは1年前にも降りている。前回はまだパソコンを買いたてで、インターネットにつないでもいなかった頃、1週間の休暇で行くというかなり無謀な旅行。4泊8日のチリ・イースター島の旅でした。その時、NYからの飛行機の給油でペルーを経由してるのです。深夜の30分くらいのことだったのですが、土産物屋を覗いているうちにどーしてもここに来なくては、という気になった。

会社を辞めてしばらくは体調も悪かったこともあって、その気になれずにいたのですが、やはり次第にむずむずと放浪癖が顔をだして。やっぱ行っちゃえと。これから就職しちゃったら、長期の旅行はできなくなるし、今しか行けないかなと思って、なるべく遠くへ。だから南米。あっちは夏だしね。

というわけで、行ってきましたペルー。おいでませペルー。アミ〜ゴ!!


1日目・2月17日

成田空港を午後出発して、アメリカ・シアトル空港へ。国内線でマイアミ空港へ。乗り継いでペルーの首都・リマへと向かいます。<機中泊>

一人で旅行するのも慣れたもの。今回は危険な土地もコースに入っているので、ツアーに参加。この方が移動も便利だし、確実。今日はとにかく移動。
第一ターミナル出発は慣れたもの、と思ってたら、新しくできた北ウィング側だったので、バスで移動なのね。まずは、アメリカの西北端シアトルへと向かいます。シアトルは日本より17時間遅れ。飛行時間は11時間くらいかな。

シアトルまでは国際線で日本語の映画もやっていたけど、それでもたったの1本しか放映せず、他は英語かスペイン語で、映画も飛び始めて4時間で終わってしまった。残り時間は何してればいいんだ状態。この時点で日本時間で夜の11時。シアトルは朝。なのに飛行機は夜で消灯したまま。こんな時間に眠れるわけないだろーが。なんでみんな眠れるのか不思議。ようやくシアトルについたらなんと飛行機を乗り換えることに。おなじ便の名前で小さな飛行機に変わるなんて、恐るべし、アメリカン航空。

乗り換えるってことは、まずシアトルでアメリカに入国。前が少ない列に並んでいたはずが・・・ちょうど前の人が留学生かなんかだったらしく、ものすご〜く時間がかかり、思い切り待たされたあげく、他のブースに呼ばれ、私の手続きが終了した後もまだやっていた。

2時間ほど時間があって、店を物色したりして暇を潰し、さぁ、マイアミへ出発だ。マイアミ行は国内線扱いになってたせいで、なんとヘッドホンが5ドル。有料でわけわかんない英語なんて聞けるかっつーの。国際線に乗ってたはずなのに・・・。恐るべし、アメリカン航空。

なんとかマイアミにたどり着いて、またもや待ち時間発生。今回は空港の外に出ても大丈夫そう。外の空気を吸いに出ようと思ったら、そこでバックパッカーの女性に声をかけられました。
「出国手続きって、どこ行けばいいの?」
アメリカは乗り継ぎだけでも入国手続きに並ばされるが、出国は航空会社のカウンターでチェックするだけのあっさりしたものになる。この落差はなんなんだ。恐るべし、アメリカ合衆国。
その人といろいろとお話をした結果、彼女はひとりでボリビアからペルー、エクアドルの3ヶ国を回る予定らしい。スペイン語も英語もあまりわからないままに一人で旅するなんて、すごい。日程的にはチチカカ湖あたりですれ違うと思うが、いきなり標高4000mの町へ飛んで大丈夫かな? 今、どの辺を旅してるのでしょうか。

一旦外に出て、空気を、と思ったら、ターミナルの中で、排気ガスの匂いしかしない上に、むわ〜っと生暖かい空気しかない。ここ、本当にマイアミ?
時間もそろそろかなーと戻ったら、おい、飛行機が来ていないだってぇ?!
更に1時間半待つことに。さすがに、お菓子と飲み物のサービスがありましたが、夜中の空港でただ待ってるだけってのもな。出発はマイアミ時間で深夜1時となりました。(マイアミは日本より14時間遅れなので、日本は18日の昼ですね)

深夜なのに、機内では夕食が出され、眠ったと思ったら起こされて朝食。朝食は早朝5:30だったな。とにもかくにも、なんとかペルーの首都、リマに到着したようです。

 

2日目・2月18日

早朝、リマに到着してホテルへ。休息して午後から市内観光へ。<リマ泊>

入国したのが7:15頃。予定を遅れての到着だったので、市内で朝の渋滞に巻き込まれ、なかなか前へ進まない。現地ガイドさんによると、リマは今年一番の暑さを迎えているらしい。とはいっても東京の夏の方が暑いみたい。ホテルは旧市街の中にあり、町中は危険らしいので、腕時計をしたまま外に行くな、とか注意されました。新市街は夜までいても大丈夫と言ってましたが、なにせリマ、ってゆーと、大使館を占拠した人質事件のあった町ですからねぇ。

疲れていたし、機内食は食べつづけていたけど、つい朝食を食べに行ってしまうあたり、食い意地がはっているというか(笑)飲みものと果物が欲しかったのよー。
部屋でその後一休みして、11:30に出発となりました。

まずは、アルマス広場へと向かいます。アルマスとはスペイン語で武器の意味。スペイン人が占領した折にインカ人の武器を集めた(刀狩)広場なので、この名前になったとかで、これはあまりいい名前ではないとして’97/1/18にマヨール広場と名前が変わったとガイドさんが言ってました。(じゃあ、マヨールって何? と聞き損ねたけど)

とにかくこの広場は大統領府、カテドラル、市役所とかに囲まれている為、警備は厳重。そこら中に警官が立っていて、観光客的には安心かな。ちょうど正午に衛兵の交代が大統領府で行われていたので、それも見学できました。この日は警備が厳重な事から見て、中にフジモリ大統領がいたようです。

自由時間があって、カテドラルの見学にほとんどの人が行ったみたいだったけど、私ともう一人(彼女も一人参加で一緒にいることの多かったので、これからはMさんと呼びます)で、通りがけに発見したお土産屋に行ってしまった。着いたその日から、お土産屋かい、と言われそうだけど、ペルーの相場を知っておきたかったからー。結局このお土産屋さんのTシャツが一番安かったんだから、この時買っておけばよかったと後々後悔したのであった。

この後は、昼食を食べに、ミラフローレンス地区という高級商店街・住宅街のある方へ向かいます。確かに立派な家が多くなって、どこの家も頑丈な柵があり、高圧電流が流されていたりしてます。また、何件か集まって、その一角に入る道を封鎖して警備員を置いていたりと、自衛の手段をとっているようでした。

