2001/05/07
SUB:宗教の復活と道徳
 1. 「霊魂が見ているよ」という言葉が無くては道徳の復活は困難です。
私は「霊魂はエネルギーである」と考えています。人間は死ぬとエネルギーだけの存在になります。それが一個所に集まると一神教になり、分散されると多神教になります。“無神論者が、マルクスとかレーニンとかの物質だけでできているはずの存在が発言したことを神の言葉並に100%正しいと信じている”ことを考えると、無神論者も「生きている人間は物質だけでできているが、死ぬとエネルギーになって、過去の言葉を全て正しいようにする」ということを信じていると判断できます。
 
 2. 布教には霊魂のエネルギーを強化する効果があります。
「信じること、祈ること、お経を読むこと」は「リズムで霊魂と通信している」と考えるべきだと思います。このリズムの効果は祈る人の個々の念力の強さと祈る人数の積になるはずだと考えれば、布教は価値があると思います。
リズムであると考えれば、教典の具体的内容よりも、教典が作られたときに平等・博愛を目指した根本理念の方を重視することになると思います。
 
 3. 神は全知全能ですが、異教徒には無力です。
イヌにとって、飼い主は全知全能ですが、人間同士ではお互いの能力は有限です。異教徒を信じさせるには人間の能力に頼らなくてはならないことを考えると、人間と神の関係はイヌと人間の関係と本質的に同じだと考えるべきです。
 
 4. 一神教は「神の下では平等」ということに価値があります。
平等ということは究極の目標としては正しいし、それを目指すのには絶対権限を持つ存在が支配すべきだというのは「共産主義者が平等化の過程の中でマルクス・レーニンを絶対正しい存在に祭り上げた」事実から見ても正しいと思いますが、共産主義が「生産手段が不十分な状態での平等分配を目指したために失敗した」ことを冷静に分析すべきです。中華人民共和国が「自立的成長段階になるまでは不平等に目をつぶる」という方針を出していることは正しいと思うが、世界的には「既に量産品が過剰生産状態になっていること」、「世界的には、飢えた者と栄養過剰の者がほぼ同数いる状態だが、経済波及効果を考えて、豊かな国への売り込みが激しいこと」を直視した中で「平等化の現実的意味」を考えるべきだと思います。
 
[(ニッポン放送(JOLF)、2000/03/06 a.m.8:30 a.m.) 米国の研究機関は世界では飢えた者と肥満者がほぼ同数で、それぞれ12億人いると推定した]
 
 5. 神道は「支配階級の任務」と「民衆の力」を明確に分析すべきだと思います。
稲荷大明神は正一位です。正一位とは臣下の中で最高と言うことであり、農業・商売等の実務の神とされています。皇室の先祖とされる神々の格付けは一品・二品であり、大部分は戦争の神です。同時に、新嘗祭・神嘗祭という形で、伝統産業の保護を図っています。
 
神道を考えるには、過去の皇室の存在と切り離すことはできません。民衆が皇室に寄せる崇拝の根底にあるのは「第二次大戦で降伏することができたのは昭和天皇の決断があった」という絶対的権限への期待感だと思います。
その一方で、第二次大戦前に、上流階級が外遊により世界の実態を知っているので、欧米と戦争をしても勝てないことを知っていたが、民衆の戦争願望を抑えきれないことも知っていて日和見的態度をとり、民衆の反感を買い「非常時だ、贅沢は敵だ」というスローガンの下に取り締まられる対象になったことについても直視すべきです。
反乱の時に担ぎ出されるのは非主流派の皇族であって、正一位の臣下ではないことも考慮すべき事項です。
 
赤城神社の神は二荒山神社の神と日光の戦場ヶ原で戦い、敗れました。その結果、地元の上野の国でも「二の宮」で、一の宮にランクされていません。お陰で地元民は、古代には日光以遠に位置する東北方面の武力活動に対して、さらに、江戸時代になってからは日光東照宮の造営・維持に対して、「日光方面で奉仕活動をしたのでは赤城の神が怒りますから」と弁解して負担を軽減してもらえる口実に使えるようになりました。
 
