2003/01/03
製品在庫と標準図面
1. 客先を絞れば、即納体制をとっても在庫量を最小限に抑えられます。
富士電機のセールスマンから聞いた話ですが、安川電機は北九州の立地であり、北九州には八幡製鉄(現在の新日鐵)が立地しているので、鉄鋼関連の需要の情報が入るようだ、その結果、安川電機の主力製品は鉄鋼関連メーカーが送風機、圧延機等に使う中容量モーターであり、需要の多い機種はロット生産をして、在庫し、即納体制をとっているということでした。需要の多い分野に絞ることができれば、製品を在庫しても、材料・仕掛品を含めた総在庫金額が減少できると言うことでした。重点製品を絞れない場合、素材や半製品で在庫して、受注してから加工して完成品にする方が、製品在庫より総在庫金額が減少します。
2. 需要の実態がわからないと、標準図面を整備して販売に用います。
実績のある機種を大型化・小型化して数ランクの標準図面を完備してあれば、受注段階で、すぐに出図できて、納期を短縮できます。それ以上の効果として、過去に使用実績がある標準図面を活用することにより、設計不良を防ぐことができます。
しかし、実績のない標準図面を変更して、大型品や小型品をデザインするには、その標準図面で、プロトタイプ(原型)の実験機を実際に作って、実際の性能を確認し、かつ、設計不良が含まれていないことを確認する必要があります。実績のある機種でも、図面に記載していない現場変更が行われている場合が多いので、原則として実証無しに標準図面には転用できません。
営業のバックアップ体制強化のため、注文がこない不況期には技術者を設計に集中させて標準図面とプロトタイプの実験を行わせますが、例えば、モーターであれば、(かご形、巻き線形、整流子形の各形式)×(2極、4極、6極の各速度系列)×(0.75kwから3000kwまでの各容量)という仕様の三次元的増加で作業が膨大になります。かつ、その中の主要仕様を選んで、モデル製品を作成して性能を確認する必要があります。
一般に、このような設計の標準化は、ある程度販売実績ができてから、製品の即納体制が可能になる前の段階で行われます。
2003/01/10
倒産と売上高対負債比率
1. 残れる分野を早めに発見することが重要です。
1970年代はサイリスター回路を使った可変速モーターがブームでした。その後、500rpm以下の低速大トルクの分野は減速機を併用する方式に戻りましたが、一時は減速機不要論まで聞かれるほどの状況でした。
[(日刊工業、1971/10/18)山善機械は高知の益製作所の変減速機の代理店になり、大阪、名古屋、東京の3本支店に益製作所から1名ずつ出向し、山善の担当者と共に営業サービス活動に従事。]
[(日刊工業,1971/11/05)益製作所が内整理、従来は安川商事中心の取引で、年商4億円、負債6.5億円、10月度の運転資金が6700万円]
安川電機の販売部門である安川商事を主取引先としていたが、当時は安川電機が可変速モーターに力を入れていた時代でした。それにしても商事会社に技術革新情報を全面依存することには無理があったと思います。負債が年商を上回る状態になる以前に上記の「販売会社に技術説明要員を出向させる方式を採用していたら、少なくとも縮小経営が必要だという情報を入手して、生き残れたのではないかと思います。
当時、固定減速比の歯車減速機はクレーン等の産業機械で、可変減速比の歯車変速機は工作機械が主要な用途でした。一般機械工具店が販売していた標準変速機は工作機械特に旋盤に取付けられる形態に設計された物でした。クレーンは別として、他の建設機械は油圧を動力源とするのが「最新式」であり、かつ、他の大部分の産業機械も自動化対応で新分野を開拓していました。工作機械もNC技術を導入できた工作機械メーカー以外は低迷傾向になっていて、NC技術を導入できる有力工作機械メーカーとの結びつきが求められていました。
2. 倒産の時は売上高対負債の比率が問題になります。
日立精機の倒産(2002/08/20)のときも年間売上高266億円で負債が504億円であることが問題になりました。この場合は、森精機が日立精機、日立精機サービスの両社から営業を譲り受け、営業譲受金額は26億円、両社の従業員約830名のうち約450名を引き継ぎました。
(http://biztech.nikkeibp.co.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/mech/206142)
大沢商会の倒産の時も当時の前川日銀総裁が「年間売上高の割に借入金が多すぎる」と発言した(日刊工業、1984.03.01)という例もありました。
方向転換をする場合は、売上高対借入金比率を指標にするといっても、売上高が急減する場合には、この比率が急変します。益製作所の場合、低速大トルクの分野で生き残るという見通しを早めに出すか、売上が急減した段階で人員縮小を図るべきだったはずですが、歯車加工には特殊な技術者が必要で、それを解雇すると、景気回復時に再雇用が困難という意識があったと思います。
2003/01/17
換気扇の各社戦略
1. 初期の換気扇は主な需要は工場の屋根に取付けるものでした。
第二次大戦前の工場は「のこぎりの歯」のようになっていて、南側垂直面をガラス戸にして、採光と自然換気を行っていました。戦後、逆V形の屋根にして、その最頂部に吸引式換気扇を並べた自然通風式が流行しました。
[(山善のPR紙:日本物流新聞1971/10/27)通産省の統計では新築工場の70%、既設の60%に換気扇が付いている。ただし、同じ換気扇でも既設の60-70%、新設で30-40%が自然通風式である。]
2. この記事が出た頃は環境重視で自然通風式換気扇からの移行が重視されていました。以下を見ると、トップ企業は新規需要の開拓に重点、3位以下は用途を絞ってコストダウン、2位はその中間というパターンになっています。特にトップ企業は価格競争を避け、収益性を高め、新需要を発見するためにコンサルティング・セールスを重視しているという傾向は他の分野でも見られます。
[(同上)鎌倉製作所はシェア70%の3500基/月で、セールスエンジニア養成のための研究所を設立し、自然通風式換気扇の工場を改善するためのノウハウを確立する。(日刊工業1972/12/18によると、シェア65%の6万台/年で、コンサルタントセールス重視を打ち出す。)
栗田電機はモーターからの一貫生産方式で、円高による設備投資の停滞に対しては農業用ビニールハウスや地下街等の新需要を開発する。
松下精工はアルミ製の錆びないファンで機種を絞って大量生産。
ワシノ風力機は2万台/年の専門工場を建設する。
三洋工業も茨城の専門工場がフル操業。
日本は年間10万台で、平均価格が10万円/台。]
2003/01/24
戦争と貿易
1. 第二次大戦後、資本主義国は共産政権の侵略性を警戒していました。
共産主義は生産性向上より平等な分配を重視するため、分配の平等化を口実に侵略をすると言われました。その一方で、共産主義国は計画生産を重視するため、自然の変化に対応しにくく、農業で特に問題を生じやすいと言われました。例えば、現在の北朝鮮では、農業には素人の首領様が「米を増産するため、蒔く種子を増加させるように」と指示したから、その指示を守って密植を繰り返し、生産量を低下したので、「援助してもらわなければ侵略する」と周囲の国を脅かす状況に追い込まれていると言われています。
国連の専門機関の活動には批判もあるのですが、それにしても国家間紛争を武力で解決する前に専門家による生活基盤強化の勧告を先行する時代に来ているのかも知れません。
中国の場合、改革・開放の段階までは人民公社を中心とした自主性を認め、自給自足形農業と国内需要向け小規模地場産業を育成していました。その結果、国営企業の赤字に代表される採算性の問題は残ったものの、「共産主義化しても食料の自給自足に全力を挙げれば周囲の脅威にならない。」という見本になりました。
しかし、国内経済の改革・解放に際して、過去の生産方式が採算無視であったことが重大な課題になってきています。
戦前の日本は「人口の半分が農民だが低生産性で自給自足が難しい。外米を輸入するには工業製品を輸出するしかないが、関税の障壁を壊して、市場を確保するには戦争しかない」という軍国主義に走っていました。
輸出品の主体は生糸を除けば、「安かろう、悪かろう」という低価格の生活必需品が主体だったので、「喧嘩腰で商売をする」ことが可能で、関税の障壁も平価切り下げで乗り越える、日本国内では輸入品と寡占化日本企業の製品を高価格で売りながら、外国には低い価格で輸出するソーシアル・ダンピングをしていると言われました。
2. 第二次大戦後の日本は「軍備負担がないことによる低コスト」で生産した民生品を輸出することで平和国家として生き残れました。
戦争直後は「日本のソーシアル・ダンピングを防止する」という占領軍の政策の下で、「占領軍が許可してくれた製品に"made in occupied Japan"という表示を付けて輸出しました。玩具も輸出用の前に占領軍兵士と国内需要向けが先になりました。兵器を生産していた大企業がブリキの廃材で米軍が使用していたジープの玩具を作ったこともありました。ホンダは戦時中の通信機用電源に使っていた発動機を自転車につけることで、軍事用通信機メーカーは5球スーパーヘテロダイン・ラジオ受信機で、鉄鋼関連では大型漁船、鉄道資材、炭坑資材、バラック住宅向けのトタン板と釘で、それぞれ国内需要を開拓することから仕事を始めました。
3. 朝鮮戦争以後に米国への民生品輸出が円滑に行えるようになりました。
朝鮮戦争が1950年6月始まり、休戦会談開始が1951年7月、休戦協定調印が1953年7月で、実質的戦闘は1年間でした。この間に、占領政策が「日本を共産主義の防壁にする」という方針に変わりました。米軍は第二次大戦に使用した中古兵器の修理を日本で行ったので、景気回復に大いに寄与したもののこの戦争自体は短期間で終わりました。直接的な軍需よりも米国本土への輸出が円滑になったことの方が大きな効果でした。この経過が民生品に強い日本を作りました。その一方で、長期間続いたベトナム戦争の軍需を受注する事には日本の大企業は比較的冷淡でした(1962年2月米南ベトナム軍事援助司令部設立から1969年12月16日第三次撤兵発表)
2003/01/31
円高と輸出産業
1. 輸出企業の円高対策
[(NHK TV #1 1995/04/19 21:30) NECは為替予約を利用。1本100万ドル単位で例えば、2ヶ月後決済で銀行と契約、輸出企業は、2ヶ月後に円高局面になっていれば利益をあげるが、円安局面では損する。
村田製作所は(1)円建て90%、85年に230円前後から130円前後に急激に円高になって以来、円建ての輸出を原則としている。(2)円建てでも取引できるように独自の技術を育成。セラミックのコンデンサーとフィルターで高いシエア、10人に1人が研究職、原料、焼成、組立の一貫生産。(3)為替クローズ、円建て契約ができない場合は、為替クローズの契約、これは例えば、中心レート±5%は輸出側負担、それ以上の変動は双方で按分負担]
2. 輸入業者のマージン
中小輸出業者の多くは円建て輸出をしていました。急激な円高といっても中期的には妥当な変動幅に限定されていました。過去に1971年1ドル360円から308円(14.5%)に暫定的な切上げ、1973年変動相場制に入って13%高の271円へ移りました。従って、2−3ヶ月待てば20%以内の切上げで落ち着くから、輸入業者のマージンが50%あれば円建てを承諾するというのが実情でした。しかし、継続的な円高環境の中で、輸入業者が50%のマージンを確保できる取引は徐々に少なくなりました。生き残った輸出の例としては、生産財の場合、現地組立て業者に部品をまたはOEM輸入業者に完成品を納入した例、消費財の場合、現地に営業事務所を設けて自社ブランドで量販店に売り込む例などに絞られるようになりました。
2003/02/07
玩具に見る円高と技術革新の関係
1. 円高と玩具産業
1949年に1ドル360円に決まりました。玩具の場合、それまで1ドル400-500円で輸出していた低価格品は姿を消し、電動玩具のような高付加価値品に移行しました。さらに、1971年のニクソン・ショック(固定相場での円高)を経験し、1973年に完全変動制に移行しました。その結果、輸出環境が悪化し、玩具業界全体が輸出から内需に重点を移しました。1971年にはSTマーク(Safety Toy: 玩具の安全マーク)が実施されて、内需に対しても品質保証の表示が行われるようになりました。輸出・国内両方の需要開拓のために、第1回見本市(1962年)が開催され、見本市に合わせて新製品を開発できるようになり、それに基づくマーケティングのシステム化が図られました。
玩具の多くは金属プレス加工からプラスチック成型品になりました。プラスチック用金型は1セット50万円で、1個の玩具にはそのプラスチック金型が3セットと付属部品用プレス金型数セットが必要で、合計300万円(1965年当時の価格、当時の職人の月給が残業込み3万円)の投資が必要でした。その投資を回収するには量産規模が大きくなり、かつ、失敗に耐える企業規模を必要としました。そこで、有力企業が集まって、栃木におもちや工場団地(1965年)が誕生し、部分的には金型代回収のため量産体制を作り、人気キャラクターを玩具とし、知的財産権を重視する販売戦略が強まりました。