海が見えて、ちょっとびっくり。海と町の間には崖があるのですもの。思い切り崩れやすそうな・・・。南半球は夏なので、海水浴客も来ていて、楽しそうなビーチ。(砂はなくって、石だらけだけど)下に降りて、崖を見上げて、更にびっくり。日本だったら、絶対に崩れてます。さすが、砂漠。雨が降らないからこれでも崩れないんだな。(と思ったら、異常気象で雨が降った時にこの先の道は崩れて通行止めになってるとか・・・)

海の上に立てられたレストランで、遅めの昼食。帆立のチーズ焼きと魚のムニエルなど、海の幸料理。デザートのアイスのクレープ包みキャラメルソース掛けはむちゃくちゃ甘かった。コーヒーを飲みながら、サーファー(ほとんど立てない下手ばかりだったが)を眺め、優雅な気分。外に出て、海を間近で眺めるまでは、優雅だと思ってたのよ。海には・・・。クラゲが。それも日本の海で見掛けるような、透明の小さなものではなくて、一抱えもありそうな巨大で茶色の物体。足なんて、タコのように長いのよぉぉぉぉ〜〜〜〜!!!
そのクラゲが、大量にいるの。そして、波に乗って、サーフィンしている。くくく、クラゲのサーフィン!!!
ガイドさん曰く「この辺りの海で泳いでいるのは遠くまで行けない、貧しい人達です」
クラゲだらけの海を見て納得した瞬間でした。

午後は博物館巡り。まずは「黄金博物館」へと向かいます。ここは、ビール会社とかいろいろ持っている実業家の建てた博物館で、収集僻があるとのことで、部屋にあふれんばかりに品が飾られていました。世界各地で行われたペルー展のポスターも貼られていて、中には去年日本であった展覧会(見に行ったな、そういえば)のものもありました。名前にもなってる「黄金」は地下に飾られていて、土器やら、人骨やら、ミイラやらの間に黄金もありました。人骨も鳥の羽で飾られていて(オウムかなにかの派手な羽で)とてもカラフル。頭が長いのが上流階級のステイタスだったらしく、頭の長い頭蓋骨くん達がこっちを見ていました。
黄金を初めとする細工物は奇麗で、かっこよく、ふんふん、と見てられたのですが、おいおい、と思ったのが、土器。Hしてる所を描写した土器が、た〜くさん飾ってあるのです。しかも、男女だけではなく、男同士や犬?とかと一緒だったり・・・。後、男の願望?ってくらい巨大な「もの」をつけてる人とか・・・。出産シーン(おこちゃまが顔を覗かせてる〜)もあったな。1個や2個ならいいけど、どの棚見てもあるんですよ、そーゆーのが。
この国の性教育はこれでいいのか??
一緒にいたツアーの方が「ここは熱海秘宝館か」とつぶやいてました(爆)。
その後、市場でそーゆー土器が平気で売られているのをみて、国全体が秘宝館だと思ったワタクシでした。

次に行ったのが「天野博物館」日本人の故・天野芳太郎氏が長年研究したいろいろな物がある博物館で、日本語のガイドがつきます。今回はなんと天野氏の奥様がガイドしてくれました。
ペルーの歴史の説明から始まって、インカ時代の前の文明のことなど、あまり知られていないことをいろいろと教えてくれました、この博物館は、何がいいかというと、貴重な土器などに触らせてもらえる、ということ。土器も、笛になっていて、お酒を注ぐと音が出たりと凝ったものが多く、解説だけでは納得できないものも、試していただいて、よーく分かりました。すごくかわいい土器があって、天野氏がはまったのも納得しちゃいました。
天野氏は多趣味だったらしく、芸術的な写真が残ってたり、パズルに凝って作成してたり、野菜の種類にこだわっていろいろと調べていたり、一人の人間がここまでするか、というくらい、イロイロなことをしてきたようです。
この博物館は入場料はとらないので、かわりにお土産物を買っていくのが礼儀かな。運営費に当ててもらわないとね。

ホテルに戻って夕食。さすがに疲れた1日なので、とっとと寝てしまいました。おやすみなさ〜い。

 

3日目・2月19日

ナスカの地上絵観光。<リマ泊>

モーニングコールは7:30と言われてたのですが、昨夜早々に寝ていた為、6時には目が覚めてしまい、NHKの衛星放送が入っていたので、ちょうどやっていた「腕に覚えあり」とか夜9時のニュースを見てました。そしてそれを見ながら、買ってきた絵葉書に住所を書いて、スタンバイ。なにしろ今日はメインの一つ、ナスカの地上絵を見に行くんだもんね。
モーニングコールを受けてから、朝食へ。果物がおいしいのよ。名前の分からないのがいっぱいあったけどね。どうやらサボテンの実らしいです。出発は9:00。酔い止めをいちよー飲んで、出発進行!

リマの空港からイカ行きの小型機に乗ったのが10:30。40人乗りでなんと自由席。全員ナスカツアーご一行様。イカに着いたらそこでナスカのガイドビデオを見せられたんだけど、これが英語。わかんないって。この後、プロペラ機に乗り換えて、1時間20分くらいの遊覧飛行とのことで、オアシス都市イカの観光をして昼食を食べたら順番にナスカの地上絵を見に行く段取り、だったはずが、急遽午前中に1便飛ぶことになり、じゃんけん大会。
おもいきり負けたワタクシ達4人と、ご夫婦参加だったので、引きずられて奥様が一人で計5人が午前中の便へと回されて、他のみんなはホテルの昼食へ行ってしまいました。添乗員もいなくなり、残された私達は、わからないまま連れていかれて、6人乗りのプロペラ機の前へ。操縦士が私を見てにっこり笑って「操縦席乗る?」と。私はにっこり笑って「もちろん」と答えました。と、いうわけで、初めて乗ったセスナで、助手席に乗せてもらっちゃいました。

ヘッドホンをはめて、出発進行。水平飛行に移った所で、パイロットのガイドが始まりました。片言の日本語でご挨拶の後、どの順番で回るかなどを教えてもらいました。片道30分(100キロ離れている)飛んで、正味は20分の遊覧とのことでした。

荒涼とした大地の上を飛んでいきます。山を越えて、平原が広がって来た頃に
「右、パンアメリカンハイウェイ」
と言われ、下を見ると一筋の道路が南北を走っていました。よく見れば、トラックも走ってる。これが、地上絵の上を通っちゃってる道路かぁー、と。するとこの先に地上絵があるわけね、とだんだんとドキドキしてきました。
そして、初めてみる地上絵は、丘の側面に描かれていました。