 6. 仏教は「弥勒菩薩信仰」と「阿弥陀如来信仰」の意義を直視すべきです。
弥勒菩薩信仰とは「56億7000万年後に弥勒菩薩が現れて、取り残されていた霊魂を救済する」という信仰です。現在の知識に基づくと56億7000万年は太陽系が終焉を迎える時期にほぼ一致しています。下記の世界大百科事典によると「当初の計算では5億6000万年とされたが、その後に56億7000万年とされた」とあります。このことから、「最初の預言者の言葉だけでなく、民衆の予感も重要」ということを理解すべきです。
 
それ以上に重要なことは、平安時代に上流階級が弥勒菩薩による救済を祈って祈願文を地面に埋めたのに対して、「そのような祈願文を埋められない民衆は救われないのか」という民衆の反感が阿弥陀如来信仰に結びついたという事実だと思います。
阿弥陀如来は全ての死者を西方の極楽に迎えるという教えです。
「善人なおもて往生す、ましてや悪人をや(善人でも往生できるなら、阿弥陀如来は悪人を見捨てるはずがない)」という理念は心情的に正しいと思う一面で「霊魂が見ているよという形で道徳復活」とのかねあいを真剣に考えるべきだと思います。
 
[(世界大百科事典CD-ROM、1999年、日立デジタル平凡社)弥勒(みろく):サンスクリットのマイトレーヤ Maitreya の音訳とされているが、〈弥勒〉という名前そのものはクシャーナ朝(1世紀半ば〜3世紀前半)の貨幣にあらわれる太陽神ミイロ Miiro に由来すると思われる。クシャーナ朝下で用いられた言語でミイロはイランの太陽神ミスラ Mithra に由来し,したがってベーダの契約神ミトラ Mitra と関連する。インド仏教徒は Miiro を Mitra に還元し、mitra が友を意味し、派生語 maitreya が〈友情ある〉を意味することから,弥勒を〈慈氏〉(Maitreya の意訳語)ととらえたものと思われる。《釈迦下生経》をはじめとする弥勒六部経によると、弥勒は兜率天(とそつてん)におり、釈迦の没後その予言にしたがい、人寿八万四千年のときに下界に降り、竜華樹のもとで仏となって、釈迦の救いにもれた人々を救う。《菩醍処胎経》などによると、それは(釈迦没後)五十六億七千万年とされる。仏教世界観によると、兜率天の1日は人間界の400年であり、そこの生き物の寿命はその年で測って4000年である。したがって、兜率天の生き物の寿命は人間界の年数に換算すると(1年を360日として)、360×400×4000=5億7600万年となる。最初はおそらく弥勒は五億七千六百万年後に人間界に降るとされていたのであろうが、早くから五十六億七千万年という別の伝承が生じた。弥勒には未来仏の性格があることから、イランやその西方の救済者の思想の影響があるのではないかと考えられている。法顕によると、パミール山中に巨大な弥勒像ができたのを契機に、インドから中国に向かって仏教が伝播した。⇒弥勒信仰(定方 里)]
 
 7. 創価学会は末法後の宗教のあり方を見直すべきだと思います。
仏教には正法(成長期)、像法(形式的繁栄)、末法(衰退期)のライフサイクル思想があり、平安末期に末法に入ったとして、末法からの救済を目指して多くの宗派が生まれました。末法に入っても仏教の経典には価値ある部分が残されている、その部分だけを基盤思想として残そうと言うことで、法然・親鸞は阿弥陀経を、日蓮は法華経を基盤思想として定めました。
創価学会は、末法に入れば釈迦の神通力は否定され、日蓮がご本尊になるという立場をとっていると聞いています。その思想は理解できますが、まだ末法は始まったばかりです。これからは「預言者の言葉をユメユメ疑う事なかれ」と信じさせる時代から、民衆が宗教を作り上げる時代ではないかと思います。
その場合でも、日蓮は法華経を基盤思想とすることで、真の宗教の枠組みを作ったことは事実であり、それゆえ、日蓮は新しいご本尊の頭脳部分になるが、ご本尊の足腰の部分は末法期間の長い時間を掛けて民衆が作り上げていくものだという提案を検討してもらいたいと思います。
 
