旧下河原線跡特別レポート 

特選分倍河原情報

     

     取材日2002,9,22

続報は2003,12,29(続報は下までスクロールして下さい。)


かつて、中央線の国分寺から南へ多摩川を目指す支線がありました。通称下河原線と言って、開業は明治43年東京砂利専用鉄道の開業に始まります。なんと、府中では京王線や南武線より早く府中ではじめての鉄道だったのです。開業は、名前の通り、多摩川の砂利を運ぶための貨物線でした。その後、東京競馬場へ向かう支線も作られ、競馬場へ向かう電車も運転されていました。武蔵野線開業とともに、旅客営業は昭和48年に廃止されて、その後、昭和51年には貨物営業も廃止されました。廃線跡のうち、国道20号線から南側は、府中市によって下河原緑道として、整備されています。

私は、府中市に生まれ育った人間ですが、下河原線の電車は記憶にありません。唯一あります下河原線の記憶は、美好町公園の前の道(馬場片町北裏通り)を府中方向に向かっていたところ、下河原線の踏切が鳴り、ディーゼル機関車の引いた貨物がゆっくり走って行ったというものだけです。当時は、多分小学生だったと思いますが、踏切が鳴るなんて珍しいと、親に話した記憶があります。

緑道になってからは何度も通ったことがありますが、今回は改めて、旧下河原駅周辺から北府中駅周辺まで、友人T氏とゆっくり歩いてみたので、紹介をしたいと思います


 中河原駅にT氏と電車を降り、下河原線の終点を目指します。あいにく曇り空です。

「鉄道廃線跡を歩く」という本があるんですが、その中にこの下河原線跡が紹介されていて、それによると、下河原線の終点は下河原と言う貨物駅なんですが、その先引込み線が京王線の中河原駅の近くまできていたようです。

その本の地図に従い、中河原駅の改札を出て、左側に出て、線路沿いに分倍河原よりに戻ります。右に折れる道が線路跡のはずなんですが、よく分からずに、結局、現在「牛角」の角を右に曲がった道であろうとの結論になったのですが、京王線沿いの道まで線路跡があったという確証は得られませんでした。

しばらく行って、左にわかば幼稚園、右に八幡社を見る少し手前で怪しい地点を発見しました。これが右の写真なんですが、歩道が二手に分かれてるんですね。右側が下河原線跡ではないかというのが二人の結論でした。

 

中河原駅から八幡社へ向かう道の途中→

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 その先は、地図で見ると「八幡社」となっており、神社があり、その周りが公園になっています。この公園もいつからあるか分からないのですが、やはり線路跡と思われる場所は、大きな木などもなく、はっきりと分かります。

なお、ここには、地名の由来碑があり、「下河原」という地名の説明文があります。内容は省力します。現在は、下河原という地名はありません。

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←八幡社から中河原駅方面を望む。

 さて、その先、信号を渡ると、下河原緑道が始まります。右の写真が案内図です。旧下河原線に沿って作られているので、これを歩いていけばいいのです。

緑道の右側(多摩川側)は、マンションの建設を行っていました。以前に何度も横を通ったこともありますが、今まで何があったのでしょうか?覚えていません。

 

 下河原緑道の案内図→

案内図のアップはこちら

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 案内図から少しだけ歩いたところに、初めて、そこに線路があったと思われる残骸がありました。それは下の写真で、枕木です。柵のつもりで立てたのか、道の端に残っていました。ただ、25年前に廃止になった当時から立っていたかは分かりませんね。緑道を整備した時点で立てたのかもしれませんし。

さて、さらに進むと、右側には東鉄工業、府中技術専門学校、心身障害者福祉センターと続きます。東鉄工業はJR系の企業です。後の2つの施設は、下河原線廃止後に、跡地に作られたものでしょう。

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 「福祉センター」の交差点の先、緑道の右側には工場というか、作業場というか、下の写真のような場所が広がっていました。ここも、かつては、貨物の運搬に下河原線を使っていたのかもしれません。

レールなども見えましたが、当時のものではないでしょう。

 

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上の写真と緑道の間は、駐者場になっていました。この付近が下河原駅の跡なのでしょうか。

その付近には、なんと下の写真のような杭が残っていました。これは鉄道用地を示す用地杭で、現在でもJRで使われているものです。

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さらにその駐車場と工場の東側には空き地が広がっています。相当広い構内だったことが分かります。

その先、緑道は右にカーブして、右側には郷土の森を見ながら進んでいきます。

我々は、ここでちょっと寄り道し、郷土の森と交通遊園を訪れました。

ちなみに、交通遊園は昔からある公園で久しぶりに行ってみましたが、数年前に京王から譲り受けたバスが1台増えていた以外は20数年前と変わりなく、かなりくたびれて印象だった。そろそろ何とかする時期ではないかと思う。

郷土の森は、緑の多い公園で、府中市にあった歴史的な建物を移設して保存していたり、博物館があったりと、恥ずかしながら始めていったのですが、かなり遊べる場所です。家族で行けば1日いれるでしょう。

 

右側が緑道、左側が空き地→

 

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さて、再び、緑道へと戻り北を目指します。しばらくは単調な道が続きます。

雨がぱらつき始めました。

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←緑道が中央高速をくぐる地点。

 中央道を越えると、緑道が斜め手前に分かれるところがあります。これが、東京競馬場前駅へ向かう支線です。(距離が短いので、構内扱いだったのかもしれません。)

距離にして100mくらいしかなく、府中本町の駅のすぐ横に出ます。右側には、都営住宅とJRの社宅があります。これも何か関係しているのだろうか?同行のT氏によると、建物の感じから見て、下河原線廃止以前からあったものじゃないかと言っていました。