「左、宇宙人ね」
おぉ、確かに、これは宇宙人だー。わーい。でも左側だとよく見えないよー。と思ったら、ちゃんと旋回してくれて、
「右、宇宙人」と。
その後、犬、猿(ちょうどフィルムが終わってしまった私を見て、パイロットはもう一度猿に戻ってくれました。感激!)、ハチドリ、コンドル、蜘蛛、ペリカン、木、手(木と手は地上の観測塔からも見ることができます。小さく観測塔も見えました。これは、ドロンズも登ったんだなー)、最後にオウムと右側から見て、左側から見て、とぐるぐる旋回を続けました。パイロットの「OK?」という声に応える声がだんだんと小さくなっていったので後ろの席を見ると具合悪そうにしてる人も・・・。そうか、回りすぎて気持ち悪くなったのね。どーりで、シャッターを押す音も聞こえなくなっていたはずだ。あれだけ、酔うかも? と思ってたワタクシですが、最後までひとりおおはしゃぎでシャッターを切りまくってましたとさ。

イカに戻ってきたら、ちょうど次の便が出る所でした。なんでも昼食をとってすぐに引き返す羽目になったとかで、食べたばかりで可哀相。飛び立つ前から不安げなMちゃんに大きく手を振ってお見送り。ワタクシ達は空港でウエルカムドリンクをもらって(※コカ茶初体験!)昼食のホテルへと向かいました。最後の便に乗る人達に気持ち悪いぞーと脅しをかけて(笑)。飛び終わってたので、思う存分食事を取って、ゆっくりお茶して、のんびりお買い物までしと頃に迎えのバスが。中を見るとみんな顔が青いぞ。食後すぐだったのと、午後は気流が悪くなるとのことで、酔った人続出だったらしい。結局、じゃんけんに負けた私達が一番よかったのかもね。

※コカ茶とは、コカインの原料になる葉っぱをそのまま入れた、もしくは煎じて作ったお茶のことで、ペルーでは普通に飲まれています。高山病に聞くとも言われ、標高の高い地域のホテルにはロビーにおいてあることも多い。もちろん、国外に持ち出すことは固く禁じられています。だから、ペルーに行った人しか飲めない幻のお茶(笑)なんですよ。

バスで向かったのは、ナスカの遺跡資料館、そこにはミニチュアの地上絵もあって、これなら酔わずに見られると好評(笑)ナスカは地上絵ばかりが有名だけど、この文明の土器はすごき奇麗。最低でも5色以上使っていて、10色に及ぶものもある。これだけ色をたくさん使っているものは世界にもないようです。

そして、砂漠の中のオアシスにも。砂丘の中に本当に池があるの。砂スキーもできるらしい。オアシスって初めて見たぞ。

イカの空港に戻って、リマへの飛行機を待つ間に、飼われているコンドルを見に。でかい。特に翼を広げるとさっすがぁ〜!という感じ。再び40人乗りの自由席に乗ってリマへ。地上絵は20分ながら、1日がかりの観光でした。夕食はホテルにて。ホテルのアーケードで土産物を見て、売店で切手を購入。ひえー、ゲロゲロー。切手の絵柄がカエルの写真なんだもーん。私は大量に購入したので、6種類のカエルが私の手元にたくさんきてしまった。キャー気持ち悪いよー。この切手は早い所使ってしまえ。他のないの、他のぉー。

部屋に戻った後、必死にこの切手を葉書に貼ったのは言うまでもない。住所書きにも気合が入ったさ。とっとと出すには、とっとと書かねば。この日の日付の葉書はこーゆー状況で書かれたものでした。翌朝束になって投函したもんねー。

 

4日目・2月20日

飛行機でインカ帝国の首都だったクスコへ移動。そこから、途中「オヤンタイタンボ遺跡」に寄り、ユカイへ移動。<ユカイ泊>

5:30起床。モーニングコールは6:30だったけど、スーツケースを7:15に出して8:00出発じゃあわただしいので6:00に起きようと思ってたら、目が勝手に覚めてしまった。日本のテレビを見ながら支度して、これから標高がどんどん高くなるんだと。リマの空港に向かって、ナスカに行く時に目を付けていた土器に入ったピスコ酒を購入。ピスコってのはぶどうから作ったお酒なんだけど、これは中味より器が欲しくて買ったもの。強くて飲めないよ、こんな酒は。

飛行機は1時間ほどでクスコに到着。その間、しだいに砂漠から緑の多い山になっていくのがわかりました。
クスコは標高は3400mの町です。空港に降りたって息をしていると、心臓の鼓動が早くなっていくのがわかるほど。何もしていないのに、120を超えていました。思わずゆっくりとした行動に。

いきなりクスコはきついので、バスで向かうのは2800mの谷間の町、ユカイ。しかし途中の峠は3900mなので、4日目にしていきなり富士山よりも高い所へ来てしまいました。市内から山を登っていきます。町を見下ろすってことは今どのくらい? なんて考えているとガイドさんの声が「ここが3900mです」と。

空の青、山の緑、ここが本当にそんなに高い所だとは信じられない景色でした。しばらく走って、3800mの所にワイリャバンバ展望台があり、下の町が見下ろせます。1000m下にあるのは昼食を食べるウルバンバという町とのこと。流れる川はウルバンバ川。ここを下っていくとマチュピチュ遺跡を経て、アマゾン川に合流していくとのことでした。

バスは一気に山を下りて見下ろしていたウルバンバへ。2800ならば日本人でも大丈夫な標高。お昼を食べて、隣町のホテルへ向かいます。ユカイのホテルはスペイン風の建物で、中庭があり、敷地内に教会もあるひとつの町みたいなホテルでした。そして、リマにはなかったものを発見。暖房。朝晩はかなり冷えるらしいです。真夏なのにね。

休憩して3:30に改めて出発。ウルバンバ川沿いの遺跡「オリャイタイタンボ」に向かいます。インカ帝国時代の要塞跡と言われてるもので、急斜面に段段畑があり、300段の石段を登っていくと石組みがありました。運動不足の上、標高も高めになってるので、息切れがひどかったかも。6個の巨石が並んだ建造物は何の為のものかはわかっていないそうですが、こんな山の上にこんな石を持ってきた当時の人はタイヘンだったろーなーと思って見てました。隣の山には見張り小屋や貯蔵庫が建ててあるのが見えてました。山を下りて村に入ると、物売りの子供達につきまとわれます。インカ時代の村の様式が残っているそうで、道のひとつひとつがみんな遺跡なんだなーと思って見てました。灌漑用の水路や下水道はインカ時代のものをそのまま使っているそうでうす。