2. プレス加工業の技術革新
製造工程でみると、浅草の製造問屋街の後背地に当る江東・墨田のプレス業者が大量に消滅しました。合計動力が1馬力(0.75kw)未満なら工場認可が不要なので、江東・墨田には多くの業者が動力プレス(5号、3/4馬力、5トン)やケトバシ(フートプレス:200−400kg)を用いて、厚み1mm未満の薄板を成形加工していました。
円高になって、玩具輸出が困難になったこと、さらに、玩具自体が鋼板プレス製品からプラスチック製品に移行したこともあり、零細プレス業者の一部は3号プレス(2馬力、15トン)、2号プレス(3馬力、40トン)を導入して厚み1mm以上の鋼板を加工できるようにしました。この結果、自動車、家電、建築金物のメーカーがプレス部品加工を零細業者に発注できるようになりました。
これらの次世代産業は試作品や小ロット品を彼らに発注したので、玩具時代のプレス技術、特に小ロット品の低コスト生産技術が次世代産業に引き継がれました。
円高でプレス業者の企業数が減少したことは事実ですが、玩具以外の高付加価値製品を零細業者に加工させる体制作りには円高が役立ったことは無視できません。
2003/02/14
景気への波及効果
1. 景気への波及効果では建設、玩具(戦争で使う玩具と子供が使う玩具)、生産財、民生品、福祉の順だとされていました。
最近、波及効果は固定的なものでなく、同一対象に継続的投資をすると急速に低下することが認識されました。1964年の東京オリンピックが公共投資の波及効果がピークだった頃で、7倍台の波及効果があるとされた時期でした。その後の公共投資は急激に波及効果が低下して3倍台になり、福祉と同程度と言われるようになりました。逆に、高齢化社会に対応した介護機器の開発等で福祉も技術開発を重視すれば波及効果が高いと言われるようになりました。ICの民需第一号は電卓だというのは有名な話ですが、それまでは防衛予算が小ロット半導体の開発時代に大いに役立ちました。パソコンの時代になると、IC/プリント配線基板の品質管理は、民需用では不合格のICを捨てるだけだが、軍事用半導体ではレーザーで補修して使うので、別分野になった、むしろ、民需用の技術を軍事が用いる時代になったと言われるようになりました。
2. 波及効果の維持には、セクターごとに以下のような目標を設定することが重要だと思います。
福祉:豊かな社会へのニーズの発見、介護機器等の技術開発。合理化の宿命として、省力化を目指す技術開発が高い波及効果を維持します。
玩具:新素材や加工技術の最初の活用分野。
民生品:効率重視のため、新分野開発より既製品改良の方が多くなるが、関連分野からの外注を増加させると波及効果が増加します。合理化で外注を増加させること自体は専門業者を育成する効果があるのですが、労働者の地位が不安定になることで、将来に備えて貯蓄し、消費を減らすというマイナスの効果が無視できません。
生産財:不況になると民生品よりも需要の落ち込みが激しいのに、生産部門の経験を生かそうとして新規メーカーが名乗りを上げるのが特徴です。成功すれば、技術的波及効果は高いけれども、実際には、知名度が低くても、技術を強調すれば売りやすいはずだということで新規参入を目指す企業が多く、失敗例が多いことも事実です。
建設:不況になると最初に財政支出をしてもらいやすい分野であるが、上記の通り、東京オリンピック以後に波及効果が急低落したことで、建設後の利用度が見直されています。
2003/02/21
付加価値の概略積算
1. 経営指標用の付加価値は加算方式で計算します。
付加価値とは本質的に粗利益と等しく、通常は、「売上−材料・外注費用」という減算方式で計算しますが、日銀方式や通産省方式等の経済指標は加算方式で計算します。加算方式では、人件費・賃借料・減価償却・支払利息・公租公課・利益等を加算するので、運賃・光熱費・補助材料等の補助経費が材料費として付加価値から除去されます。
労使紛争が頻発した頃、付加価値を計算し、それに対する労働分配率を一定にすることが提案され、その計算基準として日銀方式が使われました。
当時の日本は終身雇用制だったので、「安定経営のためには労働分配率の安定化が必要」という説明は説得力がありました。
中小企業庁の計算基準では減算方式の付加価値は加工高と呼び、加工高=売上高−(製品仕入れ高)−(材料費+部品費+外注工賃)として求めていました。
国内総生産とは国内の付加価値の総合計です。先進国では、成熟産業の製造部門を海外移転しても、開発・販売等の付加価値は国内に残るという議論が重要になってきています。
2.付加価値は主として人件費と設備費に使われます。
100万円の生産設備を販売した場合、販売部門のマージンが3割、生産原価が7割として、その生産原価が材料、諸経費、人件費でほぼ3等分されて、付加価値には生産原価の人件費と販売マージンが加算されて、概略値としては、50万円の付加価値が見込めます。その生産設備を購入して、民生品を製造するときの波及効果は、生産性の常識的数値として新設備の設備効率(加工高/設備費)は3回転、企業の総資産は1回転なので、設備費の3倍である年間300万円の加工高を生じるはずです。
加工高300万円の使途は半分が人件費、半分が諸経費の支払いであり、その諸経費150万円の半分は関連設備関係(75万円)で、その関連設備関係の経費の半分は減価償却費(38万円)すなわち付加価値に含める費用です。従って、加工高300万円のほぼ2/3(人件費150万円+減価償却費38万円)が付加価値に加算されます。
3. 海外取引が増加すると、国内の卸・小売りの付加価値が重要になります。
輸出なら上記の数値に国内輸送費が上積みされるだけですが、国内販売なら卸・小売りのマージンと輸送費からの付加価値が加算されるので、300万円から500万円の国内総生産になります。
海外に外注しても、開発コスト(減価償却の一部)や卸・小売りの販売等からの付加価値が国内で発生するので、100万円から300万円の国内総生産が残るはずです。
長期的にはR&Dのシーズが生産分野にあるのか販売分野にあるのかが重要な問題になります。最近の耐久消費財の技術は家庭用コンピューターを含めて成熟しつつあり、販売分野からの情報が重要になりつつあります。
2003/02/28
アウトソーシングと封建制度
1. 下請け利用は一種の封建制度です。
下請け利用を単なるコストダウンの手段と考えるだけでは、一商品のライフサイクルと企業グループの運命が同一曲線になってしまいます。
下請けシステムは封建制度です。大部分の下請け企業の主力受注先は一社に限定されていて、運命共同体としてのグループに参加した形になっているからです。封建制度の一面は、「判らない部分は外部の専門家に任せる」ことだとは比較的容易に理解できます。しかし、営業、即ち、外部情報の窓口が発注元だけに限定された閉鎖社会の中で安住することは、技術革新の中で危険であることに注目する必要があります。
農業地帯を襲って収穫物を略奪するときには中央集権形の情報収集で、富が存在する地域に関する情報を集める必要がありました。農民を「生かさず殺さずに収穫物を搾取する」には地域密着型のフレキシブル管理が必要でした。
2. オーストリア(Oesterreich:東の帝国)の司令官は神聖ローマ皇帝であり、選帝侯が集まって選挙で選びました。
中世の欧州は基本的には封建制度が必要な農業国家でしたが、東方からの脅威に対応できる優れた指導者をオーストリアの司令官にする必要がありました。
内陸部の騎士にとって国王と運命を共にするという協力関係が任務の主体になりますが、国境周辺の騎士は敵の来襲をのろしで知らせる役をしていました。
日本的経済システムでは製品発売源も官庁とか量販店とか限定した客先と取引しています。従って、親企業の社長は藩主であり、中央による任命ないし承認を得ることが重要でした。近代企業の場合も、得意先からの継続受注を得られるような営業活動と品質維持が重要であり、革新的技術の情報を得るのは親企業の任務であり、それを個々の分野で実現するのが下請け企業の任務でした。
グローバル時代になると、神聖ローマ皇帝のようなリーダーの役割を再評価する必要があります。
リーダーが最も大きなリスクを負うという点は従来通りですが、リーダーの情勢分析能力及びのろしを上げる貴族を活用する能力が重要になっています。
販売会社からの「のろし」による情報が十分でないとか、製造専門の関連会社が親企業から、「下請けも20−30%を外部から受注し、新分野と新技術の情報を提供できる存在になれ」云われることが多くなりました。
そうではあるが、ある分野の営業と下請けにはハングリー精神を求められていて、多くの小企業が「自分には無理な目標を与えられても、その目標に向かって必死に頑張ることしかできない」という単能工的要素が効果を上げてきたことは事実です。子会社でも「文献情報に強い体制を作ること」および「会社経歴書と決算書を持参して見込み客を訪問して歩ける経理マンを採用すること」が一応の回答になると思います。
2003/03/07
中途採用者の業務
1. 官庁とか公共企業体では実務部門を外注化するのが合理化だと考えられています。
一部の人は「官僚は非実務的で良く、背景情報に基づく判断力を求められる」と考えています。総務・人事・経理等の各部門のように文科系学生が「事務」と考えている分野は製造業関係の大企業では極めて少人数しかいません。特に1980年代のOA(office automation)ブーム以後は人数が少なくなりました。結果として、文科系出身者の多くは営業と購買を担当しています。
1960年代に、学歴は旧制専門学校卒業だが、その企業の分野とは直接には関係がない分野の専攻という者を採用した場合、製造部門の資材発注、工程管理、部品/製品の検査に配属させました。彼らは中途採用と言うことで外部企業の状態を知っているので、労働組合運動の暴走を止める安定勢力になりました。
学校を卒業して、直ちに大企業に就職した者は、例えば、三池炭坑争議の時に、「三井鉱山が滅びるときは日本の資本主義が崩壊するときだ」という過激な発言をする傾向がありました。
2. 中途採用の間接部門勤務者は、不況時に営業・合理後の重点育成部門等への配置転換が期待されていました。
中途採用者は外部の情報を知っていて、かつ、製造部門の勤務で取扱い製品の概要を知っているので、営業向きの人材がいれば、営業に移動させました。多くの場合、技術説明が重要な分野の営業で有効だったようです。
標準的な合理化手順は(1)社内の作業の内、合理化しやすい作業を標準化し、外注にする。(2)手作業であるが、標準化された外注作業を合理化設備に移せるようにし、その合理化設備が高額である場合は社内に導入して社内加工とする。(3)外注作業の内、新技術で合理化できそうな分野について社内で開発をする。(4)2台目以降の合理化設備は低価格になるはずなので、外注先が投資可能であれば、外注先に導入させて外注先に発注する、というようになります。合理化設備の詳細設計と製作は外注になりますので、設計技術よりもニーズの情報が重要です。以上の手順を踏むので、中途採用だが、情勢判断ができる人材が開発に参加し、または、購買部門にいて情報提供できることが好ましいと考えます。
2003/03/14
石油化学プラントの技術導入
1. 早い時期に化学工程のフローチャートを知っていれば技術導入で先行できるというのは一般的に正しいのですが、従来は営業面の見通しがある企業が有利でした。
工業化学では酸化に酸素を、還元に水素を使います。水素を得るために、炭素を含む石炭・石油・天然ガスに水を高温接触させて一酸化炭素+水素の水性ガスを作ります。水性ガスは過去に都市ガスとして、現在は各種化学の原料として、今後は水素燃料の原料として、常に重要な反応になっています。水性ガスを得るために、ナフサと水の混合体を伝熱管に通し、その伝熱管を赤熱する反応炉がプラントの中心設備になります。
1960年代には猫も杓子も石油化学と叫んでいました。しかし、化学プラント・メーカーの中でも石油化学に参入しているのは僅かで、参入できないでいるメーカーは赤字企業が多いということは事実でした。参入できない企業の一部からは「設備は炭素鋼材とステンレス鋼材を単純に溶接する設備しかない。石油化学のプラントには炭素鋼材にステンレスの裏張りをした機器が多いなどと言うことは知らないし、関連技術についても知らない。その技術を導入しても売り込むべき見込み客の探し方も知らない」という反応がありました。ただし、そのような反応をした企業は次世代の中心設備となった公害関連設備にいち早く転進していました。
1960年代までの日本企業は政府の強力なバックアップを必要としていました。エリート官僚が「これからは鉄鋼・石油化学のような重化学産業が有望だ。だから臨海コンビナート建設の支援が必要だ」と判断しました。もっとも、この種の判断能力は高級官僚に求められるもので、民間企業は客先との結びつきの方が重要でした。
