独立開業しやすい分野
2002.07.12
自動化と電源安定化装置
1. 1970年代になると省力化という言葉が流行し、自動化ブームになりました。
電源安定化装置というのは、以前から中小企業が生き残っている分野として有名です。
中小企業が受注する自動化装置としては、ロータリーテーブルの周辺に自動検査装置と不良品選別装置を並べた自動検査装置が代表例でした。
ある自動化装置を納入したところ、周囲の設備の影響で入力電圧が不安定なので、入力部分に電源安定化装置を追加するという場合があり、そのような例外的追加が10件の受注の内で2-3件はあるという例を聞いたことがあります。
そのような場合、標準の電源安定化装置をオプション部品として用意したくなりますが、中小企業の類似品の方が安価ということになると、不信感を持たれる場合がありました。
この種の自動化装置は少数の固定客を相手にしているので、過去の受注経験が生かせる場合は、技術料はとりにくいが、過去の経験を生かせない場合は、基準仕様を示して、客先に市販品を購入させ、出張したサービス員の人件費+関連費用を技術料として請求するようになりました。
2.1990年代になると国際化時代になりました。
インターネットの普及と共に、日本企業に対する東欧・中国・東南アジア等から安価な電源モジュールの売り込みが活発に行われるようになりました。
中小電源メーカはハードウエアの社内製作をあきらめ、仕様決定、購入モジュールを組み込んだ電源回路の設計、組立・検査・アフターサービスに限定するようになりました。ただし、購入モジュールは半導体分野が主体であり、変圧器・可飽和リアクトル等の「鉄心を多用する分野」には社内製作がかなり残っているようです。
2002.09.06
先端技術と独立開業
1. 先端技術を丁稚奉公方式で学んで開業できる頃が開業しやすい時代だと思います。
社会制度の問題もありますが、1950年代に米国でペーパークロマトグラフ技術が大発展をしました。ペーパークロマトグラフというのは、吸い取り紙が毛細管作用で吸い上げる能力の差から医薬品の違いを識別する技術でしたが、この技術が花形だった時期が医薬分野で独立しやすかった時代とされ、米国でガレージを工場代わりに使ってステロイド剤や経口避妊薬等の開発を目指すベンチャービジネスが多数生まれました。
しかし、日本ではペーパークロマトグラフの技術で独立した例がほとんど無く、開業しやすい技術を文献によって学ぶ感覚では入手が遅れるので、丁稚奉公的経験を通さないとタイムリーに入手できないからだと考えています。
もっとも、1970年代に日本のコンピュータ業界で独立開業した企業の多くは、英語のマニュアル本を読む能力を持っていたから開業できたという例が多かったと聞いています。

2. 1980年頃はサーボモータ技術が注目されました。
飛行機はフライ・バイ・ワイヤ(電線による飛行制御)が花形技術とされました。電線の先端にはサーボモータとボールねじを設置して制御していました。ベトナム戦争でもスマート爆弾といって、尾翼をサーボモータ+ボールねじで操作する兵器が花形になっていました。ソ連の最新戦車も有尾翼砲弾を使ったものが開発されました。
しかし、アマチュア雑誌では、ソ連の最新の戦車について、制御能力の説明はなく、有尾翼砲弾を使う大砲はラセン溝が不要なので、清掃が容易で砂漠に適しているという解説がありました。この戦車はシリアに供与されたが、イスラエルとの戦争で破壊された時点で、開発途上国に供与する武器には最新の制御装置をはずしてあったという弁解が伝えられました。
このころには、サーボ技術に限定すれば、アマチュアの技術と兵器の技術は大差が無いと言われました。米国の兵器産業が仕様を示して開発させるが、アマチュアは兵器用に作られた半導体回路が民需に流れてくるのを待って使っていると言われました。
3. 1980年頃には、サーボモータの技術があると開業しやすいと言われました。
特に、開回路制御のステッピングモータと閉回路制御のサーボモータとの使い分けが重要だとされました。小型用のコアレスモータやホールモータを使える技術も重宝がられましたが、それに使う半導体素子の機種名と付属回路の知識が重要なノウハウでした。
当時、サーボモータの発売源に問い合わせれば得られる程度の配線図でもアマチュア雑誌にはあまり紹介していないと言われました。これは技術者が実務で忙しく、記事を書けるくらいのウデとヒマがあれば、独立開業できるからだと言われました。
2002.09.13
計測装置と独立開業
1. 計測関係は独立しやすいが、巨大化しにくい分野だとされています。
1960年頃にはサーミスターを使って、風速計や温度計を組み立てる零細企業が多く生まれました。まだ、真空管から半導体に移行していたものの、集積回路の普及前で、ディスクリート・トランジスターで回路を組んでいました。
プリント配線基板も線の幅が5mm前後と大きく、どの社内でも容易に作れるものでした。サーミスターは1個1個補正をしながら使用しなければならないことも零細企業が多い理由だとされました。
2. IC時代になるとオペアンブの知識が計測分野の中心技術になりました。
オペアンブが使われるようになってから、自動測定器の量産品が出現し、零細企業は工場の生産工程向け等の特殊品の受注生産が主体になりました。
3. 自動制御コストが本体コストを上回るようになってから仕様が重要になりました。
例えば、産業機械の本体よりも可変速モータ+自動制御回路の方が高価になると、コスト効果・採算計算・省エネ計算が重要になりました。
国際化が叫ばれた1990年代には海外調達のための分析、即ち、鋳鍛造品特に機械のケースと軸、機械単体の完成品、制御用半導体モジュール等に分けて、国産品と輸入品のコスト計算が重要になりました。国の政策としても、従来のように円安が輸出産業に有利だという単純な意見だけでなく、円高の方が輸入部品を使うアセンブリー産業が有利になると言う提案を無視できない状況になってきました。もちろん、国内特に社内工場からは国産品を使ってほしいという要望、あるいは、外国品より15%程度高い程度までコストダウンするから買って欲しいと言われて必死にコストダウンをしているという話を聞くようになりました。そのような価格比較が重要になると課長の白髪が増えると言われます。
産業機械と動力・制御のコストが対等になったとされる1960年代に、私は日立出入りの業者の娘と見合いをしたことがありました。「日立は課長になると、すぐに白髪が増えるので、日立よりはのんびりした会社の人と結婚させたい」という話を聞かされて、度肝を抜かれて、ぽかんとして聞いていたら「あれではいくらなんでもひどすぎる」と断られました。