2003/01/06
財政再建と景気振興
1. 景気振興には長期的展望が必要です。
1990年代の日本の予算では、今年は特別に支出するが、近い未来に緊縮財政に戻ると示唆する政策を繰り返した結果、景気は良くならず、国債発行残高のみが積み重なりました。
いわゆる「ポンプの呼び水」効果を期待するとすれば、「最初は国が助成するが、成長期に入れば民間企業の新規参入が可能になる」ようなシステムを規制緩和と平行して重視しないと波及効果は期待できません。
従来、福祉は経済的波及効果が少ないと言われていましたが、「民間参入を奨励する」という方針が加味されてから、「建設工事と福祉の経済的波及効果は同程度」と言われるようになりました。
マクロ経済では「その年の国家予算増額による同じ年の波及効果を連立方程式で計算」しますが、米国の場合、「移民と卒業時に米国で就職する外国留学生が、就職先が決まれば直ちにクレジット・カードで家具一式を購入する」需要があるので、予算増による一時的景気刺激がタイムラグ無しに需要拡大に結びつくのかも知れません。
2. 経費節減と長期ビジョンを組合わせれば景気振興になります。
長期展望もそれに付随する財源節減を明示しないと現実的にならず、注目もされません。
財政赤字が限界まで来ると、人員整理をする必要があります。公務員の場合、「先生と兵隊」を削減するのが第一歩になると思います。
少子化に合わせて先生を減らすと言うだけでは、「先生でさえ失業する時代だ」という認識が消費ムードを冷やします。しかし、「残った先生はサイレント法、即ち、コンピューターが情報提供の主役で、先生は原則として無言で眺めていて、問題があった場合だけフォローする方式に移行する」と言う長期ビジョンと組合わせれば、教育ソフト開発の意欲を刺激し、その波及効果として景気を良くします。
兵隊についても、「既に正規軍同士の戦争は双方のプラスにならない。EUのように地域ごとにまとまる時代だ。そうは言っても、落ちこぼれが出て、テロやゲリラ戦を行うから、それへの対策を立てろ」という長期的ビジョンを強調すれば、「ゲリラ対策・外交・経済・貿易等の政策研究とそれに合わせた企業行動等」の新需要が出てきます。
間接部門の合理化は人件費比率を明確にしてからスタートしますが、日本の予算は長年にわたって、各省への配分比率が固定されてきたので、重点配分の比率を高めてからでないと、人件費比率を明示しても間接部門の合理化ツールには使えません。
2003/01/13
日本の2003年予算案
1. 2003年予算案では、歳入の44.6%が国債発行に頼っています。
[(日刊工業、2002/12/23)一般会計81兆7800億円(税収51.1%、税外収入4.4%、国債44.6%)
歳出(国債費20.5%、地方交付金21.3%、社会保障23.2%、公共事業9.9%、文教・科学費7.9%、防衛6.1%、その他11.1%)]
歳入の44.6%が国債というのは異常ですが、その半分(20.5%)が過去の返済と利息支払いです。
2. 税制の長期展望についての議論、特に「国際的常識へのすりあわせ」についての議論を一般人が気づくように大きな声ですべきです。
地方交付金が21.3%を占めています。この理由は、日本は個人・法人の所得税への依存度が高く、この所得税は景気に左右されやすいのが特徴です。かつ、首都圏と地方では所得格差も大きいので、国税として徴収してから地方に再配分しています。このシステムは地方の自主性を無くすという批判があります。地方の独立性を高めるには、地域格差が少なく、かつ、景況の影響も少ない税金が必要で、その代表が付加価値税(VAT)です。付加価値税には外形課税(粗利益に課税)と消費税があります。日本経団連は消費税を18%に引揚げることを提唱しました(http://www.sankei.co.jp/news/030101/morning/01kei002.htm、2003/01/01)
専門家の間では個人の課税最低限が外国と比較して高く、それだけ法人課税が重いので、国際水準に合わせることにより外資が上陸しやすいようにするという論議が出されているのですが、それに便乗して個人の扶養家族控除が廃止されたものの、法人にも外形課税が課せられ、大企業にとっては最悪のシナリオになりました。外形課税と消費税はどちらも付加価値税の一種ですが、消費税ならエンドユーザーに転嫁できるのに対して、外形課税は他に転嫁できにくい課税です。
ここは国際的課税形態に合わせるという目標をより強力にPRしてから税制改革を議論しないと、結果は「新規課税による外資の離脱」だけになります。
3. 予算と平行して「インフレターゲットの設定」が問題になっています。
テレビ朝日(2003/01/05 10:00)で、榊原慶応大学教授がインフレターゲットの設定に反対していました。理由は通貨量を増大しても、輸入価格の低下は続くだろう、資産価格も上昇しないだろう、為替レートは二国間の問題であり、円安誘導は米国から反対されるだろうということでした。
以上の説明はもっともですが、日本が米国・東南アジアと協調して、中国に元高に路線転換するように求めることは可能だと思います。中国にとっても、「近い将来、元高になるという期待があれば、外資の導入が促進されます。日本の場合、円高の状況下で多くの企業が欧米に支店を出して、自社ブランド販売による高付加価値経営に移行しました。
[(日刊工業、2003/01/10)大和総研副理事長賀来景英氏:中国脅威論もあるが、将来はともかく、現状は過大評価であり、現在は低賃金労働を武器にしたローテクの国だ。産業別の貿易収支を見ても電機はトントン。部品を輸入し、組立て、加工して輸出する形だからだ]
日本も円安時代には高い特許料と低価格輸出による「利益無き繁忙」を続けていました。
2003/01/20
行政改革の権限
1. 米国では人事を通じて改革を行います。
米国では、政治家は自分の分身としてのブレインを主要ポストに任命するのが改革の第一歩です。政治家の分身ですから、トップの政治家が落選すれば退陣するので、血縁・地縁で選んでも不公平という批判は出てきません。
[(朝日、2002/12/18)「米中枢はゴールドマンが仕切る」、ブッシュ政権は主要経済ポストにゴールドマン・サックス出身者を多く選んでいる]
田中真紀子氏が外相就任時に人事異動を軸に改革をするという米国流の改革を目指しましたが、大臣の人事権が制限されているという日本の事情で失敗しました。
2. 日本では、大臣に業務遂行を許可する権限がありますが、人事権が制限されています。
大臣の基本姿勢が明確なら官僚は事業の承認を得るために、その基本姿勢に従います。
菅直人氏が厚生大臣として「血液からのエイズ感染問題」で強い指揮権を行使したこと、石原慎太郎氏が都知事に就任早々、臨海副都心計画の赤字問題について部下が作成した「計画は地元の要望により実施」という趣旨の文書を「だれが要望したのか明確にしろ」と突き返したことで、部下が「いままでの知事と違う」という認識をしたと聞いています。基本的な長期ビジョンを明示し、それに合致していなければ承認しないと言う程度の能力がないと日本では改革はできないと思います。
3. 攻めに強い人間は守りに弱い点を自覚すべきです。
田中氏は「アーミテージ氏は米国の重要人物ですから、会見をキャンセルしないように」というアドバイスをする人間を発見する前に、人事交代を急ぎすぎたことが「実務軽視」という批判を受けました。さらに、国から秘書への給付金の処理が違法であったことを指摘されて、議員を辞めました。ただし、日本には、「軽微な違法行為は次の選挙で当選すればミソギをしたことになる」という慣例があるので、「ミソギをしてから再出発」をするのは可能です。
2003/01/27
最近の投資信託の運営
1. 主役はインデックス・リンクと先物取引を組合わせた投資信託です。
米国の場合は企業年金等から委託を受けた投資信託が主役とのことですが、これらは各国別の株式・債券の将来性を総合判断して資金を配分した後は、原則として株式指標等にリンクさせた運用をするのが原則です。
例えば日本の場合、銀行・建設・量販店というバブル後遺症を抱えた銘柄でも、インデックス計算に入っている限り、組込み比率を若干少なくする程度で、投資信託に組込まれたままになり、その一方で、自動車・IT等の有望株もインデックス・リンクを乱すほどの大量組込みを押さえる傾向があります。
日本の代表的銘柄の株価とインデックスを比較すると、インデックス・リンクの運用をした場合、松下、NTTの株価下落に代表されるITバブルの崩壊による暴落は免れたはずですが、「株価下落局面には東電のような安定株」という過去の運用方針よりは値下がりしていたはずです。
期日 松下 トヨタ NTT 東電 TOPIX 日経平均
2000/01/21 2735 4520 1640 2655 1,6274 18,878
2001/01/19 2660 3950 890 2525 1,4572 17,436
2002/02/08 1602 3400 390 2520 949 9686
2003/01/10 1204 3140 420 2245 837 8470
2. 日本債券の価格が世界的規模の債券投資信託の運用損の一因になっていると伝えられました。
多くの投資信託が債券の先物取引をしているので、債券だから安定だとは言えなくなっています。特に、世界的規模の投資信託が、「歴史的低金利になっている日本債券特に日本国債が値下がりするはずだ」という見通しで先物取引をしたが、実際は日本国債の価格は安定していたことが欠損の原因として報告されていると伝えられています。
日本の金融機関特に大手銀行は大幅のリストラで経費を削減し、「公共料金の自動振り込みの手数料」と「低金利の日本国債からの金利収入」の2種類の収入だけでも、経常経費のかなりの部分をまかなえる体制になっています。さらに、バブル崩壊の不良債権処理の費用は不良企業より一段階安定している要注意企業への金利を引き上げることで賄うというのが基本的運用になっています。大手銀行の信用力が低下していますが、国債購入に協力していれば、日本の財務省や日銀が緊急時の応援をしてくれるという期待感もあります。
この日本企業の期待感を理解しないと、日本の公社債が低金利なのに安定している点を理解できません。
日本は島国であり、最近まで「収入に基づいて支出を抑える」という安定節約型の生活を基本にしてきました。「国債の金利が低ければ、それに合わせて人件費を節約すればよい」というメンタリティを理解しないと、日本の債券相場を見誤ることになると思います。
2003/02/03
高付加価値経営とリストラ
1. 半導体分野とNC制御分野で日本が快進撃をしていた頃、家電業界はOEM輸出の比率が高く、売上高の割に低付加価値経営だと言われました。
1960年代は日本の家電メーカーが量販店へのOEM輸出に力を入れた時代でした。その後、メーカー名を使った製品販売が可能になり、それだけ付加価値が高まりました。
1990年のバブル崩壊以後の高付加価値製品の例として、外国の有名ブランドのバッグ等が「中古品としての取引価格が高い」ことを理由に人気を呼びました。
その心理に注目して、「米国の自動車は耐久性をセールスポイントにしながら、年式を付けることで買い換えを誘っている」という昔から言われている原理が再認識されています。
1990年以降のリストラで、「コンピューターを敬遠した状態で定年まで勤務できた」という技術者は一応退陣し、「入社以来自動化設計が主な仕事だった」という技術者が主流になりました。これからは、「中古品価値が高い」という設計ができる技術者を充実させるべきだと思います。
2. 1990年以降のリストラで、高付加価値経営の基礎はできました。
特に、建設業界は今後の量的成長は期待できないが、過去の実績をPRできる企業が残っているので、例えば、「能力のある専任現場監督を配置して、少しでも具合が悪ければ厳しく手直しをさせるので、他社より3割高くなります」と堂々と客先に説明できます。
それ以上に、人員を減らして、固定経費を減らしたので、前年度並の売上なら、あるいは、外国に設置した系列企業から配当が入れば、利益を出せるという企業が多くなりました。その観点からすれば、企業数はそれほど減っていないけれども少ない売上でも生き残れるという意味で、国内全体のリストラが進んでいると言えそうです。
しかし、経営計画としては、所属財閥グループからの受注のような従来形態の受注に頼るという前提で合理化を進めている場合が多いので、例えば、羽田空港の新滑走路のように「どんな工法でも良いから低価格のグループに発注する」という形での受注、あるいは、品質を強調した提案型受注に対応した人員を充実すべきだと思います。
2003/02/10
日銀総裁の役割
1. 高利貸しの元締めが理想だと思います。
日本経済にとって金融機関が一番貢献した時期は第二次大戦後でした。第二次大戦中に大部分の企業が資産を喪失して信用力を失いました。戦後、金融機関は信用力のない企業に歩積み・両建て預金で実質金利を高くして貸し付ける一方で、日銀が金融機関にその信用力以上の貸付けをして、オーバーローンの状態を続け、日銀は高利貸しの元締めだと言われた頃です。
現在、主要銀行の経営は送金事務の手数料と国債金利の収入を大きな収益源にしています。もう一度、主要銀行が民間企業に対する高利貸しに戻ることを大きな目標にすべきです。
2. 過去においては日銀の調査能力には定評がありました。
労使紛争が激しかった頃、日銀方式に基づいて計算した付加価値と労働分配率が重要な役割を果たしました。
現在でも、日銀短観が経済の総合指標として、日銀支店長会議の結果が地域経済の指標として使われていますが、日本経済の長期ビジョン作りには不十分だと思います。
GE社の事業部制が「命令は一系統・情報は複数ルート」であることを念頭に、日銀支店長経由の情報収集だけでなく、日銀総裁も地方を回って地方の経営者たちからの公開ヒアリングに参加し、地域再認識の陣頭指揮をとるべきだと思います。ただし、集まる経営者が公共投資依存型企業の経営者ばかりだと言うことにならないように気を付け、「就職困難な大学卒業者が多い地域でソフトウエア産業が育っている」という立場で地域の資源を再認識すべきです。
3. 花が咲く段階での融資を重視すべきです。
米国の大手銀行は個人向け融資とプロジェクトへの融資を重視していると聞いています。芽を出す段階の企業がベンチャー・キャピタルから出資を求めやすい体制作りが重要な課題です。
