分倍河原の合戦に関しては、いろいろな文献やサイトで紹介されているので詳細は省きますが、簡単に説明すると、鎌倉時代末期、新田義貞が幕府(当然、鎌倉幕府。。)を攻めるため、上州(今の群馬)から鎌倉に向かっていく途中、その中での戦いとなった場所のひとつが分倍河原なのだそうです。この戦いで勝って、新田義貞は鎌倉幕府をつぶすことが出来たという歴史的に見ても重要な戦いだったのです。分倍河原の合戦は、元弘3年(1333年)5月16日とされています。
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つまり、今から650年余り前から分倍河原という地名はあったということがいえます。では、分倍河原の合戦というのはどの辺で行われたものなのでしょうか?どうも文献によると今の鎌倉街道の南側、多摩川までの一体の辺りを指し、今で言う健康センターや中河原駅の方まで含むようです。
また、当時の多摩川の流路はもっと北側にあったのではないかとも言われているようです。ある本の図によると今のNECから三小にかけてのかつての新田川沿いのような図もあります。そうすると当時は河原であったと言うことも出来ますね。そのへんのことはまだはっきりしないのか、あまり詳しくでいている本が見つかりません。
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