「ぶばい」という名の由来その1

特選分倍河原情報


さて、分倍河原の「河原」の部分の由来はなんとなく分かったが、「ぶばい」という名の由来はなんだろうか?京王電鉄50年史には各駅の駅名の由来というものが書いてある。それによると分倍河原駅の由来は

分梅とも記され、付近に谷保天満宮の梅林をはじめ、梅に関連ある土地であったことから生じた地名と思われる。

と説明されている。最後に「思われる」なんて書いてあり、なんとなく怪しげだ。

 

府中市では、各地の地名の由来を書いた「由来碑」というのが市内各地に全部で26箇所あるのだが、その中で「分梅」について記したあるものがある。それが、写真のもので、少し長いが全文を紹介する。

分梅(ぶばい)は、現在の分梅町ニ・三・四・五丁目の一部(鎌倉街道=分梅通り沿い)に集落の中心があった村落です。この集落は本町に属しており、新編武蔵風土記稿(幕末の地誌)には「本町」の小名としてその名が見えます。分梅はもとハケ上の上分梅(八雲神社辺り)に集落の中心がありましたが、多摩川の流れが南に移ったあと分倍河原に進出したといわれています。古くは「分倍(陪)」や「分配」の字があてられ、「ぶんばい」と呼ばれていたこともありますが、近世以降には「分梅」が多用されています。

地名の起こりは不明ですが、この地がしばしば多摩川の氾濫や土壌の関係から収穫が少ないために、口分田を倍に給した所であったという説があります。

 

以前、美里さんに掲示板でご紹介いただきました。ありがとうございました。

 

難しくてよく分からないが、分倍という集落(当然昔は今のように家がたくさんあるわけでなくポツンポツンくらいしかなかった。)は八雲神社あたりにあって、多摩川の流れが南に移ってから南の方に移ってきたということで、このことからも「河原」というのは説明がつきますね。で、問題の「ぶばい」はどうかというと、「口田をに給した所」ということらしい。口分田というのは、百姓に割り当てる田んぼのことのようで、この辺は多摩川の氾濫もあるし、土壌もあまりよくないから土地を倍与えますよ、と、そんなことのようだ。ただ、説明には「という説があります」とか、「地名の由来はよく分からない」なんて書いてある。

本当の由来はいったいなんなんだろうか?しかし、そんなミステリアスな「分倍河原」というのも、趣があっていいんじゃないかなと思います。

 

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