古木を育てる盆栽では肥料をやりすぎると枯れるが、花を開く段階では大量の肥料を必要とすると原則は経済にも適用できると思います。
4. 金融機関にとって対外投資が成長分野になっています。
対外投資は海外に工場を建設するという形をとることが多く、国内の技術も流出しているのは事実です。しかし、日本の大企業の多くが生き残るために工場を海外に移していることを考えると、「日本にとってもこれらの企業が生き残り、かつ、一部の事業を日本に残すことが特に重要」というのも事実です。
例えば、パソコン通信のniftyの英語グループが作ったパソコン用辞書「英辞郎」には、
[浦頂総合製鉄
【組織名】Posco〔韓国の鉄鋼メーカー。1999年は世界一の粗鋼生産量(2位は新日鉄)。1968年国営として設立(新日鉄が全面的技術支援)。1979年株式会社に。2000年に新日鉄と提携。〕
という文章があります。
新日鉄は浦頂製鉄の設立時に技術を提供したといっても、最新の特殊鋼を除く成熟分野について技術を提供したと聞いています。その後、浦頂製鉄は新日鉄の強力なライバルになり、上述のように1999年には粗鋼生産量で新日鉄を抜きました。
全体として両社は激しく競争はしているが、2000年には提携し、技術面でも、経営面でも交流をしています。
円高環境の中で高付加価値製品を志向するとすれば、「置いてけぼり」は危険であり、新日鉄と浦項総合製鉄のような関係を維持することが重要だと思います。
2003/02/17
消費税とセーフティネット
1. 最近は年金生活者が都心のマンションを購入する例が目立ちます。
子育ても借金返済も終了して、年金だけで生活できるとなれば、預金をマンション購入に回して都心の便利なところに移ろうという心理になります。
日本全体が成熟社会になっているので、この種の心理は重要です。この心理が日本人全体に拡がるには、セーフティ・ネットに相当する最小限の年金・医療費は消費税で賄うという原則を早めに出す必要があるのではないでしょうか。
小泉首相が「消費財導入は、経費節減・行政改革を完了させてから議論する」というのは日本全体の体質改善にとって正しいと思いますが、「セーフティ・ネットは消費税で賄う」という原則は早めに出した方が、「不安な将来に備えて節約して貯蓄を」という流れを弱めるのに役立つと思います。
2. 零細企業の消費税アレルギーは無くなっていると思います。
一般消費者に対しては、セーフネット構築のためということを、誠意をもって説明すれば、理解してもらえると思います。
1989年の消費税施行の時点では、零細企業の強い反対で自民党は選挙で惨敗しました。しかし、現在は変わっていると思います。どのように変わっているかは選挙時に商店街に選挙事務所を開いている市町村議会議員に聞いてみれば情報が集まると思います。
零細小売店の最近の没落は著しいものがあります。一時は免税点以下の売上なのに消費税を加算請求するという"益税"現象が批判されましたが、現在、零細店で消費税の加算を行っている企業はごく僅かです。ただし、これらの"益税利用店"は少数ではあるが、口コミ効果が大きいことは念頭に入れて置く必要があります。従って、現在の免税点を維持している限り、消費税率を上げても、益税利用をしていない零細店は「量販店のハンデが高まるだけ」という反応を示し、益税利用店は増益を期待する状況です。
小売業以外で免税店以下の企業は限定客先から銀行振り込みの入金になっていて、パートタイマー並みの収益で、所得税の源泉徴収さえしていれば、大きな脱税は行えないはずです。
3. 「江戸っ子は宵越しの金を持たない」という消費者行動が江戸を当時の世界一の消費都市にしました。
私はデートの時に、「結婚したら、宵越しの金を持たない家庭を作り、日本経済の振興に貢献しよう」と提案をしました。全てのプロポーズに失敗しました。今年のバレンタインデーにもチョコレートは来ませんでした。
2003/02/24
日本銀行の業務改革
1. 当面の金融政策は現状路線で良いと思います。
ある者は不況に対する景気振興策を無視できないと云い、他の者は波及効果の少ない分野への後ろ向き資金援助を批判し、その論議は十分に出されているので、専門家の多数意見を尊重しながら、若干保守的傾向を維持すれば良いと思います。
2. 中小金融機関の健全な発展を育成すべきです。
大手銀行は送金事務の手数料と国債等の金利に依存できるように体質改善を進めています。一般消費者、特に大都会の住民は公共料金自動振り込みを大手銀行に依頼する傾向があるので、中小金融機関は中小企業を主要取引先にしています。それゆえ、日本経済の再生には、中小金融機関の育成、特に格付けを良くするための指導が必要だと思います。
[(静岡銀行頭取とのインタビュー,エコノミスト,1999/06/08p46-47)バブルの影響が少なかったのは静岡県が首都圏からも関西圏からも離れていたから。伊豆半島などにリゾート開発計画が多くあり、その計画に出資したのもあるが、100万円とか200万円の出資レベルに留まり、事業そのものが具体化したのはほとんどなかったため、億単位の融資を実行することがなかった。
格付けは1988年に取得した。ヨーロッパの銀行は信託も証券もみんな兼業できていて、こうした自由化が間違いなくこれからの大きな流れだと思った。
ロサンゼルスに店を出し、そこで資金調達をしようとしたら、格付けを取れと言われた。取得するためのコンサルティングを受けたら、格付けはコンサバティブなもので、安定的な収益を何によって上げているかと言うことを説明しなければいけない。静岡銀行であれば、いかにリテールに特化して、それによって安定的な収益を上げているか、リスクがあるなら、いかにリスク管理をしているか、と。最初の格付けがS&PがAA−、ムーディーズがAa3で、それは今も変わっていない。経営理念は地域密着と健全経営。当面は債券や株式の有価証券で堅実な運用を努め、先々、県内で資金需要が起きてきたときに貸し渋りをせずに即座に融資できるようにするのが私たちの責務だと思っている。]
地方銀行でも静岡銀行は別格で、他の多くは非常に悪い内容なのは理解しています。私がマンションの会計をしていたとき、大栄信用組合の担当者が以下の説明をしていました。「資金量が小さかったので、バブル期でも大型プロジェクトに融資せず、それによる被害は少なく、個人向け住宅ローンと中小企業の設備投資への融資が主体だった」。その大栄信用組合が倒産したとき、担当者が、私が住んでいるマンションの理事会を訪問して、次の説明をしました。「バブル崩壊後になって、個人向け住宅ローンと中小企業の設備投資の両方が減少した。低利の有価証券への投資による利益では経営できないから、証券運用よりは高い金利で中小企業に運転資金を貸していた。その中小企業の業績が回復すれば、運転資金は回収できたが、不況が長期化して、その運転資金は経営者と従業員の生活費に消えてしまい、監督官庁から不良資産と認定されて信用組合自体が倒産扱いになり、他の信用組合に吸収された」。
経営方針は経営者の責任ではあるものの「いつかは良くなる」という待ちの姿勢を改めて、積極的受注獲得に動くようにという程度のアドバイスをするため、銀行員の経営診断能力を高めるように指導をする必要があります。
3. 経営診断の教育用サンプルを作るべきだと思います。
希望する企業に対して、日銀(本店と支店各1名)と現地金融機関(客先担当者と審査部担当者各1名)が標準化した経営診断用紙を併用した面接を実施して、用紙に記入すると共に、その状況をビデオで撮り、希望企業が修正を希望したら希望通りに修正してから日銀ライブラリーに保存して公開することを検討すべきです。年間数社実施するだけでも、経営指標だけでの判断よりも実態を正確に理解でき、希望企業と地域経済に良いイメージを与えるはずです。
4.運転資金融資の弾力的指針について検討すべきです。
成熟社会になり、かつ、グローバルな経済変動の影響が大きくなると、運転資金への融資に対して、経済情勢に合わせた弾力的指針または警告を出す必要があるかも知れません。運転資金の融資は根抵当の範囲が原則です。でも、中小金融機関の多くが「定期預金の3倍貸す」という両建預金で実質金利を高くして貸しているのが実情です。バブル崩壊後、中小企業のセーフティネットとして信用保証協会の融資枠をゆるめました。しかし、不況が長くなると共に、保証枠外で、両建預金で貸していた融資が返済できない事例が増加しているはずです。
2003/03/03
景気振興と胃腸病
1. 私は景気の状況と人間の疾患を対比させています。
最近の日本で巨額の予算を投与しても、景気低迷が続いている主因は消化不良だと思います。
鈴木宗男氏が北方領土に建設する友好の家を北方領土に隣接した彼の選挙区内の建設会社に発注するように圧力をかけました。この圧力自体は地元の産業振興のために国の予算を使わせるという範囲であれば全ての政治家が行っていることです。しかし、北方領土はロシアが占領しており、鈴木氏の選挙区に位置する中小建設会社では建設できず、選挙区外の大企業に丸投げをし、選挙区内での波及効果はゼロでした。
これと同じ丸投げ現象、および、特定専門企業のみに予算が流れて波及効果が無いこと、建設した箱物の運営技術を持たないこと等の消化不良の症状が日本全域で生じています。
そこで、小泉政権が消化不良の分野に継続的に資金を投与するのを止めさせようとしたのは正しいと思います。
2. 不良債権には消化不良と栄養不足の両面があります。
バブル景気の時代に購入した割高の土地が暴落した後でも「値が戻りさすれば」という期待感があり、未消化のまま10年間放置されました。その点では消化不良であり、これには景気振興予算をつぎ込むのではなく、断食状態で整理すべきだったという点では、小泉政権のとった政策は原則として正しかったと思います。
しかし、一部のデパート・量販店、および、耐久消費財のメーカーが最近の売上不振で再建計画を達成できないという例に対しては、買い控えを解消させる必要があります。
3. 買い控え緩和には、体力増強策が必要です。
運動をしない人に運動をさせるには、「これだけ運動しても、自分の身体に悪影響を生じない」という自信を持たせる必要があります。経済についても「この程度の買物では老後の生活設計に悪影響を与えない」という確信するようにミニマム・セーフティ・ネットを確立する必要があります。
同じ立場で、積極的に「各地に建築された箱物」を見て歩くという「運動」を奨励する必要があります。遊戯施設の集客には話題提供が必要です。それには、建築された箱物の目論見書を見直し、公表することから出発するべきでしょう。
4. 日本経済は「栄養を横取りするガン細胞に支配されているので、いくら予算をつぎ込んでも体力が回復しない」状態だという見方もあります。
ガン細胞を摘出しないと、いくら栄養をつぎ込んでもやせるばかりだという判断は正しいと思いますが、手術後の点滴による栄養補給も必要ですし、ガン細胞とウイルスの治療は単一薬品に頼らず、複合療法に頼るという最近の傾向に注目して、規制緩和、予算、金融政策の組合わせを適切にすべきだと思います。
2003/03/10
成熟産業と成人病
1. バブル崩壊後の10年間を「空白の10年間」という人が多くいます。
バブル崩壊直後に清算した方が被害が少なく済んだはずだという人が多く、そのような人は計画時の予想需要が実現する見込みがないものはガン細胞と見なして、早期発見・早期手術をすべきだと云います。
腫瘍が悪性化するかどうかは体内の抵抗力によると云われます。多くの大企業が政治力、世論操作等による不当な独占を図らない限り、急成長後に悪性腫瘍にはならず、筋肉・器官の一部になっているように思います。それにしても、量販店の急拡大で伝統的流通網が崩壊したとき、消費者の過度の栄養摂取と運動不足の生活を訴求する生活態度が社会に悪性腫瘍を生じると感じました。
2. 巨大企業でも時流に合わせて路線変更をする限り、良性腫瘍で留まるか、器官・組織の一部になります。
量販店の急激な店舗展開が行われたときは、これはガン細胞の異常増殖で、正常な流通体系が崩壊すると云われましたが、流通のグローバル化と商品の低価格品・個性的商品の二極分化の流れになりました。その後、衣料品・家電品・パソコン等の特定客層をターゲット専門店チェーンが量販店の優位性を脅かすようになりました。百貨店や量販店は売り上げ低迷の中で、生鮮食品・総菜品に重点を置いて、マージンを増加させて、小売業でのシェアを下げても生き残れるようにしています。コンピューター分野でも、IBMがメイン・フレームで独占体制を築いた直後にマイクロソフト・ウインドウズ使用のパソコンが急成長し、IBMも危機を迎えましたが、ロータス社を吸収し、ノーツに代表される企業向けパソコン・ソフトを武器にパソコン分野でも安定した位置を確保しました。
3. 多くの成人病が軽症の段階での医療措置が進歩しました。
糖尿病はインシュリン注射前の血糖値・眼圧の検査と管理が充実してきたと云われます。成人病の予防・軽減のために散歩、水中歩行のような軽度の運動をする高年者も多くなりました。
経営も成熟段階での体質改善をするのに参考となる事例が多く報告されています。
2003/03/17
高齢者の消費需要の開拓
1. 日本の企業は2000年に国際標準会計に準拠することが求められていました。その後、段階的に順延されたものの一応実施されました。
改革の中で、退職金の扱いと固定資産の時価評価が景気に重大な影響を与えました。
退職金制度改革を契機に「大企業のエリート社員でも早期退職させられる」という不安から節約して貯金をする傾向を促進しました。さらに、株式の時価評価がグループ内持ち合いの解消を促進しました。
大企業の従業員に特に影響があったのが、退職金の見込額を債務計上するという点で、これがリストラの加速要因になりました。「退職給付債務の開示」は2001年3月期に実施されましたが、その2−3年前から早期退職勧告が多く報告されるようになりました。
2. 1990年代前半と後半で高齢者の就職環境が一変しました。
1990年代前半には大企業退職者が月給20万円で再就職できました。彼らは60歳で再就職し、月20万円で生活し、65歳でも年金を受けず、70歳で割増し年金を受けて安楽な老後を過ごすという人生設計を組立てられました。その人々が70歳で割増し年金を受ける例が今後急増します。この消費を吸収するのが景気回復のポイントになります。
1990年後半になると再就職が極端に困難になり、年金額が生活の基準になりました。