石油化学の場合、例えば、日本石油から機器修理の受注をしていた新潟鉄工のように、有力客先との結びつきが強い企業がエンジニアリング技術および反応炉のような中心的機器の技術導入をし、販売面の実績が少ない企業でも石油化学が有望だと感じていた企業は周辺機器の技術導入をしていました。それにしても、名前を知っていれば、特に窓口になる商社がその機器名を知っていれば、できれば反応のフローシートの中での重要性を知っていれば、早い時期に技術導入するのに役立つというのも事実でした。
2. グローバル時代に対応して外注を増加させる場合、資材手配と品質管理の業務が重要になると思います。
グローバル時代の業態を考えると、いわゆる、高級官僚に求められていた判断力が一般会社員にも求められる時代になったと考えています。
問題は情報収集の形態です。官庁は権限を背景として、「ヒヤリングによる情報収集」に頼る傾向があります。文献資料の重要性は知っているが、自分で集めず、与えられた資料はしまい込んで、自分の宝物にしています。民間の場合は、新聞・雑誌に出ている「ベタ記事」程度の情報を丹念に集める必要があります。
化学プラントの品質は現場監督によって大きく左右されます。客先が現場監督の重要性を認識している場合、新規参入は非常に困難です。対策は新製品の開発、特に、モジュール化による工場出荷前の検査の充実と作業の標準化による作業不良の防止を含めた技術です。
2003/03/21
ダイオキシン対策の初期情報
1. 手探り段階では客先との勉強会で業界全体の開発動向および他社より一歩進んでいることを示すことが営業の定石だと思います。
初期のダイオキシン対策は温度制御でした。生成ダイオキシンはバグフィルター(筒状の濾過布)で除去するので、燃焼ガスを200度C以下(好ましくは90度C以下)にする必要があるのだが、ダイオキシンは300度C前後で塩化物から生じるので、連続運転で燃焼中に300度Cのガス温度領域を作らず、かつ、燃焼温度から200度C以下に瞬間的に冷却するのがポイントになっていました(日刊工業,1997/10/22その他)。
この種の情報は「厚生省は新設焼却炉はダイオキシンを0.1ナノグラム以下とした(Nikkan-Kogyo, 1997/01/24)」という基準が設定される1−2年前に集中していて、その後の情報は「ダイオキシンの危険性と新製品発売情報が主体になります。従って、まずダイオキシンの歴史に基づいて、情報サーチのターゲットとなる時期を決めるのが定石です。
実験完了段階のプラントを売り込む場合、以下のような新聞・雑誌の記事をライバルの情報を含めて、勉強会形式の説明会で顧客に提供し、自社はそれらより一歩進んでいることを示すのが重要だと思います。
他社の実績が報告された段階では、納入実績を誇るか、パイロット・プラントでの充実したデータを示すことになります。
2. 初期のダイオキシン対策
[(日刊工業,2000/05/18) 村松風送設備工業(静岡県浜松市大久保町1227、村松賢一社長、053・485・4331)は、間接冷却方式による焼却炉のダイオキシン除去装置「MCCDシステム」の販売に力を入れる。
焼却炉から出る高温の排ガスをそのままにしておくと、ダイオキシンが再発生してしまう。除去装置ではまずガスに水を噴霧して、800度Cから200度Cまで温度を下げ、フィル夕ーでダイオキシンを除去している。しかし、水を使うと機械の腐食や除去フィルターの目詰まり、排ガスの膨張などのトラブルが起きてくる。
同社はガスに水を触れさせない間接熱交換での冷却システムを開発。]
[(日刊工業,2000/05/18) NKKはダイオキシン類の発生量で2002年12月以降の規制値となる0.5ナノグラム以下を達成、排ガス量も3分の1に抑えた環境対応型高効率アーク炉・エコアークを開発。
また900度Cの排ガスを2次燃焼室で追いだきして温度を保ち、200度Cに急速冷却し、さらに空気で90度Cまで下げてバグフィルターを通すことで、ダイオキシンの再合成を防ぎ、0.5ナノグラム以下を実現する。発塵、発煙量の大幅低減も実現している。
[(日刊工業,2000/07/06) NKKが所沢市から受注した230トン炉は、廃ガス中のタイオキシン濃度が全国で一番厳しい自主規制値となる0.01ナノグラム以下のクリアを条件としており、これに対応するためバグフィルターから湿式洗浄装置、活性炭吸着塔、触媒脱硝装置と重装備した装置が併設され、灰溶融炉も付くトータルシステムとなった。]
2003/03/28
化学プラント売り込みの初期段階
1. 一般社員同士の初期の折衝は資料に基づく勉強会だと思います。
プラント・メーカーが化学会社に廃ガス処理用公害防止装置を売り込むと仮定します。主力設備はバッグフィルターで、その原理は家庭用電気掃除機と同じ原理でガス中の塵埃を袋で除去します。このバッグフィルターに必要な馬力とスペースをカタログから選定するための計算式、袋で除去した塵埃の処理法、メンテナンスに必要な人員と必要な経費等の資料を提供します。
第一回の訪問で、見込みのある顧客だと判断すると、第二回は部長と課長を連れて訪問する例が多いようですが、この段階では一般社員の方が主役で、上役はアドバイザーになる傾向が多いようです。
2. セールスマンの服装と話題は相手に合わせるのが原則です。
よく、「余計なことを言うと、お客が迷って売れなくなる」ということを聞きます。過去に高額品を購入したことがない顧客にクレジット販売する場合などには、この説明は事実です。しかし、顧客が専門の担当者である場合、又は、顧客が以前にトラブルを経験している場合などには、資料不足・説明不足で、受注を失敗する場合の方が多いようです。「あのセールスマンはしつこく訪問を繰り返すが肝心なことを教えてくれないから出入り禁止にした」という例も聞いています。
特に、他社製品との比較を聞かれたときの対応策は十分に考えておく必要があります。
「あのメーカーの製品は良くできていると思いますが、当社はパイロット・プラント等でその分野での経験では十分負けないという自信があります。」と言えて、かつ、その裏付け資料を用意したいものです。
3. 斜陽製品ほど、セールスマンの弱気が問題になります。
成長分野の製品に対して購入意欲がある企業の多くは大きな夢を持っているので、強気の売り込みの方が成功しやすいことは理解できるのですが、斜陽分野の製品は、客先が「コスト効果を重視する」場合や、客先が「低収益だが老朽化したので更新したいので、なるべく低価格で」と要望する場合が多く、「ここで投資しないと、斜陽産業になります」といった強気の売り込みでは、客先のバイオリズムとの違いで反感を持たれて失敗したようだという経験を持つ場合が多いようです。しかし、そのような失敗よりも、それを怖れて弱気になりすぎ、「あのセールスマンは自信がないようだ」「あんなに簡単に値引きして、品質は大丈夫か」という不安を客先に与える場合の方が多いように感じます。
2003/04/04
化学プラントの売り込みとリーダー
1. 日本の将棋に例えると、飛車が部長で、金将が課長に相当するとされます。
日本の将棋では、飛車は遠距離砲の役をします。金将は守備隊長の役をします。
以下の事例は以前に示した事例ですが、部長がシステムの概要設定で中心的役割をしたはずです。
[(日刊工業,2000/07/06) NKKが所沢市から受注した230トン炉は、廃ガス中のダイオキシン濃度が全国で一番厳しい自主規制値となる0.01ナノグラム以下のクリアを条件としており、これに対応するためバグフィルターから湿式洗浄装置、活性炭吸着塔、触媒脱硝装置と重装備した装置が併設され、灰溶融炉も付くトータルシステムとなった。]
化学プラントの多くは「十分な実績が少ない段階で、バックアップ設備を付けて安全度を高める」段階で売り込みを行っているので、経験の乏しいセールスマンに任せておくと、「未確認の性能を保証するような暴走をする」危険性があります。従って、部長が業界全体の開発状況を十分に配慮して、バックアップ設備を追加して、価格が上昇することを客先に了解してもらいます。
2. 課長は見積書作成のための詳細条件を確認する段階で主役になります。
例えば、客先の受電容量を考慮して、かご型モーター(安価だが起動電流が定常値の7倍流れる)か、巻き線型モーター(高価だが起動電流を少なくできる)の選択をするような重要な詳細仕様の設定をします。
引合いの前提条件が、A化学プラント・メーカーの提供した資料とB化学会社自身が公開文献から独自調査したものの両方で作成してあれば、A社の受注の見込みが高くなりますが、ライバルC社からの提供資料が多く利用されている場合は、A社は出血受注を覚悟して値引きするか、新提案を含めて高価格見積もりとするかの判断を迫られます。この価格決定は取締役事業部長がしますが、採用されている提供資料が少ないと言うことは、セールスマンをバックアップする社内体制がライバルC社より劣っていたことになり、課長の責任になります。
2003/04/11
トップ・セールス
1. トップが客先に行く意味は「値引き権限のある者が来訪した」という暗示を客先に与えます。
そうではあるが、初期の「担当者とセールスマンの勉強会」の段階に同伴する場合は、一般セールスマンに必要な資料と情報の収集で協力させます」という暗示を与えるようにします。
2. 新製品のカタログができたところで、一部上場会社の専務が売り込みに行った例を聞いています。
一部上場会社であるAプラントメーカーが新製品を開発しました。しかし、販売実績が無く、訪問販売でアポイントもとれない状態だったので、全く販売実績のないB化学会社に平社員と課長の3人で訪問をして売り込みをしたことがあります。
B社の施設部長は「専務だからと言って、私が会ったら、あとでうるさく売り込みに来る」と言って、工業高校を卒業したばかりの施設課員に対応させて、カタログだけを受取って帰らせました。
しかし、A社の専務が飛び込みセールスに来たことと、B社の応対の仕方がB社の内部で評判になり、「A社はトップ以下の全員が行動的で、熱心だ」というイメージがB社に定着しました。一方、A社の社内では「専務が行って追い返されたこともあるのだから、訪問して失敗しても、良くあることだと思え」と新人セールスマンに話すことにより、新人セールスマンの「断られる事への恐怖心」を解消するのに役立てたと聞いています。
2003/04/18
技術提供企業
1. 自分で作って売れば儲かるという企業は技術を外部に出したがりません。
見込み需要が少ないから開発費の一部を負担してもらうという例は軍用機、石油化学用の加熱炉や高圧コンプレッサーなどにあって、巨額のノウハウ・ローヤリティを要求されました。低価格のノウハウ・ローヤリティで技術導入が可能なのは下位メーカー、特に開発はしたが実用機を買ってくれる客先がないという企業です。
2. 下位メーカーからの技術導入は製造段階での追加R&Dが必要です。
第二次大戦前の日本は欧米諸国が制式採用しなかった試作機の図面と試作設備を積極的に購入して勉強し、試作機の開発能力では欧米と同等になりましたが、大量生産技術が劣っていたと、戦後に反省していました。
戦後も、多くの企業がパイロット段階では製造できた新技術を導入したが、量産技術の開発にかなりの資金と期間をかけて、やっと販売できたという例は非常に多くあります。
2003/04/25
技術提供企業を通じた販売
1.技術提供をしてくれる企業の多くは販売力が弱い企業です。
円の変動相場制に移行した1960年代後半に、輸出主体だった日本の中小企業は低価格品での輸出が困難になり、販売先を国内に転換しようとしました。一部は大企業の下請けになろうとしました。大企業の下請けになろうとした企業は、「性能が低い」という評価で苦労しました。一部は贈答品市場向けの低価格商品を出しました。贈答品は販売促進のために他の商品に添付するプレミアム商品が主体であり、低価格を重視するので、その市場への売り込みを図った企業の一部は製造技術を東南アジア企業に提供して作らせる開発輸入型の取引を試みました。
2. 耐久性を重視した本体改善が求められました。
日本の市場は競争が激しいので、ギフト商品といえども品質改善が求められました。
1960年以前の日本製品は「安かろう、悪かろう」という評価でした。当時の下位メーカーは回路技術と人海戦術型組立技術では優秀だが、低価格と小型・軽量をアピールするために、変圧器とモーターに代表される高額で重量自体が品質を代表するような部品のグレードを下げることでコストダウンを図ります。さらに、小型のプレスで加工できるようにボディの肉厚を薄くします。その企業が日本国内の贈答品市場に進出する段階で、東南アジアのメーカーに品質向上を求めました。
3. 日本の下位メーカーは低価格品専門の販売ルートを知っているはずです。
1960年代前半まで輸出専門で操業していた企業の一部は、円の変動相場制移行の段階で海外に技術を売渡して撤退しましたが、撤退前の段階で日本国内で扱ってくれそうな販売ルートを探して歩いているので、日本国内のギフト商品ルート、ディスカウント店などに売込んだ経験があるはずです。また、世界各地のバイヤーとも一応のコンタクトをとれる情況にあるはずです。従って、「技術を売り払ったあとで廃業する」というような企業の経営者でも顧問としてコンタクトをとれる状態を維持する価値はあると思います。
2003/05/02
半導体の技術導入と逆輸出
1. 初期の半導体にはシリコン・サイクルという需要変動があり、好況時には輸出がしやすいという事情がありました