ホテルに戻って夕食。ここのコーヒーはリマと違って、濃いコーヒーをお湯で割る、みたいなシロモノで、はっきりいってまずい。香りとかそーゆーコーヒーにかかせないものがまるでないんだもん。このコーヒーはずっと続きました。今日も疲れた。シャワーを浴びておやすみなさーい。明日も早いぞ。

 

5日目・2月21日

当初は列車とバスで移動する予定だったが、崖崩れで列車が不通になったので、急遽ヘリコプターにて移動することに。空路、空中都市「マチュピチュ」へ。<マチュピチュ泊>

5:15モーニングコール、5:50〜朝食、6:30出発。一旦クスコの市内へ向かう為、早起きとなりました。また、マチュピチュへの1泊2日はスーツケースを持っていけないので、荷物をふたつに分けていきます。そんな事が頭にあったのか、またしても早起きしちゃいました。4:15起床。朝日も昇る前に起きちゃったよ。

クスコに戻る間寝不足を補って、クスコ空港からヘリは出発します。クスコ周辺の遺跡の上を飛んでの観光付きヘリ。だけど、遺跡が私の乗っていた右側からは見えない左側に集中していたので、見えたのは昨日行った「オリャイタイタンボ」だけ。ちょと残念。

30分ほどでヘリはマチュピチュの麓に到着。私達が到着する少し前に復旧したという列車もちょうど到着した頃で、駅の周辺の物売りはすごかった。その中の一人カルメンさんに私は目を付けられてしまったのだった。「おねえさん、あとで」だそうだ。日本人が多いのか、皆日本語ではなしかけてくる。

マチュピチュ観光はまず、ハイラム=ビンガム通りというくねくねした山道(いろは坂みたいなもんだ)を登っていくところから始まります。日帰り観光の場合、ひとつでも早いバスに乗って登っていかないと遺跡にいる時間が限られるので、そーゆー人に先を譲って、1泊コースの私達はゆっくりと登りました。30分ほどでバスは遺跡の入り口、今夜のホテルマチュピチュ・ルーインズに停まります。ホテルにチェックインしたところ、部屋からマチュピチュの遺跡背後に聳え立つ山(ワイナピチュ)が眺められる展望のいい部屋に通されました。ラッキー。

荷物を置いて、11:30集合。で、行ってみたら、雨。いつのまに。カメラをウィンドブレーカーの下にしまって出発です。まずは遺跡の全景を眺められる展望ポイントへ。けっこうな登りの石段でちょっと息切れ。しかし、展望ポイントへ登った頃には雨もやんで、霧が晴れるとそこには写真で見たことのあるマチュピチュが広がってました。ほ、本物のマチュピチュだ。(絵葉書とかはこのあたりからうつしたものがほとんどとのことでした)
遺跡の中のだいたいの説明を受けて、とりあえず下山。昼食を食べて改めて遺跡の中を見学することになりました。ホテルに戻って昼食を食べてるとまたしても雨に。どーせなら晴れててよー。ここがこの旅行のメインなのよー。

2:15集合で遺跡をゆっくりと1周します。遺跡に残ってる人は泊りの観光客だけになったので、人もあまりいなくて静か。遺跡の背後にあるワイナピチュ山の登山口には管理小屋が建っていて、サインしてからでないと入山できないようになっていました。今日は時間がないので、ワイナピチュは諦めて、4:00頃ホテルに帰るチームと明日ワイナピチュに登る予定の為、明日皆が行く「インティプンク」を行ってしまえチームに別れました。

もちろん、私は元気チームに。だって、せっかく行ったのなら一杯見なくちゃ損だしぃ〜。インカ道(インカ時代に飛脚とかが使っていた道でクスコまでつながっている)を通り、登山開始。ホテルを見下ろす所まで登って、おぉ、ここまで来たかなんて思ってたのが、悪夢のはじまりでした。

一緒に行ったのは、添乗員さん(女性)、30代の夫婦、一人参加の私、Mちゃん、Kちゃん(3人とも女性)、還暦間近の元気おやじAさん(後に宇宙人と命名されました)とそのお友達のIさん(女性)の7人。添乗員さんは前のツアーでもここに来ているとのことで、着いていけばいーやと皆思っていた。これが間違いだったのか。なんと私達は遺跡の「インティプンク」へ行く道からわざわざマチュピチュ山登山の道へ入っていってしまったのだった。
4:15頃その登山口を通過。記帳する場所があったので私は何気なく時間を確認していた。そこから登る。登る、登る。草が生い茂った熱帯の山の急斜面をひたすら登る。確か、明日行くワイナピチュは厳しい山道で、こっちは楽な道って言わなかったっけ? こんな道明日、みんな行けるの? と疑問がわいた頃にはかなりの高さを登っていました。
ふと見晴らせば、遺跡もワイナピチュも遥かに下に見えていて・・・。
添乗員「道まちがっちゃったみた〜い」
何ぃ〜〜〜〜!!!
下山開始。はっきりいって私は限界が来ていた。足が震えてちゃんと歩けなくなっている。とりあえず降りなくては、と必死に下山。前を歩く添乗員さん、Kちゃん、Iさんはどんどん先に消えていく。登山も慣れているというAさんがへばった私とMちゃんの後ろから着いて来てくれるので、安心して下山して、記帳した所までもどってきた。そこでこうなれば名前を残すしかないと思い記帳をして、行きにほてるを見下ろしたポイントまで来て前にいた3人と合流。
ほっと一息。どうやら、ここで道を間違えたらしい。このまままっすぐ行けばよかったのだとすぐわかる道。どうしてみんなして間違ったのか、わかんない状態に思わず笑いが起こる。ホテルが見える位置まで降りてきたのもあってた小体力が回復したが、残りの夫婦が降りてこない。常にラブラブな二人で、世界を作ってビデオ撮影とかしていたふたりなので、ほっとく癖がすでにできていたので、最初気にもとめなかった。

あまりにも遅いので添乗員さんが登っていった。すると。
「Aさん、来てくださ〜い」
と叫ぶ声が。なんと、夫婦の奥さんが高山病で倒れてしまったのだ。それでは降りてこられないわけだ。
そこで、元気なAさんが助けに登って、その荷物はこれも元気なIさんが持って、下山して救助を呼ぶのはこれも元気なKさんに任せて、私とMちゃんはともかく下山。疲れすぎていて何もできないから、これ以上みんなに迷惑かけない為には自力で下山するのが先決。よたよたと下山したら、Kちゃんがとっくに手配済み。息を整えてる間に添乗員さんが駆け下りて来て、薬を持って駆け上がっていきました。(この高い山で走りまわれる彼女を尊敬した瞬間)聞いた所によれば、奥さんは手足がしびれ、呼吸ができなくなって、大変だったとか。また、夫婦の愛情を見せ付けられたと、元気になった後の笑い話になってました。担架に乗せるスペースもないので、添乗員さんが背負って降りた所もあったとかで、添乗員Hさんの株は急上昇でしたね。