1990年後半に都心の高層マンションの購買層は企業年金を含めて年金の年額400万円超で、かつ、購入資金を預金と旧住宅の処分で調達できる人々でした。
本来、その下の所得層、即ち、家購入をあきらめた所得層が流行品・自動車等の耐久消費財の主力客層になるはずなのですが、大企業の平均的退職者は、「再就職先がない、65歳で年金を受ければ年間200万円だが、70歳から受給を受ければ年額300万円に増額される。それまでの5年間は1000万円の貯金で生活しよう」という生活方針で生活しています。夫婦で年間200万円では、「ときどき居酒屋に行くが、耐久消費財は購入しない」という生活になります。あと1-2年たつと、70歳になって、年額300万円の受給を受ける人が急増するはずで、日本国内のかなりの購買力が生じると期待されます。
3. 上品な男性の長寿化がファッション産業に重要です。
高齢化で、公的養護老人ホームの一応の入所基準は85歳と高くなっています。男性の多くは85歳前に死に絶えるので、入居者の多くは女性です。女性だけだと介護者を手こずらせる者も出てきます。そこへ上品な男性が入居すると女性入居者が身だしなみに気を付け、介護者にとって扱いやすくなると云われています。
この例に基づくと、上品な男性を長生きさせることが、婦人の高齢者ファッションの需要増加にも有効であり、国民経済の振興に役立つと思います。
2003/03/24
独占体制崩壊後の販売促進
独占体制が崩れたときは、まず、技術要員を営業に配置転換して、きめ細かく客先に対する技術指導をするのが原則です。それにより大口客と一般客から技術面の信頼感を得ます。
1. ファナックの事例
第一次石油ショック(1973)までのNC(数値制御)旋盤は従業員30人以上の機械工場で使われ、そのNC装置もコンピューター機能のない装置でした。他社のサーボモーターは整流子モーターでしたが、ファナックは独自の油圧パルスモーターを開発しました。ユーザーは、整流子モーターは故障が多いと信じていて、油圧パルスモーターは強力切削ができ、信頼性も高いということでNCシステムはFANUCの独占状態になりました。
第一次石油ショック以後のNC装置はコンピューター付きに移行しました。コンピューター制御は整流子付きサーボモーターと相性が良いことから、安川電機、三菱電機もシェアを高めることができました。特に旋盤は二次元制御でよいことから、新規参入が容易でした。旋盤メーカーは価格・性能両面からNC装置を選択できるようになりました。
この段階でファナックは外国から整流子付き直流サーボモーターの技術を導入しました。エンドユーザーも「NC旋盤を導入しないと旋盤加工業者として生き残れない」という零細企業が主体となり、電気関係の技術を持たない零細旋盤メーカーが続々とNC旋盤を発売しました。ファナックは過去のノウハウを生かし、これらの零細業者の技術指導に力を入れたと聞いています。次の段階で、マシニングセンター用の三次元制御等の高度制御で先陣を切ることによりトップ企業の位置を守りました。
2. NECのパソコンの事例
MS−DOS時代(1985-1995)にはNECは日本語辞書を記憶したROMを内蔵して、日本語入力を高速化したNEC専用に修正したMS−DOSを採用しました。その結果、大変人気を呼び、16ビット・パソコンの市場で独走しました。しかし、ウインドウズ95が出て、ソフトの独占が破れました。
[(日刊工業、1995年11月24日)秋葉原でのウインドウズ95発売、メーカーもNECが200人、東芝は100人の販売促進要員を秋葉原に投入し続ける。
最新パソコンはソフトを組み込んだオールインワンが主流。NECは10万台を用意。日本IBMは2万台。コンパックは売れ残りを怖れ「お付き合い程度」]]
次のウインドウズ98に移行した段階で、マザーボードに音声・通信・外部メモリー等の拡張基板を接続するためのバス規格として、NECは最先端の規格ではあるが、従来規格の拡張基板を使えない新規格を採用したNXシリーズを他社に先駆けて発表しました。
[(日刊工業 1997/09/15)NECはマイクロソフトとインテルが提唱しているPC98を採用した新機種(NXシリーズ)を年内に投入する。PC98規格はNEC98シリーズともDOS/Vとも互換性が無く、ウインドウズ95のソフトは使えるが、DOS系のソフトは使えないので、NEC98シリーズにもウインドウズ98を搭載して並売する。]
[(ASAHIパソコンNo.235、1999/01/01、p30) NXシリーズはスロットをPCIだけにし、キーボードやマウスをUSB接続にして立上りは不安視されたが、互換機用ソフトの動作確認等で受け入れられた。]
この後、日本のパソコン市場でNECと富士通がトップを争う状態が続きました。
3. IBMのパソコン
1980年代にIBMがメイン・フレームで独走していたものの、今後はパソコンを無視できないという段階で、MS−DOSをOSとして採用したパソコンを発売しました。当時はアップルがビジカルクという表計算ソフトと組合わせることで大ヒットしていたので、使用できるソフトウエアが充実していないと市場で相手にされないことがはっきりしていました。それで、IBMはマイクロソフトがMS−DOS用開発ツールを第三者に提供するのを黙認しました。結果として、ワードパーフェクトのワープロ・ソフト、ロータスの表計算ソフト(ロータス123)、アシュトンテイトのデータベース・ソフト(d−Base)が市場に提供されました。それらのソフトの人気もあって、IBMパソコンおよびその互換パソコンがアップルを圧倒しましたものの、IBMはIBM互換機との競合に悩まされました。その後、IBMはロータスを買収し、企業内のメールとスケジュール管理に使えるソフト:ロータス・ノーツを互換機との差別化ツールとして活用しました。
ロータス・ノーツはセキュリティ機能が充実したビジネス・ソフトとして有名で、それだけ導入時の技術指導に多量の人員を必要としていました。
(日刊工業、1997/08/20)前田建設は700カ所の作業所、営業所を接続。ノーツはセキュリティが高いが、接続の自由度はイントラネットほど高くない。本支店はノーツ、現場はイントラネット。ノーツの電子稟議システムを導入して2年になるが、決済が2週間から5日に短縮。決済に3日参加しないと権利を失う(課長の承認印が無くても部長が承認できる)。単に購入品を買うか買わないかの判断よりも、仕事をとるかどうかの判断を重視し、判断が速くなった。場合によっては内容が大雑把でも早い方がよい」。]
セキュリティ機能のため、ノーツ内の文章をテキストファイルとしてコピーして下請け企業のパソコンに貼付けるということが困難だったので、例えば、下請けが工事中にクライアントから受けた追加受注の相談の入力・修正・伝送・取り消しをするのが面倒で、建設現場では使えなかったと聞いています。
2003/03/31
開業のチャンスと富・技術の偏在
1. 中小企業の多くは「受注の見通しがたった時点」又は「技術習得時点」で開業しています。
最もめざましい開業の例は初期コンピューター・半導体産業でのフェアチャイルド(米国)および理経(日本)からの独立開業でした。
[(「続日米半導体戦争」瀬見洋、日刊工業新聞社、1980年)(p200)米国半導体工業会のディナー・パーティで、仏資本に買収されたフェアチャイルドの会長で、退任するコリガンがボンソワールとフランス語で挨拶し、「少しお疲れでしょうから、嘗てフェアチャイルド社で働いた経験のある人や現在働いている人は立ってノビをしたら・・・」と笑いかけた。驚くなかれ、四分の三の出席者が椅子をがたがた言わせて立ち上がり、背を後ろにそらして気分転換に応じた]
日本の場合、8ビット・パソコンが実用化される段階で多くのベンチャー企業が生まれましたが、その中に理経出身者がかなり多かったと聞いています。理経は「米国製ミニコン本体を輸入し、それに各社の端末機器を取付けるためのソフトウエアを作成して、システムとして一式で販売する」という商売をしていました。その技術が8ビット・パソコンに流用できるという段階で、かなりのスピン・オフを生じたと聞いています。
2. 貧富の差を認めると経済に活気が出ると言います。
上記の初期のコンピューター・半導体産業のサクセス・ストリーを見ると、実際は資金の偏在よりも技術の偏在の方が重要で、かつ、修行によりノウハウを習得できる分野を発見することが重要だと考えています。
事業化の見通しが立てば、バックアップしてくれる出資者は出てくると考えています。
逆に、カネだけもっていても、フランチャイジーのように技術習得にカネを使わない限り、ベンチャー企業として開業するのは困難だと考えています。
もちろん、「金持ちになりたいという夢」が起業家育成に重要ポイントであることはいうまでもありません。さらに、成長期にはいると、大規模投資のための資本調達が必要になります。
3. 無料奉仕も重要です。
私は大企業に入社して、5年目で中小企業診断士の資格を取り、中小企業診断士の業界団体に入り、見学会や広報活動の無料奉仕を5年間勤めてから開業しました。
結果として開業早々から、大企業10年、診断士業務の情報収集5年の経験を生かせたので、「都市再開発の計画・指導の分野なら通常ビジネスの情報を集めていないコンサルタントでもメシが食える」と思い詰めていて、地道な実務の経験が少ない同業者に警戒されました。
米国の大学では文科系まで含めて、企業実務に関する無料インターンを重視していて、それが米国留学の魅力になっていると聞いています。
2003/04/07
のれん分け型開業
1. のれん分け型を選択する人は小資本・労働集約型を夢見る人が多いようです。
この場合は、伝統的なデッチ奉公で技術を身につけて開業する場合が多くなります。
その場合、開業時によほどの例外的事情を除いて、勤務先から顧客を分けてもらうことは、まず期待できません。
2. 旧設備を払い下げてもらって、旧勤務先の下請けになる例は昔から多かったし、今後も期待できると思います。
旧勤務先が新鋭設備を導入したが、新鋭設備を高稼働率で運転するには、取り扱いを大ロット品に絞る必要があり、手間のかかる小ロット品を旧設備で加工します。その小ロット品のコストダウンを図るため、熟練工を独立させて、かつ、旧設備を払い下げて、省経費経営をさせて、発注するという例は良く聞きます。
3. 日本そば店のノレン会では一定期間まじめに勤めた勤務者にノレン会が保証人になって開業資金の融資を斡旋した例がありました。
この頃(1970年代)は高度成長期で、他の飲食店は従業員集めで苦労していましたが、多くの日本そば店には、「給料がいらないから勤めさせてくれ」という希望者が殺到したという例を聞いていますが、ノレン会の会員店がいない立地に出店することが条件になっていました。1970年代が東京都の郊外の人口が急増し、新開地で開店しやすい時代であったが、その後は開店の条件が厳しくなっていると聞いています。
2003/04/14
開業資金
1. 私見として、「開業時の中核設備の代金が大企業での熟練工の退職金の3倍という頃が、新規開拓が容易で、発展性がある」と考えています。
このような発想をした根拠は旋盤加工と下請け企業の関係でした。
2.1970年頃、自動車産業の一次下請けがNC旋盤を導入したことが話題になっていました。
初期の油圧パルス・モーターを使ったNC旋盤が大企業である程度普及して、売価も2500万円で安定した段階で、自動車会社がターレット旋盤を扱う下請け加工業者の中から選んで、NC旋盤を導入させていました。当時の大企業の定年時退職金は200万円前後でしたから、NC旋盤はその10倍以上であり、有力下請け企業から選んで導入させる段階であり、開業時に導入する設備ではありませんでした。加工内容も自動車用トランスミッション歯車の歯切り前の円筒形素材(ブランク)の加工に代表される量産品に限られていて、開業したばかりの企業が受注できる内容ではありませんでした。
当時のNC旋盤は高価で高い投資回収には稼働率を必要とするので、安価なターレット旋盤とは共存できると考えられていました。
一次下請け企業は熟練工を二次下請けとして独立させ、高額なNC旋盤への投資回収には不適な加工、即ち、小ロット品を外注しました。独立した二次下請け業者は退職金の3倍(500-600万円)の価格のターレット旋盤を月賦購入していました。
もちろん、退職金と同額程度の貯金をしていて、それは運転資金に使われました。
2003/04/21
零細企業とNC旋盤
1. 中核設備が大企業の熟練工が受取る定年時の退職金の3倍であれば、「手持ち資金+月賦」で開業資金を調達できます。
「中核設備が大企業の熟練工が定年時に受取る退職金の3倍で購入できる」といっても、開業するのは30歳台が主体で、「手持ち資金+月賦」で開業していました。大企業を定年退職した者には、独立開業という冒険に挑む者は僅かでした。
しかし、「大企業の熟練工が定年時に受取る退職金の3倍」の金額なら、個人が月賦等で設備を購入できる限界と考えられ、それ以上の高額設備なら減価償却コストを見積書の加工賃に加算できるが、それ以下の定額設備はコスト節減型企業が使う設備とされ、競合企業も多くなり、加工賃に減価償却コストを加算することが困難でした。
2. 1775年頃に零細企業がNC旋盤を積極的に導入しました。
1975年頃にコンピュータ付きNC旋盤が1500万円で入手できるようになり、大企業の定年時退職金は500万円になっていました。コンピュータ付きということで、建設機械・油圧機器の部品・石油探鉱用ボーリング・パイプのねじ切り等に代表される加工期間が1日半または加工数が500個の中量加工品を扱えるようになりました。受注範囲が多様になったので、かつ、旧設備を持つ企業と比較したら、まだまだ、NC旋盤を導入した企業も多くなかったので、開業した企業でも「NC旋盤で高精度・短納期で加工します」というセールス・ポイントを強調することで受注できました。
3. 1980年代初期に最後の導入ブームがありました。
NC旋盤の価格も低下したのですが、「NC旋盤を導入しないと生き残れない」という零細企業が導入するようになり、「NC旋盤で加工します」というだけでは、セールス・ポイントとして使えなくなりました。
さらに、NC旋盤による高コスト/省力化の加工に適さない分野も明白になってきました。例えば、鍛造品や溶接部品の黒皮削りのように、刃物が頻繁に欠ける加工は、自動化になじまないと、NC装置の付かない旧式旋盤で加工していました。