[(続日米半導体戦争1980年日刊工業新聞社p119)1974年、日本からのICの輸出が始まり、1979年10月にはIC輸出超過国になる。]
[(日本の半導体開発1981年、中川靖造、ダイヤモンド社p209)NECは1974年アメリカ製と互換性のある4Kビットのメモリーを作り、(コンピューター技術の提供企業である)ハネウエルが1年間にわたってテストし、その品質を認め、自社コンピューターに使ってくれた。]
ハネウエルは、インテルの1Kメモリーでも最初のユーザーになっている企業でした。IBMが大量のメモリーの外部購入に踏み切ったのは1979年5月、Eシリーズ用64KビットのRAMが間に合わず、16KビットのRAMに切り替えたとき(続日米半導体戦争p21)でした。それに示されるように、上位メーカーより下位メーカーの方が外注利用の比率が高いという傾向はあるようです。さらに、コンピューターという最終製品の技術を導入していれば、その後の輸出チャンスを発見しやすいようです。
2. 技術導入か独自路線かは難しい選択です。
富士通のMシリーズはIBMの命令コードに独自の10命令を追加して、IBMの回路著作権を回避した。日立はIBMとの完全互換システムだったので、年間50億円の著作権料をとられました。一方、富士通のコンピューターはIBM用ソフトウエアを読めるが、富士通専用ソフトウエアはIBMのコンピューターでは読めないと言う上位互換形式になっています。
この命令セットを追加する上位互換形式は8ビットCPUのZ80の取扱い説明書にも出ていて、かなり広く知られている手法でした。
しかし、日立は高額の著作権料を払ったので、IBMとの関係が良くなり、その後のRAMのIBM向け大量輸出に寄与したとされています。
将来は「面倒な取扱い説明書を読んでいると眠くなる。途中で居眠りをしても良いから最後まで読め。それから上位互換方式のコツを発見してくれれば年間50億円の節約になる、50億円あれば年間300万円の給料をもらっている技術者が1666人居眠りできる」という戦略と、「50億円払ったからその後のIBMとの関係が良好になり、64KビットのRAMを売りやすかった。50億円払ったうえで低価格輸出をするのだから居眠りせずに働け」という戦略の対決になると思います。
2003/05/09
大型装置の受注活動
1. 大型装置の受注は人海戦術が原則です。
巨大装置の受注金額が50億円で、受注活動1年半の間に客先の前に現われた営業と設計が5人で、人件費合計が300万円/人/年*1.5年*5人=2250万円で、受注金額の0.45%にしかなりません。結果として、20人のプロジェクトチームを作っているライバルに仕事を奪われたという話があります。
20人のプロジェクトチームを作っていた企業は当然テスト用のパイロット・プラントを作り、文献調査も十分に行なっていて、その自信が営業マンの態度にも現われていたとされています。
2. 20人のプロジェクトチームを組むということは短期決戦を前提にしているということです。
大企業でも300万円*20人=6000万円/年の支出を受注の見込みなしに長期間負担できません。
しかし、大企業には不況が長引いている部門があります。その場合、設計要員の多くを旧設備の自動化とか、古くから取引のある顧客の設備を改造するとかの仕事で生き延びようとしますが、旧設備を自動化する程度の準備では好況時にもメインとなる新規需要にできないことが多く、新規需要の引合にとりあえず5人程度のチームで対応させるので、20人のプロジェクトチームで組んで本格的体制で売込む企業に対応できなくなります。
この好例は倒産した日立精機で、需要の主体が零細企業向けのNC旋盤に移行しているときに、対応する機種の発売が著しく遅れ、膨大な技術者は何をしていたのかという疑問を出されていました。
2003/05/16
ビフォア・サービスとアフター・サービス
1. ビフォア・サービスとは受注前の勉強会から受注条件の話し合い迄で、顧客が希望するものを提供することです。
(1)客先が企画段階や予算申請段階で参考にできる豊富な資料
(2)短期間に見積もり仕様書や客先の承認を受けるための据付け図の修正提出を短期間で行なえる大量動員体制、
(3)受注直前の段階での大幅値引きと納期短縮のため大量動員できるトップの判断、
といったものがビフォア・サービスの必要条件になると思います。
2. アフター・サービスには定期点検型の作業とクレーム処理があります。
トラブル発生時のクレーム処理では顧客が怒っているという異常心理を前提とする必要があります。原則としては、営業・設計・研究・品質管理(検査)の各部門から多彩で、大規模な陣容が短期間で到着し、怒っている顧客の前で、整列して、無言で叱られて、反応としては否定も肯定もせず、豪華な測定機器で実態調査に当たります。
2003/05/23
化学プラント・ユーザーのノウハウの活用
1. 韓国、中国に製鉄所を建設するための技術輸出は高炉オペレーターである新日鉄が主役になっていました。
日本が1960年代に石油化学プラントの技術を導入したときにも、例外としては装置メーカー同士の技術提携があり、例えば、舞鶴重工がストルーザから塔そう類、東洋火熱がシカゴ・ブリッジから石油タンクの技術を導入しましたが、技術導入の大部分はプラント・ユーザーと密接な関係を持つエンジニアリング会社からでした。
2. 注文が中断しているプラントに1人の専任をおいて、技術の進歩を監視し、引き合いがあったときに即時に対応しようというのは一応納得できる戦略です。
「一生の仕事として肥料プラントと取り組んでいる」という人間は、客先の肥料メーカーに多数いるので、化学プラント・メーカーの中にその種の専門家を多数置くよりも「良い技術は当方で売ってあげます」という形で、客先の知識を活用するのが原則的手法だと思います。
その立場からすると、「技術用語のわかる営業」「20万トン・エチレンプラントから半導体用クリーン・ルームまで広範囲に動き回るプロジェクトチームの要員」「文科系出身の課長級営業マンだが、新卒設計技術者の指示を受けて据付け図を斯くパートタイマーとして働ける人材」の組合せが最良だと思います。
2003/05/30
分散処理と計算室
1. 計算室はコンピューター担当スタッフを保護するために設けられました。
30人クラスの中規模問屋が初期の電子計算機を導入して失敗したのは、第一は低い能力の電子計算機に過大な期待をしたという能力のギャップと、電子計算機は人間の仕事を奪うという不安感が全従業員にある中で電子計算機とそのスタッフを他の従業員と一緒に大部屋に同居させたため、電子計算機担当スタッフが周囲からいじめられたことが主要な原因でした。
そこで、大企業はIBMやユニバックのような外国製コンピューター・ベンダーの助言を受けて、計算室を分離して、電子計算機の担当スタッフがいじめられないようにしました。
2. ミニコンによる分散処理の段階で計算機室との分担が問題になりました。
3000万円の電子計算機が計算機室に1台しかなかった頃は、計算室の業務が財務・販売・在庫等の管理をする業務がメインであり、その仕事がとぎれると、設計から依頼されたフォートランで書かれていた技術計算プログラムを処理していました。
営業・財務が主で、技術計算は従であったのですが、将来の業務量の増加は技術計算によるという期待があったので、1000万円のミニコンを設計部が導入するという話が出たとき、ミニコンの稼働率は低いはずだと抵抗しました。設計部としても、初期のCADの多くがCAD専用機だったこともあり、又、フォートランで書いたソフトの処理には、計算室に入っている大型計算機の方がミニコンより使いやすかったこともあって、1000万円のミニコンを入れる代わりに価格150万円、メモリー10−100語程度の高性能卓上計算機を数台導入していました。
3. 16ビット・パソコン用表計算ソフトが状況を一変させました。
16ビット・パソコン用表計算ソフトがあれば、かなりの技術計算ができるという状況になったので、一気に分散処理に移りました。日本ではNECが日本語処理を高速化する独自のMS−DOSを組込んだ16ビット・パソコンで高いシェアを維持していましたが、富士通の16ビット・パソコンは独自のOSを組込んで、MS−DOS系ソフトとフォートランで書かれた従来の計算ソフトを転用するのに便利ですというセールストークで売り込みました。
2003.06.06
コスト見積りに見込む余裕
1. 客先が納得する形にする必要があります。
理事長としてマンションの大規模工事で見積もり合わせをする機会があり、見積りを募集したのですが、市販されている積算資料を参考に見積り計算をしているせいか、方式提案で差が出ても、部品等の細部ではあまり大きな差はありませんでした。居住者の全員投票の結果、「古い塗膜を全面的に剥がして塗り直す、さらに、専任の現場監督を配置する」という提案をした企業が最高価格にもかかわらず、受注することになりました。
市販されている積算資料はある程度の余裕は見込んでありますので、それに基づく見積り価格であれば、多くの企業が適正利益を出せるはずです。さらに、図面から拾い出した部品数に過大な予備品を追加することも不信感をもたれます。
2. 「専任の現場監督が付くから手直し工賃を大幅に見込む」というのは納得してもらえるようです。
輸出でも、未熟な現地作業者を訓練するため、予備人員を過大に見込んでいたというのは理解してもらえる場合が多いようです。
2003/06/13
サンプル価格と輸送費
1. 電子部品には100−500個単位で試供品をサンプル価格で販売する習慣があります。
化学薬品や機械部品の場合は試供品を無料で配布する例が多いようですが、電子機器では、小ロットの試作・特注品と大量生産の両極端の需要があり、試供品だけで製品を作られてしまう場合も多いので、最小ロットの製品をサンプル価格で納入し、量産ロットについては別途割引するという商慣習があります。
2. 大型機器の場合陸送費が予想外にかさむことがあります。
1960年代に鉄鋼・石油化学のような重化学工業が花形産業と言われました。そのときに言われたことは、輸出品の場合、日本からの船便も欧州からの船便も現地陸揚げ段階の価格は世界中どこの場所でも大差がなく、陸送費で差が付く。だから臨海工業地帯に立地するのだと言われました。同じ意味で、発送先での陸上輸送がコスト算定の重要要素になると言われました。
3. 1970年代になって内陸部の逆襲が始まりました。
1970年代になってから軽薄短小の時代が始まりました。さらに、宅配便が普及しました。図面や注文にファクシミリや電子メールを使えるようになりました。裏日本の小企業が20kg以下の自動車用部品を表日本に宅配便で送れば、1000−1500円で翌朝には届けられるということが認識されました。逆に臨海工業地帯周辺の陸上交通の渋滞が重視されるようになりました。
4. 外装品のテスト輸送で問題生じることがあります。
外装品は輸送中に傷が付かないように特別の配慮をする必要があります。海外に工場を造り、販売量が少ない間はノックダウン方式を採用することとし、特に外装用プレス部品は日本から現地に送ったところ、かなりの輸送費になり、「日本へ行ったら、現地輸入価格の半値だった」と報道されることもあります。
2003/06/20
生産財の営業活動例
1. 面白い例がありました。
[(日本の半導体開発」、中川靖造、1981年ダイヤモンド社,p220)東芝は開発コスト1万円のC−MOSのLSIを1個3000円でシャープに売った]
2. 売り手から見て、受注には次の3段階があります。
(1)設計:ライバルに負けない性能の製品を作るのが基本です。本来は社内で使うはずだった半導体でも、性能を実証するために開発段階で社外に販売した方が良い場合があり、その場合は営業に働きかける必要があります。成熟商品では、設計が営業活動に参加するのは通常客先から、通常、引合いが来てからですが、開発段階では営業に「C−MOSのICが完成したからシャープの電卓部門に売りたい。シャープの回路設計担当者に連絡し、訪問日程を決めてくれないか」と指示し、営業と2人で初期の訪問をします。
(2)見積り:コストの見積りをする部門ですが、受注が確定する前には、この部門に属する技術者が客先を訪問して、客先の意向を具体化するシステム設計を行います。このシステム設計がコストに重大な影響力を持つと同時に、ライバルとの競争力の強化に役立ちます。企業内では、この部門は基礎設計課、業務課、計画課と呼ばれています。
「C−MOSのICは原価1万円だが、シャープに3000円で売る。試供品販売と言うことで3000個売れば、2100万円の損失になるが、研究開発費として落とす」。という時は開発と営業だけで動き、見積り部門が傍観することがあります。
標準化が進んだ段階で、標準化した本体の工場出荷価格が確定し、それに外部から購入する装置を付けて、外部の設置工事業者に現地組立てをさせるが、その現地工事も標準図面で実施する場合、営業が見積りを担当し、見積り部門が参加しない場合があります。見積り部門による見積りはコスト高になる傾向があるという理由で、特殊仕様と大口受注の場合に限定して見積り部門が見積もる場合があります。
設置場所や輸送条件等の問題から標準品からの設計変更を求められる場合や標準化が済んでいない機種の場合に見積り部門だけでなく設計が初期の仕様打ち合せに参加し、見積りを行います。