2001/05/14
テレパシーと思われる事例
 1. ルイジアナ岩塩ドームの事例
1979年の第二次石油ショックはイラン革命により石油供給が不安なったことが主要原因とされています。
後に示す新聞記事に示されているように、米国はイランの政情不安とそれに伴う原油調達不安を早期に予想して、積極的に原油を輸入すると共に、ルイジアナ岩塩ドームに大量の原油を備蓄していると宣伝していましたが、1979年後半から原油が高騰しましまた。1979年11月に米国とイランは経済断交をし、1980年4月に全面断交をしました。
 
正確な時期は記憶していませんが、ある晩、私は、「洩れている」という声を聞いたような気がして目が覚めました。それ以降、報道に注意したのですが、ルイジアナ岩塩ドームの記事はまったく出なくなり、原油価格が急騰しました。
 
 2. 関心が高いことがテレパシー・キャッチの鍵ではないでしょうか。
私は「カン」が悪く、テレパシーが働いたと感じた事例は、上記のことを除くと、非常に少ないので断定的なことは言えませんが、テレパシーというのは、いわゆる「ピンとくる」という第六感の一部に過ぎないように思います。
断食をしたりすると、テレパシー能力が働くと言われますが、私は食いしん坊なので、テレパシー能力は弱いと思います。ただし、全てのプロポーズに失敗して独身生活を続けたので、それに伴ってテレパシー能力が若干蓄積されたのではないかと考えています。
 
 3. 第二次石油危機に関する朝日新聞の関連記事
 
1974/06/15: 日本の石油備蓄量「危機」前の水準突破へ、月末には61日分に、
この備蓄を90日分に増加するために、貯蔵タンクの他に遊休タンカーを運転状態で利用したので、原油の運賃を上積みする形の高コスト備蓄になりました。
 
(1976年末からの米国の異常寒波と天然ガス不足)
1977/01/19: 米国の中西部および東部を襲っている異常寒波は米国の経済活動や日常生活に深刻な危機をもたらしているが、ミネソタ、ペンシルベニア両州は18日ついにエネルギー供給不足による「非常事態宣言」を発し、企業、家庭、学校などあらゆる施設に暖房温度の大幅引下を指示した。それによると、日中は摂氏約18度、夜間は約15度まで引き下げることを義務付けられる。
1977/02/02: 厳寒米国、政治無策も拍車、
連邦政府は二つ以上の州にまたがる州際の天然ガス販売については石油値上がり後の物価対策もあり、千立法フィート(約27立方メートル)あたり1ドル42セント(約426円)という低めの最高価格を設定、生産業者などの値上げ要求に応じなかった。このため連邦の指図を受けないテキサスなどの州内価格は現在2ドルを越え、原産地の方がニューヨークなどの東部諸州より高い奇妙な現象が生まれている。
1977年6月: アラスカ縦断パイプライン開通。
1977/04/14: カーター大統領、エネルギー教書発表へ、
「エネルギー教書」の作成は、この冬の異常寒波で深刻な天然ガス不足が問題になった際、カーター大統領が「炉辺談話」を通じて公約していたもの。石油・天然ガスの節約、石炭・太陽熱などの活用をめざし、ガソリン税の大幅値上げ、燃料効率の悪い自動車のメーカーに対する高額の課徴金を盛り込む。
 