2003/04/28
キャデラックと高付加価値経営
1. GM社では大衆車にシボレー、高級車にキャデラックのブランドが付いています。
[(「晴れた日にGMが見える」1980年、J.Pライト著、ダイアモンド社P279)私が在職していた頃のことだが、シボレー・カプリスとそれより大型のキャデラック・ドゥビルは、製造原価が僅か3-400ドルしか違っていないのに、小売価格は3800ドルも違っている]
大衆車のシボレーの販売台数に対して、高級車のキャデラックの販売台数は桁違いに少ないというのが常識です。
上記の製造原価に公害防止等の基礎技術部門の人件費が含まれているのかどうか不明ですが、高級車であるため装飾品等の部品が多くなります。この部品コスト自体は製造コストに入っているはずですが、その部品数が多くなり、その部品について、消費者が「アーでもない、コーでもない」と選択したり、手直しさせるという要求に応じる管理コストが高くなることは事実です。
2. 高級品はアフターサービス・コストが大きくなります。
高級品は固定客が長期間使用するのが前提になります。
それだけに「使い捨て型の大衆車」とはアフターサービスのコストに大きな差を生じます。
3. 販売部門のコストは非常に高くなります。
高級車は売り込み期間が長くかかり、固定客対策も必要ということで、販売部門のコストも高くなります。
4. 付加価値に占める人件費比率を一定に管理するという原則は重要です。
量産車部門も、高級車部門も工場出荷価格に基づいて計算した付加価値(=売上げ−原材料・外注費)に占める人件費が一定になるように管理するのが原則です。
しかし、例えば、GM社の場合も、各事業部の金型は社内の金型事業部から購入することになっていて、かつ、この社内金型事業部の間接経費配分がどうなっているかの問題は考慮する必要があります。間接部門の配分は販売台数比例のような簡易方式で行われていることが多いからです。それにしても、上記の文献はGMが製造コスト販売・管理コストを明確に分けていることを示していると思います。
2003/05/05
技術革新と失業率
1. 過去の歴史では、経済の成長局面で人手不足になりました。
特に、経済が成長し、かつ、技術革新と開発が活発な時期に人手不足になり、成長力が鈍化すると失業が深刻になること、および、単なる失業対策的な雇用政策は反動が大きいことを過去の歴史は教えています。
2. 1080年代に米国が規制緩和により空前の好況を示したものの失業率がなかなか低下しなかった点が指摘されています。
世界的に見ると、インドに代表される英語圏にソフト製作が発注され、英語圏全体としての失業率は低下しているのですが、米国だけを見ると失業率が、特に、インテリの失業率が低下していないことを認めなければなりません。その結果、英語圏が拡大し、米国人のインテリにとってグローバルなビジネス・チャンスが増加しました。
3. 日本の場合、高齢の技術者は営業分野で「技術説明」「仕様打ち合わせ」等を担当しています。
ハードウエアの技術天国といわれる日本でも、装置設計業務の主体は制御機能の設計とプラスチック容器の外観設計に絞られ、伝統的な強度計算や機構設計にかける時間は大幅に減少しています。
結果として、コンピュータを使った設計技術に不慣れな高齢設計マンは営業分野で「仕様打ち合わせ」等を引き受けています。そのため、「営業は不適」とアピールする高齢者の就職先は制限されています。
その点から、米国でインテリの失業率が高いという現象を見た場合、例えば、「ウインドウズはMS-DOSの発展型だから使わざるを得ない」というような独占的規格を強制する形の技術発展であるために、「技術説明を必要とする営業分野」の拡大が不十分なのではないかと考えています。
4. 特に文科系のインテリには「資格がないと就職に不利」という認識があります。
大企業の人事課にも、あるいは、人材派遣会社の採用担当者にも「資格保持者を最低基準にすれば、まったく使い物にならない者をふるい落とせる」という認識があることは事実です。
その一方で、職業独占的な資格を作ると、後の技術革新にとって障害になるという批判があります。技術革新の重要な目標が省力化と作業の単純化だからです。さらに、制度を実施した時点で従来の職歴を認められた者が横滑りで有利な客先を確保するが、後から資格を取った者は「資格のある者は使いにくいから最小限の人材しか採用しない」「資格のある者は理論を知っているが、簡単な実務に弱い」という扱いを受けるという面があります。
非独占的資格あるいは「最低実務を実施できることを証明する資格」は必要だと思います。
特にセールスで使える基礎的技術の知識を持っていることの証明は労働力の流動化に有用です。
そのような実務力を試す試験については、「試験場にどんな資料を持ち込んでも良いから、正しい回答を作成せよ」という形にし、記憶力を試す試験については、「1000題程度の質問を事前に公表して、そのうちのどれを出題するかは試験直前に決める」という形にすべきだと思います。
2003/05/12
筆記試験用紙の印刷
1. 筆記試験用紙の印刷は「信用できる企業」の選定がポイントでした。
試験用紙印刷のために、他の印刷業務を半日休めることが発注先の条件でした。当然、従業員5人程度の小規模印刷業者が選ばれました。数日前に「*月*日の午後を空けて欲しい」と依頼が来ました。
2. 印刷業務は試験官が監督して行われました。
原稿を持参した試験官が印刷所に到着し、印刷の全工程を試験官立ち会いの下で行いました。最後に、試験官が製品(試験用紙)だけでなく、欠陥印刷物まで一切を回収して帰っていくという形で、秘密が守られました。
2003/05/19
大町中学校と計画学習
1. 新潟県上越市の大町中学校は第二次大戦直後から12年間続きました。
その後、学区は城北中学校に含められ、校舎は大町小学校が使用しました。その校舎が改築されると言うことで、2003/04/06に旧教職員の呼びかけで、大町中学を偲ぶ会が開かれ、12年間*6組*5〜10人=400人が集まりました。
2. 教職員には阿部校長と計画学習を懐かしむ気持ちが強く感じられました。
大町中学校が発足した頃は敗戦直後で旧軍人や軍事関連の教育者が大量に失業していた時代でした。その中で阿部校長に採用してもらえたという感謝の気持ちがあり、かつ、軍事的教育システムから急に民主主義教育への転換を求められたものの「民主主義とは自由放任ではないはずだ」という抵抗感が強く、多くの教職員が阿部校長の「計画学習」の理念に強く共鳴しました。
計画学習といっても、生徒の自主的学習は少なく、学生に計画表を作成させることにより学習目的を認識させるという作業が追加されただけでした。
教職員の支持が非常に強かっただけに、卒業生も強く支持するだろうと期待して、阿部校長は退職後、新潟県の教育委員と市長の選挙に立候補したが共に落選し、大町中学校の卒業生の支持が期待ほどで無かったことが示されました。
3. 高校進学後の英語力が劣っていました。
式典の後のパーティで、私が隣の人に「計画学習というのがあったね」と話しかけると、「英語の先生が計画学習だからと授業ペースを落としたから附属中学(新潟大学教育学部附属中学)の卒業生と英語力で大差が付き、高校で非常に苦労した」という憤りの反応が返ってきました。
私も高校時代に附属中学出身者との英語力の差を痛感し、附属中学の卒業生に学習システムを聞いたことがありました。彼は「卒業直前に英文法の補修学習があった」と答えました。
卒業直前に大町中学校は高校進学者の補習授業を行っていました。しかし、県立高校の受験科目には英語が無く、補習授業では英語を除外していました。当時は戦時中の英語教育禁止の影響で英語の先生の実力差が大きかったため、新潟県教育委員会は英語を試験科目から外したと言われていました。
高校受験の補習教育の結果、私が属していた3年6組の高校進学希望者は全員合格しました、担当の吉田一郎先生は「全員合格したときはうれしくて、合格者全員を集めて万歳三唱をしようとしたが、経済的に進学できなかった者の気持ちを考えて中止した」と私に話してくれました。
補習教育の違いから英語力に差がついたと思われ、かつ、高校では英語は質疑応答形式で進められたが、他の科目はヒアリング・オンリーですむので、新入生は英語の実力差のみを痛感しました。しかし、その原因を附属中学卒業生から直接聞いたという者は私を除いて皆無に近く、「計画学習のために実力差が生じた」という誤解が生じました。
彼らはK先生のような熱血先生が退職していなければ英語の実力差が付かなかったと信じていました。K先生は私が3年生になった直後の5月に生徒を殴打したことで退職していました。K先生の授業を受けたグループは熱烈にK先生を支持したのに対して、他のグループは「熱血先生というのは実社会では使い物にならない人間だ」という認識を持っていて、リーダーは同窓会実施の際にその対立が表面化しないように気をつけていたと聞いています。
2003.05.26
発展途上国の導入技術の水準
1. 多くの発展途上国が過大債務に苦しんでいます。
全般的には「使いこなせない技術を導入したから過大債務に苦しんでいる」という批判があることは事実です。
第二次世界大戦前の日本も軍事・民事の技術導入による過大な債務に苦しみ、導入設備の稼働率を高めるために、無理に市場拡大を図り、貿易摩擦を生じ、それが戦争の一因になっていました。
2. 多くの中進国がマイカー元年を迎えようとしています。
日本でマイカー元年(1966年)に達したとして、サニーやカローラのような大衆車が発売された頃、「欧米先進国で大衆車が爆発的に売れたのは、その価格が1人当たりの国民所得(海外出稼ぎ者の送金を除けば国民総生産とほぼ同じ)の1.4倍になったとき」という基準(「開発ナンバー179A」碇義朗、文芸春秋社、1983年、p119)が重視されました。
その当時の日本は、1962年88%貿易自由化、1964年東京オリンピック、1966年第一回赤字国債発行という事項に示されるように、閉鎖経済から開放経済に移行すると共に、国内景気の刺激に努めていました。
3. マイカー元年以前の発展途上国は敗戦直後の日本に似ていると言われますが、状況に若干の違いがあると思います。
第二大戦中に日本はほぼ全ての必要技術を国産化したものの戦勝国との技術格差を痛感させられました。そこで、技術導入により技術格差を埋めようとしましたが、技術購入用の外貨が無く、かつ、優れた技術は販売先を国内に限定しないと導入できないという契約内容が多く、輸出で外貨を稼いで返済することもできないという中で、日本政府は「中小企業製品の輸出で稼いだ外貨で支払える範囲内での技術導入」を認めました。
その結果、設計者は公表されている外国文献を頼りに国産技術の発展を図っていました。
2003/06/02
1960年前後の日本の技術
1. 1966年は日本のマイカー元年とされています。
1959年に対米輸出適格車第一号というキャッチフレーズでダットサン・ブルーバード310型が発表されました。その頃の日本の企業では、少数の大企業と中堅会計事務所が外国製会計機を輸入して、伝票会計の最終処理としての一覧表作成に使っていました(例えば、「実務・機械計算」(河部守弘、産学社、1967年)によると、東京計器製造所(株)が導入したのは1956年)。
しかし、多くの企業は帳簿の手書きをしていて、そろばんで集計していました。「そろばんは会計機と比較して、計算速度と柔軟性では負けない」という認識がありましたが、それは製造部門でも強く残っていました。
2. 1960年前後に加工精度が一段階向上しました。
機械部品の分野でも、1960年前後に、多く産業機械が固定フレームに回転軸を取り付けるのに円筒形の砲金製軸受けからボール・ベアリングに移行していました。多くの産業機械が800回転即ち4極誘導電動機の回転数の半分に減速して使用していたのを小型化、高速化のためにモーター直結にしました。800回転であれば1/20mmの加工精度で製作した円筒形軸受けで良く、計測器は「ノギス」で間に合いましたが、4極誘導電動機に直結して、かつ、ボール・ベアリングを用いる場合、その取付穴の加工精度は1/50mmの加工精度を必要とし、マイクロメーターで測定する必要がありました。
当時の専門雑誌「機械技術」にノギスしか所有していない中小企業がボール・ベアリング取付時にトラブルが多発し、マイクロメーターを購入した結果、トラブル発生が防止できたという体験談が掲載されたのを記憶しています。
3. 発展途上国は旧式部品を自社製造するよりも、新式部品を輸入した方が経済的だという状況にあります。
例えば、砲金製の円筒形軸受けを社内で加工するよりも、外国製ボール・ベアリングを輸入した方が発展途上国のような人件費の安い国でもコストダウンになるはずです。
ただし、過去の日本でも経験していたことですが、「計算上は輸入品を用いる方が安価になるのだが、通産省が外貨不足を理由に許可してくれないから高価で低品質の部品を使っている」という事情は体験するはずです。
2003/06/09
領収書のない支出の措置
1. 少額なら、(そして、人件費関連でなければ)その支払い伝票等の証票類を担当者が遅滞なく作成し、上司・会計係が承認してあれば、税務署員も認めてくれる場合があります。
そのために、社内に主張報告書や支払伝票等の状況証拠を用意する必要があります。しかし状況証拠があっても、領収書がない費用が巨額になると税務調査で否認される傾向が高くなると言われています。
特に「隠し給与」と見なされやすい支出項目は否認される確率が高いとされます。
2. 出張などでは領収書が無い場合が多くなります。
例えば、出張先から日報報告をするために、切手を自動販売機で購入し、領収書が無い支出として支払伝票に記入し、担当者印、担当課長印を押し、会計係に提出すると、その担当者が立て替えた金額を会計係が支払うということが慣習的に行われています。これは、税務署が少額だからと好意的に判断している場合と考えられます。
3. 領収書のない支出の代表的項目は交通・出張費です。
外回り交通費の場合、支払伝票の他に状況証拠として業務日誌等に行き先を記入する等の対策が望ましいとされています。
2003/06/16
「隠し人件費」と見なされた事例
1. 所得税は国にとって重要な財源です。
所得税は国税の重要な柱になっているので、所得税の脱税行為と疑われやすい支出項目は厳しく査定されます。