この場合でも、例えば、電動機のように外部購入機器で、かつ、客先の方が電動機の価格についてよく知っているという場合には、客先の顔色をうかがって価格設定をする必要があり、その場合は営業が機器の手配と見積りの両方を行う場合があります。
(3)営業:販売会社の代表として客先に販売会社の意向を伝える役という単純な発想で行き詰まる場合が多いようです。売り手と買い手の接点を担当するので、場合によっては、客先の代理人として社内にクレームを出すという機能を重視しないと、営業は地獄の世界で生きることになります。その反面でユーザーが欲しがっている価格表とカタログ、修理部品を迅速に届けるメッセンジャー・ボーイの役割も重視すべきです。最初の引合いを客先が出してくれるまでの売り込みは「営業と客先の勉強会的な商品説明」が主体になり、「営業が判らない技術説明を客先が理解してくれるか」という立場を明確にすべきです。
2003/06/27
売込み時の技術説明と価格交渉
1. 売込み時の技術説明は客先の設計部門・設備管理部門に対して行いますが、価格交渉は購買課を相手に行います。
東芝が原価1万円のC−MOSを試供品提供と言うことで3000個に限って1個3000円でシャープに売却したという例で考えた場合、シャープの設計部門からは製品に占める半導体コストから1個3000円でなければ妥当な最終製品価格にならないという程度の価格要求があったはずです。
2. 購買課との交渉ではもう一段の値下げや延べ払いによる金利負担を求められることがあります。
東芝がシャープに対して売っているものは、そのC−MOS半導体だけではないはずで、場合によっては、年間総取引額の数%のリベートを要求されることもあります。
2003/07/04
新製品の客層
1. 新規の顧客の多くは新分野の情報に強い関心を持っています。
特に従来の取引先との取引を打ち切って新規取引をする場合、新分野情報が重要な役割を果たすこと多いとされています。
零細小売店の店舗改装が盛んだった頃、店舗改装業者は仕入れ先の情報を武器にしていました。
東京オリンピック(1964)の頃が零細小売店にとって最盛期でした。その頃、トーキョーの店舗改装の専門家に頼んだら、店装の設計・監理だけでなく、履物の仕入れ先は浅草の花川戸、陶磁器の仕入れ先は日本橋蛎殻町に集まっていると、他業種の仕入れ先の話をしてくれる、当面、転業するつもりはないけれども、経営環境の変化に対応するのに有益な情報だという評価を受けていました。
2. 開発初期の機種は具体的な効用を絞ることが決め手になります。
具体的な用途を明示しないと、「開発初期の機種は扱いにくくて、価格も高い」というという評価を受けやすくなります。最適用途をいち早く確認して、「高価だからライバルが少なくて融通の利かない段階の方が、適合用途を絞って働きかければ、成長分野からの新規受注も可能であり、用途を絞った方が段取り時間を減らせて稼働率を高められます。」という説明をして売込みをする必要があります。
例えば、初期のNC旋盤は油圧パルス・モーターを付けて、コンピューターが付いていませんでした。売込みをするターゲットを手動ターレット旋盤を使っている加工業者の中でも量産品を扱っている企業に絞っていました。その後、コンピューター付きNC旋盤に改良されて使いやすくなったものの、ライバルが多くなって新規開拓が困難になりました。
2003/07/11
民間の見積り合わせ
1. 入札と言っても実質は見積り合わせが多いようです。
民間の場合、入札条件が明確になっている例は少なく、業者の提案を歓迎し、「品質と価格」の両面に配慮して発注先が決定されます。
2. 全員投票だと最高価格を提示した企業に落札される可能性があります。
私が住むマンションで10年に一度の大規模修理をするために見積りを募集し、総会に業者を呼んで説明を聞いてから、全員投票に掛けたところ、最高価格を提示した企業が、「そのセールスマンが自信満々で信頼できそうだった、かつ、古い塗膜を全面剥離して欠陥部を発見しやすくし、補修後に塗装するという新提案をした」として、最高の票数を集めて、契約しました。それにしても、日本のセールスマンの多くは「大衆を前にした10分間の説明」をする機会が少なく、そのような説明が下手だと感じました。
3. 委員会方式だと「下から3−4番目の価格を提示した企業に発注する」という傾向があります。
当時、私自身が理事長として見積りを募集し、各社を比較しやすいように一覧表を作成したのですが、「低価格の提示企業では品質に不安があるが、それ以上の問題として最高価格の提示企業を支持しているようなイメージを与え、後でその最高価格の提示企業に問題を生じた場合、私が組合員から強い非難を受ける可能性がある」という不安があり、一覧表の中で「最高価格の提示企業が優れている」ということを示唆しないように留意しました。
全く同じ傾向が、専門委員会を作って、その専門委員会が発注先を決定する場合に生じているようで、日本列島改造ブーム(1972)の頃に同業組合の会館建設で下から3−4番目の価格を提示した企業に発注した例を聞いています。
2003/07/18
入札者の戦略
1. 民間の入札でも官需部門が担当する例が多く見られます。
多くの民間企業は「入札参加」を「メーカーの直接販売手段のひとつ」として位置付けているようです。入札とは業者が見積書を提出し、客先がその見積書を他社の見積書を比較した結果と、かつ、見積書提出後の値引き交渉の結果に基づいて発注しますが、見積書提出後の大幅値引きは品質低下と手抜き工事の原因になりやすいので、見積書提出後の値引き交渉は最低限にするというのが一般的認識です。即ち、見積書提出後の値引き交渉の代わりに提出前の仕様決定段階が重要で、客先に情報を提供すると共に、見積書にも新提案を積極的に含めるというビフォア・サービスに力を入れます。
2. 官庁入札は「設定価格帯内の最低価格」が原則でした。
私が大学を卒業した頃(1962)、官庁入札の多くは「予算を超えたら発注できない、予算を上限とする一定幅の価格を秘密で設定し、その幅を下回ったら低品質として外す。設定価格内の最低価格を提示した企業に発注する」という方式でした。
入札仕様が厳しい代わりに、それを満せば許容範囲内の最低価格の提示企業が落札するということなので、自社が強みとする工法等を仕様に組み込んでもらえれば受注の可能性が高まりました。
このシステムが多用された理由は、官庁が終身雇用で、自分の発注した工事のトラブルの責任を自分が負うことになるため、工事費節減よりも発注後のトラブル防止を重視したからとされていました。
2003/07/25
入札時の価格設定
1. 個々の機器・工事は積算資料を基準として値入れを行い、工法等の提案で差をつけるのが原則です。
基本的には「官需は状況証拠としての写真集を撮るだけ手間がかかる」ことを念頭に、積算資料等を参考に適正価格を見積ります。積算資料は「通常の業者なら黒字になる」程度の余裕を見込んでありますが、その個別の工事・機器の単価を引き下げるよりも新提案に力を入れることが収益維持のために重要です。
2. 下位メーカーほど、最初の見積り価格を低くする代わりに、入札後の審査会で値引きを要求されても、極力値引きを避け、プラスαのサービス追加を申し出る程度に止めるようにします。
これにより誠意ある価格設定をしたという印象を与えて、代理店や設計事務所も安心して下位メーカー品を推薦できるようになります。
大企業の場合、「高給料の大企業の直需部門がビフォア・サービスを含めた営業活動を行うので、代理店ルートより割高になるが、十分なビフォア/アフター・サービスを提供できる体制になっている」というイメージが理想的です。
現実には「応札価格は下位メーカーより高くて、応札後の審査会での値引きが高いのが大メーカー」という話を聞きます。ただし、大メーカーは品揃えが豊富なので、応札後の審査会でユーザーの予算を聞かされ、値引きを求められた段階で、グレードが低いか、又は、簡素な仕様の製品に変えることで値を下げている例が多いようです。
2003/08/01
価格競争と収益性
1. 1990年代に大手産業機械メーカーが行ったゴミ焼却炉の実績作りのための低価格応札は有名です。
1990年のバブル崩壊後に、大型産業機械での成長分野はゴミ焼却炉であるということで造船所から製鉄所までが名乗りを上げました。実績を作るために完全入札制を行っている市町村に対して最低価格で応札する例が多く見られました。実績を作っても、需要は官需に限られ、低価格で納入したという事実は公表されて、値戻しできず苦労している例を聞いています。
2. 三光汽船が倒産直前に行った大量発注により、造船業は1−3万総トンの貨物船の量産技術を身につけたことでコストダウンに役立ち、日本の造船業の延命に役立ちました。
[(「電子ブック:データベース昭和史」岩波書店)1983/03/28三光汽船(株)がタンカー減量、ばら積み船新造の方針を発表、夏までに1−3万総トンの省エネルギー型貨物船を111隻発注。]
[(同)1983/8/13三光汽船(株)が会社更生法適用を申請]
[(日刊工業1983/08/19)三光汽船の引合いに三菱が安く決めたので中手は必然的に安くさせられた]
三光汽船はタンカー主体の体制から多目的貨物船主体に切換えようとして111隻の短期集中発注でコストダウンを目指しましたが、新船舶が収益に貢献する前に三光汽船の財務内容が悪化して倒産しました。
しかし、タンカー主体の量産体制から多目的貨物船の量産ノウハウの建造技術に転換しなければならなかったのは日本の造船業も同じでした。短期集中建造だったので大幅なコストダウンのノウハウを蓄積できました。ただし、客先の三光汽船が倒産したので、倒産前に納入した造船会社と倒産後に完成させた造船会社では収益面で格差を生じました。
2003/08/08
売込み段階の提供情報
1. 顧客にとって採算計画に使える指標が最初に欲しい情報です。
例えば、飲食店の店舗改装では、高級店から大衆向け店舗までの格付けを考えて、売場面積当たり工事費を最初に提示するのが改装業者の手法でした。飲食店開業を計画している客先にはメニュー・リストの作成を求めて、それにふさわしい店舗の基準として店舗面積当たり工事費を早い時期に提示していました。
即ち、売込みの初期の段階では自社見積りではなく、世間相場を出し、自社製品の価格については、「当社製品は自動化が進んでいるが同価格」「当方はこの数値よりは低価格で計画する」という程度のヒントを提示します。
2. 自社見積りは早めに一発回答として出すのが原則です。
一発回答で出して、安易な値引きはしないという原則を守るために、自社見積りの前に世間相場の情報を提供します。
客先が詳細な検討を始めるときに、自社が提出した見積書と仕様書をベースに検討してもらうことは受注活動を有利にする常套手段です。とくに客先の担当者が上役に説明する場合に説得力のある具体的内容があって有益だったと評価されることが重要です。
当然、他社が客先の担当者から自社の見積価格を聞き出して、それより低い価格を提示することは覚悟すべきです。その場合でも、安易な値引きに応じないで、例えば、標準部品の採用によりコストダウンをした新システムの提案等で対抗し、「あの会社は堅実で値引きしない」というイメージを作るのが一応の原則になっています。
2003/08/15
採算計画とライフサイクル
1. プラント設置で採算を考える場合、ライフサイクルを考えることが重要です。
(1)運転遅延のときの金利と経費の大きさを考えて計画すること、この場合、ライフサイクルの揺籃期であれば、施工者の経験も少ないが、ライバルも少ないので、遅れが販売戦略に及ぼす影響は少なくなります。
(2)製品の収益は成長期にピークになるが、その前の揺籃期に赤字が発生するのを極力防止するように配慮すること、
(3)製品価格の変動に対して、原料価格をスライドできること、即ち、原料調達先を柔軟に変更できること、これは成熟期に特に重要です。計画段階では低賃金を期待できても、労働集約型経営は販売不振の場合に人件費比率が上昇するので、最新鋭ではないが、コスト効果の高い成熟した自動化設備の導入を考えること、
などが検討事項になります。
2. 大宇自動車がウズベキスタンに進出したときには以下の事情があったと聞いています。
[(中央アジア研究所月例研究報告書(NO.56)2002/11/11、Vladimir V.Kindalov)韓国Daewoo社との合弁会社UzDaewoautoがアサカ町(フェルガナ渓谷)に建設され、3車種(Tiko, Damas and Nexia)を製造し、2001年以降、新車種Matizの出荷も始まった。
サマルカンドではウズベキスタンとトルコの合弁会社SamKochavtoが建設され、快適でコンパクトなバスと種々のトラックを生産している。上記の製造で用いるための部品製造企業も新設された。
タシケントにはCIS加盟国の飛行機工場で最大のもののひとつがあり、輸送機IL−76を生産している。]
[(中央アジア研究所月例研究報告書(NO.59)2003/01/27)アサカに建設された自動車工場(韓国の大宇自動車との合弁によるUzDAEWOOの工場)があります。この工場で生産されている自動車は、国内のみならず、旧ソ連諸国や中央アジア全域に輸出されていて、ウズベキスタンにとって重要な産業となりました。]