かつて、駅のあった場所は今ではもう分かりません。ただ、ここには、下の写真のような、像があります。電車ごっこをする子供をモチーフにしたもので、説明文も横にあります。説明文はこちら

それにしても、今、電車ごっこなんかする子供はもういませんね。ガタンゴトンとレールの継ぎ目から来る音ももう少なくなりましたし。最近の電車ごっこは、「ウイーン、ウイーン。ピンポーン、ピンポーン」などと言うんでしょうかね。。

 

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 再び、本線へと戻り、北上を続けます。

鎌倉街道を横切り、左に三小が見えると上り勾配が続きます。右側には道路、左側には住宅がありますが、土盛りで線路敷きを作ったようです。そして、南武線を鉄橋で越えます。

左側に高安寺を見て、旧甲州街道と交わります。そこには下の写真のような記念碑があります。これは東京都の作ったもので、東京都選定の散歩道の一部になっているようです。興味深いのは説明文の横の写真で、単線の線路が緩やかな勾配を上っているのが分かります。線路の左側は何にもなく、面影はまったくありません。よく見ると架線がく、電化前の写真のようです。電化が昭和9年ですから戦前の写真と言うことになります。

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説明文と写真のアップはこちら

(左の写真とアップの写真ともにT氏の撮影)

左に交番を見て旧甲州街道を渡ります。渡ったところの右側のところ、隣接している道路の間の木の陰に、右のようなものを発見しました。

下河原線踏切事故者供養塔というものです。私も今までここを何度も通ったことがありますが、まったく気が付きませんでした。旧下河原線の裏の一面を見た気がしました。

 

(右の写真はT氏の撮影)

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 その北、馬場片町北裏通りとの交差点には、府中市で作った記念碑があります。なかなかしゃれたもので、柱に枕木を使っているのが分かります。

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説明文のアップはこちら

(左の写真とアップの写真ともにT氏の撮影)

ここには、写真のようにレールも残っています。冒頭に書いた通り、ここは私が唯一下河原線を走る列車を見た記憶のある場所なのです。それだけになんともいえない感じがします。

その先は左側がスカイハイツと言うマンション。かつてはボーリング場があった場所です。

 

(右の写真はT氏の撮影)

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その先、京王線をくぐった緑道は、甲州街道(国道20号線)で分断されています。その先は私は行ったことがなかったのですが、その先は写真のような公園になっていました。レールが残され、また、駅のようなモニュメントが作られています。「スポットパーク下河原線」と駅名標には書いてありました。写真には見えませんが反対側にはベンチもありました。

またまた、ここにも、下河原線の説明文がありました。こちらです。

新甲州街道開通(東府中−本宿間)が昭和31年、下河原線の廃止が昭和51年だから、20年間は甲州街道に下河原線の踏切が存在したことになるのです。

その先は、緑道は終わっていました。正面にはなにやらコンクリートの打ちっぱなしの建物があります。建物の幅が線路敷きの幅なので廃線になってから建てられた物である事が分かります。

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 先に進むことが出来ないので、遠回りしてその建物の反対側に向かう。西側はインテリジェントパークなるものが近年出来て、町並みは大きく変わりました。府中街道からインテリジェントパークに入る道まで来ると、武蔵野線がトンネルから出てくる地点になっています。その写真がの写真なんですが、武蔵野線の線路の左、草が多い茂っている部分に架線が見せるのが分かるでしょうか?コンクリートで作った車止めがあり、そこまで線路が来ているのです。下河原線の跡をまっすぐ延長すると、この線路につながるのです。今は引き上げ線なのでしょうが、かつては下河原線が走っていたのでしょう。

   

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 この先は北府中駅となり、旧下河原線は北府中を出ると、今の武蔵野線に沿って走り、右へ折れて国分寺駅へ向かっていた。国分寺にはかつて専用ホームがあり、廃止後もしばらく残っていましたが、駅ビルが出来たときになくなってしいました。国分寺から中央線沿いに下河原線の線路は今でも残っています。廃止後も、その横にあった中央鉄道学園(旧国鉄の研修所)への引き込み専用に使われていたのです。さらに、北府中駅の近くにある府中刑務所への引込み線があったり、旧米軍府中基地への引込み線(ずいぶん長い路線だが。。)も存在したようです。またその引込み線は三億円事件の犯人が三億円を持って逃走したのだとか、そういう話も本でチラッと読んだことがあります。

今回は、かなり歩いて疲れたのと、雨も本降りになりそうなので、引き上げることとする。いずれにしろ、残りの区間は、国分寺駅周辺を除いて、すでに廃線の跡はあまりないであろうと思われるし、本ページの主題である分倍河原エリアから大きく外れることになるので、また後日、機会があったら報告をしたいと思います。

皆さんも、是非、天気のいい日に、家族や恋人とのんびり歩いて見てください(廃線跡より、郷土の森のほうが見ごたえあるし、一般的だと思いますが。。)

 

 【続報】

上記のスポットパーク下河原線の先、建物が建っていて先に進めなかった箇所ですが、2003年12月29日に現地へ行ってみると、その建物の横に道が出来ました。その横にはケーズデンキ府中本店が建っていますので、ケーズデンキが出来たときに整備されたものだと思います。

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奥が多摩川方面、左の建物が下河原線の通っていたところ

その道は、下河原線が通っていたと思われる箇所に建っている建物のすぐ西側にあり、何かないかと歩いてみると下の写真のような用地境界の杭がありました。この杭には「工」の字が入っており、旧国鉄を示すものであることが分かります。

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建物と道路の間にあった用地杭(工の字に注目)

 一度行ったところでも、時がたてば変わるものですが、更なる発見があるものなのですね。

 

2003,12,30

 

  

 

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