2. パートタイマー・学生アルバイトへの給与の処理は注意が必要です。
例えば、週2-3回の学生アルバイトに払った日給を担当者が支払伝票に記入する形で処理されて、受取人の領収印が無く、かつ、所得税の源泉徴収も行っていない場合、その支出は否認される可能性が非常に高いとされています。
学生アルバイトへの支出が毎日数千円計上され、毎月の合計額が数万円でも、年間数十万、数年間で数百万円になるが、領収書も源泉徴収もなく、やってきた学生アルバイトも友人グループが交代で来ていて、名前は判るが、住所は判らず、追跡のしようがないという状態が問題になり、数年分の支出が否認され、その分が企業の利益と認定され、数百万円の重加算税と法人税が課税され、重大な危機を経験した例を聞いています。
3. 福利厚生費の認定には若干の裁量幅があるように聞いています。
源泉徴収される所得税に関連して問題になりやすいのが過大な福利厚生費で、これが現物給与と見なされることがあります。この場合は領収書があるので、福利厚生費として処理したことが妥当かどうかの解釈上の問題になります。従って、故意の脱税ではないと判断されることが多く、否認された場合でも重加算税は課せられず、修正申告だけで済む場合が多いとされています。
ある企業で、残業時の夜食がデラックスすぎると言われ、「これだけ利益があり、それに見合った所得税と法人税を払っているのだから認めて欲しい」と言ったら、認めてくれたという話を聞いたことがあり、多少の裁量幅があるようです。
2003/06/23
税務調査での売上認定
1. 顧客にレシートを渡さない店のレジ記録は否認されることがあります。
顧客にレシートを渡し、そのレシート記録が残っている企業なら、その記録がある程度信用されますが、そのような記録がない場合で、例えば、青果市場での仕入額に青果業界平均の利益幅を加算した金額を売上として査定される場合がありました。
その場合でも、在庫調査が正確に行われていれば、大きなトラブルは無いのですが、青果店のように売れ残りは短期間で廃棄処分にする場合、売上不振店ほど過大な売上修正を求められることがありました。
2. 高額品は値引きの記録を正確に計上します。
宝石のような高額品および生産財は多くの場合掛売になるので金銭登録機に入力せず、1点ごとの販売を売上帳や伝票に記録します。その値引きについては、赤伝票等に記録して、正確に集計できるようにする必要があります。
3. 青色申告前には仕入額からの売上推定が主流でした。
通産大臣が「中小企業の1人や2人自殺しても」(1950/3/2の国会答弁)と発言した頃、零細小売店の帳簿は不完全であり、かつ、地元問屋からの掛け買いの仕入が主体だったので調査しやすいということで、問屋の帳簿から仕入額を調査され、基準マージンを乗じて売上げを査定された企業が多かったと聞いています。青色申告(1950)の定着で、売上と値引き、在庫ロスの関係を税務署員も認識してくれるようになりました。
2003/06/30
領収書の重要性
1. 大半の不正は領収書管理が不十分なことから生じます。
イラン革命(1978)の重要な発火点になったのは、「地震被害の救援物質が途中でネコババされている」という不正の情報でした。事務管理の指導をしない援助は逆効果になることがあります。
2. 受入れ検査の主要業務は個数確認です。
品質欠陥は欠陥のある現物が証拠として使えるので、後で苦情を言えますが、個数の不足は受取段階で納入者と受取人の間で確認しないと証拠が残りません。
3. 支店を出して、従業員を店長にして、店の運営を任せるときは顧客にレシートを渡すことを徹底させます。
現金販売の場合、現金を受け取った従業員がレジに数字を入力すると共に顧客にレシートを渡せば、その従業員は不正をしにくくなります。
4. 長期取引の下請企業やパートタイマーへの現金支払いでは印紙税節約のため、判取り帳に捺印させるのが一般的慣習でした。
1980年頃まで、内職、パートタイマー、少額外注加工業者への現金支払いに一冊の判取り帳に並列的に日時、金額、住所、氏名、捺印をさせていました。判取り帳には1年分4000円の収入印紙を貼れば良いので、通常の領収書で1枚ごとに収入印紙を貼る場合よりも大幅な節税になるということでした。
5. 給与、下請企業への支払いを銀行振込で行うようになってから領収書が不要になりました。
1980年頃から、中小企業でも給与や下請企業への支払いが銀行振込になり、領収書を必要としなくなりました。
2003/07/07
給与と領収書
1. 多くの場合、源泉徴収をし、かつ、帳簿に記録してあれば、給与の領収書が無くても税務署は苦情を言いませんでした。
給与支払いの際に10%の源泉徴収をして、それを税務署に納めてあれば、通常の給与支払いについて領収書が無くても給与台帳で残業時間等の明細を確認できれば、問題ありませんでした。
1980年以降、銀行振込が一般化したことで、領収書が不要になりました。
2. 脱サラの経営者は勤務時代の経験で、給与支払いには領収書が不要だと思いこんで失敗することがありました。
特に、パートタイマー等への支払いは銀行振込にするか、源泉徴収するか、領収書を取るようにすることが重要です。
会社を退職して問屋として開業した者が、銀行から借入をするには「問屋の運転資金は月商の2倍以内、ただし、現金取引なら月商以内というのが一応の基準で、赤字経営では余程の事情がないと貸してもらえない」ということを聞いて、売上げを水増しし、かつ、黒字決算に見せるため、年商1億円、法人税15000円、社長の所得税15000円という決算書を作成して申告しました。
税務署の担当者は前年の売上5000万円が倍増しているのに、利益は不変で、かつ、非常に少ないというのはおかしいと税務調査を行いました。調査すれば、内情は火の車で預金の食いつぶしで生活していて、売上は、同一口座内で売上と返品を同額ずつ架空計上して水増ししたらしいことは推定できました。
しかし、税務署は税金を徴収するところで、銀行に粉飾決算だと密告する役目ではないので、売上の架空計上については文句を付けず、数年間の発送業務に使った学生アルバイトへの支払いに領収書がないことを指摘して、人件費支出を否認し、修正申告するように通知したが、修正申告をしないので、重加算税と法人税を300万円課税されて、倒産したという話を聞いています。
2003/07/14
飲食店と価格計算、接待費
1. 伝統的寿司店は数段階の価格設定になっていました。
伝統的な寿司店はタネの種類により単価が違いますが、通常、それを3−4段階の価格に統一して、(500円×6個)+(300円×6個)+(200円×2個)=5200円という計算をしていました。
回転寿司では、この価格ランクを皿の種類で明示し、500円の皿が6枚あるから3000円という計算を顧客が行えるようにしました。
2. 1980年代の円高対策としての経営合理化で、大企業の機密費もかなりガラス張りになり、高級クラブでの接待は毎月の請求書に以下のような明細書を付けて出すように求められたという話を聞いています。
(年月日)
事項 数量 単価 金額
ビール
酒
カクテル
付き出し
指名料
サービス料
合計
税金
(立て替え)
たばこ
車
ご署名
3. 大企業の交際費は全額が利益に参入され、課税対象になりました。
日立デジタル平凡社「世界大百科事典」1999の「交際費」の項、及び、http://www.n-office.gr.jp/geppo14_5.htmによると、
交際費の損金算入限度は、1982年に期末資本金1000万円以下の企業が400万円、1000万円超5000万円以下の企業では300万円、2002年に期末資本金5000万円以下の全企業が400万円になりました。ただし、限度以下の金額でも20%は損金不算入です。それ以上の資本金の企業の交際費は全額損金不算入になっています。
2003/07/21
日本企業の派閥抗争
1. 責任を明確にしないことで派閥抗争が隠れ蓑になることがあります。
日本ではドライな人事をしないので失敗の責任者が居座り、派閥抗争を強調して失敗の責任をカムフラージュすることがあります。
結果として、失敗が派閥抗争の引き金になっている例が多く見られます。
2. チェーン展開をすると在庫管理で問題を生じやすくなります。
ある婦人靴チェーンの仕入れ担当専務が外部のコンサルタントを呼んで、「チェーン店が7店あるが、その店長が私の方針に従わない。社長の頭が固く、経理担当重役も高齢だ。仕入部長は私の言うことを理解しているし、納入業者も時代の流れは専務の言う方向になっていると言ってくれている。それなのに、若くて時代の流れに鋭敏に反応すべき店長が経理担当重役に気兼ねをして、在庫品の安売り処分に力を入れている。私は彼らに対して高級店イメージを維持するためシーズン中の安売りを制限するように言っている。高級店である以上、多少の在庫は仕方がないので、売残り品は来シーズンまでストックして、シーズン初めに目玉商品に使うように指示しているのに同調しない。そこで各店を回って販売指導をしてもらいたい」と頼みました。
当然、この話からは専務は非主流派だと言うことになるし、社長派と専務派の派閥抗争があると聞かされたのでは、さらに、専務が過剰在庫について、出店による不動産費用と比較すれば資金負担の主因ではなく、出店の決断をしたのは社長であり、その不動産費用をまかなう利益を出すには多少の過剰在庫は仕方がないと強調するので、外部コンサルタントは社長と専務の対立に巻き込まれるのを怖れて、あのチェーン組織の問題点は派閥対立と人事管理だからと人事管理のコンサルタントを紹介しました。
3. 仕入れ管理をのぞけば専務の主張は正しいと思います。
シーズン始めに前年の在庫を処分してその販売状況から流行の流れを知るというのは量販店の定石であり、シーズン中の頻繁な安売りは店格を低くすると言うのも正しいと思います。結果として、在庫管理を改善して、過大な在庫量が資金繰りに悪影響を与えないようにすれば、理想の経営になると思います。
在庫管理の改善には仕入れの基本システムを出発点として理想な形を探る必要があります。基本システムとはコスト効果を強調できる実用品は本部仕入れが主体ですが、多種少量の流行品は各店が手配して本部が集中決済をするということです。この原則から外れる場合は十分な検討が必要です。
2003/07/28
売残り品のたらい回し
1. 社長が在庫を重視しすぎると店舗間のたらい回しが多くなります。
デパートに出店している靴チェーンの社長が在庫による資金負担の主因は各店の売残り品を来年までストックしていることだと判断して、売残り品をシーズンの移動に合わせて、春は名古屋支店→横浜支店→仙台支店とたらい回しをし、秋は逆にするという話を聞いたことがあります。
もっとも、全商品をたらい回しするということではなく、商品の5%程度で、「少し冒険だが提案用の商品」が主体であり、一週間から10日間陳列をしてから、他店へ移すことにより陳列のマンネリ化を防ぐのに役立つ」とのことでした。
2. 5店前後の小規模チェーンでも、たらい回しは傘下店の店格に差を生じることがあります。
例えば、3店を運営している小規模チェーンで、渋谷店→中野店→立川店というように売り残った商品のたらい回しをする例がありました。この場合、最後になる立川店に到着するのはシーズン末になり、その立川店は立川市内でもシーズン遅れを安売りする三流店として扱われていました。
規模が7店位になった場合、流行品、目玉商品の扱いを明確にしないと在庫、それも流行遅れ型の在庫が急増すると言われています。靴は壁面1m当たり70足*5000円/足=35万円くらいは積み上げ保管できるので、素人が見たのでは、あるいは、見慣れている店員から見ても膨大な在庫負担に気付かないことがあります。むしろ、経理担当者の方が過剰在庫による資金繰りの面で気付きます。もっともバブル崩壊(1990)までは不動産負担が大きく、多少の過剰在庫は資金繰りの致命傷とは考えられていませんでした。むしろ、在庫処分のための値引き販売が店格に影響するという面が重視されました。
2003/08/04
経営幹部と在庫処分
1. 社長は店舗イメージの悪化を気にして、安売りに反対する傾向があります。
店長は最終的に売り上げで評価されると認識していて、売れなければ安売りをしたがります。
財務担当常務は「売上げの70%が仕入れ原価、10%が人件費、10%が不動産費用、10%が一般経費だから、人件費の10倍売れ」という予算管理方針を出すことがあり、これも売上げ至上主義になる傾向があります。さらに、在庫処分には安売りが必要という認識もあって、財務担当常務は店長の売上げ至上主義を支持します。
販売担当専務も基本的には店長と同じで売上げ至上主義ですが、専務という立場から在庫による買掛金と借入金の増加について知っているので、しばしば、店長とは異なる方針を出すことがあります。
2. 外部から見ると、店舗イメージは悪化したら回復には大変な努力が必要です。
そうは言っても、流行品処分用の乱売は目立つ割には売れないものです。流行品ではない実用品であれば、チェーン本部が単独店の平均的仕入れ量の10倍買う代わりに大幅値引きをさせるという仕入れをして、各店に中級品として供給し、上級品は立地の影響が大きいので、店長仕入れに任せます。例えば、デパートが新店を開店するときは似た立地の既存店から中堅幹部を移動させ、その中堅幹部が取引していた問屋との関係も活用します。
2003/08/11
第二大戦後の零細小売店の盛衰
1. 論語に「30にして自立し、40にして惑わず、50にして天命を知る」という有名な言葉があります。
寿命は延びたものの発想の転換ができず、30歳前後に開業し、40歳でこのまま経営を発展できると自信を持ったものの若い頃の経営理念を変えないために50歳で環境変化の試練、特にコンサルタント・セールからセルフサービスへ移行という購買動向の変化による試練を受ける場合が多いようです。消費者が豊かになり、例えば、5万円以下の商品について店員の助言を受けずに買う傾向が強まっているのに、零細小売店はコンサルタント・セールスを続けながら、高付加価値商品への移行を図りませんでした。
2. 第二次大戦後、1950年以降に日本の零細小売店は営業を再開しました。
1950年に戦後の統制が緩和されたため、地方の零細小売店が営業を再開しました。しかし、都市化の流れもあって、多くの小売店が大都市で1950年以後に新規開業しています。