人口4700万人の韓国で第二位の財閥である大宇としては、人口2500万人のウズベキスタンは経営ノウハウを移植するのに適当であり、旧ソ連諸国や中央アジアを輸出マーケットとして期待できる環境も、韓国から欧米への輸出ノウハウを生かせる環境だと判断したはずです。政治的に安定していることが「運転遅延」のリスクを最小限にするための必要条件で、ウズベキスタンは中東では特に政治的に安定しているのが魅力だったはずです。国民所得が低いことから国内需要が少なく、揺籃期が長引く可能性があるものの、ロシア語を共通言語とする周辺諸国から販売初期に入手すべき情報のフィードバックが期待できるので、揺籃期を短縮できると判断したはずです。
2003/08/22
営業組織と値引き
1. 営業組織の多くは客先別担当になっています。
営業窓口の第一条件は最初の引合いに自信のある対応をする必要があります。自信の無い事項については、「最初の応対では安請け合いをしなかったが、一週間で豊富な資料を持ち込んできた。」という対応システムでバックアップする必要があります。そのバックアップを行い、かつ、客先による見積り合わせの結果としての値引き合戦が行われているときに、値引きを避けて新システムを提案できる計画部門がメーカー社内にあることが必要です。
2. 日本の場合、値引きに対応しやすい組織が特色です。
下請け企業を多用し、かつ、各下請け企業が「当社に再発注されるのは総受注額の何%」と計算できるようにして、値引き分を下請けにスライド負担させる例が多く見られます。しかし、成長期を過ぎて過当競争が激しくなると、下請け企業の体力を消耗させる要因になっています。下請け企業が体力を消耗するとトラブルが発生すると対応できなくなることがあります。
3. 年商の5%以上の大型プラントは価格見積りの段階から社長が関与するのが原則です。
その場合、決断の早い社長が営業マンから信頼されますが、同業者からはミスター・ダンピングと呼ばれることが多いようです。多くの場合、「どうだ、値引きしても収支トントンになる見通しがあるか、見通しがあるなら値引きせよ」という指示を出しています。値引き分を全額下請けに転嫁することは不可能なので、出血受注の場合、「不況だから見積価格から減価償却コストを除外した価格に値引き」というのが一応の基準ですが、実績作り等でさらに損失を覚悟して受注する場合には、固定経費(人件費・設備費・一般経費)の何%の損失になるかを見極め、かつ、工事遅延等による損失を最小限にするように、出図と発注手配を早める必要があります。
2003/08/29
ソフトの手直しコスト
1. ソフト作成コストは規模の大きなソフトウエアほど指数関数的に増大します。
FORTRANやCOBOLでプログラムを書いていた頃は、500ステップ程度の独立性の高いソフトなら100ステップ/日/人の速度で作成できると言われました。
しかし、コンピューターの基本OSのような30メガ・ステップ級の大型ソフトになると20ステップ/日だとされていました
[(日経産業、1981/02/06)「優秀なベテラン技術者でも1日に書ける命令は20ステップが平均」(日本アイビーエム関係者の話)といわれ、3000万ステップの最新のOSを作るには3000人の技術者を投入しても2年はかかる計算、富士通でも「Mシリーズ」用の最新のOSはステップ数で30メガ(3000万)ステップ、マニュアル(取扱説明書)にして200冊を超える。]
もちろん、基本OSのような大型ソフトでも500ステップ級のモジュールに分割して各作成者に配布しているはずですが、それでも相互の関連の調整をする打ち合わせで能率が著しく低下するのだとされています。
2. 1980年代の銀行OA化ブームの頃は、ソフトウエアのシステム設計とコーディングが明確に分かれた時代でした。
システム設計は全体のフローチャートを作成し、各部分をモジュールに分割し、各モジュールの機能と相互関係を説明するために大量(OSなら200冊)のマニュアルを作成する作業を担当するに対して、コーディングは各モジュールをCOBOL等のプログラム言語で書く作業でした。ソフトの質はシステム設計で決まるとされていました。
システム設計の能率を算定するための要素は営業コストとか打合わせコストとして計算される要素と共通しているはずです。しかし、日本には営業コストや連絡コストを罪悪視する傾向があります。
結果として、全体のコストを「1人・1日当たりのステップ作成数で評価し、規模が大きくなると指数関数的に割高になる」という評価をすると元請けほど間接費により低能率であることが明確になり、下請けに能率向上を求めにくいとして、この種の表現をしたがりません。
3. 規模が大きくなると能率が急激に低下することを認識しないと悲劇になります。
部分的(二次的)システム設計に優れている良い下請け企業が逃げ出す元請けソフト会社は規模が大きくなったのに、能率を低く見積もらず、発生した赤字について、「君が作成したシステムは手直しの手間がかかりすぎたから」という理由で下請けに押しつける企業だとされていました。
2003/09/05
ターンキー方式と手直しコスト
1. ターンキー方式とは運転直前までの作業をベンダーが一切担当し、客先がキーを回すだけで全面稼働できるようにする方式です。
当然、ベンダーの方式で一切のシステムを構築できるので、手直しが必要になったときにも、ベンダーに全面依存することになります。
ターンキー方式はインフラストラクチャーを含む一切の手続きを代行するので、ベンダーにとって大変な作業になるのですが、アフター・サービスを含めて全面的に請け負えるはずで、かつ、自己システムを全面活用できるだけ技術者にとって夢であることは事実です。
2. 技術革新の激しい分野ではターンキー方式とスクラップ・アンド・ビルドの組み合わせになります。
ユーザーは社内専門家を最小限にして、ベンダーに一切を任せるためにターンキー方式で契約します。そして一定期間を使用したら全面的に廃棄して新ベンダーとターンキー方式の建設契約をするというスクラップ・アンド・ビルド方式を採用します。
2003/09/12
客先の技術の利用とシステム設計
1. ノウハウには「図面に描いた段階で、又、外国企業の製品との比較から得られるノウハウ」と「実際に運転して見て判明したノウハウ」があります。
技術革新が急速に進む段階では、最新の技術を外国から導入するためにメーカーが主導的に動くのが原則です。しかし、国内需要が成熟期に達すると、運転した経験に基づく国内ユーザーのノウハウを活用して発展途上国に技術輸出をすることが重要になります。
最近は運転ノウハウを「コンピューター制御の動作手順と設定値」という形のシステム設計としてまとめられるようになり、国内ユーザーがそのシステム設計を提供し、機器ベンダーはプラント・システムのハードウエア設計を担当するという分担をする例も多くなりました。
2. 客先とのタイアップ販売が多くなりました。
[(日刊工業、2003/05/15)石川島播磨重工業は14日、シンガポールの電力会社・パワーセラヤから第1発電所(出力75万`ワット)について現在の重油焚きから東南アジア初のオリマルジョン(超重質油を用いた新燃料)に燃料転換するプロジェクトを受注したと発表した。金額は200億円弱。完成は06年1月。今回は同燃料で発電実績がある関西電力がコンサルタントとして参加。]
関西電力のコンサルタント作業の範囲がどこまでか不明ですが、多くの場合、運転ソフトウエアの重要パラメーターの選定が含まれるはずです。
従って,機器メーカーがユーザーに渡す最初のソフトウエアについても客先が手直ししやすいような形でプログラムを作成して納入することで、多くの手直しが電話での問い合わせですみ、メーカーとユーザーの両側の経費を削減でき、それにより、他への販売には過去の顧客をコンサルタントとして参加させることで、新規客の信頼度も高まるという効果も期待できます。
2003/09/19
メーカーから量販店へのディーラー・ヘルプ
1. 消費財メーカーがディーラー・ヘルプとして量販店に販売要員を派遣することがあります。
製品の揺籃期を過ぎると、消費者の多くは自分で選ぶことを楽しみとしていて、セルフサービスを好みますが、購買頻度が少ない高額商品になると、店員に商品説明をしてもらいたいという気持ちになります。そのような場合に対応するには応援店員は有効です。店員の人数が多ければ、売買手続き等の顧客サービス、在庫品補充、清掃、万引き防止に有効です。
結果として、消費者から「呼ばれたら説明する」という役割に徹し、押付けムードを極力避け、顧客が他メーカーの商品を指定した場合でもその商品の売買手続きを支援します。
2. メーカーから派遣される応援セールスマンの主な効果は「自分自身の勉強」です。
量販店のプロパー社員よりもメーカーからの派遣店員の方が専門的知識を有しています。しかし、それを露骨に出して高度の技術説明をすることは顧客に違和感を与えることがあるので、自社に若干有利になるように商品説明をします。応援店員を受入れることは、その店に活気を与えるイベントであり、その量販店を担当するレギュラー・セールマンがそのイベント計画の打合せ段階で、応援店員派遣に対応して、目立つ陳列場に特定商品を置かせてもらうように交渉します。
結果として、派遣された応援社員自身が販売のポイントは売りたい商品を売れる場所に置くこと、売れる商品が品不足にならないことの2点であると認識するのが最大の成果になっています。この成果は日報としてメーカー全体に伝達されます。
3.生産財の場合、ディーラー・ヘルプとは代理店が見つけてきた見込み客に代理店に代わって商品情報を提供することです。
一般に、代理店の担当者に同行して客先を訪問し、商品説明、納期、設置工事等の技術分野をメーカーが担当し、価格と支払い条件のような取引条件は代理店が担当します。
2003/09/26
見本市を利用した生産財販売
1. 多くの生産財メーカーが地域外での販売に見本市を利用しました。
生産財メーカーの多くは創業時に組み立てを主体として、部品加工は外部企業に頼りました。組立て工場も建屋も粗末なものでした。従って、地元では馬鹿にされて製品についても買い叩かれるので、一号機は地元企業の発注に応じて製作して、顧客の要求に応じて改善を行うが、それにより性能が確認されている二号機以降については収益力を向上するために、まず、遠隔地の見本市で機械自体の価値を認めてもらい、販売実績を作ってから地元の需要を再び開拓するのが原則でした。
2. 見本市では見込み客から名刺を受け取るか、顧客名簿に記入してもらうことが販売の第一歩でした。
見本となる装置を見本市に展示し、見本市終了後に名刺を置いていった引合い客を回って、「展示した装置で良ければ割引販売をします」という形で売り込みました。結果として、見本市では、需要の主体となる「売れ筋商品」よりも、少し毛色の変わったユニークな方が売りやすく、見本市終了後の売込み段階で、需要の主体となる「売れ筋商品」を探る形になりました。
2003/10/03
押売りイメージ
1. 押売り販売はいつの時代でも過当競争です。
ライフサイクルの初期には積極的に情報を提供するコンサルタント・セールスが原則ですが、ライフサイクルが成熟すると共に急速にセルフサービスに移行します。初期でも、顧客からは関心度に反比例して商品説明への拒否反応が強く出されます。
揺籃期のコンサルタント・セールスでは、電話で関心のある見込み客に合うアポイントメントを取ってから売込みに行くという行動パターンが典型ですが、顧客が押売りと感じれば、それは押売りになります。目標販売額に達しないから積極的に売り込もうとすると、どうしても押売りのイメージを生じます。
2. 営業職が敬遠されるのは、その典型的イメージが押売り販売、ノルマと歩合給による不安定な収入だからです。
このイメージに該当する営業マンの比率は小さいはずです。むしろ、「営業部門は成績が上がらなくても外部要因即ち「売れる商品がない、ライバルが強力、商圏内人口等の条件が悪い」を指摘して弁解できるし、外回りで社内の息苦しい雰囲気から逃れられる」と感じている営業マンが多くいます。給与も固定給+奨励給で、その奨励給が営業成績にリンクしている場合が多いはずです。
2003/10/10
ベンチャー・ビジネスに対するセーフティ・ネット
1. 日本ではバブル崩壊(1999)以後の不良債権整理を本格化する段階でセーフティ・ネットという言葉が使われました。
現実には銀行という組織自体は不良債権を国に移すというセーフティ・ネットの恩恵に浴しましたが、リストラされたサラリーマンの多くはパートタイマーとしてしか新しい就職先を発見できず、低収入の生活を強いられています。結果として年金の掛け金も払えない状況にあり、セーフティ・ネットの対象外になっています。ベンチャー・ビジネスに失敗した者でもセーフティ・ネットで救える体制が必要です。
2. 韓国も高い失業率で苦しんでいます。
最近、韓国はDRAMと大型サイズの液晶・PDPの生産で世界一になっています。
