信越トレイルを歩きませんか?
信越トレイルとは?
日本海から30km、長野県と新潟県の県境に位置する関田山脈は、かつて信州と越後の人々の生活や文化を結ぶ交通の要所として16もの峠道を有していました。
標高約1,000mのこの山脈は、冬には積雪が8mを超える豪雪地帯であり、様々な歴史と手つかずの自然が今もなお残されている里山には、国内でも貴重な、原生に近い状態のブナ林や植物などを見ることができます。この豊かな森が村人の生活を支え、村人はその恩恵に感謝し、今日まで森が守られてきました。当宿では
信越トレイル全80kmをこれまでの「登山」とは異なる新しい山歩きのカタチとして提唱、積極的にガイド活動を行っています。日帰りから6泊7日の縦断ツアーまで、安全かつ安価にてあらゆるニーズにお応えする体制を敷き、皆さんのお越しをお待ちしています。
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みゆきの杜ユースホステルではトレイルの対岸に位置する、その全ルートを眺望できる場所に位置していますが、
2005年秋よりそのトレイル保全の運動に賛同し、千曲川東岸において唯一の信越トレイルクラブが公認する、
トレイル情報提供宿泊施設の認定を受けました。今後はトレイルメンテナンス活動にも積極的に参画し、従来の
「ピークハント」のみならず、信越トレイルを柱とした、より快適なトレッキングをお手伝いさせていただきます。

●信越トレイルルート詳解
同トレイルは大きく分けて以下の6区間に分割されます。それぞれの区間について
昨年実地調査を行い、今年度の本格ツアーに移行されます。
回 区間 所要時間 踏査日程(2005年)
●第1区間 牧峠〜関田峠 2時間 10月13日 *調査済み独自調査の詳細
●第2区間 関田峠〜桂池 5時間 11月4日(金) *調査済み 独自調査の詳細
●第3区間 桂池〜涌井 3時間 10月19日(水) *調査済み 独自の調査詳細
●第5区間 沼の原湿原〜涌井 3時間 11月1日(火) *調査済み 独自の調査詳細
●第6区間 沼の原湿原〜斑尾山 5時間 11月13日(日) *調査済み 独自の調査詳細
●ひとりでも安心!信越トレイルツアースケジュール
●信越トレイルクラブオフィシャルサイト
●信越トレイルを単独で歩きたい方へ
当ルートは南北77kmにおよぶ長大なトレイルとなっておりますが、途中各所の入山地点はいずれも公共交通機関の
利用が困難な場所にあります。またピークハンティングと異なり、出発地点とゴール地点が異なるためにマイカーの利用も
あまり現実的ではありません。
そこで当YHでは、主催ツアーの他に、個人で歩きたい方のために、下記の地点へのお送り、及びお迎えをを随時
実施しております。*最大7名様まで。
*燃料代実費を一回あたり500円〜1600円をご負担下さい。またお迎え時間につきましては相談に応じます
★指定場所および燃料代実費*( )内は当宿からの往復距離
天水山(84km) 1600円
伏野峠(64km) 1200円
牧峠、関田峠(49km) 800円
仏が峰登山口(33km) 600円
桂池(28km) 600円
涌井(24km) 500円
赤池(39km) 800円
万坂峠(45km) 800円
斑尾山登山口(36km) 600円
例:
★朝に天水山スタートからスタートし、伏野峠までを歩いた場合
1600円+1200円=2800円
★伏野峠にお客様のマイカーをあらかじめ回送し、宿の車で天水山へお送りした場合
2/1200円+1600円= 2200円
信越トレイルの全貌 木島平村往郷中島にて撮影
↓斑尾山 毛無山 富倉峠