1945年に第二次大戦が終結し、1950年に中小企業向け税制(青色申告)が始まり、魚と衣料の統制が撤廃され、朝鮮戦争が始まりました。その頃に東京23区内の路線商店街の多くが成立しました。1964年の東京オリンピックの頃に零細商店がもっとも繁盛したときだとされています。
日本でスーパーマーケットの店舗の増加率がピークだったのは1970年(1974年の商業界・日本スーパーマーケット名鑑付録の「統計資料と解説」及び1979年の同名鑑から計算)とされています。
3. 30歳前後に小売店を開業した例が多く見られました。
1950年頃に零細小売店を開業した経営者の多くは30歳前後でした。1970年にスーパーマーケットの出店がピークになった頃、これらの経営者の反応は非常に鈍かったと感じています。この段階で「売り手市場では仕入れ先情報が重要だが、買い手市場では超高級品のコンサルティング・セールスと日用品のセルフサービスが主流になる」という認識をしなかったことが零細小売店の没落を促した一因であると考えています。
セルフサービス・チェーンの中で、本部主導の集中仕入れに力を入れていたチェーンが急成長しました。しかし、1990年以降のオーバーストア時代には生鮮食品の労働集約的販売に力を入れていたチェーンが収益性を維持しています。
2003/08/18
零細家電店の経営と事業継承
1. 零細家電店と量販店の棲み分け
1970年代に家電量販店のシェアが高くなり、零細家電店の経営者には将来に不安を感じる者が多くなりました。それまで、零細店は有力メーカーの直系販社の指導を受け、近隣の低所得者を対象とした月賦販売を主体にしていました。しかし、1970年代になると低所得者でも量販店で現金買いをする比率が高くなり、近隣零細店では売れる商品の主体が電池・電球に代表される少額商品と低価格の季節商品に移行していきました。従業員のいない店では、それでも経費を節減しながら経営を続けていました。
2. 家電店を従業員が引き継いだ例
従業員を使い、量販店と競合する低価格商法で、かなりの売上げを達成していた店が経営を断念した例がありました。その店に商品を納入していたメーカー系販社の担当者は、かなりの売上げだったので、全面閉鎖はもったいないと感じ、規模を縮小して省経費経営をすれば成功するはずだと考え、小売店の従業員が経営を引き継ぐようにアドバイスしたという例を聞いています。ただし、独立した従業員は低価格現金販売から月賦販売へ方向転換しようとしたが成功せず、季節商品の低価格販売に力を入れたと聞いています。
2003/08/25
飲食店の経営継承
1. 飲食店の経営を継承するには現在の顧客が固定客なのか浮動客なのかを認識する必要があります。
現在の固定客を引き継ぐという点では営業を継続した状態で引き継ぐ「居抜き」には魅力があります。しかし、経営者が変わると共に固定客が消えてしまう場合もあり、円滑な引き継ぎには注意深い配慮が必要です。
2. 飲食店は重労働です。
飲食店は原則として立ち仕事であるということを考えると、現在の業務内容の中では重労働に属します。結果として、前経営者が引退する理由として「体力の限界」を強調する場合が多いようです。しかし、引き継いでみたら売上げ不振が店を譲渡するということが発覚した場合も多くあります。
3. 零細飲食店は第三者に一週間位の技術伝授をすることを条件に譲る例が多いようです。
ただし、不振の飲食店を引き継いで成功した例を見ると、業態改善をすることは必要条件だと考えています。例えば、バーの場合、引き継いだ後で、カラオケ等の音楽サービスを強化するか、アルコール主体から料理の比重を高める、陽気なウエートレスを雇用する等の工夫をしないと売上げ不振は改善されません。
昼食主体の店でも昼食時間帯の前に作り置きをしていた食品を提供するだけでなく、特定食品について注文後に調理した料理例えば揚げ立てを食べさせる等の工夫を追加する必要があります。
2003/09/01
零細工場の経営継承
1. 零細工場は身内か従業員に引き継がせることが多いものの、客先との関係、債務関係がポイントになります。
客先との関係が深刻になり、売上げが低迷した段階で、経営者が交代して客先に挨拶に行くと、前の経営者のときに納期遅れが多かったとか、不良品への対応が不十分であった等の苦情を聞かされた上で、現在も継続発注している部品について品質・納期の改善が認められれば、新規発注を出すということが示唆されます。
その時に初めて自社が高く評価されていなかったことを知る場合が多いようです。
2. 兄弟が役割を交代して成功した例があります。
兄が経営者で月給35万円、弟が工場長で25万円の企業が不振になり、従業員一同が母堂に兄弟の役割交代を要望した結果、弟が社長になり、かつ、母堂の扶養と企業の債務引き継ぎを行うことを条件として月給35万円に、兄が工場長になって月給25万円になった例がありました。
大企業では中央集権と権限委譲を交互に行うことで組織を活性化できます。しかし、零細企業の場合、営業・労務・財務を経営者が集中管理するのが原則です。例えば、経理部長は記帳と少額の現金払いを担当するが、一定額以上の現金払い及び手形・為替の決済は社長が行います。従って、支出権限を考えない組織改革では、客先との関係がうまくいかない、又は、工場の従業員の移動が激しい、又は、経費の支出に問題がある、という問題を解決されません、即ち、経営者を動かさずに、営業部長、工場長、人事部長等の直接の責任者を他の部門に移してもトラブルは解決しません。営業と経理を担当する経営者(兄)が「客先からのクレームへの応答が鈍かった」という場合、生産管理を担当していた工場長(弟)と交代して成功したという場合があります。
3. 取引中断している古い客先との関係復活がポイントになります。
「経営者交代の挨拶」に行ったときに取引中断の真の理由を聞き出すことは重要で、客先の苦情は重要ですが、場合によっては訪問時に強い拒否反応を示されることもあり、その一回の訪問の時にある程度の改善方向を示すことで、取引再開の可能性を残す必要があります。従って、訪問前に前経営者が話す中断理由に前経営者の性格から判断した補正を加えて「当たらずといえども遠からず」という推定をして改善案を想定する必要があります。真の理由で特に多いのが、「技術革新に追随する意欲が無い」ということだと思います。その場合、「自社に受注体制が無い場合は外注先を利用する」という姿勢が必要です。外注先を知っているということは、客先にとっても有用な最新情報になるからです。
2003/09/08
2003年末の緊急経済政策
1. 日本の株式市場は外人買いで大底から回復しました。
外国資本は株式指標を重視したインデックス買いが中心です。従って、下げ過ぎと判断すれば買いますが、次の段階の株価上昇には、「株式市場が流動化したから」というデー・トレーダーの参入、「国内実体経済の回復見通しに自信がついたから」という国内の大口機関投資家と一般大衆の参入が必要です。
2. 国内実体経済の回復には消費需要の喚起と輸出環境の安定化が必要です。
消費景気の喚起には、「悲惨な人を見て明日は我が身と感じて貯金する」という国民特性を軽減することです。
「リストラされた中年のフリーターとホームレスの現状を見て、明日は我が身と預金に努めている人が多いことに対して、その懸念を軽減するという政府の姿勢を示すことが必要です。
発表されている年金改革の素案は「基礎年金の国庫負担割合の2分の1への引き上げ」が中心になっています。これでは、「家族4人が月収15万円以下で、食費と家賃以外の支出は非常に少ない、まして基礎年金も払えない」というフリーターは対象外になります。
ここは福祉目的の消費税率引き上げをするが、税金の支出は全国民平等に」ということを明示することが貯金を消費に回してもらう最高の刺激策になります。
景気回復のための追加予算を出すならホームレス対策に絞ることが必要です。
3. 通貨の変動相場制には海外工場によるリスクヘッジが不可欠です。
問題は中国が「現地通貨安」の固定相場制であるために、日本国内の工場が中国に移転し、国内産業がダメージを受けていることです。
しかし、中国は数年内に元高に移行すると思います。第一の理由は輸入原材料特に原油の支払い負担の軽減です。1990年以降、新興国が石油資源確保に努めた結果、石油価格が上昇しています。結果として、韓国は日本製部品と原油の支払い負担の軽減を図るためにウォン高(1999年の経済危機を除いて1円=10ウォンで高い円に追随)を維持しています。
第二の理由は輸出品の高付加価値化です。戦前の日本は来日したバイヤーに全面依存し、彼らが低価格販売をしたので、激しい貿易摩擦を生じました。貿易摩擦を防ぐために、又、日本と米国以外への高付加価値製品の輸出を重視するようになると、韓国の大宇自動車がウズベキスタンに現地工場を造っているような形の現地化が重要になります。この場合、大宇にとって、早い時期即ち投資時点で韓国通貨が高い方が投資を容易に回収できたはずです。
それらの事情を明確にすることで、日本の大企業も中国一辺倒から健全なリスク分散と開発力維持を冷静に考える段階に戻ると思います。
世界の石油相場(日経産業(2000年まで)、朝日夕刊(2001/2002)
ニューヨーク、WTI ドル/バレル
1986/12/26 16.91-17.27
1987/12/24 16.61-17.82
1988/12/24 16.49
1989/12/25 21.52
1990/12/28 27.32
1991/12/28 18.50-18.55(ソ連崩壊)
1992/12/25 19.94-19.95
1993/12/25 14.45-14.50
1994/12/28 17.35-17.37
1995/12/27 18.68-18.70
1996/12/27 25.55-25.57
1997/12/29 18.20-18.22
1998/12/28 11.28-11.30
1999/12/24 25.48-25.50
2000/12/28 26.64-26.69
2001/12/28 20.9
2002/12/27 32.49
2003/09/15
企業経営の大転換の時期
1. 金融機関が融資形態の変換を示唆したら転換期です。
1970年代に量販店のシェアが急激に高くなり、零細店の経営が急激に悪化しました。そうは言っても多くの企業が経費節減方針で黒字は維持しました。それでも、売掛金の増加と二月・八月の低迷シーズンの売上げ減で運転資金が苦しくなったという事情があり、古くから取引関係を維持していた金融機関に融資を申し込んだところ、直接貸し付けを断られ、国民金融公庫からの融資を斡旋すると示唆されました。
さらに、担当者と話し合ったところ、本店審査部の方針として、小売業界全体の構造変化で、余程の確実な復興策が無い場合、零細小売業への直接貸し出しは危険だと言われているということでした。その段階で飲食店への転換を決意したところ、金融機関は急に態度を変え、店舗改装資金の融資を申し出ました。その理由は、過去の財務内容が良いので、堅実な経営者の大転換なら信用できると判断したということでした。
2. 大転換の準備段階でも現状での財務の健全化も重要です。
それまでは町一番の大型店だった1000u、従業員100人の小売店が20km離れた国道沿いの大型店の影響を受けるようになりました。ライバル出現以前の売上げの70%程度に減少したけれども、今後の努力によりある程度回復するはずだということで、従業員給与の支払いを主体とした運転資金を借りに行ったところ、金融機関に現状で採算に合うように人員を削減し、資金繰り表を見直すように勧告され、融資を断られたという例がありました。当時は問屋、同業者、コンサルタント等の利害関係者が口をそろえて「大型店は怖くない、努力次第で十分対抗できる。打撃を受けるのは経営者が努力不足だからだ」と自己暗示をかけあっていた時代でした。その点では金融機関の方が現実的な見方をしていたといえます。
2003/09/22
再建を引き受ける条件
1. 再建を引き受けるには次の条件が必要です。
(1)受注の見通し
(2)その裏付けとしての技術と人材
(3)債務の全貌
(4)当面の運転資金の調達
上記のうち、(3)債務の全貌が特に重要で、再建を引き受けた後で、次々と債権者が支払い請求をしてくるという状況になるというのは特に危険なので、多くの場合、倒産処理をしてから企業買収をしますが、債権債務が明確なら、倒産処理を避けることで、客先の信用を維持できる可能性があります。
(4)の当面の運転資金の調達も重要で、会社更生法による再建では「債務支払いをストップするが、売掛債権の回収は行えるので、回収した売掛債権を通常の運転資金に回すことで当面の経営を維持する」というのがポイントです。しかし、売掛債権が少ない場合は、バックアップする金融機関がつなぎ資金を出してくれないと再建できません。
2. 「不渡り小切手/約束手形の発生後の再建」では、担保を付けない高利の借金は一般に弱い債権として扱われます。
同じ、権利の弱い債権には通常取引先である下請け企業と納入業者の債権がありますが、これに対しては特別な配慮をしないと営業活動の回復の支障になります。
3. 労務の安定もキーポイントになります。
倒産の前後で労務関係が急変することがあります。1960-1970年代に日本が発展したのは、地方の兼業農家が低コストの労働力を提供したからです。兼業農家は小規模の水田で米の収穫をしながら、工場勤務をするので、かつ、多くの農村地域には他の就職先が少ないので、「人員整理や地域外への配置転換には猛烈な抵抗をするが、解雇をしない地域内配転には協力する」という特性があるとされました。同じ頃、日本産業の牽引産業は自動車・エレクトロニクスでした。その下請け部品メーカーの多くが農村の低労賃を利用していました。
[(日刊工業1985/01/26)NMBセミコンの超LSI工場は1日12時間勤務の2シフトで、3日勤務して4日休み、次の週は4日勤務して、3日休む]
この種のハイテク産業には兼業農家は最適労働力でした。
2003/09/29
企業再建屋への対応
1. 経験豊富な再建屋には現状について希望的観測も含めて正直な話をすることが重要です。
希望的観測が無ければ、再建の望みは全く無いことになりますが、経験豊富な再建屋は末期症状をよく知っているはずなので、正直に示す必要があります。帳簿は「あなたが来られるというので徹夜で記帳しました」という方が信用されます。零細企業の帳簿が常時完備していたら帳簿管理に力を入れて現場との関係を軽視している間接部門が不振の一因になっているか、借金の借り換えのために帳簿を持ち歩いて、説明材料に使っていると見られます。