(イランの政治不安を予測した石油備蓄)
1978/01/19: 憶測呼ぶ米の石油備蓄
昨年の米国の石油輸入は原油、製品を合わせて、一日あたり865万バレルで、前年よりも18.6%増えた。金額では500億ドルに迫る。この間の石油消費量は前年より5.2%増の1859万バレルにすぎない。アラスカ原油の生産が始まったが国内生産は横這いだったから、高水準の輸入は在庫増につながった。年末には民間だけで10億バレル(60日分)、一説には12億バレル(72日分)と見られている。米国の場合、民間の適正在庫は32日分とされており、政府の戦略備蓄が7月からスタート(年末までに400万バレル)したのに、あえて、民間在庫が増えているところに単なる経済問題とは違った動機を推測させる根拠がある。
1978/02/01: ルイジアナ岩塩ドームの紹介
カーターさんがホワイトハウス入りしてから、本格的に動きだしたのが「戦略石油備蓄(SPR)計画」。米政府は今年から備蓄予算を大幅に増やし、猛烈な勢いで石油を買い込もうとしている。米ルイジアナ州の州都バトンルージュから南西へ車で約45分。ミシッシピー川の河口近くにSPR基地のひとつ「バイユチョクトウ」貯蔵場がある。「ある」といっても、目に見えるのは約70万平方メートルの荒れた沼地に散在する原油注入・抽出ポンプステーションとパイプラインだけ。油が貯蔵されるのは地下の岩塩層に水を流し込んで作る空洞で、地下約300mから1300mの深さに大小さまざまの空洞が別々に10個、この基地に計7400万バレルの原油を貯蔵する計画になっている。「25日現在、161万202バレル」ここの技術者のエドワード・デービス氏(59)は貯蔵量を端数までそらんじている。(1月25日現在の地下備蓄量は3箇所のSPR基地合計で約960万バレル。その他、地上のパイプラインの中などでの貯蔵量を合わせて合計約1300万バレル)。
1978/11/26: ただいま、わずか1週間分、進まぬ米の石油備蓄計画
アラブ石油の禁輸や石油輸入の急減といった事態に備えて始められた米国の戦略的石油備蓄計画は予定通り進んでおらず、現在の備蓄量では一週間しかもたないことが各種統計から明らかになった。米国のルイジアナ州に二ヶ所、テキサス州に一ヶ所ある地下備蓄基地には一週間に150万バレルの割合で石油が貯えられつつあるが、現在の備蓄量はわずか5400万バレル。エネルギー省当局者によると、今年中にはこれが約7000万バレルとなる見込みだが、当初の予定より大幅に遅れていることは明らかだ。
当局者は85年までに10億バレルを蓄える目標は達成できると強調しているが、年次別備蓄量については明らかにしていない。
 
1978/12/: イラン国王国外退去
 
1978/12/10: 米の戦略石油備蓄は3日分
米エネルギー省は8日、1985年までに10億バーレルを達成することを目標としている米国の戦略石油備蓄が、現在のところわずか5000万バレルで3日弱の消費量相当分にしかすぎないことを明らかにした。米国の石油消費量は1日あたり1800万バレルであり、現在の備蓄量は輸入量の6日相当分になっている。
 
1979/03/29: スリーマイル島放射能漏洩事件
 
(1979年後半から原油価格急上昇:後の原油価格の表を参照)
 
1979/11/:  テヘラン米大使館人質占拠事件、イランと経済断交
 
1979/12/15: 日本の出遅れてからの買いあさり
イラン原油買いあさりで米国民へ天谷審議官あやまる。イラン問題で日本の立場を釈明するため、訪米中の天谷通産審議官は14日ワシントンで記者会見し、冒頭の説明で、日本の商社などが政府のガイドラインを無視して米国が輸入禁止にしたイラン石油をスポット(当用買い)市場で買い漁ったのは遺憾だったと米国民に謝った。こうした行為が在テヘラン米大使館人質解放の努力にブレーキをかけているという米国の不満は認めざるを得ないとも述べ、日本の商社の行為を「行儀の悪いこと」と認めた。しかし、記者団から予想されたほどの詰問調は少なかった。ひとつには日本の石油事情やメジャー(国際石油資本)からの原油輸入を減らされたため、スポット買いを余儀なくされたことを同審議官が釈明したことによる。
 