奥さんは翌日はもちろん、2〜3日やすむ羽目になってしまいました。

 

6日目・2月22日

「マチュピチュ」観光の後、クスコへ戻る。<クスコ泊>

翌朝は朝日を見に行こう、とのことで、6:00モーニングコールがあれば、晴れてる、なければ雨だからもう少し寝てていいよ。という話に。案の定6時前に目が覚めていた私は部屋から明るくなっていく山の朝を満喫してました。6:30集合して、昨日も登った展望ポイントへ。日の出を拝み、反対側には遠く雪を抱いたアンデス山脈も見えて、なかなかの眺めでした。

戻って朝食を食べた後、8:30集合でワイナピチュ登山チームと、正しい「インティプンク」へ行くチームに別れます。懲りずに私は登山チームへ。結局S夫妻を除いて同じメンバーで登山開始。山の入口で記帳して隠していた年がばれて苦笑い。本日ナンバー9が私の番号。私達の前に6人が入山していることになります。中には日本人もいました。

昨日、あれだけ辛かった山登りですが、からだが慣れたのか、昨日ほど辛くなく結局1時間かからずに登頂成功。山頂は大きな岩なので、登るのも一苦労。岩山なので、途中かなり怖かったけど、なんとかなりました。山頂の岩には蟻がいて、ジーパンの上からでも噛むので要注意。私は後から行ったので、噛まれずにすんだけど(笑)。
見晴らしは最高。すがすがしい気分で下山できました。
そして、いい気になって、みんなして昨日行くはずだった「インティプンク」へ向かいます。これだけいろんな所を制覇した人はそうそういないだろうという自己満足の世界にどっぷりとつかってきました(笑)。

下山して遅めの昼食。ヘリの時間は遅れてるらしいので、余裕で山を下りました。そして、そこには名物の「グッバイボーイ」が。13回折れ曲がる山道をバスが折り返してくる間に次のカーブまで一直線に降りて来てバスを見送るという体力勝負の芸をしてくれる子供がいるんですよ。もちろん最後にチップを要求しますが、これを見なくちゃマチュピチュ観光は終わらない。かわいい男の子が必死に走って「グッバ〜イ」または「サヨナラ〜」と叫んでくれるのだから、チップは上げたくなっちゃうよね。

列車と違ってヘリは時間の余裕があって麓で買い物の時間もしっかりと取れました。私はカルメンにしっかりマークされ、他の物売りが近づくと「この人は私の客だよ」とばかりにおっぱらってくれました。せっかくなのでカルメンの店で買い物をしていると、雨が。かなり強い雨が止まないので、ヘリが来ない。小さなテントの中で座る場所もなく待たされること1時間。もう、ここで今日は泊りか? と思った瞬間に爆音が聞こえてきました。帰りは遺跡がある側に座ったのですが、飲みもののサービスとかされてる間に通り過ぎてしまって、行きよりも紹介が少なくなっていた。ちょっと不満。最後に明日観光する遺跡を見て、とりあえずいいかと無理に納得させたみかんだった。

クスコに着くとすっかり晴れていた。今日から2泊クスコに泊ります。なので、ホテルについてしたことは、速攻で洗濯。山登りして汗かいたしね。高山病は血行がよくなるとひどくなるとのことで、お風呂に入ったり、お酒を飲んだりするといけないと先に言われていたが、筋肉痛にはお風呂が一番。しっかり湯船につかったのは言うまでもない。

 

7日目・2月23日

「クスコ」観光。<クスコ泊>

朝、目覚めると頭が痛かった。なぜだ。あぁ、高山病だ。ここはクスコ3400mの町。なんかマチュピチュの方が山の中なので高いような気がしていたけど、結局あそこの遺跡は2400mくらいで、ワイナピチュが2800くらい、マチュピチュ山でも3000mくらいだったのよね。朝食も食欲なくて、飲みものと果物だけ食べて、バスに乗って出発しても幽霊のような状態。
ピサック村というウルバンバ川沿いのケチャ族の村があって、そこの市場がにぎわっているそうだ。そこへ向かっているのだが、とにかく頭が痛い。後部座席を占領して寝込んでました。ちなみにこの日、S夫妻と、M夫妻(大学教授)の奥様がダウンして人数が減っていた。私は休んでいるのもなんなんで、しっかり同行。Mちゃんも同じ症状で死んでいたけど、私と同様観光は参加(ふたりともいい根性だ)。

途中、他の市場にも寄って、ピサックに到着。美味しいパン屋だとか、珍しい果物、だとか見せてくれても上の空。食べ物はいらない状態なのに、なぜかセーターとか指輪とか買っていたような気がする。しかも値切ってたし。

クスコに戻る道に遺跡が点在している。マチュピチュ行きのヘリコプターからも見えた遺跡だ。行きのバスでも通っていたので距離感をつかんでいたのか、熟睡モードからいきなり起き上がったところが「タンボマチャイ」という遺跡の入り口。

聖なる泉と呼ばれる「タンボマチャイ」遺跡は、雨季でも乾季でも同じ量の水が湧き出してます。水浴び場との話で、インカ時代高貴なお姫様とかが来てたのかな??
ここの水はどこから流れ出しているのかわからないので、いろんな川や池に色素を流して実験したそうだが、結局わからなかったそうです。

ここから徒歩でも5分の「プカプカラ」遺跡は「赤い要塞」と呼ばれているもので、見晴らしのいい所にあるので、クスコ(インカ帝国の首都)へ入る道を見張っていたのではと言われています。

次に訪れたのは「ケンコー」ここは、岩をくり貫いて迷路のようになってます。地下には外科手術を行ったとか、ミイラを作ったとか言われている場所もあり、その冷たい石に触れていると死体の冷凍保存してたのかなーとか考えちゃいました。上に登ると岩は人工的に削られた跡が残っていて、スペイン人に壊される前の姿はどんなだったのかなーと思ってしまった。

市内に戻って昼食を食べる頃には元気も復活。再び郊外の「サクサイワマン」遺跡へ。クスコの東を守る要塞だったそうです。3段の巨石が積み重なってできた要塞で、かなり壊されてしまってますが、それでもその大きさはわかります。遺跡の前は広場になっていて、6月24日に太陽の祭がここで開かれるそうです。