2. 財務内容の全貌がわかるようにすることが重要です。
連鎖倒産のような急病危篤の場合は未回収債権がかなり残っているはずだという立場で、債権・債務の両方をチェックする必要があり、取引全体を整理することが必要です。しかし、零細下請け企業や現金取引主体の商店では売掛債務の集計作業は少ないので、又、長期不振という慢性病的危篤状態なら売掛債権を食い潰しているので、受取債権よりも債務と担保の一覧表を作らせることの方が重要です。
再建屋はこの一覧表が信頼できることを確認した場合、現在の営業状況に基づき比較的短期間で再建計画を作成できます。
この一覧表から返済不能なことが明白で、倒産処理をすべきだと判断した場合、その一覧表に経営者の署名捺印をして全債権者に送付すれば、債権者はそれを不良債権償却をするための税務処理上の裏付け証拠として使い、債務者には公正証書を送付する形で不良債権の処理を行います。この処理により不動産担保の競売処理が促進されますが、債権者へ説明する作業量が債権者会議よりも短縮できるので、経営資産は従業員と顧客だけであり、その散逸防止が重要だという零細企業に有効です
2003/10/06
コンピューターの導入と従業員の反応
1. 初期のコンピューターは「万能で人間の仕事を奪う機械」として恐れられました。
昔から幽霊の存在を信じるものと信じないものがいました。存在を信じるものは霊魂という補足的エネルギーが新分野を開拓する可能性を信じ、存在を信じないものは「異教徒をも納得させる全知全能」が存在しないことを指摘していました。初期のコンピューターは幽霊と似た存在でした。
機械式会計機を使っていた職場では電算機の導入に拒否反応はありませんでした。むしろ、機械化が進んでいない職場の労働者の方がコンピューターを「仕事を奪う機械」として恐れていました。
コンピューターの前に伝票の集計結果を一覧表にする会計機が用いられました。ただし、導入していたのは一部上場企業と有力会計事務所に限られていました。会計機を使った経験のある人はコンピューターを「そろばんの機能を強化した物」という評価をしていました。
2. USSCコンピュータが1958年に発売され、日本でも広く使われました。
1958年に発売されたUSSC(UNIVAC Solid state computer:ユニバック固体回路計算機)は、磁気増幅器という固体回路を使っていましたが、当初、UCT(UNIVAC Calculating Tabulator:ユニバック計算作表機)という名前が付けられて、機械式会計機に計算機能が追加されたことを強調していました。このネーミングから判断すると、メーカーとしても、機械式会計機の上位機種であることを強調して、機械式会計機の経験者を初期の販売ターゲットにしていたようです。しかし、1953年発表の真空管を使ったIBM650が「コンピューターは有効であるが、寿命3000時間の真空管を数千本使っているので、その交換が大変である」ということを認識させていたので、「真空管の代わりに長超寿命の要素を使っている」ことを強調した方が、販売効果が高いとUSSCを一般的に使ったと聞いています。
3. 導入時の経理課の認識は「そろばんの上位機種」という程度でした。
導入後は、「経理課の主要任務である税金対策と資産運用であったが、コンピュータ導入により生産・販売の日常業務で麻痺した目では見逃しやすい長期的傾向を検出する業務が加わった。社長は「出血受注品の増加による資金繰りの苦しさからわかっているだけに、コンピューターが示す結果が身にしみる」という反応でした。
2003/10/13
コンピューターと省力効果
1. 初期のコンピューターの売込みでは、「コンピューターの導入により、直ちに人員整理が行われることはない、企業が成長しても人員を増加しなくても良くなる」と説明されていました。
企業が成長しても経理課の人員が相対的に減少するが、絶対数は減少しないというのは事実でした。初期のコンピューターは数字をパンチカードに打ち込むキーパンチャーを大量に必要としていました。当時のコンピューターの主要業務は集計表作成まででしたから、経理課員はその後の作業を行っていました。手作業による集計作業は減少しましたが、コンピューターにより社内処理が「直感的判断から計数に基づく決定に移行した」こともあって、コンピューターによる集計業務以降の知的業務が増加しました。その後、分散処理に移行し、伝票入力が営業・購買で行われるようになったので、女性のキーパンチャーが減少しました。営業マンが慣れない操作で受注内容をキーボードから入力すると、コンピューターが生産手配、コスト計算、元帳記帳まで一貫して行われるようになりました。
2. キーパンチャーの一部はワープロ専用機のオペレーターになりました。
機械化された作業内容でも数字入力より文字入力の方が多くなり、特に日本では8ビット・パソコンより使いやすいということで、ワープロ専用機が多く導入されるようになりましたが、初期のワードプロセッサーは高額で、その投資を回収するために稼働率を高めるには専門家が操作する必要がありました。女性のキーパンチャーの多くは結婚して自然退職しましたが、一部のキーパンチャーはワープロ専用機のオペレーターになりました。
2003/10/20
コンピューターによる自動翻訳
1. 日本語と英語のような異質の言語間の翻訳では前編集が必要だと思います。
機械翻訳(コンピューターによる自動翻訳)は、入力前の文章を翻訳ソフトが解釈しやすいように翻訳者が修正すれば、かつ、その分野特有の表現法を学習させれば、かなり高度の学術論文でも「翻訳ソフトを使わない場合より作業時間が若干短縮される」という効果はあるようです。
問題は翻訳ソフトの主要な顧客が、「入力に使う外国語を全く知らないので、無編集で一応わかる程度に翻訳してくれれば良い」という期待感を持っていて、無編集の文章を翻訳させてがっかりする例が多いことです。
翻訳ソフトのデモ操作で、「かなりの文章を翻訳できる」と感心して、持参した専門的な文章を翻訳してもらったら「意味が通じない」結果しか得られなかったという経験をしたものは多いと思います。その時にデモンストレーターから「前編集をしている間に、当該分野の常用句の意味を学習して、デモで示した程度に自然の翻訳文になる」という説明を受けた人も多いはずです。
2. 翻訳ソフトのターゲットは平易な新聞記事と取扱説明書を「無編集で一応わかる程度に翻訳」ということのようです。
多くの取扱説明書は平易な文章だが、技術用語が多いので、パソコンの記憶容量が大きくなり、大量の技術用語を記憶できるようになった段階で、機械翻訳に適するようになってきました。翻訳ソフト自体も取扱説明書の翻訳をターゲットにして作られているので、その翻訳に適応できるという面もあるようです。
さらに、翻訳ソフトの多くが「平易な新聞記事なら無修正で翻訳可能」ということもターゲットにしているので、政治問題・社会問題などについては無編集でもかなり良い翻訳になるはずです。
3. 編集ツールとして使っている例は少数だと思うけれども、用途を限定した場合は有望だと思います。
日外アソシエーツ主催「翻訳ソフト体験セミナー」(2001/06/06)で久徳省三氏の事例として、OCR(optical character reader: スキャナー)入力と推敲を含めて、分析機器説明書が207words/h、建築仕様書で196words/hという数字が示されていましたが、前編集後の文がかなり良質であることが必要なはずです。この能率なら、用途を限定し、その用途での慣用表現を十分学習していれば、ベテランの翻訳家の能率を上回る成果を期待できると思います。
2003/10/27
リーダーのタイプと変身
1. 豪傑型リーダーの多くは部下への気配りに自信のある人たちです。
組織を考えるとき、リーダーの大半は「下の面倒を良く見る代わりにトップや人事部門とけんかする豪傑」と「リーダーの意向を注意深く尊重するが、同僚や部下には厳しいトップダウン型」のいずれかだという立場で考えるべきだと思います。
豪傑型リーダーの問題点は上司への報告を軽視しやすいこととコスト意識が弱いことです。成長期の日本ではヒーロー型リーダーが実施した開発プロジェクトについて、「時間も費用もかかったが、良い経験を積めた」とトップに理解してもらえたのですが、バブル崩壊(1990)以降は企業にも余裕が無くなり、「多少の出費は研究開発費として繰延べ費用に計上できるが、3年か5年で回収できないと困る」という意識を持つように要求されています。急成長が望めない成熟分野であれば、「全体としては省経費経営だが、少数精鋭で1人当たり認められる費用には余裕を持たせるべきだ。寡占企業は、ライバルが成熟産業だと認識している中で育つ例が多いという意識で、その特別費用は使うべきだ」というコスト管理が重要になりました。
2. 例外的に「上にも下にも好評だったが、トップに就任したら傲慢になった」という例があります。
全社的には毎年好業績の企業で、赤字部門の部長になり、赤字部門を残してもらうために上にも他部門の平社員にも部下にも気を遣い、低姿勢を通した結果、全社的に人気が出て社長になった。社長になった途端に傲慢になり社内からも株主からも銀行からも総スカンを食ったという例を聞いています。
「きめ細かなコストダウンで生き残る努力をしている」と低姿勢で説明する術は身につけていたが、それは、部下の自由な行動を抑制するという副作用を伴っていた。そして、自分が知らない分野についての「長期的に生き残るための抜本的提案」にはけちをつけるだけだと批判されました。また、大型プロジェクトの受注には「その値引きをしても収支トントンにする自信があるか、あるなら値引きしてよろしい」という指示を出すことがトップの必要条件になっているが、それをしなかったと批判されました。
2003.11.03
荏原インフィルコの経営者
1. 荏原製作所が1950年代に水処理プラントの技術を導入しました。
その際に、米国企業と合弁で荏原インフィルコを作り、米国からの技術導入の経験が豊富な東京計器から吉原氏をスカウトしました。荏原製作所も東京計器も東京都大田区に本社があり、大田区内の大企業同士の付合いがありました。
[(「実務機械計算」、河部守弘、産学社、1967年、p147)東京計器の受注カードは、1.得意先コード、2.品名コード、3.製番、4.金額、5.発行年月日、6.(納期、売上げ、入金の)年月日、7.得意先、8.品名、9.営業部、10.市場地域、11.入金伝票、12.特許料対象商品の表示、13.プラスマイナスの表示、14.カード番号]
コンピューター導入以前でも、東京計器は特許料対象商品を区別して処理していたはずです。
吉原氏は荏原インフィルコで、導入技術と自社技術を明確に区別するように指導しました。そして自社技術の開発を奨励しました。1960年代には、「荏原インフィルコでセールスポイントになる技術の多くは日本で独自に開発した技術だ」というプライドを社員に持たせて好業績を上げました。
2. 米国ウエスチングハウス社が荏原インフィルコと株式を手放す意向を示した段階で騒動を生じました。
吉原氏はウエスチングハウス社が手放そうとする株式を銀行に斡旋して荏原製作所からの独立色を強めようとして大騒動になりました。結果として、吉原氏は退陣し、荏原製作所の水車部門出身の池野氏が荏原インフィルコの社長になり、第一勧業銀行からも役員が入りましたが、業績が悪化しました。再建のため、荏原製作所から原価管理部門出身の牧康治氏が派遣されました。
[(日刊工業、1985/06/21)荏原インフィルコが希望退職の募集、関係会社への出向、給与カットなどで再建]
原価管理部門出身の経営者は(1)高収益・安定部門の多くは小型品の量産部門であることに注目して、大型製品の受注について1点ごとに自慢する報告よりも単純労働者の労務安定の方を重視する、(2)成熟技術に未練を持つ技術者を重視して、旧製品の標準化・コストダウンを中心としたマイナーチェンジを重視した手堅い商品企画で再建を図る傾向があるので成功率が高いとされています。
2003/11/10
雷おやじ的リーダー
1. 営業で好成績をあげている人材には雷おやじ的リーダーが多いようです。
日本では、一個所にいる多数の顧客の前でプロポーザルのプレゼンテーションをした経験を持つセールスマンが少ないという点で、日本には特殊事情があるように思いますが、成功しているセールスマンには、部下に対して雷おやじ的に怒鳴るが面倒見が良く、上司だけでなく顧客とも喧嘩した経験があるが、その場合でも「正直者で職人気質だから喧嘩をしやすい」という好意的評価を受けている者が意外に多いようです。
2. 難しい条件だと顧客とセールスマンの両方が認識した状態で受注するという姿勢が重要だと思います。
受注力のある支店長というのは、ライバルが逃げるような面倒な受注を引き受けるが、なぜ面倒かについて顧客に十分理解してもらえる表現力があるということが必要条件になっているようです。そのような姿勢に対して、顧客も気兼ねをするようになり、他社と同程度の商品でも優先的に義理買いをしてくれます。そうはいっても、面倒な受注なので収益的にも納期的にも苦労して、いらいらしていて、顧客とも上司とも喧嘩をすることがあるというのが支店長として理想的人材です。
2003/11/17
多角化と倒産
1. バブル崩壊(1990年)以降に多発した企業倒産の理由として、「ゴルフ場事業への進出の失敗」があげられていました。
ゴルフ場に進出したのは「円高不況」「流通革命」によるメイン事業の不振から脱却するためだったはずです。「ゴルフ場で儲けて起死回生」と思い詰めた結果としてトラブルが続発し、「初期のゴルフ場建設で成功した者は、地元民の雇用率が他のレジャー施設より大きいという話をして地元の協力を得ていたのに、バブル崩壊直前の事業参入者は土地所有者に対して自分だけ儲けるような話をするから土地買収もうまくいかず、長引いていた」という批判を受けていました。
ゴルフ場建設の失敗が目立つが、倒産の主因は本業不振であり、本業を改善できない経営技術も一因だったと考えています。
2. 経営者の第一の条件は「聞き上手」ということだと思います。
経営トップに求められる資質のひとつとして、「よく話を聞いて情報を集める」ことであると考えた場合、思い詰めて、周囲の環境判断ができないという状況が倒産の主因だったと考えるべきだと思います。