その状況は東芝が64キロビットRAMの試作品を1978年電気四学会連合会で発表し(電子材料1978年11月号)、それ以後、日本が半導体メモリーと家電の生産で世界一になった頃に対応しています。それまでの日本では、大企業が下請け企業を育成して低コスト部品を生産させていました。しかし、その後、例えば、家庭用テレビの回転式チャンネル・セレクターが電子式リモート・コントロールに変わり、木製キャビネットがプラスチックの一体成形に変わって、部品の発注が相対的に減少しました。現在はハードウエアをソフトウエアに変換し、変換できないハードウエアは世界中から調達して国際競争に生き抜く時代なので、韓国でも下請け企業の育成による失業者の吸収が進みません。
3. ソフトウエアとバイオのベンチャー・ビジネスで失業者を吸収する時代だと思います。
米国のシステム・インテグレーターがインドのソフトウエア技術者を活用したことで、インドでは多くの中産階級が生まれました。同様の例が、デジタル家電の発展と共に世界各地で見られそうです。ただし、その場合、各地域・民族のニーズに合わせようという提案から出発するので、失敗する企業も多くなるはずです。失敗した事業者への対策が必要です。
ソフトウエアと並んで有望なのはバイオです。
[新薬が最終承認を得られる確率は5,000分の1から10,000分の1とされています。
(http://www.koreaherald.co.kr/SITE/data/html_dir/2003/10/02/200310020037.asp)]
[抗生物質のうち約60%が放線菌由来のものであり,治療に使用されている抗生物質の90%以上が放線菌によって生産されている(世界大百科事典、日立デジタル平凡社、1999年)]
このようにターゲットが絞られている分野は巨大企業が有利ですが、それ以外の分野は臨床実験前までの研究段階の規制緩和により、ベンチャー・ビジネスが有力候補を発見し、その臨床実験を巨大企業が引き受けるという分業体制に移るべきだと思います。
大企業にだけ頼ると、日本の国鉄の末期のように、貨物は納期の厳しくない石炭、砂利、木材が主体で、短距離旅客は料金割引率の高い学生主体という状況になります。
2003/10/12
上記のアップロードの後で、韓国からのテレバシーと思われる示唆があり、韓国の政策は外貨獲得を最優先しているのであって、失業率の低減は輸出産業振興以外の他の政策で行うべきであるということが示されました。
2003/10/17
国鉄末期の貨物輸送
1. 日本国有鉄道(JNR)は1987年に分割・民営化して JR(旅客6社と貨物1社)となりました。(1986年10月28日衆議院が国鉄分割・民営化法可決)
国鉄末期の貨物輸送の主体は納期が厳しくない石炭、砂利、木材だと言われました。
野菜を産地から大都市市場へ2−5℃に冷却した状態で輸送すると長期間鮮度を維持できることが認識され、保冷車による輸送も行われていましたが、野菜の流通ルートが青果市場で小売店にセリで販売する比率が低下し、農協が量販店に直送する比率が高くなったのに対して、レールは青果市場に敷設されていても、各量販店までは通じていないため伸び悩んでいるということが指摘されていました。
2. 基幹輸送として機能するには臨機応変の反応が必要だとされました。
自動車や危険物は中核駅まで貨車輸送し、中核駅からディーラーまでトラック輸送に切換えるという方式が使われましたが、この種の輸送を他の製品に拡大するには手続き面の柔軟性が必要だとされました。
例えば、量販店のシェアが高くなっても、農協は量販店と一定数量の長期契約は行いましたが、野菜の価格が大きく変動するので、価格については青果市場の価格を参考にして出荷の直前又は直後に話し合う方式をとっていました。また、青果市場に一括して送ってから、市場内の仲買人がセリ前に量販店向けの商品を先取りするということも行われていました。そのような状況に対応するには民営化が必要だとされました。
2003/10/24
量産型の鋼材と特殊鋼
1. 鋼鉄にはキルド鋼とリムド鋼があることは高校の化学で教えています。
キルド鋼は製品から不純物の多い部分を除去しますが、従来はこの方式で製造したものを特殊鋼として扱い、その中でも、炭素量を厳密に設定した機械構造用炭素鋼(SC材)が最も広く用いられる特殊鋼とされていました。SC材は丸棒のような圧延材で出荷されるものが多かったのですが、他の特殊鋼は鍛造・鋳造により切削加工前の製品の形で出荷することが多く、鉄鋼製品の中では付加価値の高い分野になっていました。鋼塊の連続鋳造法が採用されてから、特殊鋼以外にキルド鋼の用途が広がり、リムド鋼・セミキルド鋼の用途が縮小したとされています。(世界大百科事典、1999年、日立デジタル平凡社)
2. 鉄鋼業界では、特殊鋼は軍需関連需要がない国では不況に弱い産業とされています。
鋼塊の連続鋳造法が普及する前は、セミリムド鋼が造船厚板に使われ、リムド鋼はそれより単価の低い形鋼等の圧延材に使われていて、大手製鉄メーカーと中小電炉メーカーはセミリムド鋼・リムド鋼を製造していました。
3. 安価な取扱品のコスト意識が官民の違いだと思います。
国鉄時代の貨物輸送が石炭・砂利・木材という低価格品を主としていて、赤字で苦しんでいました。一方、鉄鋼業界では、付加価値の高い製品を扱っている特殊鋼業界の経営の方が不安定でした。鋼塊の連続鋳造法以前に鍛造品を溶接構造と鋳造品に代えること、及び、鋳鋼品をステンレス又はダクタイル鋳鉄の鋳造品に置換えることが流行しました。そのシンボルが小型自動車のクランクシャフトを鍛造品からダクタイル鋳鉄に移行したことでした。そのような時代的背景もあって、日本特殊鋼が1964年12月1日に、山陽特殊鋼が1965年3月6日に倒産しました。高炉メーカーと中小平炉メーカーがセミリムド鋼・リムド鋼という安価な取扱品を厳密なコスト管理で製造していて、その方が特殊鋼よりも不況に強いと言われました。
2003/10/31
電炉メーカーの再建
1. 倒産した電炉メーカーの多くは賃加工業に徹して再建しました。
倒産すると、営業・購買等の間接部門が縮小又は廃止されます。例えば、大都市周辺のスクラップ回収業者は再建中の電炉メーカーに従来通りスクラップを持ち込みましたが、電炉メーカーの構内で、それを受入れて、回収業者に現金を支払うのは大商社でした。電炉メーカーは大商社から材料を支給してもらって製品を製造し、その製品を全量大商社に渡して、加工賃を受け取るという形態になっていました。
2. 電炉メーカーはスクラップ等から棒鋼、山形鋼、溝形鋼、平鋼等の圧延製品を生産していました。
1980年の不況期に電炉メーカーの理想は米国のミニミルだと言われました。米国のミニミルは地域密着で、周辺地域からのスクラップを受入れる共に、地域内の建築会社から鋼材を受注し、指定寸法に切断し、指定形状に溶接して納入していると言われていました。
日本で類似した業態の電炉メーカーは造船向けの平鋼を製造している業者で、造船会社から甲板に使う平鋼を受注し、「並べると船の形になるように切断したものをセットで納入」していましたが、それには連絡業務のような間接要員を必要とするので、「倒産後に人員整理をした」企業には類似した営業力を付けることは不可能でした。
3. 倒産の理由は「製品安の原料高」でした。
1980年代は鉄鋼製品とスクラップの両方の価格が長期的には低下傾向になっていました。
製品安の理由は過剰設備による供給増であり、過剰設備を無理に稼働させようとして、スクラップの確保を重視したため、製品安の原料高になっていました。そこで、販売・購買とも商社が代行し、電炉メーカーは賃加工に専念することで安定経営を実現できました。
2003/11/07
大手の鉄骨加工業
1. 米国には地域密着型のミニミル以外に、全国規模の寡占化した鉄骨加工業者があるという話でした。
[(「アメリカの設計組織と建設会社」鹿島研究所出版会、1966年、p106)米国で建設の下請企業が極めて強力で、例えば、American Bridge division of U.S. Steel Corp.は鉄骨で相当の活動をしている。]
2. 日本でも大手企業が高層ビル等の鉄骨を受注しています。
日本の場合、1トン当たり20万円前後という相場が石油ショック(1973)以来1980年代の円高不況まで続きました。
[(日経1976/05/12)筑波大学研究棟1000トン、都営住宅700トンで、15万円/トンという出血価格になる引合いがあり、東京鉄骨、新日鐵が拒否。][(日刊工業1983/11/1)鉄骨相場が1982年8月に22.3万円/トン、1983年8月に19.1万円/トンで内訳は材料10.4万円/トン、加工賃8.7万円/トン]
この相場より大手は若干高い代わりに「1階ごとに積上げていく」高層ビル用の鉄骨を、零細業者はその相場より低価格で、5階までの低層ビル用で「いわゆる、クレーン車が鉄骨を1−2日で現地組立をする鉄骨」を受注するという形で棲み分けています。
電炉メーカーによる鉄骨製造はこの零細鉄骨業者と競合する形になるので、米国型の「建設会社に直接納入する二次加工」に進出できないとされています。
2003/11/14
セールスと用語
1. 日本人がサポートという語に慣れるのに5年かかりました。
1980年以降の円高で外資系のコンピューター関連会社が日本に進出しました。ところが、取扱説明書を直訳し、日系企業ではアフターサービスといっている活動をサポートと原語のまま使っていたので顧客に違和感を与えました。パソコンもMS-DOSベースのソフトが主流になってから日系企業でもサポートという用語を使うようになりました。日系企業のセールスマンの中にはアフターサービスを無料サービスの意味で、サポートを有料サービスの意味で使い分ける例があって、それが顧客には好評でした。
2. 文科系のセールスマンは単位当たりの数値を使いたがる傾向があります。
[(「ドキュメント三菱商事燃料本部」1981年、日経p162)石油のカロリー換算は100万BTU当たり2ドル15セント×5.78倍=1バレル当たり12ドル43セント]
この種の換算はセールスマンが実態を概略的に理解するのに必要であり、それは顧客にとっても、最終決断をする前の情報収集に必要なので喜ばれます。
技術者の場合、特にコンピューターが手軽に使えなかった頃の技術者はメートル系の数値で統一することで計算を容易にしていました。
3. 換算には適用範囲があります。
セールマンも顧客も電動機の価格は1kw当たり2万円という相場を知りたがります。しかし、この数値を大型にも小型にも適用しようとすると、素人扱いをされます。
例えば、機械統計年報告には日本国内で生産された金型の総生産額と重量が示されているので、それから重量当たり価格を求めることができます。小型で単純な金型より大型で単純な金型は高額になりますが、同一の外形寸法の金型を比較した場合、軽い方が加工量が多いはずで高額になります。量産品と注文品では同一性能でも価格が違います。「機器コストは重量の0.8乗、装置の建設費は能力の0.6乗、計装費は能力の0.5乗にほぼ比例する、という常識があるが、このプラントには特殊事情があるので、その基準から外れるという説明をするのは技術系スタッフになっている場合が多いようですが、文科系のセールスマンもその特殊事情をある程度は知っていることが必要だと思います。
単純に「コンピューターで集計しました」と、膨大な部品の一覧表を見せただけでは、「個々の部品単価で水増しをしているのではないか」という疑惑を抱かれている例も多いと聞いています。
2003/11/21
測定方法と単位
1. 従来は測定方法により単位が変わっていました。
公害問題の記事で「ppmは百万分の一」という説明が付く場合が多く見られます。
比率は無次元数なので、説明としては正しいのですが、大気汚染では「同一の温度と圧力なら気体の分子数は体積に比例するので、ppmは体積比で百万分の一、水質汚染では、溶けた固形物については、水を蒸発させて残留固形物を精密天秤で測定するので、ppmは重量比で百万分の一になります。水に溶けている気体の場合は、下端を水銀プールで閉じた容器に水を充填し、水銀の液面を下げる(又は水の容器を持上げる)ことにより水を減圧することでガスを分離させてから、水銀の液面を戻すことにより圧力を元に戻し、その後に分離したガスの体積を測定するので、溶存気体は体積比率のパーセント表示になります。
2. コンピューターと電子測定機器の普及で、測定方法と単位の関係が変わりました。
工学系と理学系の単位の統一という意味もあって単位の変更が行われています。このため、実務家の「太ければ丈夫、細ければ弱い」という直感的判断と使われる単位が結びつきにくくなっている場合が多くなりました。
石油の体積単位として1バレルが約60cmの高さと直径の樽の容積に相当するということで具体的状況の連想と結びついているので、セールス活動をする場合には知っている必要があります。
2003/11/28
顧客と数値単位
1. 営業マンは「顧客の味方」になるべきです。
営業マンが顧客の味方でないと、「商社を通さないことが流通の合理化だ」ということで、リストラの対象になります。顧客の味方になるには、「理解しにくいことを話してだまそうとしている」という誤解を与えないようにすることです。
それには技術者の話す単位を顧客が理解しやすい単位にセールスマンが換算する心がけも必要です。