しかし、遺跡を訪れるたびに、ここはスペイン人が壊して、だの、ここに残っているのはスペイン人が壊しきれなかったもので、とか言われている。スペインからは観光には来にくいだろうねえ。

展望台からクスコ市内を一望して、市内中心街へと戻ります。「聖ドミンゴ教会」はインカ時代太陽の神殿だった所を壊して建てられた教会で、中にはインカ時代の石組みが残されています。太陽の神殿だった当時は黄金で埋め尽くされていたといいますが、スペイン人は皆持ち帰ってしまい、その面影は今はどこにもありません。ここに建てられた教会はその後の地震で崩れてしまいましたが、皮肉なことにインカ時代の土台はびくともしなかったということです。

次に町中に残されている石塀の中に角が12ある石がありました。「十二角の石」と呼ばれているもので、四角の石を積めば早いのに、わざと複雑に組みあわせて作ったとしか思えません。ここも地震で崩れた家の中から塀の続きが見つかっています。インカの石は幾何学模様に積み上げられているのが多いようです。

最後にアルマス広場へバスは着いて解散になりました。広場の周囲にはいろんな店が並んでいます。お茶を買いにいった一行を尻目にMちゃんと散歩にでかけました。ただし、ゆっくりとしか歩けませんが。早足すると頭が痛くなり、息が切れる。そう、ここは標高3400m。
いつも間にかワイナピチュ登山メンバーが集まって歩いていると、そこにスーパー発見。買い物はやはりこーゆー所に行かなくては。探していた紫トウモロコシのジュースも無事発見し(観光客相手の店には売ってないものなので)ようやく満足。ペルー土産にはやはりこれだろう、と「インカコーラ」も購入。黄色くて甘い炭酸飲料で、私はお気に入り。ただし気圧の関係もあるので、手荷物に持っていける分ということで、残念ながら2本しか持って帰れなかった。

ホテルに戻ったのはやはり最後(笑)。7:00過ぎて暗くなってたな、そういえば。夕食は7:30から。部屋に戻ってすぐに食べたような感じ。すっかり元気なワイナピチュ組と添乗員さんに呼ばれてました。

 

8日目・2月24日

世界最高位にある湖「チチカカ湖」の湖畔の都市プーノへ。<プーノ泊>

今日も早起き。モーニングコール5:30で、荷物は6:10、出発は7:00の予定。一日バスでプーノまで移動です。クスコからプーノまで列車でも11時間(週2便)、この線路と並行するように道路も続きます。
途中通り過ぎたウルコスという町はパンの首都と呼ばれているそうで、大きなパンを売っているのが車窓からも見えました。シークアニという町のバスターミナルで休憩。謎のポップコーン発見。粒が大きい。こちらのトウモロコシは以上に粒が大きい。だからポップコーンも巨大化しているのだろう。

しばらく走ってバスが止まるとそこには温泉があった。「アグア・カリエンテス(水・熱い)」=温泉と言うことで、マチュピチュの麓にも同じ地名の温泉町があったが(ハウス加賀屋も入った所だ)、こちらは標高4000mに沸く露天風呂。地元の人が入浴しているところにお邪魔しちゃいました。
6000m級の山を見ながら温泉か。こりゃいいわ。まぁ、時間もないので足だけつかって終了となりましたが、面白かったな。

次第に標高が高くなっていきます。とうとうこの旅行で最高に高い所までやってきました。4335mの峠ラライヤです。しかし、回りに高い山が見えていて、緑もあるもので、あまり高い所にいる気が起きない。樹木こそ生えてないけど、緑にあふれてるんだよ。本当に4000mあるの? って感じ。

記念撮影の後バスは出発。アヤビリという町でマーケットに寄って休憩して、川が流れているひらけた所で昼食となりました。お弁当はおにぎり。お米はなかなか美味しく炊けてましたよ。
再びバスは走って15万人の都市(空港もある)フリアカを通過。目的地プーノはもうすぐです。

プーノに入る前に「シュスタニ」遺跡によりました。ここはインカ時代の前からのお墓らしく、塔が立ち並んでいます。インカ時代のものになると石組みが奇麗になっていく、そんな感じでした。石塔はほとんど壊されてしまってますが、残されたものを見ると東側の下の所に小さな出入り口が開いています。6月の夏至の日に太陽が差し込むように作られているといわれてます。この遺跡はウマヨ湖のほとりにあり、静かで見晴らしのいい場所です。ウマヨ湖はここに浮かぶ島に住む数家族しか漁が許されていないとかで、澄んだ奇麗な人気のない湖でした。

そしてとうとうプーノへ到着。標高は3800〜3900mになります。町を通りぬけてチチカカ湖のほとりへと到着する頃にはすっかり陽も傾き、湖上に浮かぶホテルに入る頃には町には明かりが点り始めていました。

ここの夕食はフォクローレ(民族音楽)を聞きながら。ウクレレのような楽器を担当していた彼が一番キてました(笑)。そしてメニューはアルパカ。らくだの親戚のひつじのような毛皮の動物。これからできるセーターがペルーの特産品。そして肉はこうして食べられるという。味は・・・ちょっと匂ったかな? ま、牛の方がいいかなー。

ちなみに頑丈そうな添乗員さんもとうとうダウン。4000mの遺跡で大声出してたからなぁ。

 

9日目・2月25日

チチカカ湖のウロス島観光、国境を越えて太陽の島経由で、ボリビアの首都ラパスへ。<ラパス泊>

今日も朝早いよ。5:30モーニングコールで6:10荷物出して、7:00出発。とうとう今日がペルー最後の日。アディオス、ペルー。ホテルの下の船着き場からウロス島へ向かいます。実はワタクシ水が苦手で。小さな船は非常に怖い。水さえ側に見えなければ大丈夫なんですけどね。それでつい、船の真ん中から離れられないという・・・。

ウロス島は葦を3mほど積み重ねて作った島で、家も船もみんな葦でできています。もちろん葦の船にも乗船してみなくては、と怖いくせに乗ってしまう私。学校まで葦の島の上にあるから驚き。腐ったら新しい葦を積んでいけばいいそうです。私には住めない、怖すぎて。足元柔らかいんだもーん。端は危ないとか言われるしー。

岸に戻ってこれからはバスの旅です。国境へと向かいます。ユングーヨという町にゲートが見えて、あれが国境なんだと実感。イミグレーションでスタンプを押してもらっていると、そこにはフジモリ大統領の写真が飾ってありました。フジモリさんの国とこれでお別れか。しみじみ。