黒岩山 仏ヶ峰 鍋倉山 牧峠




この長野・新潟両県の飯山市、上越市、妙高市、十日町市の4市の境界にまたがる長大な尾根の豊かな自然環境を保全しながらトレイルを整備し、自然と人とのかかわりを後世に伝えていくことを目的として、2004年にNPO法人「信越トレイルクラブ」が設立され、トレイルの保全、環境保護の為の活動が開始されました。
このトレイルには中世の時代より人々の往来がなされた数多くの峠や古道が点在しており、 近年、健康ブームの高まりとともに、同様のトレイルの保全の大切さや歩くことの楽しさが再認識されるようになりました。
山歩きといえば、100名山ブームなども手伝ってか、従来は山頂を目指す登山スタイルが圧倒的でしたが、森の中で動植物と出会い、豊かな自然と歴史を肌で感じながら歩く“ウォーキング”に主眼を置いたトレッキングは、これまで日本国内においてあまり存在しませんでした。
これからは「信越トレイル」が、歩く楽しさを広げるトレッキングルートとして、また日本の豊かな自然のシンボルとして、より多くの人々親しまれることでしょう。
●関田山脈の地質
関田山脈はおよそ78万年前に海底が隆起し地上に現れたとされており、平丸峠の屏風岩で貝の化石が採取されるのはその証拠とされています。その後マグマの貫入や噴火の影響を受けながら隆起、上昇を続け高さ1000m級の山脈を形成しました。わずか78万年間で1000m急の山脈を形成した例は全国見渡してみてもどこにもありません。関田山脈はきわめて短い時間で形成された異例の山脈であり、若い地質である第四紀の地層で構成される山脈では日本一の高さの山脈なのです。
若い地質である第四紀の地層は非常にもろく、さらに噴火などによる急激な隆起で形成された関田山脈の地盤には無数の亀裂や隙間があります。そのため山稜からなだらかな台地を織り成す長野県側に対して急峻な地形の新潟県側は日本有数の地すべり地帯でもあります。
新潟側の山間に垣間見える棚田は地滑りが起きた後に手間をかけて先人たちが作り上げたものです。地すべりは水が原因ですから稲作が可能なわけです。つまり豪雪や地すべりといった自然災害と闘いながら、棚田で稲作を行うことが結果的に斜面管理や水管理となり、その後の災害を防ぐわけです。
●関田山脈の植物
この地域では古くから村人の生活に欠かせない薪炭や山菜を提供してきたブナ林と、戦前から始まった杉を中心とした植林地、伐採後に自然に再生しているミズナラなどの広葉樹林が多く見られ、コースごとに森林環境の変化を垣間見ることができます。
残雪時期には白く大きなタムシバの花、ブナやイタヤカエデなどの花の満開が美しく、雪解け後のトレイル脇にはオオイワカガミやユキツバキが咲き競います。これらに加え、関田山脈では日本海側寄りの多雪地帯特有の植生を見ることが出来ます。2002年に新種と確認されたナベクラザゼンソウ、ミズバショウ、リュウキンカなどの湿性植物もその一部です。また雪がおそくまで残り生育期間が短いためより多くの光合成をする工夫も見られます。例えば種名に「オオ○○」とか「オオバ○○」という名前が多く見受けられるのは雪の少ない太平洋側の同種に比べて葉が大きくなるからだと云われています。
秋にはブナをはじめ、ナナカマド、カエデ、オオカメノキといった美しい紅葉がトレッカーを迎えてくれます。
●関田山脈の動物
ツキノワグマやニホンカモシカといった大型の哺乳類、ワシ、タカ、フクロウといった大型の鳥類を頂点に、小動物から微生物に至るまで、関田山脈には実に多くの動物が生息しています。それはブナやミズナラなどの広葉樹林、スギ、カラマツなどの針葉樹林、広大な田畑や草原、千曲川の支流となる河川の水辺など、ざまざまな自然環境が残されているからでしょう。
冬のトレイルには昼間でもウサギが頻繁に姿を現し、そのほかにもタヌキやキツネ、テンなどの小型哺乳類も数多く生息しています。
たとえ姿が見えなくとも、トレイルに残された糞尿や爪痕からそれらの動物の姿を想像することはとても面白いものです。
●関田山脈の気象
日本海からわずか30kmに位置する背北山脈は世界有数の豪雪地帯です。冬に大陸から吹き出す北西の季節風が日本海を吹きつけるとき、たくさんの水蒸気を吸い上げ、発達した雪雲となり上越の平野を一気に駆け抜け、関田山脈にぶつかります。それがこの地域に豪雪を生み出すメカニズムです。積雪量は平地でも3m、山間地になると6〜7mにもなり、昭和2年2月13日には上越市板倉区で8m18cmを記録しました。
一般には4月から10月がトレッキングに適した季節ですが、6月までは残雪がありますので、慎重な行動が求められます。また3月以降の雪が締まる頃には経験者同行であれば部分的に冬のトレイルを楽しむことが出来ます。木々は雪に埋もれてしまっていますので、視界はすこぶるよく、晴れた日には佐渡島まで見渡すことができます。
●関田山脈の歴史
鍋倉山、黒倉山を中心に、南部、北部に配列が変わる関田山脈には、有史以来峠を使っての歴史、文化、生活の交流が盛んに行われてきました。山脈には16もの峠道があり、まさに信州と越後の交流の道だったのです。ほとんどの峠名には越後側の集落名がついています。このことは、越後側の人々にとって、信州との行き来や物資の運搬に峠が大変重要であったことを示しているといわれています。信州川の集落では越後から嫁をもらうことを誇りとし、働き者の越後女性が大勢嫁入りしたそうです。
越後からは塩、米、酒、紙すき用の楮(コウゾ)皮が運び込まれ、峠で受け渡しがなされた記録が残っています。また、善光寺参り、野沢温泉への当時の道としても利用されていきました。峠付近には志水を利用しての御茶屋があったり、村には商人宿として生計を立てる家もありました。戦国時代には上杉謙信の山城や、重要な軍事道路として、川中島の合戦に利用された峠もあります。また、越後コゼ(高田コゼ)や浪花節語りが通う集落もあり、文化の交流が盛んであったことを偲ばせます。
●関田山脈に息づく文化
雪国の生活には隣同士の助け合いが欠かせません。今でこそ機械化が進み、積雪後の道路の除雪はずいぶんと容易になりましたが、その昔は「道ふみ」といって、冬期間集落の家々が協力して生活のための道を作っていました。大雪で屋根の雪下ろしや除雪が間に合わない家を周囲の住民が手伝うなど、豪雪地帯では助け合いなくしては生きてゆくことができません。また雪解け水はもう一つの豊かな文化を生み出しました。それは関田山脈麓の家には「たね」と呼ばれる水路が家を囲み、冬は屋根から落ちる雪や、家の周囲の雪を融かし、夏には農具を洗ったり、野菜を冷やしたりと一年中山から流れ出る水を上手く活用した豪雪の山里ならではの生活の工夫です。この豊富な水をもたらすのはまぎれもなくブナの森なのです。
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イメージ写真

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