価格については生産財といえども「大メーカーの直販価格は高給取りのセールスマンが売るので割高であり、それよりも代理店経由の方が値引きする」というイメージを与える必要があります。そのためには大メーカーのスタッフは「学歴も高く、難しい用語や単位を使いたがる」というイメージを利用することも重要です。
適当な頻度で巡回訪問をして、ビフォア・サービスとアフター・サービスのコストを回収できるような購買頻度と顧客分布を実現するのが理想ですが、それとは別に、訪問時に世間相場を積極的に提供することで「価格だけの競争」と「サービス提供を強調はする代わりに割高というイメージ」を避ける必要があります。
2. 簡単な測定法を知っていることもセールス活動に有用です。
米国の容積単位は1ブッシェル=約35.24リットルで、トウモロコシの場合1ブッシェル25.4kg、大豆・小麦で27.2kg、1バレル(米)=159リットルで、比重は重油0.82-0.96、灯油0.78-0.84、ガソリン0.66-0.68です。この比重は石油ショック以後英和辞典にも注記されるようになりました。メートル単位換算値の立方根をとると1ブッシェルは一辺15cmの立方体、1バレルは54cmの立方体となり、その程度のマスを使って取引をしたのだと理解できます。
立方根の計算は、表計算ソフトExcelを使った場合、
A1セルに3.78と代入し、
A2セルに=LN(A1)/3、
A3セルに=exp(A2)と入力すると、A3セルに1.5デシメートルと表示されます。この程度の操作を使いこなせることは営業マンにとっても重要だと思います。現在でも使われている工業単位の多くは、便利な測定方法から出発していて、かつ、価格指標に使われているので営業マンにとっては重要な知識になっています。顧客と話し合うのにも、その歴史的由来を知っていることは重要です。
成長分野についても、「創生期の加工・測定技術は予想外に単純」という立場で理解すれば参入しやすくなります。研修等で、セールス・スタッフも測定を経験することが理想ですが、さらに測定計器の取扱説明書に書いてある代表的測定例に目を通しておくと役立つと思います。
2003/12/05
下位メーカーのコストダウン
1. トップメーカーは多様な品揃えを目指します。下位メーカーはコスト効果の高い製品を限定して出します。
日本の自動車メーカーの多くが有名なカンバン制度を使って多種少量生産をしていました。車体にカンバンを付けると共に、その車体が流れる組立ラインと平行して移動するハンガー・コンベアに、「1号機は2ドアセダン用」「2号機は5ドアハッチバック用」という順序で部品が吊されて、供給されていました。この順序をコンピューターが指示することで、組立ラインから部品供給場所を離すことができました。
さらに、自動車製造ラインに溶接ロボットを用いて、コンピューター制御で溶接位置を指示することで、多様化に対応しやすくなりました。
2. 実用化したばかりの新技術は割高なので、下位メーカーは成熟技術を手直しして、コストダウンを図ります。
[(日刊工業、1982/2/10)富士重工のヤツメウナギ方式は6車種115形式のボディーを同一ラインで組立てて、2年半の実績がある。主コンピューターは最初の工程のボディーの隅にパンチカードに相当する情報用穴をあける工程と最後の車体番号を打ち込む工程だけにタッチする。中間の各工程では光電管がボディーの隅の情報用穴を読み取って、ラインの横から車種に合った部品が自動供給されると共に、ジグが変わって、自動的にロボットやマルチスポットの溶接機で溶接が行われる]
ボディーにヤツメウナギのエラ穴のような情報用穴を付ける一方で、組立現場に部品をストックして、情報用穴に基づく部品を選択すれば、メイン・コンピューター機能を縮小でき、システム・コストが低減されるはずです。ボディーにパンチした穴を情報媒体に使った例は少ないはずですが、同種機能を持つパンチカードを情報媒体に使う手法は成熟技術になっていました。
2003/12/12
生産管理の合理化
1. 生産部門では、コンピューターは次の段階で使用されました。
(1)工程表と余力表の作成
生産管理には工程表と余力表、特に工程表が使われます。
これは1980年頃の8ビット・パソコンでも表計算ソフトを使って早い時期に実用化されました。これにより、主として納期と工数の管理が行われました。
−−−−−−−−−−−−〔工程表〕−−−−−−−−−−−−−−
---受注NO.---1日2--3--4--5--6--*--8--9--10-11-12-13--*-15-16-17日
----1001-----<設計><機械加工><組立--><検査->
----1002-----------<設計>----<機械加工-----><組立-->--<検査-->
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−−−〔余力表〕−−−−−−−−−−−−−−
---部門-----1日2--3--4--5--6--*--8--9-10-11-12-13--*-15-16-17日
---設計-----<1001><1002>
---機械加工-------<1001----><1002-------->
---組立---------------------<1001---><---><1002---->
---検査-----------------------------------<1001><-------><1002->
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−−−−−〔表計算ソフトを用いた工程表〕−−−−−−−−
----受注NO.---設備番号--1日-2--3--4--5--6--*--8--9-10日--合計
-----1001---------1--------8--8--------------------------------
------------------2--------8--8--8-----------------------------
----------------小計------16-16--8--------------------------40
-----1002---------1--------------8--8--------------------------
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2. コンピュータによる管理を高度化すれば多種少量生産の自動化を実現できると期待されました。
自動化された組立工程には早い時期からコンピューターが導入されました。
自動化された組立工程では、生産計画を担当しているメイン・コンピューターから、「1号機は国内向け2ドア・クーペ、2号機は輸出用5ドア・ハッチバック」という加工命令を製造ライン管理用コンピューターが受け取り、そのライン管理用コンピューターは車種ごとに使用する部品とその部品の加工のために素材を取付けるジグの番号を記憶していて、各工程に必要な部品と資材を供給するように指令するということが想定されていました。
このようなシステムは月産1万台(又は日産500個)を1分間/1台で生産する場合には必要でした(60分×8時間×20日=1万台)。
それ以下の生産量の場合、担当者が、メイン・コンピューターが印字した生産命令を受取り、生産現場で加工開始時刻と終了時刻をタイム・プリンターで印字した加工報告をメイン・コンピューター室に持参するか、パソコンから伝送するという程度の処理が行われていました。
3. 2002年8月20日、日立精機が倒産しました。
倒産直前の日立精機の開発方針を知りたくてインターネットを検索したら以下の文章がありました。
[(http://nde.nikkeibp.co.jp/new904i.html、日経デジタル・エンジニアリング 1999年4月号)日立精機は,同社のNC装置とパソコンとを結ぶ通信ポート「UUP(Universal User Port)」を開発,4月以降に出荷する,同社の「SEICOS-Σ」シリーズに標準装備する。
UUPは,プログラム,補正データ,パラメータ,アラームなど,NC装置を監視・操作するための情報をやりとりするポート。物理層にEthernet(10BASE-T),プロトコルにはTCP/IPという汎用の通信規格を利用しており,ユーザーは専用機器を準備する必要がない。]
日立精機は工作機械見本市でも、コンピューターとNC装置の伝送機能の開発成果をPRしていました。
しかし、組立工程と比較すると、工作機械はコンピューターによる遠隔操作は普及していないようです。
多くの機械工場は1人で多数の設備を担当することで省力化を進めていました。そして、NC旋盤による部品加工の多くは段取り時間が長く、加工時間が短いので、1人で2台担当するのが限度だという理由で小規模工場へ外注しました。大企業の社内加工は製品の大型胴体の加工に用いるマシニングセンターを主体にしていました。
マシニングセンターが切削加工をしている間に、作業者は加工品をパレットに取付ける作業を行い、切削加工が終了すると、パレットをマシニングセンターに取付けると共に、加工命令の設定変更も入力するという作業をしていました。
従って、NC旋盤もマシニングセンターも遠隔操作のための通信機能は期待されたほど必要としていませんでした。
加工内容の伝送が頻繁に行われたのは、三次元形状の金型加工のCADを外注し、それを社内のCADライブラリーに取り込む分野ですが、通常のパソコン通信によるファイル伝送の形が用いられていました。
日立精機の倒産の主因は、新製品の発売の遅れが続いて体質が弱くなったことでした。ターレット旋盤に未練を持っていたため、NC旋盤の発売が遅れ、水平ベッド型を1977年秋、スラント・ベッド型を1980年秋でした。金型加工用立て形マシニングセンターへの進出も消極的で、量産品向けのK型プログラム/コントロール付きフライス盤に簡易NCを付けたものを発売したりしていました(日刊工業、1976/02/23)。上記のように時代を先走りすぎた通信機能の開発に力を入れるという客先の事情を知らない開発も一原因かも知れません。
(補充)
上記の文に対して以下の意見をありました。
小規模機械工場は切削液と切り粉で汚れていて、カセット・テープやフロッピーディスクによる加工プログラムの入出力は不適だとして、テレタイプライターでパンチした紙テープが依然として外部記憶媒体として使われている。従って、パソコンからNC装置へ電線を通じて加工プログラムを伝送するニーズは作業環境の悪い中小機械工場の方があるはずだ。ただし、日立精機のセールスマンはそのような具体的ニーズを強調せず、「伝送形態はオフラインからオンラインへ移行します」という抽象的な説明しかしなかったために有用性について顧客が認識できなかったのではないか。
2003/12/19
日立造船のタンカー輸出
1. 品質のPR
[(「歴史をつくる人々. 第19 :松原与三松 : 輸出365日」ダイヤモンド社、1966年、p86)船主は新しく船が進水すると、レセプションを各地で開くならわしになっている。これはまた造船所の技術展示会にもなる。全世界のあらゆる船舶関係者の批判を受けるのだから、船室にかける一枚の絵にしても、サロンの設計にしても"世界の目"に耐えるような水準以上のものでなければならない、]
2. 納期の重要性
[(同上、p44)キャラス社のG.M.サンガリス副社長は、ある雑誌の座談会で、「松原社長はどんなことがあっても納期内に引渡すと確約された。その通りになったのと、第一船に引続いて、3隻を日立一社に追加発注したことで、欧米の船主は日本の各造船所に発注するようになった」]
2003/12/26
営業主導型の受注
1. 日立造船は営業主導型だと言われていました。
[(日刊工業、1984/2/27)石油掘削リグは1968−1982年の実績で、日立造船23基、三菱21基、三井10基、日本鋼管6基、住友3基、最近は日立造船の積極性が目立つ。(日本鋼管の見解によると)日立造船は受注してから採算を何とかしようという"営業主導型"、これに対して、三菱重工は組織が大きいから意志決定に時間がかかる。こと海洋機器に関しては営業主導型が大事。]
2. 営業主導型と言われる企業は設計部門(詳細設計部門)と同程度に見積り部門を重視しています。
受注してから採算がとれるように何とかしようと言っても、社内加工を減らして、中小企業に外注するか、社外工を利用するか、購入部品の価格低下を図るか、数台まとめたロット生産をするかについて、ある程度の見通しが立てられなければ値引きには応じられません。
[(「歴史をつくる人々. 第19:松原与三松:輸出365日」ダイヤモンド社、1966年、p42)1949年、米国のキャラス社から2万トンのタンカーの発注があり、慎重な見積りで受注したのに、米国との取引上の理解不足と関係法規に対する研究が不十分で、船価の2割に相当する赤字となったが、第一船の船価で残り3隻を追加受注できるなら十分第一船の赤字をカバーして黒字にできるという絶対の自信があった。それは私が日立製作所で経理をしていたときに、収計部が営業会計の仕事を見ていたため、営業部門に関する数字は全てわかり、あるときはコストよりマイナス60%という注文を黒字にしたことがあったから]