歩いて国境を越えるのは香港・中国(返還前)以来かな。ボリビア側のイミグレーションで入国手続き。ここがいちいち面倒。一人で全部手続きせずに一人が書類切って、一人がはんこ押して、3人目も他のはんこ押して。なんだもん。とりあえず手続き終了。これでボリビアです。

再びバスに乗って、出発。びっくりしたのは国境から近くの町までの道が舗装されてないこと。10cmくらい飛び上がってしまうような凸凹道。ボリビアに入ると道が悪くなるとは聞いていたが、これほどとは。おかげでスピードが一気に遅くなってしまった。なんとかコカパカーナに到着。

ここからまた船に乗って太陽の島向かいます。トイレもついてる船、と聞いてたら、確かについてるけど・・・これ拷問? というくらいのもの凄いトイレ。ここにも悲劇が待っていたが、それは後の話。船の中で昼食を食べてチチカカ湖を揺られること1時間ちょっと。ようやく近づいてきたのが太陽の島。ここはインカ帝国の初代の王が降りてきたと言われる由緒正しい島。島の中腹にある泉は若返りの泉と呼ばれているそうなので、そこまでは行かなくては。島に上陸して1時間も時間がとれず、山の上までいけるかどうか。登山の開始です。忘れてはいけない。チチカカ湖は3800mの高さにある湖。したがってここの島は3900mは軽く超えるはず。ぜーはーぜーはー。

景色は最高にいいんだけど、タイムオーバー。泉はクリアできたけど、山頂までは極められませんでした。登れたのは3人だけだった。ぜーはー戻って、再び船に乗り込む。屋根の上にいた方が風があって酔わなそうなので、動く前に上に移動。動いていたら水の上だけに怖くて動けなくなってしまう。だって水が怖いんだもん。
動いてしまっていたので、私は行かなかったけど、トイレにいった人もいた。トイレはなんと鍵が外についているシロモノで、中はむちゃくちゃ狭い。一人目は船頭の息子に鍵を頼んで入った。終わって出してくれと扉を叩くも息子気がつかず。エンジンの音に紛れてしまったらしい。パニックを起こして扉を叩き「出してくれー」と叫ぶ。ようやく気がついたのは船の中にいた添乗員さんでした。まだ、彼女は最初だったから匂いもそれほどではなかったはず。
悲劇はもっと後に入ったMちゃんの身に降りかかった。高山病で心配をかけたS夫婦もすっかりよくなった後はラブラブ光線出しまくり。二人の世界をいつも作ってました。下にいたのがそんな彼らだけだったのがMちゃんの悲劇。奥さんに頼んで入って、速攻出ようとした。しかし、呼んでも呼んでも気がつかない。かすかな隙間から楽しそうな夫妻の姿が目に入る。最後は体当たりまでしてしまったとMちゃんは言っていた。よかった、私は行かなくて(笑)

コカパカーナに戻って、またバスに乗り換えます。しばらく走るとチチカカ湖が細くなっている海峡ならぬ、湖峡に差し掛かりました。ここは橋がかかっていないので、渡し舟に乗ることになります。バスはいかだのようなものに乗って、乗客は別のボートに乗り込みました。ガイドになんで橋をかけないのかと問えば、橋を架けたらこの人たちの仕事がなくなるからとのお答え。確かにそうだけど、不便じゃーん。(関門海峡より狭い、普通の川程度の幅)

チチカカ湖を離れて首都ラパスへと向かいます。道路も舗装道路になって一安心。このままだったらどーしようかと思った。ラパスはすり鉢場の町で、縁の方になるほど住宅事情が悪くなるらしい。縁は4000mを超えて空気も薄く、中心部は3600mほどで過ごしやすいんだそうです。日本人にしてみれば、五十歩百歩の高さだけど。
ラパスについた頃はすっかり夜もふけて夜景。とにかくホテルに入って、2日に渡る大移動疲れでぐったり。旅行の日程も後わずかになりました。

 

10日目・2月26日

「ラパス」観光。<ラパス泊>

久しぶりにゆっくりとした朝。移動がないんだもんね。モーニングコールが7:30で出発が9:00。まぁ、7時には目が覚めてたからゆっくりと食事できたけど。

プレインカの遺跡「ティワナコ」へ。大きな遺跡で、ピラミッドとか神殿とか、いろいろあります。有名なのが太陽の門で写真で見てたのよりも小さくてちょっとがっかり。ピラミッドの上には磁場が狂ってる石があって、磁石を近づけると北があっち向いたりこっち向いたり。
半地下神殿と呼ばれるものは、壁に一面の顔の彫刻が。180あるそうです。中には黒人ぽいものも、白人ぽいものも混じっていました。ここに一人でいたらちょっと怖いかも。

市内へ戻って昼食は中華。美味しかった。遅めの昼食の後、これも郊外の月の谷へ。荒涼とした大地が月のようだといわれていて、現地の人はグランドキャニオンのようです、と見たこともないのに語っていた。かくいう私も知らないので、ノーコメント(笑)。
ここは標高が3200mくらいなので、空気がたくさんあって美味しかったです。

すぐに市内へ取って返してムリーリョ広場へ。カテドラルとか国会議事堂とか大統領官邸とかの説明を受けているまに、ちょっと全景を撮影したくて遠くに行った時に、町中のポスターがやけに気になっていたパンダ印のアイスクリーム屋さんがいるじゃあないっすか。ついつい買って食べてた奴(笑)。いやーアイスに目がなくって。

ホテルに戻って荷物を置いて、最後の買い物勝負へ。ホテルの裏手の教会の横の坂道(サガルナカ通り)は土産物のメッカ。ゆっくりと坂を登っていきます。店の前には屋台も出ていて、民族衣装に身を包んだ人が売っています。そこを歩いていると目が合ってしまった。誰と。また、ぬいぐるみとなんだな、これが。南米の高地に生息している鹿に似たビクーニャという動物の人形。5000m以上の所にいるので、今回は見られなかったけど、これが可愛いの。アルパカはすでに買ってるから、これを買わなきゃと。日本円にして600円くらいかな。懐に大事に抱えて歩く姿は相当妖しかったはずだ(笑)

ツアーのご一行様はセーター(100$くらいするちゃんとしたもの)を買っていたみたいだけど、10$のセーターすらまよったやつには用がない。私の買ったのは、現地の女性が髪に編み込んでいる飾りを編み込みまでやってもらって購入(ひとつ1ボリビアーノ、1$=5.5ボリビアーノ)。すでに金を使い果たしていたとの噂も。

更に怪しげな飲みものとか買っている時に、広場で集まってた集団がたいまつを持ってデモ行進をはじめてきました。周囲の店がばたばた閉じているのを見て、ただ事じゃないと気づき、あわてて大きなショッピングセンターの中へ逃げました。何、あれ? 怖かったー。