「成長期なら新規参入の成功率は高い」「自然淘汰が一段落した業界なら、新技術又は有能な人材を入手できれば成功率が高いし、そのような人材をスカウトするのも可能なはずだ」というライフサイクルでの状況判断ができれば有能だと思います。慣れた人材が陣頭指揮をして、バブル崩壊前に短期間で完成させていれば、出血を最小限に防げた可能性があります。
その判断能力を重視しないと、「消極的経営が正しい経営」になってしまいます。
2003/11/24
ブーム終了後の経営
1. ゴルフ場の会員権は株券と同じだという認識を徹底させていたら健全な発展をして、バブル崩壊の影響も少なかったと思います。
しかし、業界全体が「株式と同じ」という発言は「発展に有害な発言」として、抑制し合う雰囲気があり、「必ず値上がりする資産」というイメージを植え付けられていました。
いまになってみると、「ライフサイクルの認識のようなマトモな感覚を持っていたら参入はできなかった」ということになるのかもしれません。同様に、安全重視の企業ならそのような事業に投資しなかったでしょう。そうは言っても、「会社の方針で担当を命じられた場合」も多いはずです。その場合、ライフサイクルから考えて、成熟期に入っているので、トラブルを生じやすくなる、その一方で成熟期だから経験者をスカウトしやすかったはずで、スカウトした人材を利用すれば完成遅延のリスクを防止できるという提案はできたように思います。
2. ブームに失敗した事業の「後始末」をする業務に多くのサラリーマンが従事しています。
バブル崩壊により、多くの企業が倒産に追い込まれ、多くの人材がリストラされました。
その中で倒産企業に残留して業務を続けるように命じられた業種として、「不良資産の回収業務に従事していた人々」が注目されました。
3. 1970年前後にボーリング場ブームがありました。
レジャー産業の中でも、ボーリング場ブームはライフサイクルが短かった例としてあげられています。そのブームが終了した後で、「コスト低減はするが、レジャー産業なのだから清潔感だけは維持する」ことに努めて経営を維持している経営者と従業員は高く評価されていました。
ゴルフ場ブームも初期には「名士と付き合うチャンスが増える」というイメージがありました。成熟すると共に、庶民化し、「高齢者でも行えるスポーツで、長距離歩くことは健康に良い」というイメージになったものの、以前の「高級なスポーツ」というイメージを少しでも残す努力をすることがポイントになっていました。近年になって、定年退職者には費用も歩行距離も過大という声にも配慮する必要が出ています。
2003/12/01
大企業の寡占化
1. 8ビット・パソコンがブームだった頃、ソードが飛躍しました。
米国でアップル社のパソコンがビジカルク社の表計算ソフトと組合わせることによりヒットした頃、日本ではソード製パソコンが独自の表計算ソフトを組込むことでヒットしました。
ソードは16ビット・パソコンも早い時期に発表しましたが、予想外の半導体不足で、生産目標を達成できず、かつ、パソコンのOSとしてMS−DOSが寡占化する流れに追随できず、苦境に追い込まれました。
[(日刊工業1985/03/08)昨年の半導体不足がああまで深刻になるとは、受注が160億円あったのに105億円の売上げしかできなかった。これが大きな痛手となり、ソードが東芝の系列に入った]
16ビット・パソコンを各社が一斉に発売したことにより半導体不足を生じました。同時に16ビット・パソコンの中でもMS−DOSをOSとする機種がシェアを高めました。ソードも半導体調達が順調であったら、MS−DOS対応機種を発売できたと思います。半導体不足の時に半導体販売店は長期継続取引をしている企業への納入を優先させたのですが、ソードのように急成長した企業は取引期間が短いとして納入を後回しにされたと思います。NECが早い時期に半導体入手とMS−DOS採用に成功し、日本での寡占的シェアを確保しました。他の大企業もビジネス用PC市場に売り込んで、寡占的位置を維持しました。
2. 1950年代に大企業の寡占化が行われました。
第二次大戦(1941)後、物価・流通が統制され、大企業が違法取引を控えて十分な活動をできないときに、多くの中小企業がヤミ・ルート向けの自主ブランド製品を製造していました。統制解除と共に、大企業が生産体制を強化し、寡占化が進み、多くの中小企業は大企業の下請けになり、少数の中小企業は残された市場に向けて低価格の自主ブランド商品を出荷していました。
その結果、自主製品を製作販売する中小企業は低利益の上に、受注が不安定なので、設備の近代化も遅れた状態に追い込まれました。一方、大企業に部品を納入する請け企業になった場合、部品の納入単価が低く抑えられ、かつ、客先から最新設備を導入するように圧力をかけられるので、厳しいコスト管理を求められるが、受注が安定するので、稼働率を高く維持できました。結果として、大企業に部品を納入する下請け企業は、大企業に搾取されて地獄だというのは事実だが、自主製品の販売企業と比較したら極楽だと言われました。
2003/12/08
下位メーカーの販売戦術
1. 下位メーカーは「太くて短いルート」を通じて販売するのが原則です。
下位メーカーは原則として、製品組立及び(又は)部品製造に専念し、販売については総代理店経由の零細小売店向けとするか、大手量販店へのOEM取引(相手先のブランドを付けた納入)に依存します。場合によっては仕入れについても大半をメインの取引先からの支給部品に依存します。
2. 高能率を実現する体制が重要です。
「急ぎの納期を間に合わせるためのパート集団と外注先グループ」「深夜まで工程の手配と確認をする中堅管理者集団」「8ビット・パソコンから16ビット・パソコンへ、16ビット・パソコンから32ビット・パソコンへの移行期に一番乗りをするための決断力のあるリーダーと開発集団」がいれば、相当の低価格販売にも耐えられる経営ができます。
その一方で、8ビットから32ビットまでのパソコンが急成長した時代には半導体が3年ごとに極端な部品の過不足を繰り返すシリコン・サイクルが有名でした。その現象が良く知られていただけに、それは没落の原因になると共に成長の契機にもなっていました。NECは初期の16ビット・パソコンには自社開発による限定性能のCPUを使用して半導体不足期を乗り切り、他社製品との競合が激しくなった段階でインテル製CPUを購入してシリコン・サイクルを乗り切り、シェアを高めました。
2003/12/15
足利銀行と温泉地の復活
1.足利銀行は2003年11月末に倒産しました。
足利銀行は融資先を繊維産業から観光・リゾート産業へ切換える過程で過剰な不良債権を生じました。
第二次大戦前、繊維産業は日本にとって重要な輸出産業でした。特に、両毛地区(栃木県と群馬県)では生糸を主体とした繊維産業が盛んでした。大戦中は中島飛行機が立地していました。そこを地盤とした足利銀行は地方銀行の中でも有力な存在でした。
1960年代にはいると、両毛地区の主力産業は繊維産業から、家電・自動車の部品と金型に移行しました。同時に、栃木県には多くの温泉地があり、さらに、空前のゴルフ場ブームがありました。足利銀行は温泉旅館の建替えとゴルフ場開発に巨額の融資をしたと言われています。
現在、地方銀行は地場産業のリスクを審査する人材を抱えるか、人員を最小限にして国債の利子で生き延びるのかの二極分化の傾向が見られます。
2.不良債権にはバブル景気の時に建替えをした温泉旅館への融資がかなり含まれていると言われています。
不動産バブルの崩壊(1990)、ITバブルの崩壊(2000)を通じて、各業界とも生き残り策がほぼ示されてきましたが、どの業界も積極的対応ができず、ひたすらコスト削減だけで生き残ってきた企業が残っていて、その企業に復活のチャンスを与えることが問題です。この傾向はレジャー産業に特に目立ちます。
温泉街で聞かされるのは、「各ホテルが店内で土産物を売るので、温泉街のメイン通りの土産物店の多くが閉店してしまい、観光客が夕方歩き回るところが無くなった」ということです。言い換えると、「これからは観光バス・自家用車が立ち寄るテーマ・スポット+夜の生活一式を提供するホテルの組合わせ」になるということでした。その一方で「湯布院のようにホテルの周囲を歩き回って何かを発見する環境」にも根強い人気があり、二極分化の傾向が見られます。そのような環境の中で、どのような特色のある戦略を出せるかが問題になります。
3. 幹部の姿勢が問題になります。
栃木県は県全体として新幹線により首都圏との直結を目指してきました。従って、幹部が新幹線で東京から宇都宮に通勤して、東京の常識に基づいて旧態依然としたビジネスを破壊するのも一案であり、宇都宮に居住して地元の事情を理解するのも一案ですが、どの場合でも、その姿勢の根拠を明確にすべきだと思います。
2003/12/22
零細企業の設備投資
1. 「家一軒分」というのがブームの頃の設備投資の目安でした。
「さつき」や「錦鯉」がブームの時、品評会で日本一になった出品は「家一軒分」の価格がつきました。当然、それを原種として、さらに品種改良をねらう野心家が購入していました。
2. 日本が高度成長経済の時の零細企業の設備投資も「家一軒分」が目安になっていました。
1970年頃、首都圏のサラリーマンが購入した住宅は500万円前後でした。その頃、従業員5人以下の零細な機械加工業者は500万円前後の普通旋盤を導入していました。
1972年の列島改造ブームで住宅価格は2倍になりましたが、零細企業が導入する花形機種は、900万円でプログラム機能を持つ自動旋盤でした。これは切削工具が所定位置まで切削してリミットスイッチを作動させると、自動的に後退して次のサイクルに移行するので、毎月500個程度の機械部品を受注し、それを普通旋盤で一週間かけて加工していたのをプログラマブル自動旋盤では2−3日で加工できました。
第二次石油ショック(1979年)直前に住宅価格は1500万円になりました。人気機種も1500万円のNC旋盤に移りました。NC旋盤も1970年代初期には4500万円で、従業員30人以上の一次下請け企業が導入するものでしたが、第二次石油ショック直前には1500万円まで下がり、かつ、機能も多種少量生産に適したものになり、旋盤加工で生き残るにはNC旋盤は必要設備だと言われるようになりました。
1984年頃、1ドル250円に移行しました。特に家電分野で低価格化と軽量化を図るために金属からプラスチックに置き換えることが開発テーマになりました。
そのために、金型業者は2500万円のマシニングセンターを導入するようになりました。住宅価格も2500万円前後に上昇していました。
以上で説明した普通旋盤(1970)、プログラム旋盤(1972)、NC旋盤(1979)、マシニングセンター(1984)はその当時の工作機械業界の主力商品になっていました。
2003/12/29
設備投資ブームと国民経済
1. 新鋭設備の導入ブームの影に取り残される多くの企業がありました。
1980年代初期に、機械加工業界が円高対策として、NC機能を付けた新鋭設備を導入していました。しかし、「ネコもしゃくしもNCを導入」したように見えるが、導入しても新規受注により高い稼働率を維持できる見込みがないからと導入を見送った業者の方が圧倒的に多いのも事実でした。
2. 国民経済に寄与するとして、ブームに乗れる企業に注目するのは仕方がないと思います。
日本の工作機械出荷額は、NC工作機械が出現するまでは長い間3000億円程度の出荷額で低迷していました。円高対策(1979)で急成長し、バブル崩壊(1990)の頃には1兆円以上に急増しました。
その段階でも購入できず、落ちこぼれていく企業が出たのは仕方がないと思います。落ちこぼれた企業の経営者は「高性能機械が従来の設備の数台分の加工を受注してしまうので、旧式設備しか持たない企業は追い込まれる」と言いますが、下記の統計を見るとマクロ的にはNC旋盤・マシニングセンター等の新鋭機種もそれ以外の機種も景気動向と歩調を合わせていることが示されています。高額設備を導入した企業はこの統計値以上に不況の影響を受けやすことも事実です。
機械統計年報:金属工作機械出荷高、単位10億円、千台
年 販売額 数量
1967 129 156
1968 176 183
1969 238 227
1970 309 245
1971 257 180
1972 208 175
1973 306 216
1974 340 151
1975 227 95
1976 236 122
1977 314 130
1978 376 140
1979 490 163
金属工作機械 NC旋盤 マシニングセンター 産業用ロボット
年 販売額 数量 販売額 数量 販売額 数量(千台) 生産金額10億円
1980 680 177 148 11 109 5
1981 838 164 159 12 158 6 26
1982 770 143 136 9 154 6 42
1983 712 144 128 10 165 7 57
1984 880 171 189 16 211 10 128
1985 1046 173 218 18 261 12 143
1986 895 137 181 15 227 10 123
1987 705 130 161 15 172 9 110
1988 907 169 211 20 218 11 163
1989 1180 177 270 24 297 14 204
1990 1336 196 303 24 342 15 253
1991 1288 169 248 19 312 13 288
1992 850 118 162 12 203 8 206
1993 619 92 135 10 148 6 192
1994 575 89 144 12 136 6 207
1995 710 101 187 18 184 9 263
1996 850 108 199 18 221 11 268
1997 1070 116 240 21 310 16 342
1998 1060 96 258 20 339 15 281
1999 775 73 190 16 232 11 305
2000 816 91 206 20 255 15 398
2001 781 74 194 18 241 12
2002 594 58 138 14 161 8