1981/01/: イラン人質事件解決
 
日本の地下備蓄研究
日本には岩塩層が無いので、比較的安定した岩盤を用いて、岩盤の割れ目を水封し、原油は水に浮かせる形で研究を進めようという記事がときどき出ました。報道されるシーズンが6-9月が多いので、予算申請に関連していると思いました(例:1976/08/07、1978/09/21、1979/07/29等の朝日)
 
原油価格の推移:原油の種別はアラビアン・ライト(API34)
(「新石油辞典」石油学会1982、朝倉書店)
 年月日  ドル/バレル
1970/11/13以前  1.800
  /11/14  1.800
1971/02/15  2.180
  /06/01  2.285
1972/01/20  2.479
1973/01/01  2.591
  /04/01  2.742
  /06/01  2.898
  /07/01  2.955
  /08/01  3.066
  /10/01  3.011
  /10/16  5.119
  /11/01  5.176
  /12/01  5.036
1974/01/01  11.651
  /11/01  11.251
1975/01/01  11.251
  /10/01  12.376
1976/12    11.51
1977/01/01  12.0900
  /07/01  12.7038
1978  不変
1979/01/01  13.3390
  /04/01  14.546
  /06/01  18.00
  /11/01  24.00
1980/01/01  26.00
  /04/01  28.00
  /08/01  30.00
  /12/01  32.00
1981/01/01  不変
  /07/01  不変
1981/11/01  34.00
 
2001/09/24  (2001/05/07に関連)
怪奇現象と宗教活動
 1. 村八分とは「火事と葬式を除く80%交際禁止」という意味です。
江戸時代に日本では、村の秩序を乱す家族とは村民全体が交際しないが、火事と葬式だけは手伝いに行くという原則がありました。
宗教が閉鎖的になるのは仕方がないと思いますが、他人の葬式には、他人の宗教形式を尊重した形で列席するという寛容性が無いと、信者の社会生活にとって大きなマイナスになるとして、その点だけは修正していただきたいと考えています。
 
 2. 霊魂はエネルギーだという立場で、霊力の可能性と限界を考えて欲しいと思います。
エネルギーだけでは、いつかは雲散霧消してしまいます。効果を発揮するには原子炉とか水車や蒸気タービンのようなハードウエアが必要です。その代わりに共鳴すると大きな力を発揮できます。
人間が万物の霊長とされますが、他の動物と区別できるのは記憶力だと思います。過去の霊魂と現在生きている人間の記憶が共鳴するから大きな力を発揮できると考えています。死んだペットも飼い主の記憶と共鳴すれば、エネルギーを発揮できると考えています。
逆に怪奇現象が人間に良くない作用をするとすれば、共鳴すべき人間の記憶に問題があるはずで、その記憶が明るく健全なら怪奇現象は生じにくいと考えています。
 
 3. 次のような怪奇現象の報道がありました。
テレビの8チャンネル(2001/06/12 /20:00)で怪奇現象の写真が報告されていました。八王子で前に道了堂があった跡が、怪奇現象の写真が写せるとして有名な場所であると報告していました。彼らは500枚以上の写真を撮影し、数枚が赤い光の線のような異常現象が出ていたと報告していました。もちろん、テレビは怪奇現象を否定も肯定もしていないし、私も断定できません。
私はその場所に2回行ったことがありましたが、何も生じませんでした。最初は、木造のお堂が崩壊して、その残骸が残っていました。2回目は礎石のみが残っている状態でした。それは絹の道資料館の北側に位置しています。繁栄期には、信者の大部分は鑓水地区の絹商人でした。彼らは短期間繁盛し、主として鉄道輸送の発達で消えていきました。明治時代初期に失業した武士が襲撃して金品を奪い、何人かを殺しました。絹の道資料館自体が石垣大尽の遺構に位置しています。石垣大尽は石垣付きの豪邸に住んだ金持ちでしたが、悲劇的末路だったとされています。
 