夕食の後、最上階のバーで、ラパスの夜景を眺めながらカクテルを(舐めただけだったけど)。お椀の底にあるホテルからなので、縁まで彩る明かりが奇麗でした。

部屋に戻って荷造りしてると、しみじみ旅の終わりを感じましたね。明日はもう、南米脱出となります。

 

11日目・2月27日

午前中にボリビアを立って、アメリカ・マイアミへ。<マイアミ泊>

アメリカン航空はチェックインが早い。朝8時の便なので、4:30モーニングコール、5:00荷物を出して、5:30出発となりました。しかーし、バスが5:50になっても来ない。添乗員さんピーンチ。タクシーを手配してなんとか出発。私は添乗員さんと同じタクシーになり、そこで手続きの用紙とかまでもらえて一安心、と思ったら、おいおいガソリンスタンドに停まってる場合じゃないだろ。次々に後続車に抜かれていく私達のタクシー。おいおい、頼むよ。

なんとか空港について、人数を確認。1台来てない。とりあえず荷物と書類の揃った人からチェックインすることに。仕方なく他の人を連れてカウンターへと進みました。
なんとか手続きをすませていたら、ようやく遅れたタクシーも到着した模様。なんと、途中でエンコ(しかも高速道路で)して、無線で他の車を呼んで乗り換えてきたそうです。おいおい。
そして、若干1人・・・、ボリビア国境で入国手続きしてなかった人がいることが発覚。ペルーを出国しただけで終わった気になっていたらしい。団体行動しろよー。(この迷惑君は罰金を払って事無きをえました)

ようやく出国です。飛行機に乗り込んで、長い帰り道のはじまりはじまり。ラパス8:00発(日本時間で21:00)。

ラパスから直行してくれればいいのに、飛行機はボリビア第2の都市・サンタクルズへと寄ります。ここは山岳地帯にあったラパスと違って、ジャングル地帯。大河が流れているのが確認できました。ここは飛行機から降りられずに待つことになったのですが、その待ち時間が・・・1時間半。早くしてくれー。テロ対策なんでしょうか、荷物が誰のものか厳しくチェックしてました。

ようやく飛び立ったのが10:30(日本は23:30)で、マイアミまで約6時間。なるべく早めにマイアミについてくれることを祈ります。だって、どうせなら、行きたいじゃん。マイアミビーチへ。

マイアミ到着は15:35(日本は28日の朝5:35)。またアメリカに入国しました。そして空港の外に出た時、空気が重く感じたのに感動。標高4000mから戻ってきたんだー、走ってもいい世界へ(笑)
ホテルへ向かって、荷物を部屋においてすぐにマイアミビーチへ行くべくタクシーを呼びました。そして、当初3人でこっそり行くはずがいつのまにかワゴンタクシーが来て、参加者も大人数に。添乗員さんまでついて来てくれることになっちゃいました。交渉しなくてすんでラッキーかも。

ビーチへ向かう町の中で日の入りを向かえ、ビーチについた時にはすでに泳いでいる人はいなくなってましたが、十分明るい空に月まで浮かんで、これはこれでなかなかのもの。Gパンの裾をまくりあげて、大西洋を満喫いたしました(実は大西洋初体験だった)。その後、ビーチを散策して、レストランへ。日本食や中華まで置いてある店で食べ放題してきました。食べながら、これでセーター2枚・・・とか考えながら(爆)。

アメリカまで満喫して、本当に最後の夜となりました。

ちなみに文明国に帰ってきたんだー、と思ったのは、トイレの使用後の紙を流してもいいということ。これって結構大きな問題だったんだなーと。
標高が0mちょっとなんだ、と思ったのは、シャンプーの容器などが思い切りへこんでたこと。気圧が違うのね、やっぱ。クスコに上がっていった時はみんなパンパンになってたのにな・・・。

 

12日目・2月28日

朝、マイアミから成田へ。<機中泊>

モーニングコール4:00、荷物は4:50、出発は5:30で、朝食はレストランが開いていないので、ランチボックスがモーニングコールと共に配布されました。なので、出発までに食べながら支度して・・・。

マイアミ空港に入って、最後の1日のはじまりです。デューティーフリーはまだ開いていなかったので、高いものは買えなかったけど(買う気もないけど)お菓子とかは小銭で買って、ようやく7:45(日本時間21:45)にシアトルに向けて出発。またしても国内線なので、ヘッドホンは5$。後ろの席のオバサマ二人は映画を見ながら大爆笑してました。
そして、ここでまたちょっとした問題が。
朝食はフレンチトーストかシリアルだったのですが、2人組の女性は「フレンチトースト、オア、シリアル?」と尋ねていたのに、私の担当になった男性は「フレンチトースト、オア、スペシャルケー?」と聞いて来た。すすす、スペシャルケーキ? 何、なんて言ったの??
女性が言っていた「シリアル」という言葉を信じてシリアルと答えた私に渡されたものは、ケロッグ社の「スペシャルK」という商品名のシリアルでした。商品名を連呼されても、外国人にはわかんないよっっ! 恐るべし、アメリカン航空。

シアトル到着して、デューティーフリーで最後のお買い物(見ただけだったが)。シアトル出発は12:50(日本時間で1日の5:50)。

 

13日目・3月1日

夕方、成田空港到着。お疲れ様でした。

椅子に座るのも飽きてきた頃、ようやく成田へ到着しました。到着は30分ほど遅れて4:25となりました。またしても北ウィングから南へバスで移動して、荷物を受け取って、旅も終わりになりました。

ダッシュすれば1本前の成田エクスプレスに乗れたけど、ここは無理せず。というか、スポーツ新聞を買って、川口オートに電話して今日の結果と明日の優勝戦のメンバーを聞いて・・・とやってたからね(笑)。
家に帰りついたのは19:30頃。この時はすでに翌日の川口オートに参戦することを決めていましたとさ。


旅行が終わってみて、オートレースが恋しくなったけど、行ってよかったなーと。
とくにペルーは面白かった。せっかく高い標高にも慣れてきた所だったので、もっともっと ゆっくりとしていられたらよかったのにな。でも、私にはオートレースがある。それにパソコンからこれほど長く離れていたのもはじめてだし。クスコの町でインターネットできる所を友達が見つけてきたけど、行けばよかった。オートの爆音とパソコンがないと、生きていけないからだになってしまったと実感した13日間でした。

写真は・・・16本も撮ってきてしまった・・・。この現像代がこの旅で一番高かったかも。