[(1982/1/17八王子自然友の会の研修会での説明)横浜線の片倉駅の南から道了堂のある大塚山(海抜213m)を経て遣水(やりみず)へ下り、都道(20号、野猿街道)へ出る道を「絹の道」と呼んでいる。これは幕末の安政6年(1859)の横浜港開港から明治41年(1909)の横浜線開通まで、八王子を始め、信州、甲州、上州からの生糸を輸出するため横浜港にまで運ぶ重要な道であった。遣水は文化・文政の頃から養蚕農業と糸取引の兼業が多かったが、開国で糸取引中心になり、大きな財を成した糸商人が何人もあった。道了堂は明治8年(1875)に遣水商人が中心となって東京浅草花川戸の道了堂を移転した]
1872年に日本初の鉄道が新橋・横浜間に開通し、1875年というと鑓水商人は危機感をもった時期でした。
 
現在残っている道了堂の礎石を見ると、かなりの規模で僧侶が常住していたようです。
それだけの寺も移転させた商人たちが栄えれば、寺も栄えますが、商人が衰退すると、寺も滅びます。信仰したら希望通りになるということはありませんが、昔から「大難を小難に、小難を無難に」と一段階救ってくれるのが宗教と言うことになっていました。それでも、寺の遺跡が遣水商人の繁栄ぶりをしのぶための最大の手がかりとして残っています。過去の栄光をしのべるものがあれば、子孫の心の励みになって、別の道で復活する者も出てくるのではないかと感じました。
 
 4. 幕末の混乱期に遣水商人の繁盛ぶりが失業旗本の間で有名になり、襲撃の対象になりました。
多くの商人が失業旗本に襲われて非業の死を遂げたと伝えられています。経済発展には治安の維持が不可欠という立場から、このような災難が無ければ、流通経路の変化に対応できたであろうという話も聞いています。
 
2002/10/07
識字率と原理主義
 1. 文字を覚えても、読むものが宗教書しかなければ、原理主義に走ります。
9月11日事件のアタ容疑者のように都市計画という理想化の夢が破れて、頼れるのは宗教書だけだと認識した場合も原理主義に走りやすいはずです。
文字を通じて、実情を知るチャンスを増やすべきだと思います。
宗教書の意義は何かについては議論の余地はあるものの「歴史は繰り返す」という形での長期的示唆が基本になるのではないでしょうか。
 
 2. キリストが死んでから三位一体が成立しました。
キリスト自身は生存中に「自分は神である」とは言っていません。キリストが死んでから天の神、キリスト、聖霊が一体だとされました。結果として、キリストの言葉に拘束されず、実情に合った真意を理解できるようになりました。
信仰の自由とは自分が信じる自由で、他人の行動を規制することではないという認識も必要です。
 
 3. 「ゆめゆめ疑う事なかれ」という時代は過ぎました。
始祖の言葉を一言一句永久に正しいとして教えると、現実との違いから不信をもたれます。どのような背景に基づいて言った言葉かを考えるのが信徒の義務になると思います。
 
 4.生命工学の副作用
宗教界から遺伝子操作への批判があります。
さらに、遺伝子検査が重病の可能性がある場合の妊娠中絶を誘発するという批判があります。
このような妊娠中絶を認めることは重病者を差別する発想から生まれるという批判があります。しかし、福祉に使う資源が有限です。重病者の発生を最小限にした上で、それでも発生する重病者に対して十分な対策を立てるというのが本筋だと思います。人智で改善できる分野は人智に基づいて処理し、神の神通力は人智を超える分野で発揮してもらうべきでないでしょうか。
 
 5. 農業は粗放型から工場生産型に移行すると思います。
遺伝子組み換え食品は鉱工業の公害防止と同じ感覚で管理すべきだと思います。特に生態系の保存は重視すべきです。